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《閑話》 レオ、真贋を見極める(2)

「さ、どうぞ、存分に召し上がってくださいね。皇族に供される美食には敵わないかもしれませんが、とにかく量はありますので」


 席に着く早々、にこやかに夫人が切り出す。

 言葉の通り、続々、続々と食卓に並ぶご馳走を見て、レオは目を輝かせた。


(すげえええー!金箔散ってる!おおお、チョウザメの卵にガチョウの肝!なんてわかりやすい高級食品の見本市!)


 エランド式の洗練された食文化をすぐ真似ようとする皇族や上位貴族は、コースのメインだけを豪勢に仕立てて、それ以外はあえて質素に演出するのがお気に入りだ。

 しかし、オスカー宅のそれは、「みんなみんなが主役なんだぜ!」と言わんばかりに、盛り付けが装飾的だったり、料理も押し出しの強いものばかりだった。


 それでも不思議と、アクの強い料理同士が絶妙に調和し、統一感のある食卓が成立している。ひとえに料理長と、フアナ夫人の腕前だろう。


 どこまでもギリギリのラインまで豪華主義を貫いてくるベルンシュタイン家に、レオは非常な好感を抱いた。


「いただき、ます」


 手近にあった何かとてつもなくおいしそうな一皿――具体的には、牛フィレ肉のステーキとフォアグラを重ねたものに、色とりどりの野菜とキャビアを散らしたもの――に手を伸ばし、口に入れてみる。


「…………!」


 レオは、全身に鐘の音が鳴り響き、凄まじい勢いで祝福の光が満ち満ちるのを感じた。


(うおおおなんだこれ官能的なまでに濃厚な高級肝に誘われた一口が着飾った熟女を思わせるしっとりとした高級牛肉と口の中で金色のハーモニーを奏でながら高級チョウザメ卵のいたずらな食感と馥郁たる高級オレンジの微かな酸味をあたかも高級で高級な高級すぎることになっている……!)


 とはいえ、口では端的に告げる。


「素晴らしいです」


 味覚をはじめとする五感、および、後天的第六感・金覚までをも金の香りで刺激する、まさに全包囲型高級料理であった。

 ――食事でここまで感動したのは初めてかもしれないとレオは思った。



 皇族と親しく食事を共にしていることから、すっかり上品な食事に慣れているであろうに、出された料理をおいしそうに口にする少女を見て、ベルンシュタイン一家は頬を緩めた。

 どれだけ財力を持とうが、所詮は成り上がり。

 いくら貴族的な食卓を目指そうとしてもぼろが出るだけという、ある種の自虐的な認識から、あえて過剰なまでに豪勢なメニューを用意したのだが、そういった商家独特の密かなコンプレックスをまったく刺激することなく――恐らく、それもわかった上でのことなのだろうが――おいしそうにフォークを操る少女に、好感を抱かない方がおかしいというものだった。


と、


「ああ、レオノーラにワインを」


 隣で食事を進めていたオスカーが、少女の口にしているものが味の濃い料理であることに気付き、使用人に合図する。


(おお、かっけえ!)


 レオが視線を上げた時、しかし不思議なことが起こった。

 使用人が、なぜかワインボトルを二本持ってきたのである。


 オスカーは苛立たしげに眉を寄せると、


「――こっち。この黒いラベルの方だ」


 使用人に鋭く指示し、ハーゲルを軽く睨みつけた。


「親父。レオノーラは俺たち一家の恩人だ。今日くらいはこういうのをやめてくれないか」

「ほう、オスカー。テイスティングもせずにわかるようになったとは。今回用意したのは年代も産地も近い難問だったのに」

「……瓶の色も液色も香りも近いが、ラベルの紙質が違う。ローフェルトでは、ラベルにコルクの滓を混ぜた紙を使うだろう」


 ハーゲルはおや、と愉快そうに眉を引き上げていたが、レオとしてはさっぱり話が見えない。

 どういうことかと首を傾げていると、フアナ夫人がおっとりと水のデキャンタを差し出しながら、


「やだわ、オスカー。お客様の前でそんなつっけんどんな声を出さないで。ほら、お水」

「……お袋もさりげなくデキャンタを二つ差し向けてくるのはやめてくれるか。ベルビュール製のは左だ」


 オスカーから指摘され、「あらやだ、私ったら無意識に……」と頬に手を当てていた。


 はて、とレオが目を瞬かせていると、オスカーが珍しく肩身が狭そうな顔で謝ってきた。


「すまない、レオノーラ。俺の家では、少々、いや、かなり奇妙な習性があって――」

「奇妙とはなんだ、オスカー。常に真贋を見極めるのは、我々商人に最も必要な才覚だというのに」


 ハーゲルが少しだけむっとしたように言い返す、その言葉で、レオもようやく合点がいった。


「……常に、本物と、偽物を、見極める訓練、ですか?」

「――ああ。恥ずかしながら、その通りだ」


 道理で至る所に、絵画も壺も二つずつあったはずである。

 納得するレオをよそに、頷くオスカーは気まずそうだ。よほど恥ずかしいのだろう。


「商人は人々の先頭に立って、新しいもの、未知のものを買い付ける。その時に真価を違わず評価できるよう、常に本物に――同時に偽物に触れよ、というのが、親父の方針なんだ。だから我が家では、装飾品も食事も服も、些細な日用品に至るまで、全て一級品と模倣品が用意されている……俺は、本物にだけ触れるので充分だと思うんだが」

「そんなことでは、本物の素晴らしさがわからないだろう。何がそれを本物たらしめ、何が偽物たらしめているかまでわからねば、目利きなどできないのだから」

「だから、それを何も今この場でやらなくてもと……!」


 オスカーが苛立たしげに呟く。

 にわかに空気が張り詰めだしたが、しかしそれは我に返ったオスカー本人によって解消された。


「――すまない。おまえにとっては、こんな不毛な会話を続けられても困るだけだな」

「い、いえ! いえいえいえ!」


 不毛など。


 急に自虐に走り出したオスカーを見ていられず、レオはつい必要以上にフォローをしてしまった。


「あの、本物と偽物を見分けることは、素晴らしいこと、思います。私も、見習いたいです!」

「おお、レオノーラさん!わかってくれますか!」


 だが、渾身のフォローはオスカーではなく、ハーゲルの胸の方を熱くしてしまったらしい。彼はがばっと立ち上がると、勢いよくレオの両手を取った。


「まったくうちの息子どもときたら、商売のハウツーや経済書の説く机上の理論にばかり囚われて。嘆かわしいことです。商人に最も求められるのは、よきものをお値打ちに仕入れる飽くなきガッツと、そのよきものを見定める眼力です!」


 レオはされるがままにガクガクしていたが、お値打ちに仕入れる、の辺りから、目をきらりと輝かせはじめた。


「……お気持ち、わかります」

「おお、わかっていただけますか!損得への執着は、これはもう先天的なものもあるのでいかんともしがたいですが、真贋を見極める力は、センスや才能もあれど、努力と訓練次第です。息子ども――特にオスカーは、嘆かわしいことに損得勘定はあまり得意ではない。とかく感情を優先しがちな不束者だ。ならば、せめて鑑定力を鍛えようというのが親心というものです」


 損得執着の天才であるところのレオは、大きく頷いた。


 確かに、儲かる人生を歩むためには、何よりも金への執着心が必要だが、やはり気持ちだけ整っていても成功しないのだ。

 金儲けの心技体――その「技」を鍛えるというハーゲルの主張は、レオの胸に強く響いた。


 なんだか、目の前の脂ぎったただの中年男性が、とてつもなく偉大な師匠に見える。いっそ弟子入りしたいくらいの想いを込めて、レオはじっとハーゲルを見つめた。


「素敵な、親心です。私も、ほしいです」

「レオノーラさん……」



 ハーゲルは、自分も親がほしいと訴える少女に、はっと我に返った。

 そういえば息子のオスカーからは、彼女が凄惨な過去を送ってきたことを聞いていた。そもそも、生まれからして、少女は貴族令嬢が夜盗に手篭めにされ出来た子どもだ。「親」や「親心」というのがどんなものなのか、知りたいし、叶うなら手に入れたいのだろう。


「レオノーラさま……」


 一緒に聞いていたカミラやフアナも、神妙な面持ちになった。


「な……ならば……」


 ハーゲルは、ごほんと咳払いをし、恐る恐る続ける。


「よろしければ、レオノーラさんも真贋試しをしてみませんか?」

「え?」


 レオはぱちぱちと目を瞬かせた。


「おい、親父――!」

「いや、たとえあなたが真贋を違えたとしても、我々はけしてそれを笑ったりはしません。ただ、そう、レオノーラさんも我が家の一員のような気持ちで、この家の習慣を楽しんでいただけたらと」


 レオは少し考え、それからこくりと頷いた。


「やります」


 やって損するわけでなし、単純に面白そうだからだ。


 少女が愛らしい笑みと共に、一家の習慣に理解を示してくれたことにハーゲルは喜色を浮かべ、二本のナイフを指し示し、いそいそと説明を始めた。


「では、まずは入門編ということで……。このナイフ、片方はタンシュテット製のもので、片方は下町でも手に入る、錫に銀を塗っただけのものです。どちらが――」

「こちらです」


 レオの回答は素早かった。

 手に持った方をハーゲルに向かって掲げながら、


「高価なナイフは、持ち手の中、空洞です。技術がいります。こちらが軽いので、こちらが、タン……タンシュ……高価な方。あちらは、指紋の付き方も、不自然です」


 得意げに解説する。

 別にレオはタンシュテットという高級カトラリーの工房を知っていたわけではなかったが、一時期シルバー磨きのバイトをしたことがあった分、価格表にも詳しかったのだ。


「レオノーラ様、さすがです……!」


 静かに成り行きを見守っていたカイが、思わずといった様子で嘆息する。


 気付いたレオは、にこっとカイに向かって笑い掛けると、「カイのおかげです」とごまをすった。カイをシルバーの達人と持ち上げることで、いつかシルバー磨きのスキルを盗んでやろうという野望は、いまだ衰えていないのである。

 

 一方、少女が予想をはるかに超える完璧な受け答えをしてみせたことで、ハーゲル氏は目の色を変えた。

 おもてなしとしてではない、商家の矜持を懸けた競い合いとして、この真贋試しに臨まなくてはならないと悟ったのである。


「――フアナ、あれを」

「で、ですが、旦那様。それは少々……」

「いや。レオノーラさんに対して手を抜くことこそ失礼にあたるというものだ」


 そうして渋るフアナ夫人が支度してきたのは、絵画、骨董品、ワイン、ステーキ、演奏団と、多岐にわたる内容の真贋お試しセットであった――壁の向こうからフルオーケストラが出現したのにはレオもびびった。


「さあ、レオノーラさん。ここからが本番です。答えは私も知りません。私とあなた、どちらが真によきものを見極められるか、勝負といこうではありませんか」

「受けて、立ちます」


 こうして、時代の最先端で審美眼を鍛え続けた一流ベテラン商人ハーゲル対、値切り交渉はお手の物、下町で生き残りをかけて清濁併せ飲んできた不屈の守銭奴レオの、格付けチェック対決が幕を開けたのであった。



***



「精霊の羽部分に使用されている金の絵の具には、本物の金と青銅が混ぜてある。リストガルの真筆はこちらだ」

「正解です」


「ワイン、葡萄、同じ味です。でも、土が違う。この土、下町の舗装されていない道と、同じ土の匂い。湿っています。安いのはこっち。だから、えーっと、ユヴァイク?のワインは、こちら」

「せ、正解です!」


 もはや、オスカーたちベルンシュタイン家の子どもたちを差し置いて、試合はすっかり白熱している。

 意外にもレオは、高いものを見分けるというよりは、安いものを見分ける形で、しっかりと勝負に食らいついていた。要は、これまでの人生になじみ深い味や香りがするものの方が、安物というわけだ。


「一つ一つ職人が手で模様を描きこむノイマール焼きは、蔦柄の実の部分に染料が溜まりやすい。対してこちらは、それを模しているのだろうが、不自然に均等すぎる型押し品。ノイマールのスープ皿はこちらだ」

「さすが、正解です!」


「肉質、どちらも柔らか。けれど、口での脂の消え方、違います。こっちの方がぎっとりで、好――いえ、安物。だから、グーベルク?牛は、こちら」

「すごいわ、どうしてわかるの!?」


 ハーゲルが豊富な知識を展開し正解を導き出せば、少女は鋭敏な五感を頼りに――実際は第六感(金覚)の働きによるものなのだが――肉薄してくる。


 審判役のフアナも、すっかり興奮を隠しきれずに名勝負を見守っていた。


 両者譲らず、ベルンシュタイン家恒例格付けチェックが、いよいよ最終局面を迎えつつあった、そのとき。


「――あんたら、一体さっきから、何してんだ?」


 食堂の入口から、呆れたような声が掛かった。


 レオはフルオーケストラに向かって耳を澄ませようとしていたのを切り上げ、ぱっと振り向く。


 そこには、フアナ夫人やカミラと同じ栗色の髪をした、ひょろりとした男性が立っていた。

 痩せぎすで、ぎょろりとした瞳――その色だけは、オスカーと同じ甘い藍色だ。


(誰だ?)


 レオがことりと首を傾げると、オスカーがまるで答えるように、眉を寄せて呟いた。


「兄貴……」


 レオは、ハーゲルが先程から「息子ども」と表現していたわけをようやく理解する。


 どうやら、ベルンシュタイン家長男の名は、オスカーではなく、


「フランツお兄様、どうして今頃……」


 フランツ、と言うらしかった。

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