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14.レオ、レーナと再会する

 一夜明け、朝。


 レオは自室のベッドで、さめざめと枕に頭を埋めていた。


「うぅ……あぁぁ……」


 まったく昨日は散々な一日だった。

 あの恐ろしい皇子には恫喝され、金貨をもう一度手にすることはほぼ不可能だと痛感させられ。

 あげく、


「高級ニシン……高級生クリーム……」


 せっかく一生懸命腹に詰め込んだ高級食材たちを、レオは明け方になって戻してしまっていた。


 レオとて努力はしたのだ。

 なんといっても滅多に出会えない高級食材。はっきり言って素材の味そのものを堪能できはしなかったが、それでも、金香る食材をぜひとも消化してみたかった。

 しかし、悪食に慣れないレーナの体は、それを拒絶してしまったのである。

 レオは、下水に吸い込まれる諸々を、涙ぐんで見守った。

 金への信仰が脆弱な肉体の前に敗れてしまった、忌まわしき記憶である。


「ああ……カー様に会いたい……」


 この喪失感を埋めるには、光り輝くカールハインツライムント金貨様を撫でくりまわすほかないように思われた。

 だが手元にないので、仕方なくコツコツ溜めてきた小銅貨を取り出して、数えだす。レオは枕の下に敷いてあるサシェに、へそくりを忍ばせる習性があった。


「一枚……二枚……」


 カーテンも締め切り、薄暗い中布団にくるまり銅貨を数える姿は、さながら異国に伝わる妖怪のようだ。銅貨数えが終わると、一枚一枚に名前を付けているレオの、レオによるレオのための点呼が始まる。


「アライダ……今日も鈍色の輝き、素晴らしい。バルバラ……裏面についた小さな傷、たまらない、愛しい。クリスタ……あなた、覆う曇り、いつか晴らしましょう。ドロテア……」


 ちなみに、この部屋の一服の清涼剤であるカイは、主人の容体が優れないことを心配し、先程から保健師を探しに出ていた。


 と、その時、


「うっわ、やだやだ、その姿でそんなことしないでくれよな」


 妙に聞き馴染みのある声が降ってきた。


「……!?」


 レオはぎょっとして布団を引っぺがす。そして寝台を覗き込んでいる人物を認めて、更に目を剥いた。


「レーナ……!? それに、ブルーノまで!?」


 そこにいたのは、レオの顔で学院の制服を着込んだレーナと、褐色の肌をした少年――幼馴染のブルーノだった。


「ど、どうしてここに……」

「それは、理由について? 方法について?」

「どっちもに決まって……、……っ、ます!」


 相変わらずすぐに人の話を交ぜ返すレーナに噛みつくと、隣で腕を組んでいたブルーノがぼそりと呟いた。


「なぜ敬語……?」


 レオより一つだけ年上のブルーノは、声変わりも早々に済ませ、声も低い。帝国内ではあまり見かけない濃い黒髪と異国風の顔立ちは、彼が亡きエランド王国の住人だったことの証明だった。


「うー……! うー……!」


 よくぞ聞いてくれた友よ、この目の前にいやがる性悪女が……と語りたい気持ちはやまやまだが、何せ喉がそれを許さない。

 レオはぐぐぐと歯がみした。幼馴染の前でなよなよした敬語を使うことほど恥ずかしいことはない。


「俺が前にちょっと術をかけたんだよ、貴族にふさわしい言葉しか話せないようにね」

「……やはり、レーナ。おまえ、えぐい」


 得意げに解説するレーナに、ブルーノが眉を顰める。

 母国語を身につけてからヴァイツ帝国に移民してきた彼は、ちょうど今のレオのようにあまりヴァイツ語が流暢ではない。同じ境遇に晒されたレオに何か思うところがあり、レーナを非難したのだろう。


 だがレーナは全く堪えた様子もなく、てへっと肩を竦めた。強面のブルーノ相手に、なかなかの度胸である。


「ま、それはともかく。手紙にも書いたんだけど、読まなかった? ブルーノと学院にお邪魔するからそのつもりでって」

「手紙……? ああ……、読んで、ませんでした」


 昨日は茶会やら恫喝やらで、それどころではなかったのである。


 レーナはおやまあと片方の眉を引き上げると――レオの顔だというのに、なぜか彼女がやるとそれっぽく様になっている――経緯を説明してくれた。


「レオと入れ替わってから、俺の方は両親に事情を話して、この姿でいる間は孤児院で手伝いをすることになってね。院長にだけは事情を説明して他は黙っとこうと思ってたんだが、なんとブルーノくんがあっさりと見破ってくれちゃって。おまえは誰だ、レオはどこだって問い詰められちゃってさ」

「ブルーノ……」


 レオはちょっぴり感動して幼馴染を見た。

 顔も体もレオそのものなのに、中身が別人だと気付いてくれるとは、真の友情が成せる技だ。


 ブルーノは重々しく頷いた。


「レオが、道端の小銅貨を素通り、パン屋の試食断る、ありえない」

「…………」


 レオは押し黙った。そこで自分は判じられたのかと悲しく思ったからではなく、レーナのやつはそんな勿体ない事をしたのかと怒りを覚えたためだった。

 小銅貨が落ちていたら百フィート先からでも走り寄り、試食を勧められたら声を掛けたことを相手が後悔する程食べつくす。

 それがレオのモットーである。


「ま、そういうわけで、ブルーノくんには事情を話して、すぐにレオは元に戻るからって宥めてたんだけど、どこかの誰かさんがいつまで経っても意外に戻って来ないからさ。ブルーノくんも疑いはじめちゃって、仕方なくこっちから様子を見に来たってわけ。レオのことだし、てっきりすぐに脱走すると思ってたから、まったく予想外の遠出だよ」


 まるでレオが悪いかのような言いぶりに、思わず腹が立った。


「……好きで学院、いるわけではありません。色々な想定外、仕方ありません」

「へえ? じゃあ、学生相手に内職始めたら予想外に儲けちゃって離れがたいとか、貴族子女のお宝をゲットするまでは帰れないとか、そういうことじゃないんだ?」

「…………」


 レオは静かに目を逸らした。

 どうもこのレーナという人物は、観察眼が鋭すぎる。


 分が悪いと判断したレオは、早々に話題を変えることにした。


「事情、わかりました。ブルーノ、ほら、この通り、私元気、元気。安心してください」

「……ん。でも、レオが敬語、その時点で、異常事態……」


 どちらもヴァイツ語が流暢に話せないため、どうも会話が弾まない。「なんか朴訥とした会話だな、あはは」とレーナに笑われて腹が立ったレオは、


『うっせえな! だいたい誰のせいだと思ってんだよ!』


 ブルーノの母語であるエランド語に切り替えた。


「……わお。レオって、エランド語まで話せるわけ?」


 レーナが目を丸くしている。それで少しだけ気を良くしたレオは、「おうよ」と頷いてみせた。


『ブルーノは、見ての通りエランド出身だからな。前に教えてもらったんだ。スラングだらけだが、結構流暢に話せるだろ?』

『すごいわ、レオ。あんた、頭いいのね』

『……って、おまえも話せるんじゃないかよレーナ!』

『そりゃ、お母様は貴族中の貴族だったからエランド語はお手の物だったし、そもそも私は天才だもの』


 レオは顔を顰めた。レーナは素直に褒めてくれているようなのだが、相手もできることを褒められても、どこか釈然としなかった。


 と、その時、ふたりの遣り取りを見守っていたブルーノがぽつりと呟いた。


『……というかレオ。おまえ、エランド語なら普通に話せるんじゃないか』

『……おぉぉぉぉぉぉ!?』


 自然に話しすぎていて気付かなかったが、レオは遮られることなく下町言葉を操れていた。


『そうね。そういえば私も、封印したはずの女性言葉で話せてるわ。私たちにかけた魔術は、全言語において、って定義しなかったから、たぶん魔術の制約がエランド語では除外されるのね』


 勉強になったわ、とレーナは頷いた。


『まじか! すげえ! うおぉぉぉ、なんだかやっと自由に呼吸できるような感じだぜ』

『……あまり騒ぐと、俺たちが見つかる。静かにしろ』


 レオは快哉を叫んだが、友人はつれなかった。


『はいはい。……ん? てか待てよ、おまえらどうやって学院に入ってきたんだ』


 ふと思い付いた疑問をぶつけてみる。しかしレーナはひょいと肩を竦めただけで、


『それより、他に聞くべきことはあるんじゃないの? 魔力の回復具合とか』


 もっともな指摘をしてきた。


『お……おう、そうだな、そうだよ! おいレーナ、この体の魔力はどれくらい回復したんだ。もうすぐ俺は自分の体に戻れるのか?』

『んー、そうねえ……』


 レーナはじっとレオのことを見つめ、おもむろに手を取った。


『ちょっと上級の術くらいなら発動できるけど、入れ替わりみたいな大規模なのは、まだもう少しかかるかしら』

『なんだよ、結構かかるんだな……』

『だってレオ、あなた、魔力の練習をしてないでしょう?』


 呆れたように指摘するレーナに、レオは「へ?」と間の抜けた答えを返した。


『魔力は筋力と同じ。鍛えれば鍛えるほど増していくのよ。一日オルガンの練習をさぼったら三日分技術が衰えてしまうように、のんべんだらりと魔力を発動もさせないで過ごしていたら、溜まるべき魔力も溜まらないわ』

『まじかよ!』


 オルガンの例えは、少年であるレオにはいまいちピンと来なかったが、理解はできた。どうせ庶民に戻ったら縁のない力だし、と授業をさぼってばかりいたツケがきたのだろう。


『くっそー……、そういうことは先に言えよな……。だいたいレーナ、おまえはいつもそうなんだよ……!』

『やだやだ、喧嘩の度に過去のことを蒸し返すなんて、まるで女の子じゃない? あんた、案外その体の方が性に合ってるにちがいないわ』

『てんめえ……』


 レオはいらっとした。


『そういうこと言うならな、女の子に見えねえように、この髪ばっさりざんぎり頭にしてやってもいいんだぜ!』

『ちょっと止めてよ! いくらすぐ生えてくるって言ったって、私の顔でそんな髪形に一瞬でもされたら、社会的に死ねるわ! それに、契約違反じゃないの!』

『ははん、契約書には、体および生命を傷つけないって書いてあるだけで、髪は体ではないもんな! 切ったら尚更、単なるゴミだぜ』

『かっ、髪は命そのものよ! やめて!!』


 レーナが物凄い勢いで叫んだので、レオはようやく矛を収めた。


『それはそうと』


 二人の会話が落ち着いた頃合いを見計らって、ブルーノが声を上げた。


『レオ。おまえはいつになったら戻ってくるんだ?』

『いや、そりゃ早々に戻るつもりだけど……』


 歯切れ悪く答えると、ブルーノは黒曜石のような瞳に、力強い意志の力を宿して告げた。


『なら、早く帰ってこい。おまえなしには、俺はどうにかなってしまう』

『わお! 情熱的!』


 すかさずレーナが茶々を入れる。レオは、そんなお調子者をきっと睨みつけた。


『黙れレーナ。こいつ、表情筋が死滅してる癖に、言葉選びだけがストレートすぎるっつか、誤解を招く言い回しばっかすんだよ』


 お世辞を言わない代わりに、悪口も褒め言葉も、思ったままを愚直に言葉に置き換える人物なので、レオはそれに巻き込まれて苦労するのが常だった。


 よく、思春期真っ盛りの孤児院女性陣には「禁断の恋!? キャー!」などと騒がれたりするが、十年来の付き合いがあるレオにはわかる。

 これはブルーノにとっては、「補佐役のレオがいないと、グループの些細な揉め事や、金銭周りの処理が大変面倒」という程の意味でしかないのだ。

 ちなみに、ブルーノとレオは、孤児を中心とした下町グループの、ちょっとしたリーダーとその補助をしている。


『なんだよ、ブルーノが弱気だなんて珍しい。トラブルでも起こったか?』

『トラブルというほどではないが……』


 ブルーノは珍しく言い淀むと、ちらりとレーナを見やってから告げた。


『かくかくしかじかで、俺たちはリヒエルト最大のグループになった』

『は!?』


予想外の事態に、思わず盛大に突っ込んでしまった。


『リヒエルト最大ってどういうことだよ! 俺たちは、せいぜい孤児院周辺の地域くらいしか仕切ってなかっただろ? それに、リヒエルトには、やくざ養成所ってもっぱら噂の、もっと大掛かりなグループがあったじゃねえか』

『ああうん。だから、それをこいつ……レーナが潰してしまってな』

『……はああああ!?』


 呆然としてレーナを見遣ると、てへっと舌を出された――レオの顔でされても、まったく可愛くない。


『一体何がどうなってそんな……』


 もはやベッドにがくりと手を突いたレオに、レーナはあくまで事もなげに説明した。


『いやね? 教会からの配給のパンを礼儀正しく並んで待ってたら、いけすかない男どもが突然やってきて、私たちの分を奪って行ってね?』

『……まあ、動機としては理解できなくもないな』

『でしょ? その時彼らの一人が私の肩にぶつかって謝りもしなかったから、かちーんと来ちゃって。親分を見つけ出して、呼び出したのよ』


 動機はどうやら、パンを奪われたことよりも、肩にぶつかったことらしい。

 まるでキレる若者そのものだ。レオは静かに慄いた。


『でね、思いだすのも腹が立つけど、その時の彼らの態度があまりにひどかったから、いよいよ怒りが止められなくなってしまって。実家でストックしていた小麦粉を彼らに思い切りぶちまけてやったわけ』


 思いの外、可愛らしい攻撃だ。


『で、ついでに火を点けて粉塵爆発を起こしてきちゃった』


 いや違う、大惨事だった。


『いや待てよ! それ、ついでどころの話じゃねえだろ!』


 粉塵爆発とは、空気中に漂う細かな粒子に次々と引火して、大規模な爆発を引き起こすことを言う。

 ひとたび起これば、捲きあがる熱風で建造物は破壊され、どんなお宝も粉々になる、大変恐ろしい現象である。


『あら。でも、ちゃんと死人は出さないよう調整したのよ』

『凄まじい勢いで燃え盛る炎を背景に哄笑する異様な姿と、証拠をまったく残さなかった巧妙さ、奇跡的に人死にを一人も出さなかった底知れなさに、奴らもすっかりびびってな。次の日、髪の端を焦がしたグループのボスが、舎弟にしてくれと頭を下げに来たんだ』

『うわあ……最悪だよ』


 死人が出なかったのは幸いだが、それもレーナの計算通りなのだとすると、確かに恐ろしいの一言しかなかった。


『おかげで、すっかり俺たち自身のグループも、レーナに心酔する奴らと怯える奴らで二分されてしまってな』


 ブルーノは心なしか遠い目をした。


『俺は、相手のへそくりを調べ上げて仲間割れを起こしたり、寝小便黒歴史をビラで撒いて辱めていた、やり口がいつもこすっからい、おまえがいた時代が恋しい。やはり、俺にはおまえが必要なんだ』

『いやまったく嬉しくねえよ。ってかその状況に飛び込みたくねえよ』


 レオは即答した。


『……ったく、ちょっといない間に、リヒエルトも殺伐としたもんだ……』


 ついでに、思わず嘆息が漏れる。

 しかし、その元凶であるレーナは呑気に、『そうねえ』などと相槌を打っていた。


『元はといえば、全部、パンをけちった教会が悪いのよ』

『おい、何さらっと責任転嫁してんだよ』


 レオとて教会には思うところがあるのだが、しかし無料で物をくれる人物および組織は無条件に善であるはずなので、レーナの言葉は暴言でしかない。

 しかし意外なことに、常識人のはずのブルーノが、


『いや、あながちレーナの言うことも間違いではない』


 となぜか肩を持つ発言をした。


『なんでだよ!?』


 呆れ声に、ブルーノはふと眉を寄せる。彼が言葉を選ぶ時の癖だった。


『ここ最近、教会は、下級貴族や上級市民の民意を得ることに傾注している。俺たちみたいな最下層の孤児たちに配るパンは、明らかに質も量も以前より悪くなっているんだ』

『そうなのか?』

『ああ。おまえは市場班だったから知らないだろうが……。教会班は、パンにありつけずに帰ってくることもしばしばだ』


 ハンナ孤児院では、数人の班に分かれて食料を調達することになっていた。がめつく、その分交渉事――値切りとも言う――に長けていたレオは、もっぱら市場への買い出し班である。


『俺も気になって、一度教会に行ってみたんだ。そうした奴ら、エランド語で――ほら、奴らの聖典は、精霊の土地と言われるエランドの言葉で書かれてるだろう? 奴らはそれで、教会内にとどめておきたい遣り取りはエランド語を使うみたいなんだが、それで、俺たちのことを「薄汚い犬にやるパンなどあるか」と罵った』

『ブルーノはフードかぶってたし、私も、いかにもリヒエルトっ子のレオの姿だったし。そもそも、まさか孤児が、高位言語のエランド語を理解するとは思わなかったみたいね。その場で危険な薬液をぶちまけてやろうかと思ったほど頭に来たわ』


 レーナがいちいち過激で、ブルーノの話を素直に聞けない。


『ああうん、レーナはちょっと黙ってろ。……なるほどなあ。そういうことなんだったら、確かに感じ悪いな。教会なんてのは、まったくロクなところじゃねえよ。下層民は虐げて、上級市民と下級貴族に取り入って……何がしたいんだか』

『もちろん、覇権の奪回に決まってるじゃない』


 黙っていろとの言葉をあっさり無視したレーナが、ぴんと一本指を立てた。


『覇権の奪回?』

『そう。レオは知らないかもしれないけど、数十年前――まあ、お母様がまだ貴族だった頃よね、それくらいまでは、教会の権力は、皇族や上位貴族と張るほど強かったそうよ』

『へえ……意外だな。ていうか教会に、なんつーの? 権力欲? みたいなのがある、って時点で違和感だけど』


 レオの知る教会は、年に一度の精霊祭の時だけちょっぴり張りきる町の相談所、または少年合唱団の運営事務所、といったくらいのイメージでしかない。


『権力を握りたいというか、単に皇族や上位貴族と仲が悪い、って言った方が正確なのかもしれないけどね。精霊を崇めて崇めてやっと力を分けてもらえる教会からしたら、皇族や上位貴族ってだけで、生まれつきじゃんじゃか魔力を揮えちゃう存在って、面白くないでしょう?』

『んー、まあ……そうだな?』

『そんなところに、精霊の聖地だったエランド王国が帝国に攻め落とされて、彼らの権力は一気に失墜してしまった。ますます不満よね? だから、彼らとしては、下級貴族の財力や上級市民の民意を得て、なんとか皇族たちに一矢報いたいんじゃないかしら』


 レーナの説明は立て板に水を流すようで、いかにも説得力があった。やはり、彼女はもともと頭がよいのだろう。


 しかし、とレオは首を傾げる。


『学院で魔力を教えてくれてる導師は、そんな感じには見えないけどなあ』

『教会の導師なのに、魔力を講義するの?』

『いや、専攻は精霊学なんだけど、もともと皇族の血がちょっと入ってるとかで、魔力も持ってるんだよ』


 ハーラルト。いや、ハートランドだったか。

 とにかくそんな感じの名を持ったその導師は、穏やかな笑顔と柔らかな物腰の青年で、アルベルトと比べればもちろん容貌は劣るものの、大人の魅力が学院の女生徒たちに人気である。


『ほう。魔力も扱えるほど高位の導師か。きっとかなりの権力者だな』


 興味を示したのはブルーノだった。


『全国の教会に、パンの配給を含む施しを指示しているのは、上位数名の導師だと聞いた。――そのハーラルトだかハートランドだかは、もしかしたらそれに関わってるかもしれない』

『そうかあ? 学院付きだし、めちゃめちゃ若いし、そういうのには無縁な感じだけどなあ……』


 いまいちレオも歯切れが悪いのは、興味のなかった魔力の授業を軒並みサボっているからだ。講師であるハーラルト(仮)の性格を断じられるほど、詳しく人となりを知っているわけではなかったのである。


『今、パンの配給って言ったわね?』


 と、その時レーナがきらりと目を光らせた。


 なんだよ、と聞き返しかけて、レオはぎょっとする。レーナはなぜか、そばかすの散った顔に溢れんばかりの闘志を湛えていた。


『この前はうっかり、いけすかない男どもの躾を優先するあまり、結局パン自体は受取れなかったのよ。それでどれだけブリギッテに叱られたことか……!』

『いや、おまえもブリギッテも、その状況で気にすべきはそこじゃなかっただろ』


 それに、どうせ料理下手のブリギッテは、よいパンを仕入れてきても全て消し炭に変身させるに決まっている。

 しかし、どうやら飛びぬけて負けず嫌いであるレーナは、そのささやかな屈辱が許せないようだった。


『ふふふ……精霊はちゃんと私の日ごろの行いを見てくれているのね。チャンスが巡ってきたのを感じるわ。次こそ、人一倍、いえ二倍のパンをせしめて、ブリギッテに捧げてみせる……!』


 もはや主旨が行方不明だ。

 しかしレオは半眼のまま「どういうことだよ」と問い掛けてやった。ノリが良すぎて優しすぎる自分を呪うのは、こういう瞬間である。


 レーナはぐるん、と勢いよく振り返ると、さっとレオの――というか、美貌の少女の顔を掴み、にっこりと笑いかけた。


『それはもちろん、そのハーラルトとやらに張り付いて、パンの配給日および時間、種類を事前に把握しておくのよ!』

『……念の為聞くが、それでなんで俺の顔を掴むんだ?』


 満面の笑みを湛える顔が、元は自分のものであるのに恐ろしい。

 レーナは「それはね」と呟くと、


「ハーラルトの監視と盗聴を」


 ヴァイツ語で素早く叫んだ。


「お……っ!」


 おいてめえ、と思わず素で絶叫しようとして、びくりと肩が震える。

 そうしている内に、レオの体からはじわりと靄のようなものが立ち上り、それは凝って、小さな水晶になった。


「な……っ!」

『おお、魔術か』


 ブルーノが呑気に頷く。

 レーナが得意げに口の端を引き上げると、水晶は滑らかに天井に向かって浮き上がり、すうっと消えた。


「一体……、今、なに……っ!」


 用済みとばかりに顔を離されたレオは、噛みつかんばかりの勢いでレーナを問い質した。


『そのままよ。ハーラルトとやらの監視をして、彼の会話を傍受、記録するための装置。普段水晶は空気中に溶けているけれど、ひとたびレオが魔力を発動させれば、手元に現れてそれまでの記録を開示してくれるわ』


 レーナは、再びエランド語で説明しながら、両目を瞑ってしまう奇妙なウインクをした。


『というわけだから、次の配給日がわかったら、即刻私とブルーノに知らせてね』

『いやいやいやちょっと待てよ。なんで勝手に人の魔力使ってんだよ。なんで俺がハーラルト先生を監視しなくちゃなんねえんだよ。なんで俺がおまえらの下働きみたいなことをしなくちゃなんねえんだよ!』

『ちなみに今ので、またまた魔力ほぼ使いきっちゃったから。少しは授業をまともに受けて、ちゃんと魔力を扱えるようになってよね』

『ざけんなああああ!』


 絶叫が部屋中に響き渡った。


 一週間から一年と言われる魔力の回復期間を粛々と待っていたレオだが、――そして、自らは回復を促進する努力も怠っていた彼だが、ちょっとは溜まっていた魔力が勝手に減らされてしまったとなると、途端に怒りがこみ上げる。

 何を隠そう、「勝手に減らされる」というのはレオの大嫌いな現象だ。それは対象が、小遣いであれ、へそくりであれ、魔力であれ同じことである。


『レーナ、てめえ、いい加減に……』


 怨念の籠った腕で、レーナを激しく揺さぶってやろうとしたところを、ブルーノに止められた。


『んだよブルーノ! 止めんなよ!』

『いや、レオ』


 彫りの深い顔が、真剣な表情を浮かべる。その深刻な面持ちに、思わずレオも怯んだ。

 今やリヒエルト最大のグループを束ねることになった彼は、やはり本気を出すとそれなりの貫禄がある。


 ブルーノは「関係ないとは思うが」と前置きした後、


『俺はレーズンパンは嫌いだから』

『まじで関係ねえな!』


 すっとぼけた発言を寄こしてきたので、レオは脱力しそうになった。


『なんなんだよもう……。ちっとはマシな奴はいねえのかよ……』


 己の人間関係の恵まれなさに、涙がちょちょぎれそうになる。

 と、その嘆きが天に通じたのかどうか、


「レオノーラ様!」


 扉の向こうから、マシと良心の化身であるところの、カイの叫びが響いた。


『おっと。そろそろ行くか』

『それじゃね、レオ。パンの配給情報、頼んだわよ!』


 途端に、身勝手の申し子、ブルーノとレーナは、さっさと窓辺に近付くと、制止する間もなくそこから飛び降りて去ってしまった――去り際、レーナが両手を銃の形に掲げて「バン!」とやる仕草だとか、とにかくいらっとする。


 気付けばレオは、姿を戻してもらうことも、暴言封印の魔術を解いてもらうこともなく、むしろ魔力を奪われ、よくわからないミッションだけを押しつけられていた。


『ざけんな……』


 エランド語の呟きも、怒りを通り越して、もはや呆然の態である。


「レオノーラ様、起きていらっしゃいますか! ……失礼を!」


 二人が揺らしたカーテンが元の位置に戻るのと同時に、カイが焦った様子で内扉を開けてきた。


「ああよかった! ご無事ですね!」

「カイ。一体、何事?」


 真面目な従者は、広い学院内を猛ダッシュしてきたのか、肌寒い季節なのに額に汗の粒を浮かべている。彼は荒れる息を整えながら、状況を説明した。


「保健師を、探しに、行っていたのですが、……途中で、その、真っ裸の男子生徒二人が担ぎ込まれまして」

「真っ裸……?」

「あ、その、レオノーラ様の前で申し訳ございません。とにかく、二人は突然暴漢に襲われ、服を剥かれたとのことでしたので、万が一にも、学生に扮したその不届き者が、レオノーラ様のもとに来ることがあってはならない、と思いまして」

「…………」


 残念ながら、万に一つのその可能性通り、彼らは先程までレオの部屋に訪れていた。


 レオは深い、深い溜息をついた。


「レオノーラ様? 大丈夫ですか? やはりお加減が……」

「いえ。……大丈夫です」


 どうりで学院に来た方法を尋ねた時しらを切られたはずだ、とか、あいつらは盗賊かよ、とか。

 珍しくレオにしては常識的に、突っ込みたいことは様々あったが。


(下着まで奪う必要はなかっただろうよ? 特に、レーナ……!)


 これでも自分は、女性のものである自身の体をあまり見ないよう心がけているというのに、きっとレーナはそんなこと全く頓着せず、堂々と着替えているし、堂々と男を裸に剥いているのだろう。


 「やだこれ、履き心地全然違うー。うけるー!」などと言って、嬉々として男物下着を着用しているレーナの姿まで浮かんでしまい、レオはげんなりと頭を垂れた。

ブックマークが500を超えました。ありがとうございます。

つい調子に乗って、入れ替わり前のレオ&ブルーノの小話を活動報告欄に載せさせていただきました。

お読みいただけますと幸いです。

そ、それで、もももし、よければ、かかか感想などいただけますと、とてもはげ…励みに、な、なな…

…なんでもありません(小心者)。


※上記小話(読み聞かせ「桃太郎」)は本編に掲載させていただきました。

(活動報告欄にも同じ内容を残したままにしております)

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