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洞穴と迫るローゼ姫


 俺達が崖っぷちで横ばいになりながら進んでいる最中だ。

 亜利奈が突然、


「……あ」


 と、つぶやきぽんっと手を打った。

「? どうした?」

 俺が聞くと、亜利菜は「えっへっへー♪」とご機嫌そうな声を出し、そして。


 なんとふわりと宙に浮かんだのだ。


「そうだった! 亜利奈、飛べるんだったよね!」

 そう、俺達と一緒に横ばいになって一生懸命崖の端を歩んでいる亜利奈は、実は空が飛べるのだ。にもかかわらず、俺達と一緒に落っこちたら命がないとひやひやしながら横ばいになって歩いたんだ、あいつ。飛べるのに!

 あー、もー。勇者さんはすごいよね!


「え、えへへ、もっと早く気付けばよかったねー」

 こっちは命張ってるっつーのに、こいつ。

 俺は腹が立つのを通り越してちょっと感心してしまった。

 たぶん、無表情になってたと思う。

 その様子に亜利奈はひぃっと顔色を青くして、

「さ、ささ、先回りして様子を見て来るから赦してぇ!」

 と、ぴゅーっと飛んで行ってしまった。

「あ! 助けを呼ぶとかもっと有効手段があるだろ!」

 あー、くそ。行っちまった……。




 そこから少し歩んだ先で、ぽっかりと崖を抉るようにしてできた洞穴が現れた。

 奥行きがなさそうな浅いもので、天井も低く、俺が立ち上がると頭を打ち付けるような有様だったが、小休止するには申し分ない。

「よかった、やっと息がつける」

 俺達はそこで亜利菜の帰りを待つことにした。

 E:IDフォンからビニールシートを呼び出して、腰の落ち着ける場所を造った。

 水筒の水をコップに注ぎながら、

「道に迷ってないかな、亜利菜。

 あいつはそそっかしいから、指示も聞かずに行っちまったし」

 そう亜利菜への愚痴を漏らすと、

「亜利奈さんがイワン王国まで辿り着ける思えませんし、ガルバドス領の駅家ではまともな救援は望めそうにありません。これでよかったのでしょう」

 ローゼ姫はコップを受け取りながらフォローしてきた。

 それに口を付けて、


「むしろそそっかしさで下手人を殺してしまわないかそっちのほうが心配だわ」


「はい?」

「いいえ、こちらのお話です」

「いやなんかゲシュニンとかコロスとか聞こえ、」

「まさか。空耳ではありませんか?」

 えぇー?

 結構はっきり聞こえたんだけど?

 追及しようとしたところで、ローゼ姫がこほんという咳ばらいでそれを遮り、

「そ、それより……祐樹様――、」

 と、目を伏せて、例のモジモジをはじめてきた。

「せっかく二人っきりになった事ですし。

 ね? これで気兼ねなく……うふふ♪」

 この断崖絶壁のサバイバル状態でムード成形されてもね。

 気兼ねなく一体何をしろっていうんだこのお姫様は。

「ローゼ姫、ロケーションを考えてよ」

 そう窘めると、すかさず姫は、

「場所は大した問題ではありませんわ」

 とやたら断定的に切り払った。

「いやいや。大問題ですよ姫殿下。

 俺たち今、生きてここを脱出できるかどうかの瀬戸際だよ?

 せめて王国に帰ってからにして」

 すると姫はなにやらむすっとして、

「王国に帰ってからでは遅いです」

 などと膨れてしまった。

「はぁ? なんで?」


「だって、祐樹様の傍にはいつも亜利菜さんやミストさんがいるではありませんか。

 こんな風に、確実に二人っきりになれるチャンスは滅多にないんです」


 うあー……。

 ここでそういうこと言っちゃう……?

「わかった、帰ったら一緒に城下町に行こう

 二人っきりで。それでどう?」

 すると俺を見つめるローゼ姫の瞳が潤んだ。

「亜利菜さんやミストさんが大人しく留守番しているはずないでしょう?」

 うぅ……。そんな目で見ないでくれよ。

 確かに、亜利菜はともかく、ミストに尾行でもされたら修羅場だ。

 だからって、こんなに必死にならなくてもいいのに。

 偉そうに言ってるけど、ローゼ姫はイワン王国のアイドルなんだぜ。

 俺みたいな小市民に気持ちを向けられるだけでも、本当はありえない事だし、何より俺は姫の事を、うん。

 そりゃあ気にはなるさ。こんな美少女に死ぬほど好きだって言われて、動揺しない奴はそっちのほうがどうかしてる。


 ――ズキッ。


 それを再認識すると胸の向こうがチクチク痛い。

 そうだよ。俺はローゼ姫の事が好きだ。




 姫として凛としていて、それでいて俺しかしらない一面を垣間見せながら、愛してくれるこの子が好きだ。

 でもそれを認識する度に、嫌な塊が内臓を蝕む錯覚で、痛みを感じる。

 じゃあ、ミストは?

 じゃあ、亜利菜は?

 俺に気持ちを向けてくれる女の子は一人じゃないんだ。

 いや、気持ちを〝向けて〟くれる、じゃない。

 俺の好きな子はもう、たった一人に決められなくなっていた。

 ――それって最低じゃないか。


「なあ」

 ふと、口をついてしまった言葉は、

「ローゼ姫は、俺のどこが好きなんだ?」

 そんな一言だった。

「え……?」

 ほら、変なこと言うからローゼ姫が固まった。

 ――こんな試すようなことして、何がしたいんだろうな、俺は。

 一体、何を確かめたいんだろう。

「いや、深い意味はないけど。

 俺みたいな奴の一体どこが好きなのかなって」

「全てです。この気持ちは、言葉では言い表せられないほどのものですから」

 姫はそう答えたが、なんというか、どこか紋切り型のような印象を覚えた。

「そういうのじゃなくて。もっと具体的にさ」

 俺は異世界の人間で、名誉市民なだけの外国人で。

 ローゼ姫はイワン王国のただ一人のお姫様だ。

 好きになっても――いずれ大事な決断を迫られる。

 だから――……、


「私がなんと申し上げれば、祐樹様の気が晴れますか?」

「――っ!?

 べ、別に俺の気を晴らしたいとか……」

 動揺して息を呑んじまった。

 そこに、ローゼ姫は畳みかけるように、

「このローゼに、浮ついた言葉を求めているのでしょう?

 やがて燃え尽きる愛だと認識したいのですね?

 違いますか?」

「いや……その」

 違わない。姫はそれを全て見透かし、どこか得意げになって、

「ふふふ、このローゼを見くびってもらっては困りますわ。

 祐樹様の事を理解せずに情愛と忠誠を捧げているとでも?」

 俺は姫の眼に不思議な輝きを感じていた。

 薄暗い中に置かれたロウソクの灯のような、そんな虚ろな輝きだ。

「このローゼをお嫌いですか?

 ご迷惑ですか? 倦厭されていますか?

 いいえ、違います。

 果樹から果物をもぎ取るように、あなた様は手を伸ばしたいのですよね?

 そう、いつだって!」

「そ、そんな事わかるわけないだろ?」

「わかりますとも!

 あなたに愛されている事は、常に肌に触れるように感じていますわ!

 相思相愛とは相手の想いすら感じ取れるのですね!

 素晴らしいでしょう!?」

 天を仰ぐようにしてそう断言するローゼ姫は、ふっと真顔になると、


「――でもあなたは踏み出す意気地がない。

 ローゼの生来の位や、ほかの女たちとの関係に怯えて!」


 姫が詰め寄ってきた。


「決めかねているのですね?

 誰を選ぶか、誰を切り捨てるのか」


 俺の全てを暴きたてながら、姫は攻め立てるように向かってくる。

「ちょっと……姫、待って」

 この狭い洞穴で、俺はあっという間に逃げ場を失った。

 壁の端に背中を預けるが、彼女は這うように詰め寄り、そして、

「だから祐樹様は今、私にそれを転嫁しようとしたのですね?

 ローゼの想いは薄っぺらい物だと期待して、甘んじようとしたのですね?

 甘んじた先で――、」




「ローゼを切り捨てようとしましたね?」




「――……」

 言葉が出なくなってしまった。

 全て彼女の言うとおりだ。

 俺はどこかで、姫に軽々しい答えを求めていた。

 なんというか、恋に恋してる、そんな思春期の淡い恋だと言って欲しかったんだ。

 そうであれば俺はこんなに思いつめることはないって。

 自分が楽になりたいがために、俺は今、それを全部相手に丸投げしていた。

 ――ズキッ。

 あの痛みが襲う。

 なんて事を言い出したんだ。

 やっぱり最低だ、俺は。

 自己嫌悪でいっぱいになった俺に、姫は笑むと、

「祐樹様。もう少しご自愛ください。

 そのように思いつめることなど何一つありません」


 気休めの言葉をかけてくれる、――そう思ったが、


「もう逃げられないのですから。

 身を委ねてしまえばいいのですよ」

 そんな恐ろしいことを言ってきた。


「身を委ねるって、――何に委ねろっていうんだよ」

 そういうと、姫はまたふふふっと笑い。

「もうご存知のくせに」


 正直、何のことを言っているのかわからなかった。

 姫を手に取ることなのか。

 亜利菜やミストを選ぶことなのか。




 ――それとも、全てを……?




「ああ、そうでした、祐樹様のどんなところを愛しているか。

 ちゃんとお返事しなくてはいけませんね」

 ローゼ姫がいよいよ覆いかぶさり、俺の耳元でこう囁いた。



(私をこんなに堕落させてしまったところ、ですわ)



 ……彼女はそういう言葉で、俺を上手に縛っていく。

 それだけはなんとなくわかった。

 その責任を問うようなことはしない。

 俺が勝手に抱え込むことを、計算しているからだ。

 姫のうなじの香りが俺の鼻腔を擽る。

 俺を求めて醸し出す不思議な色香をすぐ傍で感じ、胸が高鳴った。

 目の前にある姫の身体を抱きしめようと……、




 ……。やっぱり、最後の意気地が出なかった。

 そこで流されてしまうだけでは、俺は彼女たちをただ裏切るだけなようで、その最後を踏み出すことができない。

「ふふっ」

 縋りつくローゼ姫が緩く笑った。

「とはいえ、ご無理は申しませんわ」

 姫は俺の身体から離れると、もう一度にっこり笑い、

「かくいうローゼも、心の準備ができてないみたいです。

 祐樹様となら死んでもかまわないなどと、あれだけ迫っておきながら、いざあなたの鼓動を直に受け止めると、その、」

 そう言って火照った頬に手を添えて、俺から目を背けると、


「夢想する以上の力強さに、竦んでしまって。

 ……なかなか難しい物ですね」


 ……、可愛い。素直にそう思った。

 この子の事を大事にしたいとも――、










「さあ祐樹様。これでもう、ローゼを裏切ることはまかり通りませんよ」

 なんか、ローゼ姫がつやつやしてる。

 ひとしきり俺を責め立てることで、いったい何の充足感を得たのだろうか。

「まあ今回は、激しく動揺する祐樹様を堪能させていただいたので良しとします。

 これで亜利菜さんよりもローゼに分が……あら?」

「どうしたの?」

 姫は何かに気づいた様子で、身をかがめながら洞穴の奥に向かい、そんで、壁をぱっぱと払い始めた。

 土埃で気づかなかったが、そこにはいくつかの壁画らしきものが描かれていた。




 一人の剣を持った男が居て、彼の傍にそれと同じくらいの卵がある。

 その下には次のシーンだろうか、卵の中から剣士そっくりのもう一人の男が現れた。

 彼らがお互い歩みを始めたところで壁画が掠れていく。




「ソウマとハオマ、でしょうか?」

 ローゼ姫がそう推察した。

「二人の墓が近いのだとすれば、そうかもしれないけど。

 でもなんだろうこの卵。

 ソウマとハオマは双子の剣士じゃなかったの?」

「自らは〝同一人物〟と名乗っていたそうですが」

「卵からクローンが出てきたってこと?」


 偽物については俺達にも心当たりがある。

 イスキー侯爵だ。サラマンダーカノンのダメージで黒い化け物に変わった。


「この壁画だけではなんとも言えませんね」

 そう言って姫は興味が増したようで、あたりの壁をひたすら擦り、




 ――カチッ。




「「……」」




 今、嫌な音鳴らなかったか?

 ギギギギギギ、っと地面が揺れていき、洞穴の入り口がふさがっていく。

 何かの仕掛けが動き出したみたいだが、この体勢じゃ急いでも脱出は間に合わないし、駆け出したところでその先は断崖絶壁だ。

「ゆ、祐樹様……」

 姫は泣きそうな顔でこちらを向き、

「祐樹様と屍になることも恐れません」

「お願い、今そういうの言わないで」




 バタン。




 足元が急斜面に変形し、視界が暗転。

 滑り台の要領で、俺達は暗闇の中に突入していった。

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