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19.レオ、感心される

(――さすがだな)


 アルベルトは、傍らを歩く少女に、内心で称賛の溜息を漏らした。


 自分の贈った藤色のドレスを纏う彼女は、精霊もかくやというばかりに美しい。

 だが、アルベルトを感嘆させたのは、その美貌だけではなかった。


(魔力の塊である金貨を、そのままの形で晒しているのに、彼女は我を失ったりしない)


 いや、さすがに少しは気になるのか、時折ちらりと視線を寄こしはしている。

 だがそのくらいだ。

 まるで、惹きつけられてしまった自分を恥じるように、次の瞬間には厳しい表情を浮かべ、視線を引き戻していた。


 幼い少女が、自身を一生懸命律している様子は微笑ましく、アルベルトの頬は自然と緩んだ。


 こちらから仕掛ける会話に、言葉少なに答えながら歩く少女を見ながら、アルベルトは先日従姉と交わした遣り取りを思い出す。


 それは、アルベルトが少女にドレスを贈った日のことだった。


「随分思い切ったことをなさいましたのね」


 部屋に押し掛け、従者や侍女すらも下がらせたナターリアは、苛立たしそうな表情を隠しもしなかった。


「やあ、ナターリア、随分ご機嫌斜めだね。もしや僕の行動は、君の気分を害してしまったかな」

「あら、事の重大性はやはりご存じなのね? それはそうですわね、栄えある帝国第一皇子のアルベルト様が、新入生の、それも下町出身のレオノーラにドレスを贈ったのだから」

「そうだね。新入生の、それも才能と無欲の心を持つハーケンベルグ侯爵家令嬢だ」


 アルベルトはしれっと言い換えた。


「君もレオノーラのことは随分高く評価していると思っていたんだけどね」

「ええ。幼いながら素晴らしい女性だと思うし、個人的にも大好きですわ」


 だからこそ、怒っておりますの。

 ナターリアは、アルベルトによく似た理知的な瞳に、珍しく怒りの色を浮かべた。


「レオノーラが難しい立場にあることは、誰よりアルベルト様がご存じだったはず。なのに、どうして刺激するような真似を? あなた様の美しいお顔や心地よい権力の芳香に、多くの令嬢が焦れていることはご存じですわね。彼女たちを差し置いて、アルベルト様がレオノーラに目を掛けることで、一体彼女がどんな目に遭うことか」

「君たちだって、レオノーラに贈り物をしようとしていただろう」

「学院での姉を自認するわたくし達と、異性のあなた様では話が異なりますわ! おわかりのくせに!」


 即座に叫び返した従姉に、アルベルトは苦笑して肩を竦めた。


「そう興奮しないでくれるか。僕にだって多少の考えはある」


 我に返ったナターリアは、気まずそうに咳払いをすると、「お考えとは?」と先を促す。アルベルトは立ちっぱなしだった従姉にソファを勧め、彼女好みの紅茶を淹れながら言葉を選びはじめた。


「――最近、ベルンシュタイン一派が不穏な動きをしていることに、気付いたかい?」

「不穏な動き……?」

「そう。と言っても、オスカー・ベルンシュタインやロルフ・クヴァンツではない。彼ら以外のベルンシュタイン一派が、夜な夜な集会を開いているようだ」


 レオノーラの話をしていたはずが、突然きな臭い内容になったことに、ナターリアは戸惑った表情を見せた。


「集会……。ですが、夜更けにこっそり集うくらいのことは、貴族の生徒たちでもすることでしょう。わたくし達ぐらいの年頃の生徒が、ある種の背徳感を求めて夜更かしをするのは、ままあることですわ」

「こっそり酒を飲むくらいならそうだろうね。だが――こっそり、魔術の練習をしているとしたら?」

「魔術ですって?」


 アルベルトは自らも紅茶を啜り、「ああ」と頷いた。


「一度彼らの集会場所を改めてみたんだが――どうも、よからぬ陣の跡が残っていた。ほとんど消されていたから詳細はわからないが、恐らく、人を攻撃するような術だ」


 ナターリアが息を呑むのを、皇子は物憂げな瞳で見守った。


 魔力を発動させるための、魔術。

 その魔術すら自力で紡げぬ者たちは、術を図象化した陣を描く。

 学院を卒業した庶民出の研究者が陣を洗練させていったため、近年では魔力をほとんど持たぬ者でも、陣を使って一定程度の魔力を行使できるようになっていた。


「……発表会に向けて、練習しているとかでは?」

「そうかもしれない。だが、そうではないかもしれない」


 アルベルトは目を細めて虚空を眺めた。

 彼がそのような顔をすると、いつもの穏やかな貴公子然とした空気が消え、代わりに統治者としての威厳が漂い出した。


「時折、彼らはレオノーラに接触を試みているようだ。意外なことに、それをオスカー達が止めているみたいだけどね。――これは僕の推測にすぎないが、以前レオノーラが髪を媒介に魔力を譲ったことで、ベルンシュタイン一派が内部分裂しかけているのかもしれない。そして、急進派の新勢力が、この魔術発表会の場で、何か事を構えようとしているのかもしれない。レオノーラもきっと、それに巻き込まれようとしている……そんな気がするんだ」

「お……お待ちになって、今、なんて?」


 淡々と説明する皇子を、ナターリアが目を回しながら止めに入った。


「髪を譲った? どういうことですの?」

「おや、さすがのナターリアも聞いてなかったとは……ビアンカも相当気合いを入れて緘口令を敷いたんだな」


 お気に入りの少女の不名誉を、権力をじゃんじゃん使って隠蔽していたらしい妹を知り、アルベルトは微笑む。


 事態をかいつまんで説明すると、ナターリアは唖然とした後、額に手を当てた。


「なんてことを……」

「本当に、彼女の行動には驚かされるよね。それに――レオノーラが譲った魔力で、オスカーの妹が快癒したというのだから、それこそ驚愕の事態だ」

「ええ。わたくし達の魔力は膨大すぎて、魔力を持たぬ者には毒にしかならないのではなかったの……?」


 独白のような呟きに、アルベルトが頷く。彼は長い足を組み替えながら、思わしげな表情を浮かべた。


「そう。僕たちのように一定以上の魔力を持つ者は、専用の授業でその事実を学んでいる。だがレオノーラはずっと下町で育ち、しかも魔力を開花させたのもここ最近だったから、魔力の害を知らないまま髪を譲ってしまったのだろう」

「でも、病は癒えた……」

「どういうことなのか、詳しく話を聞こうとしてもオスカーは一向に捕まらない。レオノーラは髪を切ったことすら隠そうとするし、それではと、ハーラルト導師にそのようなことがありえるのか聞いてみても、不思議そうにするばかりだ。正直、僕も戸惑っている」


 ハーラルトは、薄くではあるが龍の血に連なる者であり、陣を媒介に魔力を扱う。精霊力にも長けていることから、対立しがちな皇族と教会の架け橋的役割を担っており、アルベルトも彼のことを深く信用していた。


 しかし、その彼でも知らないという、レオノーラの魔力。


「もしかしたら、方法によっては、僕らの魔力も彼らに譲れるのかもしれない。だが、それを検証するにはリスクが大きすぎる」

「そうですね……。わたくしも、鼠を使った実験だけでも気分が悪くなりましたもの」


 ナターリアは微かに顔を青褪めさせた。


 ハーラルトが上位魔力保持者にだけ行う授業の中では、膨大な魔力を注ぎ込むとどうなるかの実験も含まれるのだ。

 それは、思い出したくもないようなおぞましい光景で、授業を受けた生徒たちは皆、魔力を安易に譲渡せぬことを固く誓っていた。


「いずれにせよ、だ。レオノーラは僕たちにもベルンシュタイン一派にも興味をそそる存在で、かつ、狙われている。彼らが事を起こすとしたら恐らく発表会の場だが、僕は主催者として立ち回らなくてはならず、彼女だけを見ておくわけにもいかないからね。それならば、いっそパートナーということにして、彼女に張り付く口実を用意した方がいいと思ったんだ」


 アルベルトが話を戻すと、ナターリアは「そういうことでしたの」と神妙な面持ちで頷いた。


「ですが、アルベルト様ご自身がそこまでなさらなくても、という気もいたしますわ。単に生徒会長としてなら、という意味で、ですけれど」


 ナターリアも意外にしぶとい。きらりと目を光らせると、アルベルトは少しだけ困ったような顔になった。


「ナターリア。どうしても言わせたいのか?」

「ええ、もちろん」


 鳶色の瞳とアイスブルーの瞳が、しばし交錯する。

 先に勝負を投げたのは、アルベルトだった。


「……正直なところ、君が密かに好んでいるロマンス小説のような感情ではないと思うんだ」

「さりげなく人の趣味を暴露しないでくださいませ。それに、ご自身のことなのに、『感情ではないと思う』とはどういうことですの?」


 ナターリアは赤面したが、追及の手は緩めなかった。


「そのままだよ。彼女はまだ幼い。そもそも、恋だ愛だというには、僕の持つ権力は大きすぎる」


 形のよい唇が、皮肉気に笑みを刻んだ。


「ひとりの女の子を好ましく思うかどうかの前に、僕はまず、その人物が信頼に値する者かどうかを吟味しなくてはならない」

「アルベルト様は、もう何度もあの子が高潔な心を示す場面に出くわしたのでしょう。それでもなお、今は見極めの時であると?」

「……金貨の誘惑に勝てる人物は、多くはない」


 歯切れが悪いのは、アルベルト自身悩んでいるからだ。


 龍徴は祝福にして、禍。

 龍の血に連なる者を助けるが、同時に弱き者の欲を暴き、その心を崩壊させるのだ。

 金貨の放つ禍々しいほどの魅力にやられ、自我を失っていく者たちを、アルベルトはこれまで嫌というほど目にしてきた。


 かつて少女は、金貨を祝福とするも禍とするも自分次第だと言った。

 そしてアルベルトもまた、その通りだと思った。


 だが、欲に溺れ、破滅してきた者たちの姿を思い出すにつけ、つい不安になってしまうのだ。


 本当に自分は、この金貨を持っていても、他者と純粋に心を交わすことは出来るのかと。

 無欲の少女は、剥き出しの金貨を前にしても、その高潔な心を保っていられるのかと。


「……そういえば、アルベルト様はいつも、金貨を懐に仕舞っておいでですね」

「ああ。学院内で無用な諍いを起こしたくはないからね」


 魔力の塊である金貨は、普通の者には美しい装飾品程度にしか見えないが、少しでも魔力を持つ者には、たまらない魅力を放って映る。

 少しでも面倒事を減らすために、アルベルトは金貨を服の下に仕舞い、どうしても人に見せざるを得ない時には、古ぼけさせたり、銀貨や銅貨に偽装することで、魔力を削いでいた。


「では、龍徴として現れたままの金貨を、レオノーラに見せてみてはどうです?」

「なんだって?」


 突然のナターリアの提案に、アルベルトは眉を寄せた。


「どうもアルベルト様は、試せばすぐにわかることを試しもせず、無用な悩みに身を委ねているようにお見受けします。レオノーラが万が一にも、金貨の魅力に負けてしまわないかと、ご不安?」

「…………」

「かつてわたくしが金貨を賜った時、龍徴の真の姿を目にして、確かに心が揺らぐのを感じました。けれどそれだけだった。わたくしは貴方様にしなだれかかることも、甘言を囁くこともせず、こうしておりますでしょう? わたくしの存在が、レオノーラを信じる支えにはなりませんか?」


 ほっそりとしたナターリアの手が、アルベルトの手を包み込む。


 ナターリアの母は、アルベルトの父の姉だ。仲の良い姉弟の子ども同士だった二人は、大人の思惑が渦巻く宮廷で、また、生徒たちの欲望が剥き出しになった学院で、よくこうやって手を取り合ってきた。


「レオノーラは、無欲の聖女。きっと、金貨の魔力に晒されても、他の者たちのようにそれを奪いたがったり、アルベルト様に縋ったりはしないでしょう」


 確信に満ちた従姉の言葉。


 それは正しかったのだと、アルベルトは傍らの少女を見て思った。


 サーコートの上から、人目につきやすいように掲げた金貨は、自室から出て廊下を歩く間にも様々な人物を魅了してきてしまっていたが、まだ幼い少女は気になる素振りを見せつつ、己を厳しく律している。


(よほどの生命の危機に晒されていない限り、通常は金貨の魅力に当てられてしまうはずだ。そうならないということは――やはり、彼女はナターリアと同じく、高潔な魂の持ち主なのだろう)


 残念ながら、レオは牢獄行きのリスクさえなければ、すぐにでも金貨に飛びかかる気満々の欲望の塊であったが、皇子がそれに気付くことはなかった。

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