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お嬢様飛翔 その4 12/25 投稿

 別タイトル『一条先生の経済学』

「正気ですか!?

 お嬢様!?」


 私の北海道開拓銀行買収発言に叫んだ一条に私は肩をすくめて言い放つ。

 とてもあっさりと。


「あまり正気でないかもしれないわね。

 せっかくだから、一条。

 私にもわかるように、なんで北海道開拓銀行を買収する事が正気でないか教えてくれないかしら?」


 この間、橘は何も言わない。

 少し落ち着いてきた一条は私をじっと見た上で、確認を求める。


「どのあたりから?」


「最初から。

 私も、本当にこれが正しいのかわからないから。

 きちんと説明を受けて間違っているのならば、この話は撤回します」


 一条は私を見つめたままため息をついた。

 その上で、己の財布から百円玉と一万円札を出して、私の目の前に置いた。


「お嬢様に質問です。

 お嬢様はこのお金で物が買えるということを知っています。

 では、どうしてこのお金で物が買えるのでしょうか?」


「なかなか難しい事を言ってきたわね。

 ……お金には、それだけの価値があるから?」


「いいところを突いてきましたね。

 お嬢様。

 正しくは、『価値という共同幻想の可視化』です」


「価値という共同幻想の可視化?」


 私がその言葉を繰り返している間、一条は財布からさらに千円札九枚と小銭を出そうとして橘に話しかける。

 足りなかったらしい。


「橘さん。五百円玉ありますか?」

「一枚でよろしければ」


 テーブルの上に並べられた一万円札と千円札九枚と五百円玉一枚と百円玉五枚。

 これを並べて一条は説明を続ける。


「私達は、この一万円札一枚とこっちのお札と硬貨が同じ価値であると理解しています。

 ですが、たとえば日本を知らない宇宙人がこれを見て、同じ価値であると理解できるでしょうか?

 これが、価値という共同幻想可視化の本質です」


 ふむふむ。

 私は頷いて理解している事をアピール。

 一条は橘に五百円玉を返し、お金を財布にしまう。


「お金の本質が価値であるという事を理解した上で、今度はその価値の取り決めについて語りましょう。

 価値というものにはいくつかのルールがあります。

 まず、第一かつ絶対的なルールは、相手が居ないと成り立たない事」


 一条の説明に私が首をかしげると、一条はなおしたばかりの財布から百円玉をまた出して私の前に置く。


「私一人だったら、この百円玉を一万円と言い張っても問題ないでしょう?」


「あー」


 思わずぽんと手を叩く。

 相手がいるからこそ、価値というものは成り立つのだ。


「では、お嬢様がこの場にいる事にしましょう。

 私がこの百円玉を一万円と言い張っている時に、お嬢様はこう言います。

 『これ百円玉じゃないの?』。

 さて、どちらが正しいと思います?」


 あきらかになにか企んでいる一条の笑みを見て私は少し考える。

 とはいえ、最初からと頼んだのは私なのだから、一条が期待する答えを言ってみることにしよう。


「私じゃないの?

 だって、百円玉って書いているじゃない」


 待ってましたとばかりの笑みを見せて一条は私の踏んだ罠に追撃をかける。

 その指摘は、たしかに私にとって盲点だった。


「正解は、『どちらも正しくない』なんですよ」


「へ?

 百円は百円じゃない?」


「お嬢様。

 その百円は本当に百円なのですか?」


「?」


 何を言っているのだろうこいつという表情を浮かべた私に一条はまた財布から一万円札を出す。

 なおしたり出したり忙しいなと思っていたら、一条は一万円札を百円玉の隣において言い切った。


「よく考えてください。お嬢様。

 こ ん な 紙 切 れ 一 枚 が この硬貨百枚と同じ価値を持つと本当に信じているのですか?」


「……」


 私は黙り込む。

 こここそが近代経済の偉大なる革命的発想。

 信用の根幹を成すのだから。


「私達はこれが百円であるという前提で会話を行っているわ」

「正確には、これが百円であるという保証をした第三者を信じているですね。

 その第三者こそ、日本銀行。つまり国です。

 これが現代社会のお金というものの本質。信用貨幣といいます」


 一条はそこまで言って、少し視線をそらした。

 まだここまでは話の半分なのだから。


「少し喉が乾きましたね。

 せっかくですから、コーヒータイムといきませんか?」

「私、グレープジュース!」

「かしこまりました。

 時任に用意させますのでお待ちを」


 橘が部屋を出てゆく。

 いつの間にか、この授業が面白くなっている私が居た。

 前世でこういう事を知っていたならば、きっとあんな最期は迎えなかったのにとちらっと思ったが、橘と亜紀さんが飲み物と茶菓子を持ってきた瞬間に私のお腹が鳴った。

 どんなに背伸びしても、まだまだ体はお子様としてお菓子を所望しているらしい。


「はい。

 お嬢様の大好きなプリンですよ」


「わーい。

 プリンー♪」


 コーヒーを飲んでいた一条が授業を再開したのはそんな時だった。


「お嬢様。

 そのプリン美味しそうですね。

 よかったら、私に百円で売ってくださいませんか?」


「百円でなんて売りません!

 このプリンにはもっと価値があるんだから!!」


 食い物の恨みはなんとやらではないが、結構本気で拒絶する私。

 ここのメイドお手製のプリンだから、美味しいし高いのだ。

 それを見た一条が、すっと、出しっぱなしの一万円札を私に差し出す。


「では、この一万円でそのプリンを売ってくださいませんか?」


「……くっ!」


 今は良い所のお嬢様である私だが、前世は一般ピーポーの私。

 一万円という価値に魂が反応してしまっていた。

 その反応を見て、この場にいる三人が笑う。


「お嬢様。

 わたくしたちのプリンをそこまで評価して頂いてありがとうございます。

 一条様。

 お嬢様を困らせないでくださいませ」


 亜紀さんの物言いに一条は両手をあげて私は悪くないアピールをする。

 その仕草に思わず私も笑ってしまった。


「さすがに食べませんが、そのプリン少しだけこちらに貸して頂けませんか?」

「……食べちゃ駄目だからね」


 一条は私の前に一万円札を置いて、プリンを自分の前に持ってくる。

 これで私は一条に一万円でプリンを売ったという事なのだろう。


「さて、私は一万円を出してこのプリンを買ったのですが、これは自分が食べるためでなく、別の人間に売って利益を得るために買ったものです。

 という訳で、橘さん。

 このお嬢様のプリン、二万円で買いませんか?」


 ブラックコーヒーを飲んでいた橘はプリンをちらりと見て一言。


「私、甘いものは苦手なんですよ」


 よくできた芝居のように橘は言い放ち、一条は実に困ったそぶりで周囲を見渡す。

 ここまで来ると、あのプリンがどのような役割なのか理解できた。

 亜紀さんお手製のプリンは、日本経済における土地や株の代わりなのだ。


「さて困った。

 私は別にプリンは食べたくないし、このまま放置したらプリンは腐って食べられなくなる。

 そうなったら、誰も買ってくれない。

 仕方がないので、お嬢様。

 このプリン買いませんか?」


「百円でよかったら買うわ♪」


 私はテーブルに出したままだった百円玉をとって、一条の方に差し出した。

 一条は私の百円を受け取ってプリンを戻してくれた。

 そして、実に白々しい芝居を続ける。


「なんとかプリンを処分できましたが、私の財布からは一万円札が消えてしまいました。

 妻が財布を見て、『一万円何に使ったのですか?』なんて尋ねたら夫婦喧嘩勃発ですね」


 これが不良債権の本質である。

 ほしいと思った人間が価格を釣り上げ、買い手が見つからなければ値段は下がる。

 簿価と時価という価値の違いがここまで差額を生むという事まで示していた。


「そこを、なんか怪しい手段でどこからかお金を用意した私が、一条に一万円をあげて夫婦の危機を回避したって訳ね」


「そのとおりです。お嬢様。

 一万円のプリンですらこうして夫婦喧嘩の危機になります。

 土地や株という不良債権は、文字通り桁が違うんです」


 先ほどとは打って変わって真顔で一条は言い放つ。

 バブルとその崩壊の最前線に居た一条だからこそ、その言葉には重みがあった。


「第二地銀の極東銀行ですら、まだ四百五十億円の不良債権を抱えていました。

 それまでにいろいろ処分しましたから、極東銀行の不良債権は最大時一千億円近くあったはずです。

 北海道開拓銀行は下位とはいえ都市銀行です。

 間違いなく、不良債権額は極東銀行の額の桁一つ上のはずです」


 兆の資金を用意できるか?

 時間があるのならば、ITバブルでなんとかできるだろう。

 だが、北海道開拓銀行は市場の売り浴びせによって、秋には破綻する。

 明らかに時間が足りない。


「ならば、手は一つしかないわ」


 真顔でプリンを食べながら私は言い放った。


「日銀特融。

 大蔵省を動かして、日銀特融を引っ張る策を考えるのよ」

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