終.レオ、再び出現する
1月17日 最終話を大幅に改稿いたしました。
改稿前の物を既にお読みの方には申し訳ございません。
――……いつ、まだ目ぇ……まさないのかな。
――……というか、……はカーテン……けでいいのか? さすがに寒……うだが。
声が聞こえる。
――仕方ねえだろ。……のままドレス着せてたら、……ぐに捕まっちまうだろうし。
聞き覚えのある声だ。
――……レスは処分か。レオが聞い……ら泣くな。
――たしかに。
この耳に馴染む少年の声は、自分のものだ。
(……いや、違う)
今はレーナのものになっているのだったっけ。
レオの思考が段々とはっきりしてきた。
頭が割れるように痛い。
なんだろう。似たようなことが前にもあった気がするのだが。
「お、見ろよ、こいつ瞼がぴくっとなったぜ」
「おお。ようやく目が覚めるか」
「寝汚いやつだなあ」
好き勝手言われている気がする。
「……い、てめ……、……っ!」
つい「おい、てめえ」と声を掛けそうになり――お馴染みの痛みが喉に走って、レオはとうとう飛び起きた。
「――……っ!!」
「うわ、ばか!」
がばっと身を起こすと、なぜか周囲に藁が舞い、罵られた。
「ちょっとよせよなー、辺りが藁まみれになるだろ」
ぶつぶつと文句を言うのは、相変わらずレオの姿をしたレーナだ。
「おはよう。よく寝たな」
何事もなかったように、言葉少なに頷くのは、幼馴染のブルーノ。
そこまではまだいいとして、
「コケッ! コケッ! コケッコー!」
なぜ周囲で鶏が大合唱しているのだろうか。
レオは痛む頭を押さえながら、周囲に視線を彷徨わせた。
山と積まれた藁。忙しそうに餌をついばむ鶏たち。朝日の射し込むここは――
「鶏小屋……?」
ハンナ孤児院の、鶏小屋であった。
「なんでここに……というか、発表会……天井が……」
呆然と呟いている内に、ある重大な問題を思い出す。
「金貨は――!?」
レオはばっと両手を広げ、絶望の呻きを漏らした。
無い。
アルベルトから確かに奪ったはずの金貨が、無かった。
「ブルーノ! 金貨は!? 金貨を知らね……っ、てえ!」
横に跪いていた幼馴染の襟首を掴み揺さぶるが、取り乱すあまり、またも呪いに喉をやられ、レオは撃沈した。
「落ち着け。金貨とは……?」
「契約金の金貨のことじゃね? 意識を取り戻した早々、報奨の催促なんて、さすがはレオ」
首を傾げるブルーノに、レーナが呆れたように答える。
レオは激しく首を振った。
(違う! 報奨の金貨も勿論大事だけど、皇子から奪っ……いや、偶然手に落ちてきた、あのピカピカの金貨のことだよ!)
必死の形相で訴えると、詳しい説明を求められたので、レオはエランド語に切り替え、意識を失うまでにあったことを掻い摘んで話した。
『――というわけで天井が、なぜか運悪く俺に集中して落ちてきて。気が付けばここにいた』
『なぜレーナの部屋に現れたんだろうな?』
ブルーノが首を傾げる。
レオは「知らねえよ」とやさぐれた。今は金貨の方がずっと気になる。
『意識を失う前、レーナこの野郎、助けやがれって叫んだから、そのせいじゃないか?』
『ああ、それはそうかもね』
適当に答えた内容は、しかし同じくエランド語で話しだしたレーナによってあっさりと肯定された。
なんでも、渾身の叫びが強い想像力となって、自力で魔力を発動させることに成功したのではないかとのことだった。
『初魔力、おめでとう。それにしても、私たちにパン配給日を教えてくれてたハーラルトさんが、まさかそんなねえ……』
『重要なのはそこじゃねえよ! 金貨! 金貨! 今は金貨の話!』
世の中一般の常識に照らせば、明らかに関心を向けるべきはハーラルトの謀反のはずだったが、レオ的観点では、消えてしまった金貨の行方の方がよほど重要だった。
がるるる、と噛みつきそうなレオを、レーナは「まあまあ」と宥める。
『それより、レオが意識を失ってた間のこと、気にならないの?』
『う?』
少しだけ頭の冷えたレオは、ちょっと考えた後、「気になる、ます」と答えた。
レーナは「よいしょっ」と藁の上に胡坐をかくと、事態の説明をはじめる。
それによれば、レオが閃光とともにレーナの部屋に出現したのは、三日前の昼。
レーナがのんべんだらりと昼寝しているところだったそうだ。
『いやおまえ、その時間は働いとけよ……』
勤勉な守銭奴を自負するレオは、真顔で突っ込んだ。
『ブルーノとレオって、同じつっこみするのね』
レーナはひょいとそれをかわすと、早々に話を戻した。
ぐったりと意識を失っているレオを、レーナはひとまず介抱することにしたらしい。
事情を知っているブルーノも呼び寄せ、二人は鶏小屋でレオを秘密裏に世話していたのだが――
『なんで秘密裏?』
『こっちが聞きたいわよ。なんで、レオが学院から出てくると同時に、帝国中にレオノーラ・フォン・ハーケンベルグの捜索手配が広まってるのよ。あなた一体、学園で何しでかしてきたの?』
このハンナ孤児院にまで、人相書きを持った衛兵が押し寄せてきたので、これはまずいと考えたレーナが、慌てて鶏小屋に押し込んだとのことだった。
『最悪だ……』
レオは青褪めた。
あの皇子、金貨を奪われたことで指名手配までかけやがったらしい。
『死にたくない……死にたくない……』
狂人のようにぶつぶつ呟きだしたレオを見て、ブルーノが『だから、おまえ何をやらかしたんだ?』と改めて問う。
レオは悲壮な顔で、欲に目が眩んで、爆発のどさくさに紛れて金貨をちょろまかそうとしたことを告白した。
『おまえ、その状況でどこまで……』
『だって……! いつにも増して金貨が輝いて見えて……!』
人はなぜ山に登るのか。それはそこに山があるからだ。
レオがついつい金貨に手を伸ばしてしまったのは、つまりそういうことだった。
『牢獄……? 拷問……? ま、まさか、死……』
死刑はやはり辛いだろうか。大事に貯めていた小銅貨コレクションを、ごっそり盗まれた時よりも辛いだろうか。それとも、詐欺に遭って小銀貨相当の儲けをふいにした時よりも?
しかも、頂戴したはずの金貨は手元にない。
もはや絶望しか無かった。
『……落ち込んでるところ悪いんだけど』
藁に手を突いてしょげるレオに、レーナが珍しく慎重な声で切り出した。
『それってつまり、今私たちが元に戻ったら、もれなく私に死刑台が待ってるってことなのかしら?』
『え……?』
ぎぎぎ、と軋むような音を立てて振り向くと、さすがに引き攣った顔をしたレーナがこちらを見ていた。
『皇子は、レオノーラ――私の顔をしたその体のことを、追っているわけなのだから』
『い……、いや……、そ、それは……』
『そうよね?』
『そ……っ』
間違いなくそうであるだけに、レオとしても「そんなことない」とは言えなかった。
(つ……つまり、俺が今元に戻れば、俺は無実のレーナを処刑させることになるわけか?)
レーナがこれまで犯してきた数々の所業を天秤にかけて、それが釣り合いのとれたものかどうか、レオは悩んだ。
確かに彼女には人生を掻き回された。が、このままでは、今度は自分が彼女の人生そのものを閉ざすことになる。それが適正な報いかと問われれば、自信は無かった。
三人の間に、気まずい沈黙が流れる。
やがて、口火を切ったのはレーナだった。
レーナは「……あーあ」と呟いてぐるりと目を回し、軽く溜息を吐いた。そして言ったのだ。
『仕方ない、か』
『え……?』
レオの瞳が揺れる。
よもや、こんな事態だから元に戻るのは無し、と言われるのだろうか――。
ごくりと喉を鳴らしたレオに、レーナは何ということもなしに告げた。
『いわゆるアレでしょ。自業自得。いいわよ、私が戻るわよ』
それは、はっきり言ってレオには予想外の反応だった。
『で……でも』
『でも? それ以外の方法がある?』
レーナの口調は特に怒るでもなく、ただ淡々としている。
『まあ、今回はこちらだけおいしい思いをさせてもらってたしね。そもそも、戻ってきたら元に戻すって、そういう契約だし』
レーナなら契約など、難癖を付けて反故にしてしまいそうであったが、意外にも一度決めたことは守るらしい。
まあ、それくらいの頑固さがないと、そもそも血統レベルで定められている学院召喚に、抗おうなどと思わないのかもしれないが。
『で……でも……』
解決策は即座に思い浮かばないが、自責の念はある。
レオが口ごもっていると、横で沈黙を守っていたブルーノが『いや』と口を開いた。
『こいつの言うとおり、自業自得だ。元はといえばこいつが、レオを巻き込んだのが悪い』
もともとレオの幼馴染である彼は、レーナには当たりも強い。
ただ不思議なもので、相手に下手に出られ、そこに畳みかけるように攻撃をくらっているのを見ると、レオの胸はわだかまりを覚えるのだった。
『あ、あの……。元に戻っても、金貨を奪ったのはおまえじゃなくて、入れ替わってた俺だって説明しに行くから……』
『はいはい、お気持ちだけ頂戴しとくわね』
レーナはもはや呆れ顔だ。
『大丈夫よ。説得するか謝罪しまくるかして、最終的には逃げればいいんだもの』
『それは……』
簡単に言うが、事はそうスムーズに運ぶものなのだろうか。
レオが唇を噛んだり、口を開きかけてまた閉じたりしている間に、レーナはやれやれと懐に手を差し入れた。
『どっちみち、すぐにってわけにはいかないわ。あなたの魔力、相当目減りしてるみたいだもの。それより、あなたにはこっちの方が重要かしらね?』
すっと差し出された手に載っているのは、光り輝く金の塊。
レオが何より愛する、カールハインツライムント金貨、二枚だった。
『これ……!』
『そ。契約通り。ちゃんと一枚は私の稼ぎよ。言ったでしょ?』
『…………』
普段ならすぐさま飛びかかり、撫でまわすはずのその金貨を、レオは躊躇いを含んだ顔で見つめた。
彼女は逃げるとは言っているが、無実の少女に自らの罪を押しつけて。
あまつ、金貨まで受取っていいものか――。
一瞬脊髄反射で伸ばしかけた指先は、途中で勢いを失い、ぱたりと下げられた。
『いや、でも、俺……』
『あーはいはいはい。別に私、あなたのことを思ってるとかじゃないからねー。自分がした契約を守ってるだけだから』
あくまでレーナはレーナだ。
きっと彼女は、仮にレオが入れ替わったことで幸福の絶頂を極めようが、逆に不幸のどん底に陥ろうが、ただ「約束だから」というだけで、それを守るのだろう。
真っ直ぐこちらを見つめてくる瞳に、レオは初めて、レーナという人間の一端に触れた気がした。
『ほら』
垂らしたままだった腕を、レーナが持ち上げる。
しかし。
それを自らの手の上、金貨に導こうとした時に、それは起こった。
『――……え?』
レーナに掴まれたレオの腕が、急に透き通り出したのだ。
これには思わずといった具合に、レーナも
「あ」
エランド語に切り替えることも忘れ、ぽつりと声を上げた。
「え……? え? え? えええええ?」
レオはぶわっと冷や汗が浮かぶのを感じた。
(こ……これってまさか……!)
以前にもあった、アレではないか。
真っ青になったレオに、レーナが「うわあ……」と呟く。
その顔は、今まで見たことないほど苦々しかった。
『よりによって、今? 今なの? どんなタイミングなのよこれ』
「レ……レーナ、これ、って……っ」
もはやレオにもエランド語で話す余裕などない。
途切れ途切れに問うと、レーナは引き攣った顔で頷いた。
『召喚、されてるわね』
――たぶん、アルベルト皇子に。
「い……いや、だ、いや……!」
元の姿に戻った暁には自首するつもりだったとはいえ、すぐさまラスボスとご対面というのはあまりに心臓に悪すぎる。錯乱したレオはばたばたとその場で暴れ出した。
――コッ! コケッ! コケコケコケ!!
「ぅわあ!」
結果、驚いた鶏が一斉に飛び立ち、羽まみれになる。泣きっ面に蜂とはこのことだ。
「ちょ……っ、ちょっ、えええ? こんなのってアリかよ……痛っ!」
「おい、レーナ!なんとか止められないのか!」
「帝国始祖が引いた陣に敵うわけないでしょ……っ、痛っ!」
珍しくブルーノもレーナも慌てている。レーナも久々に魔術で喉を焼き、レオと二人掛け声のように「痛っ」と叫び合っていた。
いやしかし、叫びたいのはレオの方である。
「ちょ……っ!こ、こんな……!」
視界が滲む。全身が透き通っていく。
そして、
「せめて、金貨ああああああ!」
レーナをめがけ、もとい、その掌に輝く金貨に向かって手を伸ばしたまま――
レオは、消えた。
「ど……どうしよ」
人型にへこんだ藁を見つめ、レーナが青褪める。
ブルーノはすかさず「落ち着け」と呟き、鶏に向かって突進していった。
「リヒエルト中の組織から減刑の署名を集める」
「いや冷静にてんぱらないでよ……痛っ、犯罪組織からの後ろ盾なんて得たら、ますます刑が重くなるわ、痛っ、なるだろ!でもって、出口はあっち!」
レーナは額に手を当てて、
「ま、まずは学院に行って、陳情しな……しねえと!」
すっかりチリチリに喉を焼かれながら叫んだ。
「行くぞ」
「ああああ、もおおおおお!」
即座に走り出したブルーノを、体力に自信のないレーナがひいひい言いながら追いかける。
その後ろでは、
――コケッ!
餌をついばみ終えたらしい鶏が、呑気に上機嫌な鳴き声を上げていた。
***
ヴァイツ帝国暦一〇〇八年 氷黒月 二十五日。
この日は、ヴァイツゼッカー帝国学院の中庭に精霊が舞い下りた日として記録されている。
時期外れの入学の儀により召喚されたのは、その身を挺して皇子の命を救った、美貌の少女。
凄まじい攻撃を受けながらも、無傷で生還した彼女のことを、誰もが奇跡と讃えた。
雪のちらつきはじめた中庭に、少女は白い布を纏って現れた。
黒檀のような艶やかな髪に、美しく潤む紫の瞳。
滑らかな白い肌からは、まるで先程まで羽根が生えていたとでも言うように、純白の羽が舞ったという。
レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ。
後に金貨王と呼ばれるアルベルト皇子と共に、数々の奇跡を残した彼女の伝説――もとい受難は、始まったばかりであった。
これにて本編は完結となります。
拙い作品に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
今後の投稿予定等につきましては、活動報告欄にてご報告申し上げます。