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5.レオ、肉食系導師と出会う

 久々に足を踏み入れた聖堂は、人の気配もなく、がらんとしていた。


 高い天井に嵌めこまれたステンドグラスこそそのままだが、壁に掛かっていた精霊画も、至る所に配置されていた精霊像も、その姿を消している。


(なんだ……? いつの間にこんなに殺風景になっちまったんだ)


 ハーラルトの禍があってから、聖堂に向かうのは初めてだ。

 ざっと金貨二十枚分近いお宝が消え失せていることに戸惑いながら、レオは恐る恐る内部に足を踏み入れた。


 こつ、こつ、と石造りの床に足音が響く。


「あのー……」


 呼び掛けてみても、応えは無かった。


「まだ着任していないのではなくて?」

「そうですね……時間的には、もう聖堂にいらしていておかしくないのですが」


 ビアンカとナターリアも困惑に眉を寄せる。

 と、


「あ」


 祭壇の前まで歩みを進めていたレオが、その足元に蹲る「何か」に気付いて声を上げた。


 具体的には、男だ。

 恐れ多くも祭壇に掛かっていたと思しき精霊布を引きずり落とし、その上に寝そべっている。

 がっしりとした片腕で頬を支えられた顔は、こっくり、こっくりと不規則に頷いていた。


「――……誰ですの?」

「……まさか、とは思いますが……」


 ナターリアが、こわごわといった様子で寝そべる男に顔を近づけ、ひくっと唇の端を引き攣らせる。


「……新任の、スハイデン導師、のようですわね……」

「なんですって?」


 ビアンカがぎょっと目を剥いた。

 その声に反応したのか、


「――……ぁあ?」


 目の前の男の瞼がぴくりと動く。

 彼はふっと目を開き、しばし周囲に視線を彷徨わせた後、気だるげな動作でその場に起き上がった。


 年の頃は三十半ばくらいだろうか。

 導師らしく白いローブこそまとっているものの、長躯はがっしりとした筋肉で覆われ、ところどころ覗く肌は陽に焼けている。


 髪はまるで獅子を思わせる金茶、鋭い瞳は琥珀。

 粗削りだが、厚めの唇に男らしい色気を感じさせる、かなりの男前である。


(なんつーの? 皇子を秀麗、オスカー先輩を精悍と称すなら、この人は……チョイ(ワル)肉食系っつか)


 単語のレベル感がまるで合っていないが、レオの率直な感想はそれだった。


 というか、この学院はなんなのだろう。顔採用なのだろうか。

 あまりにイケメン比率が高すぎてむかっ腹が立つ程である。

 レオは、内心で一方的にフツメン同盟を結んでいるクヴァンツ先輩が恋しかった。


「あなた……グスタフ・スハイデンですの?」


 まじまじと相手を眺め、驚いたように呟いたのはビアンカだ。

 どうやら彼女は、この肉食系導師の名前を知っていたらしい。


「ああ? そうだが」


 チョイ悪風の導師――グスタフが事もなげに、ついでに言えば敬語すら使わず答えると、ビアンカは「まあ……!」と頬を紅潮させた。


「お目に掛かれて光栄ですわ! 帝国の誇る聖なる剣、先のエランド聖戦では千人斬りを成したといわれる生ける伝説、グスタフ・スハイデン聖騎士様に!」

「――……っ!」


 横で聞いていたレオは、危うく噴きそうになった。


(性なる剣!? 千人斬り!? 性騎士!? なんつーネタのオンパレードだよ!)


 いかにも貴族好みの痛々しい二つ名も笑えるが、肩書きが尽くツボすぎた。

 レオはさほどではないが、下ネタを愛してやまない孤児院の連中が聞いたら――彼らは「クソ」と「おっぱい」の単語をいかに多く発音して日々を過ごすかに命を懸けているように思われる――向こう十日は笑い転げること必至だ。


 レオは、自らの二つ名だってすっかり「無欲の聖女」で定着しつつあることを知らなかった。


(ぷくく……やべ、なんかこの、フェロモンだだ漏れな肉食系じみた顔も、いかにもすぎてネタっぽい……!)


 先程まで抱いていたイケメンへの脊髄反射的な反感も忘れ、笑い出しそうになる口を意志の力でチャックする。


 体を強張らせた少女に何を思ったのか、ビアンカははっと表情を改め、慌てて自己紹介と周囲への説明を買って出た。


「あ、も、申し遅れましたわ。わたくしは、この学院の下級学年長を務めております、ビアンカ・フォン・ヴァイツゼッカー。こちらは、生徒会のナターリア・フォン・クリングベイルに、新入生のレオノーラ・フォン・ハーケンベルグです。――レオノーラ、怯えなくても大丈夫よ。この方は、騎士中の騎士、帝国男児の模範たる聖騎士様ですもの」


 ビアンカによれば、聖騎士とは、武に優れた導師から成る教会独自の騎士団であるらしい。

 たかが導師と侮るなかれ、その武技は精霊力とも相まって、ハーケンベルグ侯率いる紫龍騎士団とも互角に渡り合える程だという。


 なかでも、グスタフ・スハイデンは、多種の精霊に愛された身ならではの精霊力の強さと、優れた剣技、そしてまた類稀なる統率力から、十三年前のエランド侵攻では、弱冠二十歳でありながら、万軍に劣らぬ働きを見せたということだった。


 猛き男に憧れる貴婦人、または冒険を夢見る少年であれば知らぬ者はいないというほどの有名人らしいが、レオはブルーノがまさにその戦禍を逃れてきたため、普段は極力それらの話を避けているし、イケメンよりも金、冒険よりも金儲けに関心を注いで生きてきていたので、まったく彼を知らなかった。


「まあ……あなた様が、あの……」


 ナターリアはといえば、知識では知っていたものの、目の前の気だるげな男と、伝説にまでなっている聖騎士のイメージがなかなか結び付かなかったらしく、目をぱちくりさせている。


 三者三様の注目を浴びた、当のグスタフはといえば、


「どうも」


 と、そのいかつい肩を軽く竦めただけだった。


(やべー! かっけー! おもしれー!)


 いや、何も知らずに見れば、そういった仕草のひとつ取っても大人の男の色気というか、滴るような魅力に溢れているのだが、先程の呼称と、このばっちりハマった言動が相まって、レオとしては笑えて仕方ない。


 というか、まがりなりにも学院付きの導師となった人物が、精霊布を下敷きにして昼寝をこいていてよいのだろうか。皇族相手に不遜な態度を取って大丈夫なのだろうか。


 いやいや、きっと問題ないに違いない。だって彼は千人切りの性なる騎士だから。全部ネタだから。


ついニヤニヤしそうになるのを辛うじて堪えていたら、


「……レオノーラ・フォン・ハーケンベルグだ……?」


 グスタフが魅惑の低音でぼそりと呟いたので、レオはようやく用件を思い出した。


「は、はじめまして。レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ、申します。あの、突然ですが、この絵を、預かっていただけないか、思うのです」


 最初はお祓いをと思っていたのだが、できればそのまま教会に、この不吉な絵を持っておいていただきたい。


「これは……随分立派な絵じゃねえか……」


 唐突な申し出に戸惑いつつも、絵の美しさに目を瞠ったグスタフ相手に、レオはここぞとばかりにセールストークを重ねた。


「当代きって、名画家、ゲープハルト・アンハイサーさん、描きました。最新作! 小作品、普段と画風、異なりますが、その分、これから、きっと価値が出ます!」


 マイナス面をプラスに言い換えるのは商人の基本だ。


(できるならここで更に、値引きやらおまけで畳みかけたいところだが、ちっ、材料がねえ……!)


 レオ的にはかなりの手落ちだ。

 舌打ちしたい気分だったが、まあいい、今回の目的は金儲けではなく絵の処分なので、自分に目を瞑ることにする。


「…………」


 グスタフは、どことなく猛禽類を思わせる鋭い目を細め、しばらく黙り込んでいた。


 ややあって、


「……これを、教会に?」

「はい! どうか!」


 ぽつりと尋ねてくるので、レオは力強く頷き返す。

 すると彼は、ふとニヒルな笑みを片頬に刻んだ。


「……施しのつもりか?」


 その発言に、眉を顰めたのはナターリアとビアンカである。


 彼女たちは、ハーラルトの禍で教会が酷く信頼を損ない、困窮に喘いでいるのを知っている。

 それをこの少女は、心からの善意でもって救おうというのに、まるでそれが偽善であるかのような言い草をするとは。


「え?」

「それで、我々を救ったつもりかと聞いている」


 戸惑ったように視線を揺らした少女に、グスタフはなおも言葉を重ねた。


「ちょっと、スハイデン様――」


 先程まで聖騎士だなんだと目をハートにしていたことも忘れ、ビアンカが少女を庇うように前へ進み出る。

 しかし、それを遮るように少女が言った。


「いいえ。……私、自身、救う、ためです」

「へえ」


 歯切れ悪く、自らを恥じるように目を伏せた少女に、グスタフは皮肉気に唇の端を持ち上げた。


 彼はひょいと、小ぶりなキャンバスを受け取り、不遜にもその角でとんとんと自らの肩を叩く。

 そうして、その長身を僅かに屈め、少女にそっと顔を近づけて囁いた。


「それくらいの自覚があるようなら、受け取ってやるよ」


 まるで、睦言を囁くかのような仕草。

 男が怖いという少女がびくりと肩を揺らしたのを見て、ナターリアが声を上げた。


「グスタフ・スハイデン様!」

「あん?」


 粗削りで男らしく整った顔が、くるりと振り向く。

 慣れぬ種類の視線を受け止め、ナターリアは無意識に頬を赤らめながら続けた。


「差し出がましいようですが、その仰り様はいかがなものでしょうか。静謐よりも武に重きを置く聖騎士の出とはいえ、まがりなりにも今のあなた様は学院付き導師。幼き学生の心からの善意を、偽善のように本人に認めさせるなど」

「は」


 グスタフはせせら笑った。

 それはあたかも獅子の鼻息のように、挑発するつもりなどないのに、自然と迫力が備わってしまう類の笑みだった。


 彼はすっと、その長い右手を伸ばすと、ナターリアの顎を掬い上げた。


「あんた、わかってねえなあ?」

「…………っ」


 く、と顎ごと引っ張られ、ナターリアが体を強張らせる。


(おおおお! 生『顎クイ』!)


 絵も引き取ってもらい、緊張の解けたレオはといえば、そんな二人の遣り取りを呑気に見守っていた。


 このグスタフという男、調子のいい事を言って絵を押し付けようとしていたレオの下心を見抜いた辺り、なかなか侮れないが、やはり言動がネタっぽい。


(いやいや、俺好きよ? そういう、自分のキャラを弁えてる芸風って。噴きそうになっちまったけど。にしても、おー、こりゃまた絵に描いたような模範的な顎クイだ)


 自分が皇子にされた時は命の危険と悪寒しか感じなかったが、人がされているのを見るのは別物だ。

 まさに他人事――しらけた気持ちと好奇心とを半々にしたような、新人芸人を見守るかのような心持ちで、レオは状況を窺った。


「学院付き導師になったからこそ、物の分別のつかねえ学生を、指導してやってんだろうが」

「…………なっ!」


 と、弁の立つナターリアにしては珍しく、グスタフにされるがままになっている。

 いや、今までに見たどんな彼女よりも顔が赤く、目は潤み――相当動揺しているようだ。


 はて、と首を傾げたレオに、まるで解説するようなタイミングでビアンカが呟いた。


「……まずいわ。俺様砂漠王(シーク)系による顎クイシチュは、ナターリアお姉様の地雷……」


(シーク? シチュ?)


 所どころ、レオには耳慣れない単語が挟まる。

 孤児院の女性陣も似たような単語を用いることもあるから、少女向け小説の用語か何かだろうか。


 エランド発の官能小説ジャンルには明るくとも、ロマンス小説は専門外のレオは、ことりと首を傾げた。


「ナターリア様、シークシチュ、地雷なのですか?」

「あなたはそんな言葉覚えなくてよくてよ、レオノーラ。……ナターリアお姉様の初心(うぶ)にも困ったものですわね」


 後半をレオにも聞こえないような音量でぼそりと呟くと、これで男のあしらいはそこらの令嬢以上に慣れているビアンカが、二人の間に割って入った。


「スハイデン導師、どうかお放しを。わたくしから見れば、お二人とも感情が勝ちすぎているようですわ」


 最近とみに身にまとうようになってきた皇女の迫力を漂わせると、グスタフは興醒めしたように、ナターリアも我に返ったように、その身を離した。


「やれやれ、すっかり昼寝が台無しだ」


 グスタフはげんなりした様子を隠しもせずに、「絵は引き取るよ。どうもな」とおざなりな礼を寄越し、さっさと踵を返してしまう。

 さりげなく精霊布を引きずっているところを見ると、奥の懺悔室にでも籠って寝直すようであった。


 一方ナターリアと言えば、どこかまだぼうっとした表情で、男の背中を追っている。


「ナターリア様、大丈夫、ですか?」


 呼び掛けた途端、ぱっと顔を上げて、


「え? ええ? まったくもって大丈夫ですけれども、何か?」


 大層早口で答えたので、なんだかレオは微笑ましさと心配な気持ちとを覚えた。


(なんか、この人、ほんとに男慣れしてねえんだろうな)


 ナターリアはよくわからない理由で跪いてきたり、タイプの男にいきなり突っかかる――先程のグスタフとのやり取りは、残念ながらレオにはそうとしか見えていなかった――不思議な女性だが、よくレオの宿題をタダで手伝ってくれる、いい人だ。


(変なヤツに騙されかけてたら、俺がその男のこと殴ってやろ)


 ひとまず、不吉な絵を押しつけてすっきりとしたレオは、そんな明後日な決意を固めて、ビアンカたちと共に聖堂を去った。

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