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6.レオ、精霊を感じる(前)

「ああ、ベティーナ、あなた素晴らしいわ、よくこんな最高の席を取っておいてくれたわね……!」

「ふふん、感謝なさいグレーテ。アルベルト皇子たちが揃って精霊学の講義に出席なさると聞いてから、わたくし、昼食も抜いて順番待ちをしてよ?」


 ある麗らかな日の、聖堂。

 午後一番の精霊学の講義は、禍が起こってから初めての満員御礼であった。


 礼拝用を兼ねた長椅子には、ぎゅうぎゅうに生徒が体を寄せ合って、導師の登場を待っている。


 先程からひそひそ話を繰り広げるベティーナ達は、後方の扉にほど近い位置に座っていた。

 聖堂前方に設えられた祭壇に立つのであろう、新任の導師の顔を見て取るにはやや遠いが、彼女たちはそれでも大満足であった。

 なぜなら、その席からは、聖堂の中央よりやや後ろに座す、アルベルト皇子たちがよく見えたからである。


「ご覧になって、今日も今日とて麗しいアルベルト皇子……。最近はああして、ベルンシュタイン先輩とお話されることも多いみたいだけれど、タイプの異なる美形の殿方が二人並んでいるのって、とっても眼福」

「あ、見て! 今ベルンシュタイン先輩がちょっと笑ったわ!」


 もはやこれから始まる講義などそっちのけでイケメン観察に励む彼女たちであるが、そのすぐ隣に座る男子生徒達は男子生徒達で、


「おい、見ろよ。ナターリア様が、すげえさりげなくレオノーラちゃんの腕に手を置いたぞ」

「あれはビアンカ様への挑発だな。見ろ、ビアンカ様が張り合うように、レオノーラちゃんのことをぎゅうぎゅう抱きしめてる。……ああいうポーズをなさると、いい感じに押しつぶされて……眼福だな」


 アルベルト達のすぐ前の席に座す三人の美少女――ナターリアにビアンカ、レオノーラを観察してやに下がっている。

 聖堂を見回す限り、大体の生徒たちがそのような状態だった。


「あら、レオノーラがまた後ろを振り返ったわ。よほど皇子のことが気に掛かるのね」

「ふふ、でも、ベルンシュタイン先輩に窘められて前を向いた。かわいらしいこと」

「彼女、あんなに美人なのに、どちらかといえば小動物的よね」


 普段は同性に厳しい彼女たちも、麗しの侯爵令嬢に対してはついつい評価が甘くなる。


「あ、膨れたレオノーラちゃんがビアンカ様に慰められてる。妹って感じだよな」

「いやいや、俺は見たぜ。うっかり女王様発言をなさってしまって落ち込んでいたビアンカ様を、レオノーラちゃんがよしよしって慰めてるとこを。あれであの子、結構な男前だよ」

「わかる。俺も前、財布を落として難儀してたら、レオノーラちゃんがサバランを汚すのもいとわず、這いつくばって探してくれてさ。ドロドロになっても、眉ひとつ動かさねえの」


 もちろん男子生徒だって、時に愛らしく、時に凛と美しいハーケンベルグ侯爵令嬢にめろめろだ。


 禍に堕ちた悲劇の令嬢、クラウディアの娘。

 そんな不吉な肩書きと共に現れた少女は、しかしこの世のものとも思われぬ美貌と、清廉で慈愛深い心、明晰な頭脳を持ち合わせた至高の存在であった。


 家柄的にも正妃に立てる身の上であるのに、それをついぞ鼻に掛けることなく、命を賭して守るほど慕っている皇子を前にしても、視線を合わせるどころか、二人きりになるのを避けるように俯くばかり。

 そんな美しくもいじらしい、慎ましやかな少女を、誰もが応援せずにはいられなかった。


「……ねえ、改めて思うのだけど」


 ほう、と、ベティーナが溜息と共にしみじみ呟く。


 彼女の目には、単に憧れの王子様に向けるだけではない、奇跡を目の当たりにしたような真摯な光が宿っていた。


「帝国第一皇子の隣に、市民のベルンシュタイン先輩。レオノーラを挟むようにして、紅薔薇のビアンカ様と白百合のナターリア様。……数か月前には、考えられなかった光景よね」

「本当ね」


 グレーテも頷く。

 麗しの侯爵令嬢の周囲には、皇族と市民、紅薔薇派と白百合派が、なんの違和感もなく共に座していた。その自然さの――なんと尊いことか。


 聖堂では、多くの生徒が輝かしい五人に熱い視線を注ぎながら、講義の開始を待っていた。




***




「客寄せパンダの報酬として、おまえからどれだけむしり取ってやろうか」

「おや、商人の息子ともあろう方が、何を仰るんですか、オスカー先輩」


 げんなりとした面持ちで呟いたオスカーに、アルベルトはにこやかに応じた。


「報酬とは、利益を享受する者が利益提供者に支払うもの。こうして精霊学の講義に生徒が増えて喜ぶのは教会なので、この場合支払い主は教会ということになります。教会に報酬を無心するとは、精霊をも恐れぬ所業ですね」

「は、相変わらずよく回る舌だ」


 舌打ちせんばかりの口調で切り返すが、よくよく見ればその表情は楽しげである。

 最近すっかり仲が良くなった彼らは、アルベルトの発案で、「学院内で影響力を持つ人物」を誘い合い、精霊学の講義に顔を出していた。


 というのも、ハーラルトの禍があってからこちら、学生たちが皇家の怒りを恐れ、教会に一切足を向けなくなってしまったためだ。


 アルベルトやオスカー――禍の当事者としての自覚がある彼らは、しかしこれらの行きすぎた学生たちの反応をよしとは思っていなかった。

 いくら教会という組織が腐敗していたとはいえ、罪と人は分けられてしかるべきだし、信仰は守られねばならない。


 だからこそ、新たに着任した導師が初めて講義を開くのに合わせ、学年の枠を取り払い、自らが客寄せをすることで、なるべく多くの学生を聖堂に誘導したと、そういうわけであった。


「しかし、さすがはオスカー先輩。市民出の学生たちはほとんど出席しているようですね」

「おまえこそ。まあ、だが……こと男子生徒の出席率の良さについては、俺たちというよりは、ひとえにこいつの存在のお陰だろう」


 オスカーがくいと親指を向けたのは、ナターリアとビアンカに挟まれて座る、黒髪の少女だ。

 クラスメイトと引き離されて、皇族二人に挟まれているせいか、どことなく居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。


「そうですね」


 と、少女を見やりながら甘い表情で微笑むアルベルトに、オスカーはやれやれと首を振った。


 親友のロルフや家族なんかは、隙を見てはオスカーに「レオノーラを口説け」とせっついてくるが、帝国の誇る第一皇子がこれだけ惚れこんでいるのを知っておきながら、わざわざ噛ませ犬になりにいくなど愚か者のすることだ。

 第一、彼女はまだ十二歳だ。


(ま、最近じゃ年齢は言い訳にならなくなりつつあるのか?)


 女性の成長は早い。

 日を追うごとに、明らかに美しさを増している少女を、どちらかといえば兄のような心境で見守って、オスカーは小さく嘆息した。


 少女が何気なく視線を方々に向けるたびに、その先の男どもが顔を真っ赤にして俯いているのが見える。

 あまりに過ぎた美貌は、もはや毒だ。


 兄、という発想から繋がって、オスカーはふとあることを思い出した。


「そうだ、皇子。兄貴が開発に乗り出している陣のことだが――」

「陣、ですか!?」


 と、耳聡く単語を聞きつけた少女が、ぱっとこちらに振り向く。

 目を輝かせて会話に加わろうとする彼女に、オスカーは苦笑した。


「おい、レオノーラ。俺は皇子に話をしている。おまえは前を向いていい子で待ってろ」


 一方、おませな子分を窘める兄貴そのものの口調で注意された格好のレオは、むっと唇を尖らせた。


(なんだよ、ケチ! 俺もその話にまぜてくれよ!)


 レオの中では、フランツが進める陣ビジネスは、自分も参加が認められるべきものだった。

 だってフランツはいい奴だから。

 きっと自分が一人くらい加わっても、そしてちゃっかりその利益に与っても、けして文句など言わないだろう。


(何何何何!? 何話してんだよ! 俺も混ぜてくれよー!)


 早口で、「何階層の陣から開発を」だとか「エキスパートを派遣して」だとかを打ち合わせていくオスカー達に、レオのときめきは止まらない。そう、すっかり意気投合したオスカーと皇子は、時折こうして、フランツの描く陣ビジネスについて意見交換をしているのである。


「利便性の高さと逼迫度の観点から、初期に売り出す陣は浄水を召喚するタイプに決定した」

「……そうですね、下町でも治安の悪いところだと、治水が整いきっていないところも多いですから。市民には大いに助けになるでしょう」


(おお、ウォータービジネス!)


 耳を象のようにおっぴろげて、レオは心の中で「いいね!」と叫んだ。


「が、水と魔術布の相性が悪いようでな。通常の染料で陣を描いたのでは、水を召喚した途端に陣が溶けて崩壊してしまう」


(ふんふん)


「では、刺繍を施すのでは? 手間は掛かりますが、井戸掘り作業と比較すれば容易な方でしょう」


(ほおほお)


「いや、最初から陣を完成させた状態で固定すると、流通時点から水を召喚しつづけることになるからな」


(ああああ)


 もはやレオの方が、二人よりもよっぽど百面相だ。


(くっそー、楽しいなこういうの。俺も加わりてえよ)


 なんといっても、ビジネスがベンチャーされる瞬間だ。輝かしい未来と芳しい金の匂いしか感じられない。


 ああ、自分さえ加えてくれたら、流通経路確保から商品コンセプトの立案、価格設定シミュレーションに販売促進策立案まで、なんでもやるのに。


 と、その時、金の亡者神がある天啓を下ろしてきて、レオは「はい!」と再び後ろを向いて挙手した。


「あの! あの! 最初から刺繍、完成している、だめです、ならば――」

「レオノーラ。もう講義が始まるぞ。前だ」


 再度オスカーが窘める。いや、ビアンカやナターリアも苦笑気味だ。

 彼らには、商売の知識などないはずの少女が、愛しい皇子との会話に加わりたいばかりに、精いっぱいの背伸びをしているようにしか見えなかったのである。


 しかし、


「いえ、オスカー先輩」


 当の皇子はといえば、穏やかな声でオスカーを宥めた。


「レオノーラは、その慧眼で何度僕たちを救ってくれたかわかりません。彼女も議論に加えてみませんか?」

(ナイス、皇子!)


 レオはぱっと顔を輝かせる。

 慧眼とやらを持ち合わせた覚えも、皇子達を救った覚えもついぞ無いが、フォローはありがたくされておく。それがレオクオリティだ。


「だが、女子供が楽しむような話では――」

「おや、先輩らしくもない。まだ幼く、女性であるレオノーラだからこそ、不毛な因習に囚われず、抜本的な所から発言をしてくれるはず。彼女の存在は他のメンバーの励みにもなりますしね」

「お、皇子……」


 あくまでも柔和な声で「不毛」だの「抜本」だの「ハゲみ」だの不吉な単語を並べたてる皇子に、レオは顔を引き攣らせた。


 が、幸いにもオスカーは大きな懐でそれを受け流すか受け止めるかしたらしく、涼しい顔で「それもそうか」などと述べている。天晴れな漢気であった。


「なら――」


 しかし、オスカーがおもむろに口を開いた瞬間。

 前方の生徒達が、一斉にどよめいた。


「なんだ?」


 オスカー達も視線を向ける。

 何百という瞳が見つめるその先では、


「おう、――こりゃ、盛況のご様子で?」


 皮肉気に片頬に笑みを刻んだ導師が、まさに登壇を果たしたところであった。

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