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7.レオ、精霊を感じる(中)

 清廉と無欲を表す白のローブを緩く着崩し、気だるげな様子を隠そうともしない新導師――グスタフ・スハイデンは、簡単に名乗っただけで早々に講義に移った。


 聖騎士だなんだといった来歴は一切口にしなかったが、それでも名前と、その肉食獣めいた容貌だけで伝わるものはあったらしい。

 女子生徒を中心に、ざわめきが収まらないでいる。

 耳を澄ませてみれば、ほとんどが、学院ではなかなかお目に掛かれない、粗野な男の魅力にぐっと来ているようである。


 一方で、男子生徒の反応はといえば、面白がるもの、憧憬を含むもの、しらけるものに様子を窺うものと、様々であった。

 レオはぶっちぎりで前者、皇子やオスカーは後者であるようだ。

 わくわくと視線を投じるレオに対して、年長組は静観の姿勢を取っている。


 多種多様な視線をこともなげにやり過ごし、グスタフは美声で講義を続けていた。


「精霊とは風であり光だ。空気や陽光の成り立ちをいちいち意識して生きてるような奴はいねえだろうから、いちいちその歴史や特徴は話さねえ。その辺は教科書を読んどけ。でもって精霊は感じろ。俺の講義では実践に話を絞る」


 ドントシンク・フィール! を地で行く御仁である。

 理論よりも実践を好むレオは、ますます目を輝かせた。


(思えば、ハーラルト先生の講義って、いっつも長ったらしい理論の説明ばっかだったもんな。魔力や精霊の構造なんて学んでも金にゃならねえが、精霊を呼び出せるようになったりしたら、俺もセレブの仲間入りだぜ。いいね、いいね、グスタフ先生!)


 ハーラルトは、魔力と精霊力を持ち合わせる珍しい人物であったが、その威力はどちらもぱっとしなかったし、講義もどっちつかずだった。

 ふと、「帯にもタスキにも使えるよ!」と中途半端な長さの布を掴まされて、結局どちらにも使えなかった苦い経験が思い出され、レオは顔を顰めて呟く。


「ハーラルト先生、改めて、罪深い……グスタフ先生、今、必要な方、ですね」


 隣の少女の呟きを聞き取ったナターリアも、「そうね」と頷いた。


 恐らく、ハーラルトは生徒達を洗脳することに傾注し、虚偽を破綻させかねない実践授業は極力避けてきたのだろう。

 その点、グスタフは魔力こそ持たないようだが、精霊力にはよほど自信があるようだ。

 そして彼の講義方針は、理論ばかり叩き込まれ、すっかり頭でっかちになってしまった学生たちに、今まさに必要なものであった。


(大抵の女子生徒達が彼の男性的な魅力にのぼせあがっている中、レオノーラはそんな下賤な感情に囚われず、しっかりと現状を見つめている。――さすがね)


 レオが、「精霊を呼び出せるようになった暁にはセミナーを……」「いや、大道芸の目玉に仕立てて……」などと、下賤かつ不信心きわまりない発想に囚われていることなどついぞ気付かず、ナターリアは改めて少女の高潔さに感じ入った。


(わたくしも、気を引き締めねば)


 別に、あのちょっと厚めの唇がセクシーだとか、全然整えずにラフに輪郭を覆っている短髪が獅子の(たてがみ)のようだとか、そんなこと全然思っているわけではないが、とにかく気を引き締めて講義には臨まなくてはならない。


 と、グスタフが「例えば」と右手を掲げて、短く何事かを唱えた。

 途端に、ごおっと周囲の空気が唸り、祭壇を中心に巨大な火柱が巻き起こった。生徒達が一斉に悲鳴を上げると、たちどころに収まる。


 火の精霊の顕現であった。


「――……すごい威力だな」

「ええ。魔力とほとんど同等ですし、……あれだけの短い詠唱で炎を出現させるというのが、なんとも。よほど精霊に愛されているのでしょう」


 アルベルト達も思わず真剣な顔になる。


 精霊力とは、術者自身の体に流れる強大な龍の血を「発動させる」魔力とは異なり、大地に宿る自然の力を「借りる」ものだ。

 必然、その威力は魔力よりも弱くなりがちだし、精霊に懇願するための長い聖句が必要になる。

 それを、ほとんど無詠唱に近い形で巨大な火柱を立ててみせたのだから、グスタフというのはやはり聖騎士の地位に足る、かなりの能力の持ち主なのであろう。


(つまり……自分の魔力(持ち金)を使うんじゃなくて、他人様(ひとさま)精霊力()を借りて盛大に、しかも当然のように飲み食いしてる、みたいなことだろ?)


 卑近な例で腑に落としたレオは痺れた。


 ――精霊力、イイ。

 身を削る魔力なんかよりずっとずっといい、これからの時代は精霊力だ。


 十分ほど前までは、今後この講義を受けるかサボって内職をするか、などと悩んでいたレオだったが、今や持てる全ての集中力を注ぎきって、グスタフの説明に耳を傾けた。


「高貴なる存在、至高の命。精霊を表現する言葉は様々だが、奴らにも勿論感情や好みはある。今日はそんな奴らの感情をうまいこと慰撫しつつ、呼び出すところまでをやる。――ま、呼び出せたらそれでほとんど今期の授業は仕舞いだな」


 なんとも雑なマイルストーンを置いた授業方針だ。

 だが望むところだった。


 グスタフは手の上に散らした火の粉をくるくると弄びながら――それはさながら、きゃっきゃと跳ねまわる幼子をからかって遊んでいるかのようだ――具体的な召喚の方法に言及しだした。


「奴らを召喚するのは、結局のところ人に物を頼むのと同じだ。ただし、おまえらは精霊と『初対面』なわけだから、過剰に煽てて、下手に出てやる必要がある。じじばばに甘える孫のようにアプローチするか、恋人にねだる女のように攻めるか、方法はおまえら次第だが、――ま、それだけだ。ただ基本的に、奴らにゃ古代エランド語しか通じねえから、そのつもりで」


 最後にこともなげに付け加えられた一言に、多くの学生たちが絶望の声を漏らした。


 エランド語とは、古典にして帝国貴族の必須教養だが、その難解さに、流暢に話せる者は稀だ。

 それを、しかも古式めいた言い回しで、精霊の心を動かせるほど滑らかに喋ってみよとは。

 召喚方法自体は明快だが、その物理的なハードルの高さに、誰もが青褪めた。


(なんと、俺得な生態!)


 一方で、俄然やる気を見せたのはレオである。


 ブルーノというエランド出身の幼馴染を持つ彼は、スラング混じりとはいえエランド語に堪能だし、(おもね)るのもセールストークを炸裂させるのも得意だ。

 さすがに古代エランド語はマスターしていないが、バイトで翻訳してきた春書の中には時代物もあったので、それを真似て仰々しく話せばきっとそれっぽくなるだろう。


 前方ではまだグスタフが、「マブダチか恋人レベルになれれば、精霊の助力、つまり助精が得られる」だとか「助精を得た人間は『精霊の愛し子』の地位を認められる」だとか話しているが、もはやレオはそんな説明など聞いていなかった。


 ここはひとつ、金の精霊を! と、居もしない精霊を呼び出そうと鼻息を荒げ、なんと呼び掛けようかと忙しく考えを巡らせていたのである。


 浮き浮きとした表情で考え込む少女の傍らで、ビアンカはきゅっと唇を引き結んだ。


(古代エランド語で、ですって……?)


 一通りの学問にそれなりの好成績を収めているビアンカにとって、エランド語は唯一と言っていい鬼門だ。

 ナターリアやアルベルト達は難なく操れるそれを、自分はまだ読み取ることすらできない。それを、聖書原典に近い形で話せとは。


(魔力に乏しければ、せめて精霊力を、と思ったのに……)


 皇族の姫というには少々乏しい魔力――それでも、並みの令嬢に比べれば豊富な方なのだが――は、ビアンカの密かなコンプレックスだった。

 せめて、魔力持ちとは相性が悪いと言われる精霊力を上手に操れれば格好も付くと思って、講義を楽しみにしていたのに、これではそれもままならない。


 横では、自分と同等か、もしくはそれ以上の魔力を持つ少女や従姉が、目を閉じて聖句を吟味している。

 周囲の生徒も思い思いに、ぎこちなく古代エランド語めいた言葉を唱えはじめたのを見て、ビアンカは腹をくくった。


(……仕方ないわ。わたくしの知る限りの言葉を繋げて、ひとまずはこの場を凌がねば)


 今日からは自主課題に古代エランド語も加えようと決意し、彼女は手を組んでそっと呟いてみた。


『きて。光のせいれい』


 最初から、精霊の中でも特に格が高いそれを呼び出せるはずもなかったが、古代エランド語で他の精霊を何と呼ぶのかがわからない。

 ひとまず一番メジャーな精霊の名を呼び、ビアンカは拙く言葉を重ねた。


『おねがい。きて。きて』


 しばらく試してみたが、何の気配もしない。

 やはりだめか、と溜息をつきかけた時、


『――いと気高き至高の光、闇を裂き、道を照らす黄金色の輝きよ。尊き姿を、眼前に現したまえ』


 凛とした声が左隣りから響き、ビアンカははっと顔を上げた。


 見れば、紫水晶の瞳に真摯な光を浮かべた少女が、じっと虚空を見つめて聖句を唱えている。

 エランド語に疎いビアンカには、その意味まで理解することはできなかったが、何かとても気高く、美しい響きであることだけはわかった。


『老いも若きも、貴きも賎しきも、等しく照らしたもう崇高なる御身。天地開闢(かいびゃく)より絶えず蒙昧(もうまい)を開き、豊穣を賜りし慈愛深き御姿を、どうか今、忠実なる(しもべ)の前に現したまえ』


 その朗々たる詠唱に、いつの間にか周囲は黙りはじめた。

 自らの召喚をさて置き、凝視したくなるような、それは宗教画のような光景だったからだ。


 少女が鈴の鳴るような声で寿ぐのは、間違いなく光の精霊。

 自身も精霊のような美貌を持つ少女は、今や、霊験あらたかな巫子のようですらあった。


『どうか、尊き御身に、下賤なる我が手が触れるのを許したまえ』


 とうとう瞳まで閉じ、組んだ両手に額を押しつけ、むんむんと祈るレオはといえば、


(出てこい……出てこい、金の精霊……! できれば金貨の姿で、いや、延べ棒でもいいけど、出てきておくんなまし!)


 ゲスな欲望に身を浸しきっていた。


 金があれば人生は輝き、金があれば道は開ける。

 金の前には人は皆平等で、金さえありゃ頭が冴えもするしリッチにもなれる。

 だからどうか出てきて、思うさま自分に撫でさせてください。


 レオが常日頃思っていることを、ちょっと格好つけて言ってみただけなので、詠唱はするすると口をついた。なんならあと一時間くらいは話せるほどだ。


(精霊様ー! 金の精霊様ー! どうぞあなたの忠実なる(しもべ)に、ご利益を授けておくんなまし!)


 聞いた限りでは、光の精霊を褒め称えるのとなんら変わらない聖句を、思いを込めて言い切った時。


 ――パアア……!


 辺りがじわりと明るくなったのを感じて、レオはぱっと目を開けた。

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