VS ハゲタカ ROUND2
「ぶぶ漬けですがどうぞ」
「まぁ、嬉しい。
私、ぶぶ漬け大好きですのよ」
アンジェラの流暢な日本語での挨拶を聞いて、皮肉が通用しねぇと頭を抱える。
これだから外国人ってのは。
こちらの事など気にもせずに、アンジェラは単刀直入に要件を切り出す。
「ムーンライトファンド。
その実質的なボスは貴方ですね。
リトル・クイーン」
犯人は貴方だとつきつけられている気分だが、彼らハゲタカ・ファンドは膨大な資金と途方もないコネがある。
ばれないとは思っていなかったが、真っ向からつきつけられたのはこれが初めてだった。
「小学生が数千億円の保有資産を抱えるファンドの支配者って言っても普通の人は信じませんわよ?」
「通信は正直ですよ。
ムーンライトファンドの重大投資案件の殆どは桂華銀行本店で決められており、その桂華銀行本店とこの屋敷の間の通信量が増大している。
ならば、誰がボスか分かりますとも」
米国にはエシュロンと呼ばれる通信傍受システムがある。
その実態は闇に包まれているが、知っているならば『桂華銀行の競売におけるこちらの入札情報が筒抜けですよ』という脅しに変わる。
「でしたら、もう一枚名刺をお出しになったらいかが?
あるのでしょう?
鷲のエンブレムが入った名刺が」
エシュロンをちらつかせるのならば、むしろ持っていないとおかしい。
私が先に正体をばらした事で確信的な笑みを浮かべたアンジェラは言われるがままに、もう一枚の名刺を差し出した。
「アメリカ合衆国日本大使館付情報分析官。
大変ですわね。
CIAがわざわざ同盟国の経済スパイをしているなんて」
「東側が崩壊しても、警戒の手を緩めるほどこの業界甘くはないのですわ。
女王陛下」
要するに私の両親の東側内通からずっと私はCIAに見張られていたという訳だ。
原作の物語では悪役令嬢として破滅したが、こうやってこの世界で生きてみると分かる。
桂華院瑠奈の背後にはいくつもの地雷が埋め込まれており、その最大のものがこれだと。
そう考えると、主人公を出汁にしてテイア自動車を乗っ取りにかかった旧東側のスパイというのが、本来の私の立場だったのかもしれない。
今のアンジェラみたいに次に接触してくるのは、ロシアか中国か。
「話を戻しましょう。
要するにこう言いたいのでしょ?
『桂華銀行の競売から降りろ』と」
「お話が早くて助かります」
桂華銀行の競売の落札予想金額は、およそ8000億円。
下手すれば兆まで行くスリリングどころではないゲームなだけに参加するプレーヤーは限られている。
米国はこの桂華銀行買収をテコに、財閥によって固められた日本経済界に風穴を空けることを狙っているのだろう。
「たとえ降りたとしても私にメリットがありませんが?」
「そうですね。
降りた所でメリットはありません。
ですが、勝ってしまうと、我々に目をつけられるというデメリットが生まれます」
にこやかに言い切るアンジェラに私は苦笑するしか無い。
これを脅迫と言わずしてなんと言おうか。
「一応同盟国の中枢層に属している人間に対する物言いではないですわね。それ」
「申し訳ございません。
金というものは、本当に平等なものでして」
初手の脅迫が彼女の役割。
最初にガツンと脅して、そこから譲歩を勝ち取るという奴だろう。
「この案件は巨額の金が動きます。
私を降ろすという事は、その金を用意できるという訳ですね?」
「もちろん。
いくつかのプランはありますが、そこから先はご容赦を」
ムーンライトファンドは米国に拠点があり、その資産の中核は米国ハイテク株で、それを担保に資金を借りる必要があった。
だが、桂華銀行の競売においては、今までみたいにムーンライトファンドの資産を担保にして桂華銀行から借りるという事ができない。
桂華銀行の中立性が損なわれるからだ。
その為、巨額の資金調達を帝都岩崎銀行を中心にする国内銀行によるシンジケートローンで賄う形になっていた。
もちろん大蔵省主導の奉加帳方式のおかげだ。
一方、ハゲタカ・ファンドはこういう資金を市場から調達する。
下手すると、桂華銀行の解体で得た利益を餌に寝返っている国内銀行が出ていると考えるべきだ。
桂華銀行は系列に国内四大証券の一角だった桂華証券を持っている。
金融ビッグバンと呼ばれる、金融の規制緩和に先んずる為にも、国内大手銀行の誰もが桂華銀行を狙っていたと言ってもいいだろう。
「お話は分かりました。
私としましても、怖い人達に目をつけられるのは嫌ですからね。
考える用意があるとだけ、偉い人に伝えておいてください。
お帰りになられるみたいなので、見送ってあげてちょうだい」
「感謝します。
では。失礼」
テーブルの上に置かれた冷めたぶぶ漬けには一切手をつけずに帰るアンジェラの姿が見えなくなってから私は嗤う。
「けど、貴方達そもそも競売に参加する余裕はあるのかしら?」
競売日の予定日は9月20日。
私の予言は的中する。
ロシア経済危機を受けて各国経済が大混乱に陥る中、競売が行われた大蔵省に来たのはムーンライトファンド一社のみ。
そのころ、米国では大手ヘッジファンドの救済で手一杯だった。
ぶぶ漬け
お茶漬けの一種で、京都ではこれを言うこと=早く帰れという意味だとか。
事実かどうかは知らぬが、あまりに有名になったので使われる事もある。
金融ビッグバン
96年から01年にかけて行われた金融制度改革の総称。
金融持株会社の解禁。証券・保険業務の参加。
預金保護が全額保護から定額保護へ変更……等。
帝都岩崎銀行
96年に合併したばかり。
桂華製薬を始めとした、旧桂華院財閥系のメインバンク。
大手ヘッジファンド救済
ここの破綻と救済で大蔵省みたいな行政指導をしてしまい各国から総ツッコミを受けることに。
なお、これで懲りなかった連中がリーマンの引き金を引く。