《閑話》 レオとブルーノによる読み聞かせ 「桃太郎」
活動報告欄に置いていた小話ですが、本編に組み込んではというありがたいお声を頂戴し、移動しました。
とある、秋の夜。
ハンナ孤児院では、凍える秋の夜長をやり過ごそうと、幼い子どもたちがひとつのシーツにくるまっていた。
「よーし、それじゃ読み聞かせを始めるぞー」
ひとつだけ灯されたランプのふもとに胡坐を掻き、そう告げたのは、レオである。
今夜、彼は、ブルーノとともに、年少の子どもたちを寝かしつける当番だった。
「今日も、これでいいか? 灰かぶり姫」
ブルーノがぬっと差し出したぼろぼろの本を見て、レオはちょっと眉を寄せる。
「んー、それはだいぶ読んだし、今日は男も二人いるから、もっと違うのがいいだろ」
「せんとうものがいいー!」
レオの配慮に、子どもたちが激しく同意した。
「戦闘物……。では、この辺りか」
ブルーノはごそごそと絵本棚に手を突っ込み、ぼろぼろの絵本を一冊取ってきた。
「なんだこれ? モモ……タロ?」
「東の大陸で、読み継がれている童話、らしい。少し読んだが、後半で、戦う」
ふうん、とレオはざっと本に目を通した。
ほとんど装丁が取れかかるくらい傷んでいて読みにくいが、モモ、という果物から生まれた少年が、仲間を募って敵を退治する物語らしい。
「モモ、ってどんな果物だ?」
「知らん」
ブルーノはにべもない。
いつものことなので、レオは特に気を悪くすることもなく、「じゃあ
「この、タロウってのは人の名前か?」
「ああ。東の大陸、多い名前らしい」
「じゃー、ヴァイツ風に言うとハンスってとこかな」
読み聞かせは共感が大事だ。幼い子どもたちでも物語に入り込めるように、レオは「桃太郎」を「柘榴のハンス」と言い換えることにした。
「レオ兄ちゃん、はやくー!」
「はいはい。えーと、昔々あるところに、貧しくとも心の美しい爺さんと婆さんがいました。爺さんは山へ……えーと、ここ、なんて書いてあるんだ? し、かり……」
早速文字が擦り切れていて読めない。
が、男性が山に分け入る理由と言ったら、木こりか、ゴミの不法投棄か、はたまた彼の正体が山賊だったかくらいだろう。
冒頭からそんなヘビーな描写がされるはずはないので、レオはひとまず
「爺さんは山へ枝集めに、婆さんは川へ洗濯に行きました」
無難にまとめることにした。
「おじいさんの仕事のほうが、たのしそーう!」
「馬鹿、おまえ、値段がつく枝を目利きするってのは大変なんだよ。きっとついでに果物ももいで、堆肥にする枯れ葉も拾ってきてんだろ。重労働だぜ」
すぐ不要なツッコミを入れてくる弟分には、現実をちらつかせて窘める。
「さて、婆さんが洗濯をしていると、川の上流から、……ラコ、コと、……なんだ、この部分?」
「果物が流れてくる時の効果音じゃないのか」
「ははあ」
ブルーノの推測にレオは納得する。やはり読み聞かせる童話というのは、時折こうやって印象的な効果音が必要なのだ。
「川の上流から、チャリーン! チャリーン! と柘榴が流れてきました」
「なんでチャリンチャリンなのー?」
「ばっかおまえ、チャリーン!てのはこの世で最も尊い効果音なんだよ」
主に硬貨が落ちてきたり貯まったりする時の効果音である。
「光り輝く大きな柘榴に、婆さんは大喜び。担いで家に持って帰ると、早速爺さんに割ってもらうことにしました」
「ざくろー! 食べたーい!」
「じゅうじに、切り込みをいれるんだよねー!」
今度きゃっきゃと叫び声を上げたのは、甘いものに目がない女の子たちだ。
同じく柘榴好きなレオは「よく知ってるな」と頷きながら、先を続けた。
「すると、なんとしたことでしょう。割れた柘榴の中から、男の子が出てきたではありませんか」
「え……」
子どもたちの目が戸惑いに揺れる。
柘榴は内側にびっしりと果肉や種のつまった果実だ。
そのどこら辺からどう少年が出現したのか、想像がつかなかった。
「どこにいたの……?」
「まさか、果肉のひとつひとつから、ぞろぞろ……?」
「それってまるで、ゴキブ……」
グロテスクな想像が膨らみかけたのを、「待て!」とレオが制止する。
「出てきた男の子は単数形だ。一人だ!ちっさいのがうぞうぞ出てきたんじゃなくて、そうだな、柘榴の中身はその時ばかりは空洞になってて、それなりに大きい男の子がひとりだけ収まってたんだよ!」
「そっかー」
「よかったー」
子どもたちがほっと胸を撫で下ろす。
中には「でも、じゃあ、その柘榴は食べられないの?」と悲しそうな顔をした子がいたので、レオは「柘榴の皮は薬になるから無駄にはならん。心配するな」と慰めた。
このように、油断すると子どもたちはすぐに脱線しようとする。
レオは心持ちペースを上げて、童話を読み進めた。
ハンスと名付けられた少年は、父母代わりの爺さん、婆さんに育てられ、立派な若者に成長するのだ。
「そんなある日、……にが島の……が大暴れして、人々を苦しめているという話がハンスの耳に届きました」
「どこのシマだ?」
縄張り意識の強いブルーノが咄嗟に聞き返す。
レオは「そういうんじゃねえだろ」と宥め、仕方なく島の名前をこしらえることにした。
「えーと、ゼニが島かな。銭の亡者が集まる恐ろしい島だ」
「レオ兄ちゃんも、いじゅうしなきゃー!」
「いじゅうー!」
子どもたちは大喜びだ。
自らが銭の亡者であることを自覚しているレオは、しかし、「そんな世知辛い島、誰が行くかよ」と一刀両断した。
たかる相手がいるからこそ、拝金主義のレオは今日も生きていけるのである。
さて、勇ましい柘榴のハンスは、爺さん婆さんのために銭の亡者を倒すことを決意する。
世界平和のために身を投じる精神がレオには理解できなかったので、おおかた、爺さん婆さんはこの銭の亡者に借金の取り立てでもされてたのかな、と解釈した。
「そこでハンスは、婆さんに……団子を作ってもらって、銭の亡者退治の旅に出かけました」
「だんごってなにー?」
「小麦を丸めた菓子だろ」
形状は合っている。
レオは腹が減ったな、と思いつつ、ページをめくった。
ハンスは道中、犬に出会い、その犬を仲間にすることを思い付く。
すると犬は誘いに応じたが、代わりにハンスが持っていた団子を要求した。
「――なんてこった」
「どうした?」
急にレオが首を振って嘆息したので、ブルーノが怪訝そうに眉を寄せた。
すると、レオが特に目を掛けている弟分のエミーリオが、幼いながらも現実的な指摘を寄こした。
「おかしいよ! どうしてそんな、きけんな旅なのに、だんごくらいで付いていくの?」
「そのとおりだ、エミーリオ」
レオの鳶色の瞳が、真剣な光を宿す。
彼はそっと子どもたちに顔を寄せ、低い声で囁いた。
「これがどういうことだかわかるか?」
「え……?」
「つまり、きび団子ってのは、いわゆる『黄金色のお菓子』ってやつだったんだよ……!」
レオ教育の行き届いた子どもたちは、瞬時に、金で頬を叩かれる犬の姿を思い浮かべた。
――こちら、黄金色の菓子にございまする。
――ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。主も悪よのう。
誰からともなく、ごくりと喉を鳴らす音が響く。
柘榴のハンス……なんというダークファンタジー、いや、ダーティーファンタジーであろうか。
金に物を言わせたハンスの旅はそれからも続き、彼は他に、雉や猿を仲間に引き入れることに成功した。
「もう、どっちが銭のもうじゃ、なんだろうねー……」
弟分のエミーリオが、ぽつりと呟く。
「善悪はひとつの物差しで測れるものじゃない、ってことが言いたいんだろ、この物語は」
ファンタジックな冒頭に反し、奥の深いストーリーだとレオは唸った。
「とうとうハンス一行は銭が島に辿り着き……っと……」
ページをめくったレオは肩を竦めた。
「すまん、ここからページがほとんど無くなってる。ラストはめでたしめでたし、ってなってたから、無事に亡者たちを倒しましたってことで」
ライトにまとめようとすると、案の定子どもたちから一斉にブーイングが起こった。
「えええー!? たたかうところが、聞きたいのにー!」
確かに、これでは単なる道中を描いた旅日記、ロード・オブ・ザ・銭だ。
そこまで想像力に富んだわけではないレオが「だってなあ」と眉を下げていると、それまで沈黙を守っていたブルーノが、
「貸せ。子どもたちには、戦うシーンが必要だ」
絵本を奪ってしまった。
彼は無残に破けたページを手に持ち、まるで行間に真実があるとでも言うようにそれを睨みつけた。
「――ハンスたちは島に乗り込むと、素早く敵の影を探索した。すると夜目のきく雉が鋭く叫んだ。『十時の方向に敵影発見。中肉中背、男と思われる』」
「んで急にそんなハードボイルドになってんだよ!」
レオは素早く本を奪い返す。
その衝撃で、またページの一部が不吉な音を立ててちぎれた。孤児院の本たちは、こうやってぼろぼろになっていくのだ。
「子どもたちの好きな戦闘シーンってのはなあ、もっとこう、みんなが力を合わせて戦う明るいもんなんだよ! なんのために犬雉猿を集めたんだ、団結するためだろ!?」
レオは、お金が大好き過ぎる以外は、極めて真っ当な感性の持ち主である。
「例えばほら――皆の力を合わせて亡者に立ち向かうべく、ハンスは右手を天に突き上げて叫びました。『牙よ切り裂け、翼よ広がれ、脚よ高く飛び跳ねろ、今こそひとつに力を集め、いざや亡者を打ち倒さん! メタモルフォー……ッゼ!』」
おぉぉぉぉ、と子どもたちは盛り上がった。
が、その横で眼光を鋭くしたブルーノが続ける。
「犬は血肉を屠り、雉は眼球を鋭く抉りだし、猿は毒を吐きながら飛びまわった。戦場と化した島にはもはや血臭が立ち込め、内臓をさらけ出した亡者たちが――」
「だ・か・ら、エグくすんじゃねえよ! ってか、力を合わせて変身した甲斐なく、個別に戦ってんじゃねえよ!」
レオが一喝すると、ブルーノは心なしか肩を落とした。
「……すまん。戦闘となると、つい、故郷が、滅ぼされた時のこと……」
素直に謝られると、それ以上責めづらい。
ブルーノはハンナ孤児院でも珍しい褐色の肌の持ち主。
ヴァイツ帝国に滅ぼされたエランド王国からの、難民なのである。
レオは「ああもう!」とガシガシ頭を掻くと、
「わかったよ。ブルーノ、おまえはもうあっち行ってろ」
「だが……」
「俺がこいつら寝かしつけた後、話そうぜ。おまえの故郷の話、いろいろ聞かせてくれよ」
渋る幼馴染に、「な?」と笑いかけた。
ブルーノはしばし黙って考え込んでいたが、おもむろに立ち上がると、シーツにくるまっていた子どもたちに近付いていった。
「ブルーノ、どうした?」
「いや」
低く何かを呟いているようだが、小さすぎて聞こえない。
レオが再び名を呼ぶと、ブルーノはくるりと振り返った。
「みんな、もう、寝てる」
「えっ? まじ!?」
驚きながら、レオも子どもたちの顔を見てみると、確かにみな目を瞑って健やかな寝息を立てていた。
「なんだよこいつら……。ついさっきまではしゃいでたくせに……」
「子どもだからな」
ブルーノは事もなげにそうまとめると、さっさと踵を返した。
「ほら、レオ。行こう」
「ん? あ……ああ」
何か釈然としないものを感じつつ、レオは絵本を閉じて立ち上がる。
「……まいっか」
今度はブルーノの寝かしつけというわけだった。
**
「――……行った?」
「行った行った」
しばらくして、シーツをごそごそ揺らして頭を出してきたのは、エミーリオたちである。
彼らは寝付いたどころか、心なしか興奮した状態で小さく叫びあった。
「こっえー! ブルーノ兄ちゃん、まじ、こっえー!」
「あんたたちがいつまでもレオ兄ちゃんを離さないからよ、この馬鹿!」
バタバタと最年少の少年がもがくと、訳知り顔の少女が叱責を飛ばす。
きょとんとする少年に、横で見ていたエミーリオは、仕方なくといった感じで解説をしてやった。
「レオ兄ちゃんはなあ、人気者なんだよ。ブルーノ兄ちゃんだって、俺たちを寝かしつけるより、ほんとはレオ兄ちゃんと話していたくてたまらないんだ」
「だからって、あんな怖い顔で脅しつけなくたってさ……」
シーツにそっと近づき、戦場の鬼将もかくやといった形相でドスを利かせてきたブルーノを思い出し、少年は身震いした。それについては、エミーリオも同感である。
「グループのボスの迫力を、こんなときに使わなくたってもなあ……」
ぼやいていると、少年はぷんぷんと拗ねたように呟いた。
「だいたい、あんなに流暢にヴァイツ語を話せるくせに、なんだって片言のふりなんかしてんだよ」
これについては少女の方が、
「あんたたちが、レオ兄ちゃんの前では幼く話してるのと一緒でしょ」
と一喝した。
途端に、少年もエミーリオも黙り込む。
「だってさ……」
構ってもらいたいんだもん。
小さな声は、秋の闇に溶けて消えた。
孤児院には、愛に飢えた子どもたちがひしめいている。
守銭奴とはいえ常に朗らかで、守銭奴とはいえ面倒見のいいレオは、密かに子どもたちの人気者なのである。――守銭奴とはいえ。
「ま、今日は他の子たちからレオ兄ちゃんを取ってこれたんだから、よしとしようよ」
エミーリオが大人っぽく宥めると、一同は「そうだね」と頷き合った。
「来週、レオ兄ちゃんは市場班らしいぞ。俺たちも市場班になれるよう、作戦を練らなきゃ」
「じゃあ私、レオ兄ちゃんは教会班だってデマを流しとくわ」
「いや、それよりも――」
こうして、ハンナ孤児院の夜は更けていく。
自分の弟分、妹分が、こちらの思っているよりも遥かに強かに育っていることを、レオだけが知らなかった。