《閑話》 レオ、真贋を見極める(3)
「ふん、恩人をもてなすと言っておきながら、単なる成金趣味のお披露目会か。まったく、恥ずかしい」
フランツは隈の浮いたぎょろりとした目を呆れたように動かし、空席だった椅子にどっかりと腰を下ろした。
「これ、フランツ!レオノーラさんの前でなんていう――」
「ああ、あなた様が、噂に名高い無欲の聖女、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ様でございましたか。初めまして。私はベルンシュタインが長男、フランツです」
父親に窘められても口調を弱めず――いや、むしろ一層棘を増したように、フランツは頬杖をついてレオを見据えた。
「確かにお美しい。けれど、無欲と言うのは本当ですかな? ユヴァイクのワインにグーベルク牛を、タンシュテット製のナイフを操り、フルオーケストラを演奏させて思う様召し上がっておきながら、まったく恐れ入る」
「フランツ!」
ハーゲルは鋭く一喝し、レオに向かって「誠に申し訳ございません」と深々謝ってきた。
オスカーも、困惑と苛立ちを半々に、フランツに言い返している。
「兄貴、何もそんな言い方をしなくたっていいだろう。だいたい、今日は来られないって――」
「ふん。出来の悪い厄介者は仲間はずれか。おい、俺にもそのワインとステーキを」
明らかに悪くなった空気をものともせずに、フランツは居丈高に使用人を呼びつけ、給仕を始めさせた。
あまり男前とは言い難い容姿のところに、更にくちゃくちゃと音を立てながら、勢いよくひとりで食べはじめる。
(あー。いるよな、集団の中にはこういうタイプってさ)
こいつモテないだろうな、とレオは冷静に見守っていたが、フランツが厭味ったらしく告げた、
「まったく、何が『訓練』だ、こんなことに馬鹿馬鹿しいくらいの金を使いやがって。オーケストラを雇うのにいくら必要だと思ってるんだ? 金は使う為でなく、貯める為にあるというのに」
という言葉に、きゅんと胸を高鳴らせた。
(こいつ……!できる……!)
改めて、自らが握り締めていたカトラリーや、口にしていた美食の数々を見下ろす。
たしかに、タダ飯だからと調子に乗って、また途中からは試合に熱中しすぎて、その価値に感謝を捧げることも無く、悪戯にそれらを受け入れてしまっていた。
その事実を認識した途端、苦い後悔がレオを襲った。
(くそ……俺の大バカ野郎。タダ飯だからって、ロクに値踏みをすることも無く味わうなんて、なんたる大失態だ。タダだからこそ、もたらされた利益がいくらかを噛み締めながら食べるってのが、人間としてのあるべき振舞いじゃなかったのか?)
愚かしくも、目先の出来事に捕らわれていた心。
その曇りを一瞬で晴らしてくれたフランツという男に、レオは並々ならぬ敬意を抱いた。
そうしてみれば、空気を読まずにひとりで食事をする姿も、なんだか孤高のアウトローに見える。無頓着に口に運んでいるようでありながら、滑らかに高級な方のワイン、高級な方のステーキを選び取っているのも、実に素晴らしい――そこであんたも高級な方食べちゃうんですね、という突っ込みはレオには思い付かなかった。
レオは、下町から出てきて初めて、尊敬すべき心の友と呼べるような人物に出会えた気持ちがした。
「レ、レオノーラさん……。フランツはこの通り、偏屈なところがあるヤツでして……。いや、お恥ずかしい。大変申し訳ない」
「すまない、レオノーラ。――おい、兄貴、さすがにその態度はないだろう。俺たちのことが気に食わないなら後で――」
オスカーが厳しい声でフランツを責めようとしたところ、レオはがたっと立ちあがった。
「あの」
そして、興奮に目を輝かせたまま、そっと切り出した。
「よければ、私と、もう少し、話しませんか」
少女の突然の申し出に誰より驚いたのは、ハーゲルでもオスカーでもなく、フランツ本人であった。
「……な、なんだと?」
フランツは、精悍な容姿に恵まれた弟と異なり、自分が冴えない外見をしていることを自覚している。
口を開けば批判ばかりだし、つい先ほども、一家の恩人である少女を不当に貶したばかりだ。
その彼女から、話したいと誘われる理由などあるはずもなかった。
(――……はん、そういうことか)
だが、すぐに少女の意図に思い至る。
聖女だなんだと持ち上げられているこの少女は、不信感を突きつけられたことがなく、自分の前に跪かない存在が不満なのだろう。直々に話すことによって、相手を「改心」させようとしているのだ。
(とんだ聖女もあったもんだ)
この少女、見かけはとびきり美しいが――さすがにそれはフランツも認めざるを得ない――、きっと性根は腐りきっているに違いない。自分なんかに話し掛けたがる女など、これまでいなかったのだから。
すっかり色々考えをこじらせたフランツは、口の端を引き上げて、「聖女のお誘い」に乗ってやることにした。
「――ああ、喜んで。見れば、食事もだいぶ済んでいるようだ。どうです、応接間に移って、食後のお茶としましょうか。最近仕入れたとっておきの茶葉があるんです。本物の、ね」
暗に、おまえのその振る舞いが「偽物」であることなどお見通しだと告げてみせる。
しかし、少女はあどけない顔に、ぱっと嬉しそうな笑顔を浮かべただけだったので、フランツは思わず出鼻を挫かれそうになった。
(……ふ、ふん。さすがに手強いな)
オスカーやハーゲル、そして女性陣も難色を示したが、結局少女本人の強い希望もあり、フランツは彼女と応接間に移動することになった。
少女の侍従だと言う少年は、お綺麗な顔に強い怒りを浮かべて睨みつけてくるし、オスカーたちも少し離れた場所から苛立ちと不安を隠せない様子でこちらを窺っている。
家族のそのような反応に、一瞬鈍く痛みかけた心を、フランツは
(ふん、これほど俺がこの家で注目されたのも久しぶりだな。愉快なもんだ)
と無理矢理他の感情にすり替え、目の前の少女に集中した。
「……どうです、こちらの、レーベルク産の茶の味は」
「とても、おいしいです。かぐわしい」
少女は小ぶりな鼻をすん、と動かして、愛らしく告げた。
レーベルクの茶葉は、温度管理に膨大な費用と人手を費やして、この繊細な香りを維持しているのだが、少女はそのことにすぐ気付いたらしい。かなりの嗅覚の持ち主だ。
フランツは、さてなんと少女に話しかけたものかと思ったが、女相手にすらすら言葉を紡げる人生など送っていない。
結局、
「――単刀直入に聞きましょう。あなた様の狙いは、なんです?」
出会い頭に鉈を振りかざすような暴挙に出た。こじらせた非モテ系男子の悲しい性である。
「狙い?」
「とぼけなくたっていい。私は、よくできた弟とは違って、あなた様のような方に関心を持ってもらえるような男ではないということくらい、自覚してるんでね」
皮肉気に肩を竦めると、少女は大きな目を更に丸く見開いて、
「なぜ? 私、フランツさんのお話こそ、聞きたいのです」
と真剣な声で告げたものだから、フランツはそれこそ驚いた。
「話? 俺……私のを?」
「はい」
うっかり素が出かけたフランツに、少女はあくまでも真顔で頷く。
生まれて初めて女性に――それも、とびきり美しい少女に上目遣いをされて、フランツは咄嗟に胸を押さえた。
「フランツさんのお話、とても深い哲学、あります。強い指針は、強い行動、導きます。あなたは、絶対、偉い人になる。だから、私は、いっぱいお話を聞きたいのです」
レオとしては、この只事ならぬ守銭奴っぷりを以ってすれば、きっと金儲けが得意であるに違いないので、ぜひともお近づきになりつつ、叶うなら旨みのあるビジネスの一つや二つ、紹介していただきたいというところであった。
しかし、純真な顔をした少女がそんな下衆な思惑を抱いているとは思わないフランツは、人生で初めてといっていいくらいの力強い肯定に、もはや陥落寸前である。
「……ふん。そんなことを。私の話なんぞ、つまらないものでしょう。父のように世界を股にかけての取引をするわけでもなし、ひたすら庶民相手にこぢんまりとした商売ばかり繰り広げている、こんなせせこましい男の話では」
「ほほう」
庶民相手の商売とは、レオにとってはますます興味深い。
いったい慧眼を誇る彼はどのようなビジネスを手掛けているのかと、レオはわくわくしながら続きを促した。
「皇族でも、上位貴族でもなく、庶民を相手。なぜなのですか」
「それは――」
商売のことなど、少女には興味あるまい。
そういった予想を大きく裏切り、自分の話に意外なほどの食い付きを見せた相手に、フランツは思わず真剣に答えてしまった。
「近頃では、学院を卒業した庶民出の研究者によって、陣の洗練化と開発が進んでいると聞きます。もし、一部の者にしか持つことが認められていなかった魔力を、陣によって庶民が手にすることが出来たなら――。この国の勢力図は大きく塗り替わり、また、それに伴いあらゆる需要が劇的に変化するでしょう。その時、ベルンシュタイン商会は時代の勝者に向けて物が売れるようでなくてはならない。今はまだお試し程度ですが、庶民向けを主流とした店の開発や、陣を縫いとめる魔力布の独占販売権の整備に努めているのです」
ベルンシュタイン商会は、皇家御用達も多く含む一級の品を、確実に全国から仕入れ、流通させることで知られる商家だ。
創業者であるハーゲルからすれば、フランツのこの指針は異色であるに違いなく、そのためフランツは自分の考えをきちんと彼に伝えたことがなかった。
なにせ、父はとかく弟の方を評価している。
自分が百の努力をし、方々を観察してようやく得られた事実に、弟は一の努力と持ち前の勘で、あっさりと気付いてしまうといった具合だ。しかも、あちらの方が男前。彼女ができるのも早かった。
「フランツ……」
居間の向こうから、父ハーゲルが呆然と呟いている。
どうせまた、自分の意に染まないことをやりだしたと、苦々しく思っているに違いないと考えたフランツは、決まりの悪さに耳の端を染めて、視線を逸らした。
「素晴らしい……」
と、静かに耳を傾けていた少女が、きらりと紫の瞳を輝かせると、おもむろにフランツの手を取った。
「素晴らしいです。私、同じこと、思っていました。フランツさん、素晴らしい! 慧眼! 最高です! 眩しい!」
今まで耳にしたことのないような、全肯定、大絶賛の嵐である。
それ自体も大いにフランツをどぎまぎさせたが、少女の素肌の、絹のような手触りに、彼は鼻血を吹くかと思った。
「……ふ、ふん!」
騙されてはいけない。
自分みたいな奴に気があるふりをするなんて、何か企みがあるに違いないのだ。
暴走を始めた心臓に焦った彼は、そんなわけで、つい心にもないことを言ってしまった。
「ど、どうだかな。そ、そんな甘言ばかり囁いて、一体何が望みなんだ。ああそうか、商売女みたいに、小遣いでも欲しいんだろう!」
早口でまくしたてて腕を振り払い、小銀貨をぽんと放って寄越すと、場の空気が凍りついた。