アペロの恋
「まーったく、僕が拾いに来なかったらどうするつもりだったんですかぁ?」
城下町を、燕尾服姿の一人の青年が歩いている。
すらりとした体型に、高めの身長、端麗な容姿の美青年だ。
彼はこぶし大の大きな宝石を片手に持ち、
「とっさに自分を宝石に再構成したのは褒めて差し上げますが。
エリクサー盗られちゃったのはもう、擁護のしようがありませんねぇ」
そう言ってぽん、ぽんと、ボールのように軽く投げてはキャッチ、高く投げて一回転してキャッチ、また投げてキャッチ、そんな手遊びを繰り返しながら、誰かに文句を言う。だが彼に同行しているらしき人影は無い。
彼はマイユ、ピネガーの従者を名乗った青年だ。
「だいたい〝ちょっと様子を見て来る〟は古今東西死亡フラグだって言わなきゃわかんないんですかお嬢様。
あーあ、これ、僕が責任問われるのかなぁ。
てか、どうします? このまんまじゃエリクサー、取り返せませんよ」
更にぽん、ぽんと宝石を弾ませ、
「こうなったら、こちらの時間軸のお嬢様に助けを求めるしかないかもしれませんね。お嬢様と同じ人物であれば……痛っ!? いってぇ!?」
マイユは宝石を持っていた手を振いながら悲鳴を上げる。
「今の何、静電気ッ!?
……あ! 圧電効果か!」
鉱石に中には、圧力をかけるとわずかに発電する物質がある。
マイユが持っている宝石はその類の性質を持っているようだ。
「――宝石に化けるにしても反撃は考えてたんですね。さっすが。
でもお嬢様、こっちのお嬢様を巻き込みたくないのはわかりますが、エリクサー無かったらあなたの身体も元に戻せませんよ?
一生宝石として生きていくつもりですか?」
「……」
当然、宝石からの返事は無い。
マイユはふーっとため息をつくと、
「まー、確かにこの世界のお嬢様を絡ませちゃ本末転倒ですしね。
ここは僕が一肌脱いで、まずは敵の正体を……って。
――あれ?」
ほうり投げた宝石が帰って来ない。
見上げると、ガァガァと鳴きながら、一匹のカラスが高く舞い上がる姿があった。
光り物を好んで集めるその鳥類は、脚で器用に宝石を掴んでいる。
「あ――やっべぇ……」
その美貌を真っ青にしながら、彼は必死になってその軌跡を辿ろうと試みたが、空に居る相手に追跡は叶わず、結果、すぐに見失ってしまった。
「あ……あはは……」
彼は力なく笑うと、
「やらかした。どうしよう」
力なく地面に伏した。
――そこから数キロ離れた商店街地区。
栗毛色のストレートヘアを靡かせた、身なりのいい少女が歩いていた。
白い普段着用のワンピースと白くつばの大きい帽子をかぶり、清純さを演出する服装をしていた彼女は、辺りを見回してふぅっとため息をついた。
彼女の目線の先には貴族の娘らしき少女の二人組が、談笑しながら歩いている。
その服装は赤を基調としていた。
「やっぱり、都会では赤が流行っているのね。
この格好では恥ずかしいわ」
彼女はアペロ。執政官メッシュの娘だ。
普段は王城から距離のあるクテール領の学生寮で暮らしているが、父親が突然しばらく休んで実家に帰るよう言ってきたため、こうして城下町に繰り出した次第だ。
「お父様に言って新しいドレスを買ってもらわないと。
次にもし、ローゼ姫にお招きいただいた時に失礼だわ」
あれは夢のような時間だった。
今思い出してもうっとりとする。
赤のローゼ姫は、姫君という自分の立場を忘れ、ある外国人の少年への恋心を熱心に語ってくれた。邪悪な婚約者から命がけで救ってくれた勇敢な男性なのだそうだ。
でも彼女は姫殿下。本来、そんな身勝手な恋など許されるはずもない。
『私は彼が運命を越えて結ばれる奇跡の相手だと信じています』
彼女はそう唱えた。
――これは二人の共有の秘密だ。
ほかの人よりどこか夢見がちなアペロは、〝運命を越えた奇跡の相手〟という言葉に胸が弾み、ときめいた。
「私にもいつか――奇跡の相手が――」
胸に手を置き、目を瞑る。
ハンサムな騎士様だろうか、それとも美貌を内に秘めた芸術家だろうか。それとも、姫を射止めた殿方のような、想像の遥か向こう側にいる未知の男性だろうか。
閉じた視界の中で未だ見ぬ相手を空想して、宛てのない恋心を膨らませていく。
カツン。
「?」
目の前に何か落下した音がして、アペロは瞳を開いた。
足元に陽の光を弾くキラキラとした何かがある。
随分と大きな宝石が、彼女の足元に突如として現れたのだ。
「落し物かしら」
そう思って拾い上げたが、大きな宝石を、それも細工で覆っていない剥き出しの状態で持ち歩き、さらには落とすなんてちょっと不用心すぎるな。
「あらあら。どうしましょう」
周囲を見渡すが、落とし主らしき人影はない。
見るからに高価そうなそれを不可解な形で取得してしまい、アペロは当惑した。
父親に相談して然るべき機関に引き渡すのが一番か。
そんな事を考えながら、陽の光に透かしてみる。
――これはもしかして天からのお告げかしら?
不思議な宝石を目の前に、アペロはまたそんな空想をして微笑んだ。
これが奇跡の始まりだったら演劇みたいにロマンチックなんだろうな。
そう思っていたところで、
パッと、宝石が消失した。
「え」
唖然として見ると、汚らしいケープで覆った後ろ姿が怖ろしい速度で駆けて行く。
――ひったくりだ!
そう察知したものの、アペロは怯え、言葉を失う。
ひったくりです、誰かあいつを捕まえて!
そういう明瞭な発言がとっさに出来なくなり、
「き……きゃあああああっ!!」
と、悲鳴を絞り出すのが精いっぱいだった。
「〝新兵のすね当て〟!! 装備だ!!」
『ready……equip!』
そこに颯爽と駆けつけた一人の男が居た。
軽装な服装に、脚は兵士の履く鋼鉄のブーツというアンバランスな姿で、カンカンカンカンという音を立てながらアペロの横を駆け抜けて悪漢の背中に追いすがる。
だがそれを路地裏から現れた別の悪党が、二人組で阻んだ。
彼は怯むが、その背中から霧状の魔術を繰り出し、一瞬で二人とも撃退し、そしてさらに盗人へと追撃を行う。
ここでハッとなったアペロが悪漢と彼を追う。
曲がり角の先で、その決着はついていた。
彼は悪漢を打倒し観念して項垂れるそいつをロープで縛り上げている最中だった。
自分とさほど歳の変わらないであろう少年だ。
見慣れない風貌で、顔の作りもこの辺りでは見ない特徴があった。
外国人だろうか? 彼はアペロと目が合うと、
「……大丈夫?怪我してない?」
と声をかけてくれた。
「え、ええ」
目まぐるしい出来事で気後れしながらそう伝える。
「そっか、よかった」
そう言って彼はニコリと笑った。
――アペロの体の中心が、どくん、と跳ね上がった。
体温が一気に顔まで駆け上がり、そして脳天を突き抜けていく。
あ。これ。……奇跡だ。
この人が私の〝運命を越えた奇跡の相手〟だ――。
アペロはそう確信してしまった。
彼は宝石を悪党から奪うと、
「はい、これ。君のだろ?」
と手渡してくれる。
「……ど、どうも……」
そう呟いてアペロは受け取った。
一瞬で恋に堕ちた少女は、もう彼の顔も直視できない状態だった。
本当に宝石が彼を導いてくれた。
宝石をギュッと握りしめる。
これが奇跡じゃなくてなんだというのか。
アペロは足が震えるほどの歓喜で立ち尽くしてしまう。
「じゃあ俺、憲兵呼んでくるから」
そう言って勇敢な彼は、謝礼も求めず立ち去っていった。
――立ち去った!?
「い、いけない、お名前もお伺いしてない!」
アペロが角を曲がると、すでに彼の姿は無く、花束のような幸福感が一転、焦燥に散っていく。
奇跡の殿方ともうこれっきりとかなんて愚図なの私はッ!
泣きそうになりながら飛び出すが見晴らしのいい表通りにはそれらしき姿はない。
どこかの裏路地から近道をしたのか。
そう判断して陰る小径に入ると。
「――ダメだって、人来たらどうすんだッ!」
彼のもの、そう思しき声が響いた。
アペロは宝石を握りしめ、再び奇跡の到来を祈り、声のした路へと向かい、
そして。
彼の後ろ姿を確認して歓喜した。
早くこの気持ちを伝えよう!
う、ううん、それはびっくりさせてしまうわ!
落ち着いて、アペロ、はしゃぎ過ぎてはダメ!
何のために名門クテール校で社交術を習っているの?
まずは名前をお伺いして、そ、その前に名前を名乗って。
そうよ、お礼、お礼が先だわ!
〝助けて頂いてありがとうございます〟――これを伝えて、彼との会話を始めるの。
すー、はー。
深呼吸して一歩踏み出し、
「あのッ!」
奇跡の相手へ声をかけ――、
「――いぃっ!?」
アペロの視界に飛び込んできたのは、別の女性だった。
そして彼女は、どういうわけか、路地裏とはいえ白昼の街中で。
全裸だったのだ。
彼は青ざめた顔で振り返る。
その手には、女性ものの服がしっかり握られていた。
え。なにこれ。
この人達、一体何をしてるの?
なんで外で――裸?
それは無垢な少女の倫理観では受け止めきれないほどの情報量であり、そして舞い上がった恋心を奈落に落すには十分に破廉恥であり、当然、パニックになるのに必要な条件は揃っていた。
頬をつぅーっと何かが伝う。
最低だ。最低だ。
「……最低よ……」
「うわ、違う、これには事情が……ッ!」
彼が慌てふためいて何かを言う。が、彼女の耳には下手なトランペットの残響音のように、間延びした不快な音にしか聞こえなかった。
アペロの奇跡の恋は、ここで一気に蒸発し、その落差から何かの罵声を上げ、宝石を地面に叩きつける。
そして――その場から逃げる様に駆け出した。
†
「……」
み、見られた……。
裸のミスト……見られた……。
「えっと――ごめん」
後ろでミストがバツの悪そうな声で謝る。
俺はがくりと膝をつく。
「完全に変態カップルだと思われたぁ……」
だから俺はここで実体化するなって言ったんだ!
泥棒を追いかけてる最中、偶然通りかかったミストが加勢してくれたまではいいが、服の回収に手間取り、結果、ご覧の有様だ。
「家帰ってから元に戻ればよかったじゃん……」
「むぅ」
するとミストは俺から服をひったくると、
「文句ばっかり。
助けたお礼と、ご褒美ぐらいあってもいいのに!」
とご立腹しながら去っていった。
――ショックデカすぎて反論する気も起きねぇ。
俺は、俺が取り返したはずの宝石を拾うと――この世界の交番ってどこに行けばいいんだ?
とにかく、どうしようもないので一度E:IDフォンに仕舞う。
あーあ。ヒーロー気取りが一転、変態マンに降格だよ。
知り合いじゃなくてよかった、自殺するとこだった。
もうさっさと帰って思う存分落ち込みたいが、明日のガルバトス領への出発に備えるために買い出しを続けなければ。
そう自分に鞭打って、商店街へ繰り出した。
ピネガー(なんか知らんが勝手に偶像崇拝された挙句地面に叩きつけられたんですけどー)