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何はともあれ味方づくりと金稼ぎ

 何をするにしてもお金がないと始まらない。

 私自身の立ち位置も確認したし、とりあえず足掻くことにする。


「出かけたいのだけど用意してくれる?」


 私の澄ました物言いに執事の橘隆二が背を屈めて確認を取る。

 前は祖父の下で働いていた銀髪の初老の彼は表向きは私を子供扱いしない。

 とはいえ、お子様な私の仕草が、傍から見て大人のふりをして背伸びしているようにしか見えないのがまた困る。


「かしこまりました。お嬢様。

 どちらへ?」


「極東銀行東京支店」


 桂華院グループの一つである極東銀行は、日本海側の地方都市に本店を置く地方銀行である。

 本店設置に際して極東グループが東側との付き合いがあった事で選ばれたのだが、かの銀行もめでたくバブルの後始末に苦しんでいたのだった。

 おまけに、極東銀行は桂華院グループ内部では傍流に位置するから、切られる恐怖は常に抱えているだろう。


「ようこそいらっしゃいました。瑠奈お嬢様。

 今日はどのようなご用件で?」


 ザ・銀行員といわんばかりのスーツに髪型にメガネをつけた支店長が私を貴賓室にて出迎える。

 豪華な調度品のテーブルの上に置かれるのはオレンジジュース。

 まだ幼女の私を貴賓室で出迎える支店長の営業スマイルに感心しつつ、私は幼女らしからぬ事を要求する。

 せっかくなので、幼女ちっくに舌足らずに言ってみることにしよう。


「たいしたことじゃないの。

 このぎんこうのばらんすしーとをみせてちょうだい♪」


「は?」

「は?」


 出て来た大人二人の声を尻目にオレンジジュースをぐびくび。

 ついでに露骨な子供アピールをしておこう。


「わたし、オレンジジュースよりグレープジュースのほうがすきなの。

 つぎにくるときにはよういしておいてよね」


「それは畏まりました。

 ですが、お嬢様がバランスシートなんて……」


「子供だからって、何でもペラペラ喋らない事ね。

 色々と耳に入っちゃうのよ」


 口調を変える。

 この手の会話は主導権を握り続けるのが大事だ。

 そして、本当の目的は支店長よりも執事の橘隆二を味方につける事。

 幼女な私がこの時点で金儲けを企むには、どうしても大人の協力が必要だったからだ。


「ここの不良債権、洒落にならない所にまで来ているって。

 本家の方も、見切りをつけようかと考えているわよ。

 住専問題が火を吹きかけている今、誰が首を切られるか分かっているでしょう?」


 テーブルに腕を組んで、さも当然のように話を進める。

 土地神話が崩壊し誰もが不良債権を抱えていた中、住専問題が国会で火を噴いたのがトドメとなって97年の金融恐慌に繋がってゆく。


「失礼ですがお嬢様。

 たとえその通りだとしても、お嬢様に何ができると言うので?」


 支店長が反撃を試みる。

 それを私は一蹴してみせた。


「あら。

 私は女よ。

 女でできる事って言ったら一つしか無いじゃない」


 女は生まれながらにして女であり俳優であるとは誰の言葉だっただろうか。

 たとえ幼女でも男をたぶらかす術はお腹の中で母から授かるのだろう。


「政略結婚の駒。

 どこかの財閥の殿方の元に嫁いで、桂華院グループの救済の役に立つ」  


 私の断言に男二人が押し黙る。

 私が生かされている理由であり、真実だからこそ彼らは反論できない。


「だからね。

 バランスシートを見せて頂戴。

 裏帳簿も含めてね。

 そうでないと、私がどの財閥からプロポーズを受けないといけないか分からないでしょう?」




 貴賓室のテーブルに大量の帳簿を並べさせて私は思わず頭を抱える。

 さり気なく二杯目のジュースがグレープジュースに変わっているあたり、この支店長馬鹿ではない。

 というか、馬鹿が東京支店長なんて務められないか。


「しかしひどいわね。これ……」


 案の定というか何というか。

 極東銀行の不良債権はかなり洒落になっていなかった。

 不動産事業を行う極東土地開発が地方リゾートに過剰投資し、その事業を運営していたのが極東ホテル。

 ここは早めの損切りが必要だった。

 桂華海上保険と極東生命もバブル期の不良債権を抱えて苦しんでいる。

 円高で桂華化学工業や桂華商船もなんとか赤字を回避している状況で、各社の不振を桂華製薬が補填する構図になっていた。


「ねえ。

 私の屋敷を抵当にした場合、どれぐらいの融資が引き出せる?」


 現実を突きつけた上で悪魔の尻尾を出す。

 支店長はここに至って私を子供扱いはしなかった。


「一応東京の桂華院家の屋敷です。

 土地建物含めて十億はつけられるかと」


 腐ってもまだ財閥である。

 幹が落ちる前だが、まだごまかしができる最後の時間だった。


「抵当をつけて五億用意しなさい。

 どうせ、あと数年もしたらあの屋敷抵当に入れられるでしょうからね」


 ここで、私は執事の橘隆二を見る。

 背景から本家が関与したがらない私の後見人は、執事の彼という事になっていた。


「ここから悪巧みをするんだけど、私は子供だから信用が得られない。

 信頼できる大人の人が欲しいんだけど、だれか居ないかな~?」


 とてもわざとらしく言ってのけると、執事の橘隆二はただ一つ深いため息をついた。


「そういう所、大旦那様にとても良く似ておられますよ。

 で、私は何をすればよろしいので?」


 よし。

 有望な味方げっと。

 ついでだから支店長も仲間に引き入れてしまおう。

 東京支店長一条進。名前は覚えた。


「『インターネット』と『ブラウザ』って知ってる?」




 後に『極東銀行の九回裏二死二ストライクからの逆転ホームラン』と業界内で囁かれる極東銀行のハイテク関連投資は信じられないリターンを叩き出し、一時期は桂華院グループの稼ぎの八割を占めるまでに成長する。

 金融ビックバンの主役に躍り出た極東銀行首脳部と、その成果を持って極東銀行取締役に大抜擢された一条進は、重大な投資案件の際には必ず桂華院瑠奈の居る屋敷に足を運んだという。

バランスシート

 貸借対照表。これと損益計算書が読めると世界が変わるぞ。


住専問題

 土地に関する不良債権の中核。

 住専国会は揉めに揉めてここでためらって処理を遅らせた事が致命傷の一因となる。


インターネットとブラウザ

 今では欠かすことのできない某窓やYのつく会社の事。

 調べて株価を見て愕然としたのは内緒だ。

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