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鮎河自動車再建

 電話の面白い所は声だけしか聞こえないという所だろう。

 人の印象は九割外見で決まると言われているのにその九割が使えないのだから、必然的に電話相手を個人として認めた上で話をしなければならない。


「という訳で、鮎河自動車の救済について意見を聞きたいんだが、何か良い意見はあるかな?

 小さな女王様?」


 渕上総理。

 貴方は一介の小学生に何をお尋ねになられているのでしょうか?


「金を出してもあっこは救えませんよ」


 鮎河自動車は日本二位の自動車生産を誇り、『技術の鮎河』とその名前を轟かせていたが販売不振とバブル崩壊時の過剰投資で有利子負債が二兆円近くに達していた。

 自動車産業は裾野が広く雇用の観点からもこの鮎河の経営危機を放置する訳にも行かず、通産省が音頭を取って救済に乗り出していた所だった。


「理由は?」


「再建までのグランドデザインを書ける人間が居ません。

 私がやっている物流企業の救済は基本小学生でも分かることで、新鮮な食料品という良い商品をお客様の所に届ける。

 これのみです。

 自動車の場合、工芸品で、それに詳しい人間が関わらないと、良い商品が作れません」


 その前にバブルの過剰投資でできた負債処理とかがあるのだが、話がそれるので言わないでおく。

 一国の総理なのだから、そのあたりは把握しているだろう。


「技術の鮎河なのに?」


「総理。

 企業にとって良い商品とお客様にとって良い商品は違うのです」


 21世紀の日本企業はこれに失敗した所が多い。

 その為か、日本企業の稼ぎは製品ではなく部品や製造機械を始めとした中間財産業にシフトしてゆくのだが、自動車は数少ない日本が競争力を持った完成品産業だった。

 だからこそ、助けられるのならばという所で渕上総理と私の意見は一致している。


「テイア自動車による救済合併はどうだろうか?」


「独占禁止法をクリアするのが厄介な上に、規模が大きすぎてテイア自動車が嫌がるでしょう。

 私は、巽自動車方式を提案します」


 西日本に本社と工場を置く巽自動車は、オイルショック時に経営危機に陥り銀行主導で米国自動車会社の傘下に入り再建に取り組んでいた。

 なお、バブル崩壊時にもこの会社はやらかして支援おかわりをしてしまっている。

 そのやらかしがまさに企業にとっての良い商品とお客様が求める良い商品の違いだった。


「それだと国民から『外資に売られた』と批判を受けないかい?」


「無駄に金をつぎ込んで再建できなかった方が批判を受けますよ。

 渕上総理が私に電話をかけてきた事の本題は、鮎河自動車そのものではなく、二兆円の不良債権が直撃する銀行に対する不安でしょう?」


 つまる所、この問題というかバブル崩壊の本質はそこに行き着く。

 銀行が潰れるという事はそのまま社会混乱に直結するからで、それはダイレクトに与党及び内閣支持率に直結する。

 金融再生委員会では、強引とも言える不良再建処理の推進と、それに対する支援としての公的資金の投入の法案整備を進めていた。

 それは桂華銀行みたいに大蔵省の植民地になりかねないと、各銀行は合併と貸し剥がしで不良債権処理の資金を捻出しようとしていたのである。


「君が小学生である事が本当に惜しいよ。

 大人だったら、迷うこと無く金融再生委員に推挙したものを」


「あら?

 子供は遊ぶことが仕事ですのよ。

 私の貴重な子供時間を取り上げないでくださいな」


 私の皮肉に気づいた渕上総理が謝罪する。

 本当にこの人は声のニュアンスで相手の感情を推し量るのが上手い。


「すまなかった。

 これは私達大人の責任だ。

 けど、一国の総理ともなるとその国全ての責任を背負うから、何を使ってでも最善の結果を引き出さねばならないんだ。

 この電話を含めて君の子供時間を奪ってしまっている事を謝罪する。

 その上で頼む。

 私に力を貸して欲しい」


 なお、彼の電話の評価だが、かけられた相手は決して悪い気はしなかったらしい。

 少なくとも、彼を助けようという気にはみんななったのだから。

 私を含めて。

 ため息を一つついて、私は渕上総理のお願いを聞いてあげることにした。


「おそらくこれから、貸し渋りと貸し剥がしは酷くなります。

 桂華ルールを遵守するのであれば、桂華銀行に全部持ってきてください。

 特に中小企業の下請けの救済に力を入れます」


 金額が小さいくせに数が膨大で、この貸し渋り及び貸しはがしにあって幾多の不幸を生み出したのがこの中小企業群である。

 何が救いがないかというと、そんな企業の社長達の多くは経理を理解していない事が多かったのだ。

 桂華銀行は複数の金融機関の合併によってできた為に、多くの人員を抱えてリストラをしなければならない状況に来ていた。

 そんなリストラ人員でも経理は分かっているので、融資と彼らの給与を保証した上で中小企業に送りこみ、経理を叩き込む事から始めねばならなかった。


「ですから総理。

 なんとしても公的資金を投入して、銀行の不良債権処理を加速させてください。

 中小企業への貸し渋りと貸し剥がしは桂華銀行が……」


 そこで私は言葉を区切ってその決意を告げた。


「……私がなんとかします」


「君の貴重な時間を奪ってすまないとは思う。

 そして、君の決意を私は絶対に無駄にしない事を約束しよう」


 そう言って電話が切られ、私は受話器を置いてソファーに腰掛ける。

 橘が気をきかせてグレープジュースのグラスを持ってきてくれたので一気飲みする。


「よろしいのですか?」


「苦労するのは一条とあなたよ。

 私はあなた達を十分に働かせるだけの資金を用意するだけ♪」


「それが一番難しいのですよ。本来は」 


 橘の苦笑を私は聞かないでおいてあげた。

 この数カ月後、鮎河自動車は欧州自動車メーカーの傘下に入り経営再建を目指すことになる。

鮎河自動車

 よく再建できたものだとあの当時を知っていると関心するばかり。


巽自動車

 ここもよくぞ再建できたと思うし、このあたりの日本自動車史は本当に面白い。



7/2

 感想の指摘によって帝産を鮎河に変更

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