食事会 1/14投稿
筆休め中に『住友銀行秘史』(國重惇史 講談社)を読んで思いついた話。
むちゃくちゃ面白いわ。これ。
バブルの紳士達がお嬢様に群がる前に橘と一条がどうやってそれを食い留めたか?
急にお金持ちになるとやってくる者は何か?
「どうか寄付を!」
「儲け話があるんです!!」
「親戚として援助を!」
欲に目がくらんだ有象無象である。
知ってた。
「私が対処していますが、それだけでは足りなくなるので運転手を雇ったという側面もあります」
これらの有象無象対策は橘に一任していたのだが、彼が居ない時は乳母である佳子さんがその役を務める事になる。
夜の銀座に君臨していた彼女の交渉力は疑うべくも無いのだが、女だからと舐められかねないのもまた事実。
運転手の雇用はそんな男手による支援も視野に入れているらしい。
「あと、探偵を雇ってこの屋敷の者だけでなく、一条氏の周辺も洗わせています」
「なんで?」
首をかしげた私に、橘は淡々とその理由を告げた。
「有象無象が取り付くのに周囲の人間を狙うからですよ」
この世界の淀屋橋銀行が五千億円という巨額損失を計上した史上空前の経済事件では、絶大な権力を持っていた頭取の娘が勤めていた絵画店が舞台の一つに選ばれ、娘可愛さに歯止めが効かなくなったという。
彼らバブルの紳士達というか裏社会の強者達はそのあたりの弱点を見逃さない。
「そんなのに私、狙われているって事?」
「むしろ狙わない方がおかしいですね。
お嬢様が大金を得た事と、その管理について対策を取る必要があります」
ここで橘はなんとも言えない笑みを浮かべた。
私ではなく、その浮かべた先はその後の言葉に浮かんでいた。
「今までは、お嬢様に手を出すのは難しかったのですよ。
内調を始めとした方々がお嬢様を見張っていましたので」
その一言で、察することができた。
多分、私も橘と同じような顔になっているのだろう。
我が父のやらかしによって貼り付けられていた私の監視は、護衛としても機能していたのだから。
だが、橘が対策を取らないといけないと言う事は、その監視が外れた、もしくは緩んだことを意味している。
考えられるとしたら、二つしか無いだろう。
「おじさまか、加東幹事長ね?」
「はい。
おそらくは加東幹事長の詫びではないかと」
余計なことを、と思ったりもするが、今まで監視がついていた事すら知らなかったのだから、文句を言えるわけもなく。
そんな私の内心を知ってか知らずか、橘は淡々とやばい話を続ける。
「桂華銀行が合併した長信銀行と債権銀行は、政治家がらみの融資が多かったパンドラの箱でもありました。
それが不良債権として公表される前に処理された事で、助かった政治家の方々もいらっしゃるでしょう」
元々、長信銀行と債権銀行は国策の特殊銀行であり、それが普通銀行化した経緯がある。
そのため、政治家の貯金箱とまで言われて、政治家絡みの融資が大量にあったという噂は、まことしやかに流れていた。
前世の記憶では、このうちの一つを買った外資があれだけ傍若無人に振る舞えたのは、この政治家がらみの融資の件で与党政治家を黙らせたからだという噂がでたぐらい。
嘘か本当かはわからないが、この世界ではその話が本当であるらしい。
「一条を交えてそのあたりを話さないといけないわね」
「でしたら、週一で食事会をなさるというのはどうでしょう?
時間を作り、互いに同じ場所で同じ食事をする。
そういう事で、生まれる連帯は決して無視できるものではありません」
私は橘の言葉に頷く。
何しろまだ小学生な私は、橘と一条が裏切ったらおしまいなのだ。
そのためにも、二人の忠誠を常に確保する必要があった。
「いいわね。
それで食事会だけど、いつするの?」
この食事会は日にちを変え時間を変えても、必ず週に一回行われるように習慣化され、私と私の企業群の幹部たちが顔を合わせる最高意思決定会議となる。
その第一回の日時を橘はこともなげに言った。
「お嬢様の学校もありますから、土曜日の夜で」
第一回食事会。
いただきますと言って食べ始めた一条と橘の三人で行われた食事のメニューは、佳子さんお手製のハンバーグだった。
ちゃんと私のハンバーグには旗が刺さっているのが素敵。
そのハンバーグを美味しそうに食べていた時のこと。
私は驚愕の事実を知った。
「ムーンライトファンドって、会社じゃないの!?」
あまりにびっくりしたので、ご飯とか吹き出してしまったけど、あまりの衝撃に私の頭はいっぱいであった。
そんな私の様子に、一条は苦笑しながら、そのからくりを話してゆく。
「実際にムーンライトファンドという会社組織は米国にありますし、資産運用もしていますけど、我々の間でムーンライトファンドというのは、お嬢様名義の預金口座の事を指します」
これは私が子供という欠点を、なんとか誤魔化すために橘と一条が考え出した苦肉の策らしい。
この仕掛けを用いることで、何かあったとしても、私が捕まらないように十重二十重の安全策を用意しているという。
大本は、旧極東銀行東京支店に作られた私の口座で、かつて屋敷を担保に借りた五億円が振り込まれている。
しかし、この借金自体はパナマのムーンライトファンドというペーパーカンパニーが、既に返済している。
さらに、この五億円は複数のファンドを経由してスイス銀行のプライベートバンクに送金され、バミューダ諸島のムーンライトファンドというペーパーカンパニーに貸し付けてハイテク企業に投資をしているのだが、このバミューダ諸島のムーンライトファンドの持ち主はマン島のムーンライトファンドである。
マン島のムーンライトファンドの資金はスイス銀行の私のプライベート口座からの全額出資であり、パナマのムーンライトファンドもこのスイス銀行のプライベートバンクから全額出資している。
で、米国IT企業投資を現地で行うムーンライトファンドは、ケイマン諸島の法人でシリコンバレーに支店を設置しているという設定で、その持ち主はパナマのムーンライトファンド。
ここに、バミューダ諸島のムーンライトファンドの仕事を委託している形になっている。
ややこしいことこの上ない。
「こんなにややこしくしてどうするの?」
図を書いてもらっているが、同じ名前が何度も出てきて頭が混乱している私に、一条は苦笑しながらその理由を解説してくれた。
「一番の理由は、橘さんが危惧しておられた有象無象対策ですね。
同じ名前でここまで回せば、相手が一般人ならば、何が何やらわからなくなりますよ」
なお、ペーパーカンパニーの乱立と資金の送金ではこれだけの仕掛けをやらかしているが、実際に業務を代行させる職員は、シリコンバレーにビル一つで片付く。
そうやって得た利益は、複雑化させ、経路をわからなくして、最終的にスイス銀行のプライベートバンクに流し込む。
この口座こそが、ムーンライトファンドの本体であり中枢なのだ。
「さらに、複数組織をまたぐことで、借金を大きくする目的がありました」
レバレッジと呼ばれる金融用語がある。
少ない元手を解消するために、借金して大きな金を用意する手法だ。
たくさんの国に設立されたムーンライトファンド間で借金して作り出した資金は数億ドルに及び、その莫大な資金を米国IT業界に流し込んだ結果、ITバブルの波に乗って、今や数十億ドルにまで膨らんでいる。
現在は、やばい所の借金を返済して、利確に動いている段階らしい。
「ん?
米国で稼いだお金を日本に持ってきたのはわかるけど、ドルから円に変換とか税金とかどうしたの?」
私の指摘に、橘と一条が互いに目を見合わせたのを見逃さなかった。
私のワガママとはいえ、日本経済救済のために、本気で危ない橋を渡っていたのだろう。
「日本で使ったお金は全部借金なんですよ」
からくりはこうだ。
ムーンライトファンド日本法人を設立した時に、資金を融通したのは極東銀行で、この時は日本円を貸し付けている。
その後、その極東銀行が桂華銀行になる過程で、日本円を用意してくれたのは他の都市銀行なのだが、返済はドルでという特約を結んでいた。
これがすべての鍵だ。
為替リスクを考慮して、かなり高いレートで貸し付けられた日本円だったが、それをムーンライトファンドは一括で返済。
このドルを用意してくれたのはニューヨークの投資銀行だが、彼らはムーンライトファンドの保有するIT企業株の爆騰を知っていた。
それを担保に借りたドルを日本の都市銀行のニューヨーク支店にて返済、という訳。
国際金融バンザイである。
「実際の所、大蔵省内部でもまだムーンライトファンドの全貌を掴んでいるとは思えません。
今、大蔵省は救済した桂華銀行と桂華証券の統制に四苦八苦している所でしょうから」
「国税局が動いたらしいですけど、上から待ったがかかったらしいですよ。
万一、桂華銀行に更にやばい銀行をくっつけた場合、その資金をうちが出すという密約で、泉川大蔵大臣と加東幹事長がねじ込んだとか。
それに、今の国税局は悲願の消費税値上げに奔走していて修羅場になっていますからね」
橘の説明に一条が補足をつける。
大蔵省における金融行政は、銀行が銀行局、証券が証券局ときっちり縦割りに分かれている。
救済された桂華銀行と桂華証券の主導権争いが、銀行局と証券局の主導権争いに変わるまでそんなに時間はかからなかったのだ。
で、税金絡みで動く国税局は消費税5%値上げに伴う諸々で動けず。
結局は取ろうとした税金以上に、うちが金融機関救済に使って溶かした事実を持ってお咎め無しの方向に持っていった泉川大蔵大臣と加東幹事長の勝利となった。
「後からなにか因縁つけられない?」
私がデザートのプリンをスプーンでつつきながら懸念の声をあげると、一条が肩をすくめて言い放った。
この世界における華族の存在意義を。
「華族の不逮捕特権がある限り、最後は国税局は折れざるを得ません。
この不逮捕特権で、最も使われている犯罪は脱税なんですよ。
うちはこれでも限りなくグレーに近い白を通っているつもりですが、何か言われたら桂華院公爵家が出てくるので国税局も動きたくないでしょう」
「また、これらの口座についてはお嬢様が未成年であることから、私がお嬢様の後見人となっております。
同時に、口座間の資金のやり取りは私と一条の同意でしか動かせないようにしております」
最後に泥をかぶるのは橘と一条だから安心しろ、と言いたいのだろうが、己が子供であるから責任をとれないという事実がもどかしく感じる私が居た。
「かといって、このまま二人が泥をかぶるのはまずいわね。
合法的に、お金を日本に持ってきて使える手段を考えましょう」
そして食べ終わった私が手を合わせたので橘と一条もそれになって皆で声を合わせた。
「「「ごちそうさまでした」」」
ムダに多いムーンライトファンド
元ネタは『マンクス2 7100便着陸失敗事故』。
ここまで会社をロンダリングすると、結局責任はどこよと『メーデー』を見ながら悲鳴をあげたのは私だけではあるまい。
なお、この惨劇は日本においてはツアーバスで繰り返され、バス行政転換のきっかけとなる。
スイス銀行
某漫画で有名なスナイパー御用達の銀行だが、スイス銀行という銀行は無く、スイスに本拠を置くプライベート・バンクの総称を指す。
お嬢様の資産を有象無象から守り抜く為のベストな選択だったのだが、ロマノフ家がここに秘密資産を預けたまま滅亡した結果スイスの金融業は発達したなんて与太話があるぐらい、スイス銀行とロマノフ家の縁は深かった。
それが何を皆に想像させるかというと……
消費税値上げ
97年に値上げされ、翌年の与党参議院選挙大敗のきっかけにもなる。
巨大官庁である大蔵省はあの年、拓銀や山一だけでなく、悲願である消費税値上げにも奔走されており、その力を十二分に発揮できなかった。
時代は、時にそれを必然と思える理由をきっちりと用意するからたまらない。