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4.レオ、従者に出会う

 カイ・グレイスラーの朝は、主人であるアデイラの部屋で、満面の作り笑顔を浮かべることから始まる。


「ねえ、カイ、この髪飾りはどうかしら」

「とてもよくお似合いでいらっしゃいます」


 いうなればそれは、娼婦が派手な化粧を施すようなものだ。客の目を楽しませるだけでなく、素顔を隠すためにそれはある。


「このドレスは? 大人の魅力に溢れていると思わない?」

「はい。アデイラ様にしか着こなせない代物だと思います」


 カイは寝室に散乱したドレスを畳みながら、内心で、


(肩ロースに巻かれる凧糸くらいにはよく似合ってるよね)


 とひとりごちた。

 天使の微笑みを浮かべた少年が、そんなことを考えているとは想像すらせずに、褒められた女主人は鼻の穴を膨らませた。


「ねえ、あなたの主人は、このあたくしでしょう? この、ハーケンベルグ次期侯爵夫人、アデイラの」

「はい。大変名誉なことです」

「そうよね。そうでしょ? たかが使用人の息子には、行き過ぎた名誉よねえ?」


 カイは無言のまま笑みを保った。


「ふふ、でも、あたくしはちゃんとあなたを評価してきたつもりよ」


 アデイラ――「クラウディアの残りかす」と評されてきたハーケンベルグ家長男のもとに、数年前嫁いできた彼女は、でっぷりと太った腕を伸ばし、そっとカイの顎を持ち上げた。


「この、蜂蜜のような金の髪、冬の夜空のような青い瞳、少女のような滑らかな頬にすらりとした立ち姿。一目見た時から、あなたは将来、絶対いい男になると確信したんだもの」

「お褒めにあずかり光栄です」


 容姿のことしか見てないではないか、とか、少年から老人まで男と見るや色目を使ってばかりいるから、いまだに後継ぎに恵まれないばかりか侯爵夫妻に敬遠されているのだ、とか、アデイラを見るたびに脳裏によぎる思いを、この日もカイは押し殺した。


 豚がふがふが鳴いているのに対し、苛立つのは無駄というものだ。

表面上はにこにこと笑顔を保っていると、アデイラは痺れを切らしたように、手にしていた扇をぱちんと閉じた。


「それで、カイ? その恩義ある主人を放り出して、どこの馬の骨とも知れない下町女に随行して学院に行くというのは本当なの?」

「恐れながら、下町女ではなく、レオノーラ様とおっしゃるそうです」

「どうでもいいでしょ、そんなこと!」


 アデイラは唾を飛ばして怒鳴った。


「あなたは! このあたくしよりも、ぽっと出のその女を選ぶのかって聞いてるの!」


 色だけは白い彼女の肌に血が上ると、まるで豚のトマト煮込みのようだ。カイはお腹が空いたな、と思いながら、丁寧に頭を下げた。


「申し訳ございません。侯爵様より直々のご下命でございますので」

「んまあ!」


 次期侯爵夫人とはいえ、この家の権力はまだクラウスが一手に握っている。言い返せない切り札をあっさりと持ち出され、アデイラは金切り声を上げた。


「お義父様ったら、ひどいわ! あなたからも言い返しなさいよ! あなたを取り上げられてしまったら、可哀想なあたくしは、朝の支度もままならないわ!」

「ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません。ですが、代わりにアデイラ様付きの侍女を増やすよう取り計らっております。支度に不備がないようにいたしますので――」

「もういいわ!」


 とうとうアデイラは扇を床に叩きつけた。再びカイの頤を掴むと、打って変わって猫なで声で囁く。


「ねえ、カイ、あたくしはそんな言葉を聞きたいんじゃないわ――わかってるわよね? いつもみたいに、あたくしに優しく話してちょうだい」

「アデイラ様……」


 カイは汚れのない無邪気な笑顔を浮かべると、そっと彼女の両手を取って話しだした。


「アデイラ様は私の――いいえ、僕の大切なご主人様です。アデイラ様の悲しみは、僕の悲しみ。アデイラ様の微笑みは、僕の幸せ。どんな人のもとに付こうとも、心はいつもアデイラ様のお傍にいます」


 心持ち幼い口調で、真っ直ぐ目を見つめながら話すのがポイントだ。

カイが心にもない甘言をすらすらと紡いでいると、アデイラは目に見えて機嫌を直した。


「ああ、なんてかわいい子! いいこと、カイ? 下町出の女の子なんて、最初は物珍しいかもしれないけれど、お義父様もお義母様もすぐに飽きて放り出すにちがいないわ。きっと、マナーも何も知らない、泥まみれの醜いアヒルにちがいないもの。卑しくて、みすぼらしくて、――そうね、かわいいあなたにのぼせ上がるか、もしかしたら嫉妬するかも!」


 鼻の穴を膨らませながら話す女主人に、カイは感激に堪えないように頷いてみせた。


「僕の身をそんなに案じてくれるなんて、アデイラ様はなんてお優しいんでしょう。ありがとうございます」

「いいのよ」


 自尊心をくすぐられたらしいアデイラが、鷹揚に頷く。


「ちょっとでも嫌なことがあれば、必ずあたくしに言うのよ。すぐに呼び戻してあげる。ううん、あなたは遠慮深い子だから、あたくしの方からお義父様に掛けあってもいいわ」

「いいえ、アデイラ様」


 カイは「幼いながらも仕事に誇りを持っている少年」風に、きっぱりと首を振った。


「僕は、与えられた仕事と期待に応えたいのです。ちょっとくらいの苦労は、買ってでもしなさいと父も言っておりました。それに、そうやって頑張れば、いつか――」


 ぎゅっと握った手に力を込めながら、ここで必殺・天使の照れ笑いを浮かべる。


「アデイラ様にふさわしい男になれると思うから」

「んまあ!」


 必殺技をくらい、アデイラが悶絶の声を上げた。


「そう……カイがそういう覚悟なら、あたくしも応援しなくてはね」


 トマト風に染まった豚が上ずった声で言うのを、カイは微笑んで見守る。

最終的にあっさりと「行ってよし」の許可を取り付け、カイは何食わぬ顔でアデイラの寝室を辞した。


「見事だったな」


 廊下から一部始終を見ていたらしい兄がすかさず話しかけてくるが、カイはそれに軽く肩を竦めることで答える。実際、この程度のやり取りはなんということもなかった。


 カイは、ここハーケンベルグ家に長く仕える執事長の、三男坊であった。彼らの家族は、一家でこの侯爵家に仕えている。

 蜂蜜のような金髪に、大きな青い瞳。ヴァイツ帝国ではさほど珍しい組合せではないが、あどけなく整った容貌と、末っ子という立場もあいまって、カイは周囲から猫かわいがりされていた。


(あーやだやだ、朝から香水くさいったら。撫でまわしたいなら猫にすればいいのに)


 だが、愛するよりも多く愛される者の常で、カイは少々捻くれたところのある少年でもあった。特に、自分をただ見てくれだけで「かわいいかわいい」と褒めそやし、ペットのように扱ってくる人物に対しては、強い怒りを持っていた。


(勝手なものだよね。外見だけで僕の性格を決めつけて、それを求めて。僕がちょっとでもそれから外れようとすると、すぐに怒りだすんだ)


 カイの容貌は、年齢的なものもあり、かっこいいというよりは愛らしい。お陰で可愛がられるが、同時に軽んじられることもしょっちゅうだ。幼くとも男としての自負がある彼としては、それが不満でしょうがない。


(だいたい、男なのに、かわいくって何になるんだ。それよりも、僕のこの努力だとか、成果を認めてくれればいいのに)


 そう、カイは執事長である父から、グレイスラー家の一員として厳しい訓練を受けていた。家族は筋がいいと言って一目置いてくれるが、大抵の人は――特に女性は――そんなことに気付きもせず、ただ彼を愛玩することしかしない。


 皮膚一枚の美醜にしか興味がなく、自分勝手で、簡単に甘言に乗せられる。

 カイにとって女性とは、そういった生き物だった。

 突然決まった新しい主人の寝室がいよいよ見えてくると、カイはそっと溜息をついた。


(新しいご主人様とやらは、どんな子だろう。せめて、少しは物分かりのいい子だといいけど)


 侯爵から夜遅くに呼び出され、突然主人の変更を言い渡されてから、まだ八時間ほど。


 詳しく説明がなされたわけではないが――詳細は執事長である父と打ち合わせているようだ――少女は、今は亡き社交界の華・クラウディアの忘れ形見で、これまで下町で秘匿されてきたのだという。カイはその「人を安心させる佇まい」を買われて今回抜擢されたわけだが、同時に、それとなく少女から下町での暮らしぶりを聞き出して侯爵に報告するように言われていた。


 どんな子だろう、などと期待するような可愛げは、とうに擦り切れた。年頃の女の子なんて、小綺麗なカイを見たら一方的にきゃあきゃあと騒ぎ立てるに決まっている。アデイラの言を鵜呑みにするわけではないが、清潔さとは無縁の下町育ちなら、尚更だろう。育ちの悪さ丸出しで口を開けているか、そうでなければ突然の幸運に舞い上がって傲慢な態度に出るのが関の山というものだ。


(まあ……いざとなれば、適当にあしらえばいいか――いつもみたいに)


 憂鬱に再び溜息を漏らしてから、とうとう覚悟を決めて寝室に近付く。

 と、寝室の扉でたむろする数人の侍女たちの姿が目に入った。うち一人は厳格な面持ちの侍女頭――カイの母である。


「よろしいですか、みなさん。今見たことは、くれぐれも内密に。侯爵閣下へのご報告は、わたくしが致します」

「はい、もちろんです、デリア様! あんなお労しい……」

「しっ、いけませんわ、そのような言い方をしては。ご本人は健気にも平然としていらっしゃるのに、わたくし達が動揺してどうしますの」

「その通りです。――ああ、カイ」


 何やら深刻な雰囲気に話し掛けられずにいると、気付いたカイの母、デリアがぱっとこちらを向いた。そのままカイの肩に手を置き、真剣な顔で告げる。


「いいですか、カイ。レーナ様……いえ、レオノーラ様に、あなたは持てる全ての誠意を尽くしてお仕えするのですよ。あなたはとにかく、優しく、男性性を感じさせぬように振舞いなさい。わかった?」

「男性性を感じさせない……?」


 突然の指示に、カイは目を白黒させた。


「あなたならすぐにわかるはずです。さあ、わたくしは侯爵閣下へのご報告があるので失礼するわ。皆さんも、それぞれの持ち場につきなさい」

「はい」


 要領を得ないでいる間に、母たちはさっさとその場を去ってしまった。

 仕方なく、カイは閉ざされた扉の前に立ち、いよいよ新しい主人に面通ししようとする。

 侍女たちが出てきたからには、もう朝の支度は済んでいるのだろう。


「失礼いたします」


 カイは何気なく扉を開き、そして――


「…………!」


 大きく目を見開いた。

 広く取られた窓の傍、朝の光を受けたその場所には、精霊がいたのだ。


 ヴァイツ帝国に古くから伝わる伝説の中で、光の精霊は最も格が高く、眩しく輝く白い肌と真実を明らかにする金の瞳、そして夜に溶けるような黒髪を持つ美しい女性として描かれる。彼女が微笑めば世界に光が溢れて朝となり、目を閉じれば闇が訪れ夜となるのだ。


 目の前の少女は、その光の精霊と瞳の色こそ違えど、整った白い顔といい、艶やかな黒髪といい、この世のものとも思えぬ美しさを持っていた。

どのくらい、カイがぽかんと立ち尽くしていた時であろうか。


「――誰?」


 さら、と黒髪を揺らして、少女が可憐な声で尋ねた。


「……あ、ああ! 申し訳ございません! ぼ、僕、いえ、私は、新しくレオノーラ様付きとなったカイと申します!」

「レオノーラ……?」


 少女が怪訝そうに呟くのを聞いて、カイははっと口を押さえた。

 彼女は名づけのことはまだ聞いていない。この後、朝食時に侯爵から寿ぎの言葉と共に告げられる手筈だったのだ。


「も、申し訳ございません! その、後ほどご説明差し上げますので、今のはどうぞお忘れになってください……!」


 カイはしどろもどろになった。

 少女――レオノーラの美しさに圧倒され、先程からどうもペースが乱れている。普段あれだけ自分の外見に惑わされる人物のことを軽蔑しているくせにと思うと、羞恥に焼かれる思いだった。


「ふうん……?」


 幸い、レオノーラは不思議そうに呟いたものの、特に追及はしてこない。カイは挽回すべく、ここぞとばかりに言葉を紡いだ。


「その、あなた様は明日から学院にご入学されるということで、その従者として随行する栄誉を頂きました。寮生活では基本的にご自身で生活されることが規則とはなっておりますが、伯爵以上の家格である学生には、最大二名までの帯同が許されております。ですので、ちょっとした御用聞きやお手伝い、または学習面での補助など、お困り事があれば何なりとお申し付けくださいませ。私は、語学に算術、歴史学等、これでも一通り仕込まれておりますので」


 話している内に徐々にペースが戻ってくるのを感じ、カイは最後微笑んでみせたが、目の前の少女はそれに頬を赤らめるどころか、とんでもない答えを寄こしてきた。


「いりません」

「え……?」

「従者、もったいないです。いりません」


 レオとしては、カールハインツライムント金貨さえ取り戻せれば、その足で学院を脱走し、町に戻るつもりである――何せ、契約のこともあるし、町で小銭稼ぎの仕事が待っているというのに学院で無駄に時間を過ごす理由もない。となれば、半日で消えてしまう人物のために従者が付くというのは、その分の馬車の運賃および人件費がもったいないというものであった。

 更に言えば、脱走するのに従者は邪魔だ。


 しかし、レオのその主張を、カイは「私ごときにはもったいない」の意に取った。


「何をおっしゃいます! 尊いその御身に、何がもったいないことがありますか。どうぞそんなことをおっしゃらず、このカイを、お召しくださいませ」


 反論は、本人が意図していた以上に熱の籠ったものになってしまった。


(だって、僕がそう言わなきゃ、彼女は本当に辞退してしまいそうだ――)


 カイは焦った。同時に、そんな自分にも、そうさせるレオノーラにも驚いた。

 下町の少女、勘違いの天狗など大嘘だ。彼女は、齢十二にして、自らの立ち位置を冷静に弁えている。カイは、出会う前に彼女を侮っていたことを猛省した。


「え……そうではなく……」

「何がちがいましょう。どうか、このカイをお傍に置いてくださいませ!」


 片言ながらも、あくまで自分を卑下する少女に、カイは必死に言い募った。


「私は、あなたにぜひお仕えしたいと思うのです。なので、どうか、お願いいたします」


 とどめとばかりに、磨き上げた笑顔を浮かべる。

 大抵の少女ならこれでいちころなのだが、しかしレオノーラはちょっと不満そうに唇を尖らせたため、カイは内心驚いた。


(どうしたんだろう……?)


「その笑顔……」

「は……?」

「見たい、ないです」


 ばっさりと切り捨てられ、カイは言葉を失った。


「そ……れは……」

「本気が、いいです」


しかし、後に続いた言葉に目を見開く。それは、彼女が自分の欺瞞を見抜いていることの証左に他ならなかった。


(作り笑いは見たくない、仕えると言うなら本気の誠意を見せろということか……?)


 カイは雷に貫かれたような衝撃を受けた。


 一方レオといえば、突然現れた小綺麗なカイのことを、「なんかいけすかねえ」という思春期の少年特有の敵愾心でもって見ていた。女の子よりもずっとお金の方に興味があるレオではあるが、やはり自分より面がイケてる男子を見ると、もやっとせずにはいられないのだ。

 そのカイが、「自分、かっこいいでしょ?」的な笑顔を浮かべたので、ざけんじゃねえ、掛かってくるならへらへら笑ってないで、本気でこいやオラ、と挑発してみた次第である。


 そんなこととはつゆ知らないカイは、内心では激しく動揺しながら、それを押し隠すように朝の支度に取りかかった。


 少女の身支度はほとんど侍女が済ませているので、カイの役割はその最終確認と、侍女が触れない貴重品近辺の整理である。とはいえ、この幼い主人は身一つで屋敷にやってきたようなので、必然、カイの仕事は侯爵夫人から大量に与えられた宝飾品やドレスの整頓であった。


 侍女がある程度並べてくれているものを、さっと検分しながら、質や用途ごとに手早く分け、仕舞っていく。単純なようでいて、物の価値を見抜く能力と、取りやすく仕分けるセンスが必要な仕事なのだが、カイは鍛錬の甲斐あって、なんなくそれをこなしていった。


 と、少女がじっとカイの手元を見ている。


「どうされましたか……?」


 恐る恐る尋ねると、彼女はおもむろに立ち上がり、カイの手を取った。


「素晴らしい」


 紫水晶のような瞳には、先程とは打って変わって、きらきらと尊敬の輝きが宿っていた。


「今、時計を磨きました、とてもピカピカになるのでした。一瞬! 素晴らしいです」


 どうやら、検分と同時に置き物の汚れを落とした、その腕前のことを褒めてくれているらしい。まさかそんなところを見ているとは思わなかったため、カイはびっくりした。


「いえ、そのようなお言葉を頂くほどでは……」

「安い、速い、うまい。とても重要です」


 前半なにか不思議なワードが挟まったが、どうやら彼女はその手早さと正確さを認めているようだ。


(そういえば、シルバーの汚れを落とすのに、昔は随分練習したっけ……)


 やがて執事となることを想定し仕込まれているカイは、食器や宝飾品に多用される銀の扱いについても、父から厳しく指導されていた。たかが磨き作業、されど磨き作業。腐食しやすい銀は、ひとたび扱いを間違えればくすんで、その価値を大きく損ねてしまう。


 美しく輝いているのが当たり前のシルバー。しかし、それを保つのに、どれだけの地味な努力が重ねられているか。そこに執事という者の生き方が込められているのだと、カイは幼心に感じ取ったものだった。


(この子……ううん、レオノーラ様は、そんな陽の当らない努力にこそ目を向けられる方なんだ)


 容貌や言動ではなく、自らが積み重ねてきた努力を初めて報われたカイは、自分でも驚くほど胸が熱くさせ、思わず幼い主人のことをじっと見つめた。

 その視線を受けながらレオは、


「これ、儲かりそう……」


 聞こえないほどの声で小さく呟く。

 その頭の中は、欲にまみれた皮算用でいっぱいになっていた。


 銀などなかなか扱えない身分のレオではあったが、仕事としてそれに触れたことは何度かある。食器を入れ替える時期に、屋敷内では仕事が回りきらない貴族がシルバー磨きをアウトソーシングするのだ。それはレオ達にとって格好の小遣い稼ぎではあるのだが、なにぶん単純作業であるので、給金が安いのが悩みであった。


(でも、こんだけ速く、しかもピッカピカにできれば、他のグループとだいぶ差が付くし、指名もあるかもな。ちょっと値段を釣り上げて……、まあそれはおいおいだな。にしてもこれは研磨剤か? いや、布か? それとも磨き方にコツがあんのかな)


 守銭奴は守銭奴でも、勤勉な守銭奴を自認するレオは、カイから企業秘密を盗む気満々だった。イケメンは好きではないが、金の匂いのするスキル保持者となれば、話は別である。


「やり方、教えてほしいと思います」

「えっ? いえ……そんな、そのようなことは、私たちの仕事ですので」


 だが、敵はそうそう情報開示をする気は無いようだった。しかし、それで簡単に引き下がるレオではない。


「そんなこと、言わない。教えてほしいです。カイ、素晴らしい、優しい、かっこいい!」


 秘技、褒め殺しである。

 片言のためだいぶ威力が削がれている感は否めないが、カイは頬を真っ赤に染めているので、多少は効いているのだろう。


「私にも、やらせたいです!」


 ここでもうひと押し、と、微妙におかしな言い回しで腕をまくると、


「…………!」


 しかしなぜかカイははっと息を呑んで、硬直してしまった。


「ん?」

「それは……そのお傷は……!」


 レオはカイの視線を辿る。そして「ああ」と納得した。

 ドレスの下に隠れていた、包帯だらけの腕が見えてしまったのだ。


「カイ、気にしません」


 入れ換わりの際、結局レオがレーナの体を押したため直撃は避けられたものの、巨岩の一部はレーナの体を掠ってしまった。レオが意識を目覚めさせた時、この少女の体にはたんこぶと打ち身による痣ができていたのである。

 ちなみにレオの体は無傷で、レーナはまったく痛がるそぶりを見せなかった。よかったやら癪であるやら、複雑な気分だ。


「ちょっと転びました」

「そんな……!」


 カイは眉を寄せて首を振る。包帯で隠しきれない部分からは、痛々しい痣の他に、最近のものではない切り傷もいくつか覗いていた。


 もちろん、龍の血を削ぐ方法はないかと研究していた際、レーナが自らを実験で切り刻んだ痕である。


「全部レーナのせいです」


 レオはまったくもって事実を告げただけだったが、カイは痛ましそうに目を細めた。


「何を……!」


 だがそこで、はっとする。侯爵からの指示と、母からの命令、その二つの意味がようやく理解できたからであった。


(レオノーラ様は、下町で不遇の環境を過ごしてきた……恐らく、精霊をも恐れぬ不届きの輩が、レオノーラ様を傷つけたんだ)


 細すぎる手足、隠すように傷つけられた腕。流暢でないヴァイツ語。美しすぎる容貌にすっかり関心を奪われていたが、見れば見るほど、少女には痛ましさを感じさせる要素が点在していた。


(男性性を感じさせないように……なるほど、つまり大人の男がレオノーラ様を虐待、していたのか。しかも、それはレオノーラ様のせいだと教え込みながら)


 カイは素早く頭を巡らせた。


 レオノーラが、クラウディアの忘れ形見だということは聞いている。早くに母を亡くし、寄る辺ない身の上となった彼女を、誰かが保護という名目で傷付けてきたのだろう。もしかしたら、幼くとも完成された美貌に目を付けてさえいたのかもしれない。早くから恐怖を植え付け、自分の支配下に置こうと――


(なんて卑劣な!)


 カイはすっかり、自らの着想を信じ込んでいた。


「これからは、私が、必ずあなた様をお守りします……!」

「はあ……?」


 涙を浮かべ、がばっといきなり手を取って跪いてきたカイを、レオは怪訝な面持ちで見守った。


(なんだ、こいつ……?)


 貴族の世界など、たまに慈善活動で上演される歌劇でしか見たことがないが、もしかして彼らは本当に歌って踊って泣きむせびながら日々を過ごしているのかもしれない。


 やべえ世界に足を踏み入れちまったなと、レオは思った。

タイトルの誤字を修正しました。

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