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お嬢様の貯金箱 (なお当人は知らない模様) 2020/9/12 投稿

 橘隆二が一条進と藤堂長吉を内々で呼び出したのは、桂華金融ホールディングスの設立準備でてんやわんやだった時期だった。

 赤坂の料亭に時間をずらして入った三人はそれぞれ別の席で宴会をする事になっており、さりげなく中座して別でとっていた個室に姿を見せる。

 この料亭を予約した橘は既に座り、このような場所に慣れていた藤堂も先に来てくつろいでいる。

 日本の政治は夜動くとはよく聞くが、その夜の仕掛けに初めて触れた一条は最後にやってきて汗を拭きながらその感想を漏らした。


「まるで小説か映画のようですな。

 それを自分が体験しているという実感がまだ湧きませんよ」


「慣れてもらわないと困ります。

 一条さんはお嬢様の金庫番なのですから。これからこういう席に必ず呼ばれますよ」


「確かにな。

 まぁ、今回は身内の席だ。

 酒はともかく、先に仕事の話をしようか」


 藤堂の言葉に橘が横に置いていた書類を一条と藤堂に手渡す。

 それは、この三人しか知らないお嬢様の金の流れの一覧だった。


「お嬢様の資産は米国のIT株で財を成しているので基本ドル建てです。

 現在はロシア国債を引き受け、代物弁済で得た原油を国内に運んで販売する事で日本円に変えているのですが、国内の受取口座がないのです」


 これまでのお嬢様こと桂華院瑠奈の日本国内での企業買収は、日本の金融機関から日本円で借金をして、それをドルで返済する事で成り立っていた。

 為替リスクもあるが、元が金融機関で焦げ付いていた不良債権を満額で買い取るのだから、金融機関側もそのリスクを許容したのである。

 だが、桂華銀行及び桂華証券をはじめとした設立予定の桂華金融ホールディングス、帝西百貨店グループを管理する事になった赤松商事等の企業グループが形成されるに及んで、このあたりが問題になろうとしていた。

 つまり、お嬢様の中枢であるドル建てのムーンライトファンドにどうやって儲けた金を戻すかという話である。


「桂華院家の口座に振り込めばいいだろうに?」


 藤堂の言葉が疑問形なのは、その先をうっすらと感じ取っていたからに他ならない。

 そして、藤堂の予感どおりの事を橘は口にした。


「その桂華院家が信用できないのです」


 押し黙る三人。

 桂華院瑠奈はかつて誘拐されかかった過去がある。

 しかも、実行犯が桂華院家関係者だった事がこの沈黙を雄弁にものがたっていた。

 身内ほど信用できない。


「そういえば、お嬢様は買ったはいいが、損が出ない限り基本放置なんだよな。

 報告に行った時も『損してないならいいわ』の一言で片づけたし」


 藤堂がぼやき一条が続く。

 似たような経験を彼もしたらしい。


「桂華金融ホールディングス内部の主導権を全くとりませんでしたからね。お嬢様。

 都市銀行や証券会社、旧大蔵の天下り組を相手にした魑魅魍魎相手に桂華金融ホールディングスができたのもそのせいだから、私はなんとも言えませんが」


「今はまだいいです。

 ですが、これからは藤堂さんの所を経由して桂華銀行のお嬢様の口座に莫大な利益が入り込むことになります。

 このままではそれを守るのは難しいのでこうして集まってもらった次第で」


 橘の言葉は穏やかながらも凄味があった。

 彼がフィクサーとして多くの闇を見ていたというのもあるが、その過程で人というものがどれほど醜く容赦がないかを見てきたし、その醜く容赦がない事をしてきたからに他ならない。

 一条が呼ばれた理由について察しをつけ、それを口にした。


「信託銀行。

 あれはいずれ合併される予定ですが、それを使う腹ですね?」


「ええ。

 お嬢様の了解はとっております」


 橘はため息をつく。

 『儲かっているならいい』なんて言っているお嬢様に信託業務の事を詳しく知るつもりはなく、儲かったお金を入金する口座を作ると聞いて了承したに過ぎない。

 この時のお嬢様は、通帳に入っている億の金よりもお財布に入っている数千円こそが大事であり、目下メイド長に『マンガや小説やお菓子やゲームを買い過ぎです!』と叱られて言い訳する事に必死だったなんてこの三人が知る訳もなく。


「桂華院家がお嬢様の財産を引き出す可能性があると?」


 海外のプライベートバンクが中枢であるムーンライトファンドは橘と一条しか全容を知らないので、桂華院家が手を出すことはできないが、国内の口座は別だ。

 ここに入るだろう桂華金融ホールディングスや赤松商事の利益に手を出す可能性が否定できなかったのである。

 藤堂が切り込み、橘が淡々とそれを肯定した。


「この口座に入る予定の現金、一条さんは分かっているでしょう?」


「……今年だけで五百億はくだらないはずです。

 で、桂華院家が持っていた桂華グループの総利益は百億前後という金額を知っていると、その話の現実味はグッと上がるでしょうね」


 一条は書類をめくり、現在の信託銀行のリストを取り出す。


「現在、設立予定の桂華金融ホールディングス傘下になるだろう信託銀行は、一山信託銀行、長信信託銀行、債権信託銀行の三つですね。

 これを一つにする形で桂華信託銀行が設立されるのですが、ここにお嬢様の口座を作ると?」


「ええ。

 同時に、ここの人間だけはきっちりと固めてください。

 上の椅子取りゲームに参加するつもりはありませんし、この子会社まで重役椅子のお歴々が気にすることはないでしょう」


 橘と一条の話に、藤堂が口を挟む。

 藤堂の顔には、ためらいが少しだけあった。


「ちょっといいか?

 あまりというか胸糞悪い話ではあるが、身内が信用できないならば、外から忠臣を連れてくるしかないだろうよ」


「そんな人材が居るのですか?」


 桂華院瑠奈は桂華院家本家の子ではない。

 あくまで桂華院家の次代は本家御曹司である桂華院仲麻呂であるという姿勢を崩しておらず、だからこそ桂華院家譜代や側近が桂華院瑠奈についていなかった。 

 そういう人材を身内から連れてこれない以上、外から持ってくるしかない。

 一条の確認に、藤堂は意を決して口を開く。


「……北日本のパワーエリートたちだ。

 その実態は、孤児を利用したスパイ養成の洗脳工場」


「北日本政府の最暗部の一つ、『豊原の娘たち』の事ですね?」


 日本の総合商社は、日本の諜報機関としての側面がある。

 人との繋がりが大事なネットワークビジネスから上がる膨大な情報は国家に吸い上げられて、東西冷戦終結時の北日本政府併合の一因にもなっていた。

 ましてや、極東の石油市場で名を轟かせた藤堂はロシアだけでなく、共産中国、北日本の資源人脈に絶大なコネがあった。

 元々そういう暗部側に居た橘が確認するように声をかける。


「併合後の樺太統治は政府だけでなく岩崎財閥を筆頭とした財閥の支援の下進められていますが、市場化に伴う失業率の増加と社会不安は完全に払拭できていません。

 そういう孤児たちをお嬢様につけても大丈夫かどうか……」


「既にお嬢様にはCIAが目をつけているのだろう?

 お嬢様の側近団育成は、もう残り時間がないんだ。

 選別して、教育して、つけるとしたら中学生からだろう。

 今からですら遅いかもしれんがやらないよりましだ」


「どう考えても、人身売買じゃないですか。それ」


 一条の声には躊躇いがあった。

 だが、藤堂は既に腹をくくっていた。


「お嬢様がまた身内から誘拐されないとも限らないだろう?

 外からの忠臣は金が払われている限り契約には誠実だ。

 子供たちだけでなく、大人もこの際だから雇っておいた方がいいのかもしれん」


「旧北日本軍の退役軍人ですか?」


「ああ。

 お嬢様を信用していない訳じゃないが、ロシアの政情は正直良くない。

 そこでの国債引き受けは、桂華グループとしては莫大な利益を出す神の一手だろうが、それがロシア国民に与える影響を軽視しているふしがある。

 北樺太の帰属で日ロが燻っている現状、生まれを考えたら確実にお嬢様は神輿として担がれるぞ」


 一条は立ち上がる。

 それは、彼の忠誠と良心のギリギリの線なのだろう。


「今の話、私は聞かなかったことにします」


 一条が去った後に藤堂も立ち上がる。

 一条が去った扉を眺めながら彼はひとりごとのようにぼやく。


「そうしてくれ。

 金庫番は綺麗でないとお嬢様にまで累が及ぶ。

 汚れ仕事は俺と橘さんがするさ」


「わかりました。

 藤堂さん。

 この件は私の責任で極秘裏に進めてください」


 藤堂が去った後、橘も料亭を去る。

 彼がお嬢様の屋敷に帰った時、パジャマ姿の彼女は玄関にわざわざ出迎えてくれた。


「遅かったわね。橘。何処に行っていたの?」


「外で食事を。

 久しぶりに、美食と美酒を堪能させていただきました」


「大人の付き合いかぁ……

 本当にご苦労様。無理しないでね」


「大丈夫ですよ。お嬢様。

 さぁ。そろそろ寝てください」


「もぉ。橘はすぐ私を子供扱いするー。

 私、これでも小学生なんだから夜更かしも平気なのに……ふぁ……」


「目がとろんとしていなければそのお言葉は本当と信じてあげられるのですが」


「うん。おやすみなさい。橘」

「はい。おやすみなさい。お嬢様」


 橘はこの口座の事をお嬢様に言わなかったし、お嬢様はそんな口座がある事を知りもしなかった。

 そして、桂華信託銀行に作られた口座には数百億円単位の入金が行われる事になる。

活動報告に書いた信託銀行ネタの消化。

三人のスタンスが書いていてなんとなく見えてきた。


元フィクサーで表に出てお嬢様の為に手段を問わないのが橘。

商社という表側から裏にアクセスして、お嬢様の為に腹をくくったのが藤堂。

バンカーとしてお嬢様の為に暗部に触れなかったのが一条。


信託銀行

 調べて、これお嬢様が一番必要なものじゃねーかと今更ながら悟る。

 破滅時に安心の倒産隔離機能。実際はそこまでうまくいかないらしいが、この話を書くきっかけがこのワードである。

 要するに稼いだ日本円を桂華院家がアクセスできる口座でなく、アクセスできない口座に入れようというのがこの話。


パワーエリート

 この言葉を知ったのは『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』だったり。

 側近団や北日本の傭兵雇用の背景に誘拐未遂事件から端を発した桂華院家への不信感があったり。

 このあたりも書き出すとドロドロさが。

 当人たちは気にしてないが周りがヒートアップするんだよ。


豊原の娘たち

 元ネタは『チャウシェスクの子供たち』。

 これも胸糞案件なのだが、更に秘密警察が孤児を育成して……

 このあたりのネタの漫画が『マスターキートン』の最終巻だったり、『MONSTER』だったりする。

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