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デザイナーメモ 樺太設定 12/31 投稿

 書くために最低限の方向性を決めておく。

 資料とかはその方向性で集める予定。


 名称は日本民主主義人民共和国

 首都は豊原で、人口は約二千万人、実数では二千四百万人。

 人口構成は日本系(ハーフ含む)6、ロシア系2、アジア系2。

 主な産業は、兵器輸出、贋金製造、化学製品輸出、傭兵。出稼ぎ労働。漁業。

 都市イメージはウラジオストクあたりをベースに。


 国家崩壊と再統一は93-94年。

 ソビエト崩壊にともなう燃料価格高騰からデモが頻発 クーデターにという流れ。

 その後バブルの資金が中途半端に流れ込んで、経済窮乏化。

 特に主権が曖昧だった北樺太はロシアとの帰属問題で下手な資本投下ができず、作られた経済特区によって『北の犯罪都市』なるものができる事に。

 豊原を中心とした過度な一極集中化を実現。

 住宅地確保と、核シェルターの名目で大深度地下都市があり。新宿のジオフロントのモデルの一つになっている。

 この統一コストがバブル崩壊の原因の一つとなり、二級市民問題の根底の一つとなっている。

 その後、ソマリアを始めとして内紛国家にPMCを派兵。

 アフリカ浪人なる言葉を生み出す。 


 政府は樺太復興庁を新設し、樺太経済再生計画を主導。

 政府企業を民営化し、財閥に払い下げる事で経済再生を狙う。

 兵器輸出の重工業は樺太重工 (岩崎財閥)

 資源採掘と加工化学は樺太化学 (二木財閥と淀屋橋財閥)

 海運は樺太海運(松形財閥)

 電力は樺太電力で、電力会社各社の共同出資。

 金融業は樺太銀行として国有化し、バブル崩壊で何処も抱え込めず、金融ビッグバン前に払い下げ予定。


 文化はロシア系をベースに中華と日本のちゃんぽんに。

 プロパガンダ映像は東側随一の技術を持つ。



 統一後国会への議員派遣は統一時の人口に基づく。

 衆議院25人。参議院5人×2の10人。

 議員構成は樺太社会民主党(旧北日本共産党)衆議院18人、参議院6人。

 樺太ハリストス同盟衆議院5人、参議院2人。

 日本亜細亜同胞会衆議院2人、参議院2人。


 立憲政友党への寝返りは樺太社会民主党から出ると噂されており、国内左派政党とは激しい対立関係にある。 



 崩壊前の軍備は陸軍が二個戦車師団、三個自動車化狙撃兵師団を保持。

 海軍はソ連太平洋艦隊の母港の一つとして整備され、キエフ級航空母艦一隻を中心とした巡洋艦・駆逐艦・潜水艦の30隻の艦艇を保持。

 空軍は300機の航空機を保持。

 戦略ロケット軍は核サイロ基地にICBMと移動式SRBMを保持。

 これに国家保安局武装隊が一個師団規模の戦力を保持していた。


 これらの戦力は、西側との戦いにおいて主戦場である満州の戦いで後背地になる日本を攻めるために整備されており、その目標は北海道の上陸と全域制圧で、有事の時にはソ連軍指揮下の元でソ連軍三個師団の増援と共に北海道制圧作戦を行うとされていた。


 北日本政府の国家崩壊は建国の英雄である国家評議会議長の死去による、軍と党と国家保安局の間での主導権争いの最中、ベルリンの壁崩壊から始まるソ連崩壊やルーマニア革命、湾岸戦争という一連の流れが結局混乱を加速させてゆく結果となる。

 特に湾岸戦争時に日本政府は中東に兵力を派兵していたのに防備が固められていた北海道に手も足も出せなかった事が、これらの勢力の権威を決定的に損なうきっかけとなった。

 91年のソ連崩壊によって燃料価格が高騰すると、経済が崩壊し民衆のデモが頻発。

 これを国家保安局が武力鎮圧したのをきっかけに軍が国家保安局と戦闘状態に突入し内戦が勃発。

 無政府状態に陥ろうとした段階で、日米両軍が介入して戦闘を停止し無血開城に応じ、その後94年に国民投票を経て日本国に併合される。

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