井戸の首を切る
ありゃあ、わしの坊主のころじゃ。
今は沢に汲みに行っとる水じゃがな。
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村の背にある山には神社がある。
小さな祠と御神木があった。
山の麓には寺がある。
気のよい住職と井戸があった。
その井戸は神さんがおると言われておってな。
けっして枯れることはないと言われていたんじゃ。
いつも寺の横を通り過ぎて
山ん中で遊ぶのがやんちゃ坊主の決まりの様なもんじゃったよ。
よく御神木に登ってしかられたわ。
山や村を水害から守ってくれる尊い神さんに何するってな。
どんな酷い雨が振っても隣村で山津波があったときいても
儂の村では一度もなかった。
雨を腹ん中抱えて神さんはいつも
儂らを見守ってくれてたんじゃな。
ある時
酷い日照りがあってな。
いつも水汲みにいっとった沢も涸れちまって
野菜も稲も育たなくなっちまった。
困り果てて、寺へ行った。
井戸の神さんにお願いしに行ったんじゃ。
住職はどうぞどうぞと言ってくれてな。
儂らは何度も頭下げて
水を汲んだ。
日照りはなかなか収まらんかったが
井戸は涸れんかった。
野菜も稲もその水を飲んで育ったんじゃ。
しかし、日照りが収まっても
儂らは井戸を使い続けた。
遠い沢へ行くよりは近くの井戸。
その楽さにすっかり儂らは慣れてしもうたんじゃ。
住職がとうとう声をあげた。
「井戸が涸れてしまいます。」
「大丈夫。ここには神さんがおるんじゃ。日照りの間も涸れんかった。」
でもな、本当は皆、神さんのことを忘れてもうてたんじゃ。
ある時、村の長者どんが新しく屋敷をつくることになった。
大名さんが絶対涸れぬ井戸を聞きつけやってくるからとな。
儂らは大興奮じゃった。ちっさな山間の村にえれえお方がくるんじゃからな。
泊まられるのは長者どんの屋敷。
立派な屋敷を建てないといかん。
「そうだ。立派な木がある。山ん中にでっけえ木があるぞ」
もう大人になっとった儂は久しぶりに山に入った。
祠は朽ちて、注連縄は無くなっていた。
皆、それが御神木だということを忘れていたんじゃ。
「よおし」
男衆4人。2人で鋸もって交代交代木を切った。
大名さんが泊まる家を造る。井戸を見たら褒めて何か褒美をくれるのではないか。
皆浮かれていた。
汗だくになりながら、やっとこさ
切り倒した。
その時
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーー」
山を割る様な悲鳴が村から聞こえた。
急いで儂らは山を下りた。
寺に人々が集まっていた。
「ひいいい」
井戸の前には住職と腰を抜かした儂の母ちゃんがおった。
「どうした。母ちゃん」
母ちゃんは地面が揺れんじゃないかと思わせるほど震えて
「い、いど、井戸が」
「井戸が?」
「井戸が悲鳴をあげた」
「井戸が!?」
井戸に駆け寄って覗き込んだ。
暗い空洞の向こうにはなんも見えない。
その時はなんも分からなかった。
大名さんが来た。
皆諸手あげて歓迎した。
儂らが建てた長者どんの新しい家を立派だと褒めて下さった。
「井戸はこちらでございます」
長者どんは肩引っ込めて揉み手をしながら
寺の井戸へ案内した。
「ほお、これが涸れない井戸か」
「はい日照りでも決して」
「楽しみじゃ」
大名さんは釣瓶を落とした。
「ん?」
水音がしない。
釣瓶をあげると
水はない。
「そんなばかな!?」
長者どん、釣瓶を取り上げて
勢い良く井戸へ落とした。
ガン、ゴン
釣瓶が井戸に当たった音はしたが、
釣瓶が水に落ちる音はしなかった。
大名さんの顔が厳しくなった。
長者どんは汗を滝の様に流して目を泳がせた。
ただ黙って立っている住職に目を留め怒鳴った。
「どういうことじゃあ住職。この井戸には神さんがおるじゃろうが何故水が」
住職はゆっくり口を開いた。
「神さんはもう亡くなられました」
「亡くなったあ〜?」
長者どんの目がこぼれそうなほどひんむかれた。
「御神木を切ったじゃろう。
井戸の首を切れと、あんたがそうしたんじゃ」
儂はしばらく動けんかった。
注連縄もなかったし、御神木なんじゃ知らんかったんじゃ。
いや知っとった。遊んだ場所じゃ忘れてへん。
大名さんが来るならと。もう拝む人もいないからと。
儂は、儂が、
神さんの首を
(ギャアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーー)
井戸の首を切ったんじゃ。
ずっと山を村を守ってくれていた神さんはいなくなった。
次の年、日照りがやって来て
もっと遠い所へ高い金出して水を買うしか無かった。
その後大雨が来て酷い山津波が起きて母ちゃんが死んでしもうた。
そう、お前のばあちゃんが亡くなってもうたんじゃ。
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今は昔使った沢がまた使える様になったけんど、
儂があの時、井戸の首を切らんかったら、
日照りや山津波に悩まされず、安らかに暮らせておったのにのうと、
儂は時々、思い出すんじゃ。