前へ次へ
68/87

ガルバドス領の大豆

 イワン王国に隣接するシドールは共和制の国だ。


 長く君主制の国だったのだが、近年になってその国王が崩御し、跡取りが居なかったことをきっかけに、それぞれの領主が自治する権力を高め、国全体の事は領主たちの間で組まれた政府が取りまとめる制度が採用された。


 イワン王国との軋轢が生じたのも丁度その時期である。


 シドール共和国では君主制を〝時代遅れ〟とみる向きがあり、同時に自分の国が先進的であるという考え方があった。外交においては都度その態度が垣間見えていたのだが、数年前、『王家を解体してはどうか』などと行き過ぎた提案をし、それが両国の仲を決定的に悪くしてしまった。







 シドールのカルバドス卿は真っ青になっていた。年齢は40を過ぎたぐらいで、細目に高い鼻、白髪交じりの長髪、身の丈は160メートルほど。服装は細工をあしらった豪華なもので、彼の生活の良さを物語っていた。


 カルバドス領はシドールの極東にあり、イワンと隣接している領土の一つだ。

 あのイスキー侯爵と何年も睨み合いを続けた貴族である。

 その立地から、時代遅れのイワン王国を見張るという責務が発生し、そして同時にもう一つ、大切な仕事があった。

 海上のギャング、海賊船の運営だ。

 私掠船(しりゃくせん)と言い、本来ならず者であるはずの彼らに対し政府の公認を与え、敵国の商船を襲わせる特別部隊として運用するシステムだ。

 もっともシドールとイワンは今は〝険悪な仲〟に留まっており、直接的な戦争状態には至っていない。やっていることと言えば来るべき日に備え、貿易の縮小やこっそり魔物を放つなどして国力を削ぐ等々、有り体で言えば嫌がらせの応酬だった。そのため、私掠船の存在は非公式であり、イワン王国から見れば「商船がよく海賊船に襲われる」という不幸に映らなくてはならない。


 カルバドス領主は、自分の館の応接間にて、机に座り、それはそれは真っ青になっていた。そして脂汗をかいて頭を抱えてしまった。


 貴族の応接間らしい、人の半身ほどもある白磁器の壺や、胸像、絵画などで飾られた空間で、中央には白く足の高いテーブルが備え付けてある。

 カルバドス卿を怯えさせているのは対のテーブル席についている〝客人〟だ。

〝招かれざる客人〟と表現すべきかもしれないが……。


「あまり美味しくないですね、コレ」


 客人の少女が言う。赤いドレスが異様に鮮やかで、目に焼き付きそうだった。

「お言葉ですが、来客用の茶葉にはもう少しお金をかけるべきかと」

 赤いドレスの少女は、出されたお茶に平然と口をつけ、まるで自分の屋敷の様に落ち着いた表情をしている。あまつさえ茶葉に注文をつける余裕ぶりである。

 テーブルの上には、焦げ茶色の羊皮紙に描かれた地図が広げられていた。

 イワン王国の地図で、イスキー領の左隣りには僅かながらガルバドス領も記載されており、その上には何故か短剣が突き刺さっている。

 その隣にはもう一枚の羊皮紙だ。

 上部にはこの世界の言葉で『契約書』と書かれている。

「まあ、そのあたりも追々〝指導〟させて頂く事にしましょう」

 赤いドレスの少女――イワン王国第一王位継承者、ローゼ姫はにこりと笑った。


「イワン王国はガルバドス卿を歓迎いたしますわ」

「まだサインするとは言ってないッ!!」


 ガルバドス卿は両手で感情的に机を叩き、ガシャン、と高い音が鳴った。

 きゃっ、と、ローゼ姫は芝居がかった悲鳴を上げる。

 契約書には、

『ガルバドス領はイワン王国の庇護下に入り、同時に決まった税を納めていく』

 という旨が記載されている。領主はその契約書を握りしめ、

「こ、こんな契約……、私に王国民になれと言うのか!?」

「いいえ、まさかそんな。王国民だなんて」

 滅相もない、とローゼ姫は首を左右に振り、

「私はシドールの皆様が王政を嫌っていることにある程度の理解をしていますわ。

 ですから王国に入らず、なおかつ仲良くする方法として、このような契約をご提案させて頂いている次第なのです。

 シドールの皆様は領主それぞれが独立した政治をなさる先進的なお国ですから。

 隣国とこういった〝特別な契約〟も、許されて然るべきではありませんこと?」


 その〝特別な契約〟はつまり『植民地』と呼ぶのだが、ローゼ姫はさも両者に徳があるかのように言って見せた。


「私を馬鹿にするな! こんな話呑めるものか!!」

「あらあら残念です。それでは交渉は決裂ですね」

 ローゼ姫は立ち上がり、手を差し伸べた。


「――では、返して頂きましょうか。

 我が国の船から略奪した損金、30億Gを、まるっと、今すぐ」

「ぐ――っ」

「私掠船があなたの指示を受けて動いていたことは証拠が固まってます。

 言い逃れは出来ませんよ」


 今朝、商船を襲った私掠船から連絡が入った。

〝イワンの姫を名乗る少女を捕えてしまった〟……と。

 なんと空荷の商船に姫殿下自身が潜り込み、そして自ら海賊に捕えられたというのだ。彼女は屈強な男共を恐れず、平然と〝主の元へ連れていけ。話がある〟と要求した。

〝さもなくば戦争を起こしてやる〟と付け加えて。

 海賊共はこの異様な積み荷をどう扱っていいかわからなくなり、結果、おめおめと雇主のガルバドス卿に連絡をつけてきたというのだ。

 途中で始末する事もできただろう。あるいは、領主がそう指示する事もできただろう。または地下牢に閉じ込めて政治の材料にすることも――。

 だが誰もが薄々そう思いながら、まんまと敵国の姫をここまで導いてしまった。

 それは彼女がまったく怯えず、淡々と要求してくるその姿、そして彼女自身の地位も相まって、皆が怖れを抱いてしまったせいだった。彼女はここに至るまで、まるで大きな後ろ盾があるかのように終始堂々としていた。

「当然我が国には留まらず、交易のあった他国からも請求が来るでしょう。

 いったい幾らになるんでしょうね?

 怖くて私には勘定できませんが……シドール政府が庇ってくれるといいですね」

 この状況下でシドールの政府は庇ってなどくれない。

 王に頼らず、自分の事は自分でやる。これがシドール共和国の建国理念だ。

 自分のミスは自分で拭うしかない。

「契約書にサインをするだけでこのことを不問にすると言っているのですが。

 ご理解いただけないようでしたら、仕方ないですね」

「…………」

 ガルバドス卿はしばらく俯き、脂汗をさらに増やし、そして、

「わかっているのか。こんな真似、本当に戦争になるぞ」

 と低い声で唸るように呟いた。

「戦争ですか。ああっ、それは大変です」

 ローゼはまたも芝居がかった声を上げ、

「なんて恐ろしい。きっと多くの死者が出るでしょう。

 たくさんの兵士が血で血を洗う死闘を繰り広げ、長く戦いは続く。

 怒声に悲鳴が交じり、お互いの国民の死体が積み上がり、国は悲しみに暮れる――」


 目から涙を拭う仕草を見せる。

 が、最後に、


「……と、でも思いましたか?」


 ふん、と鼻であしらう様にして笑った。

 ガルバドス卿の表情に戸惑いが走る。

「残念ですがそれはありません。

 死ぬのはあなたの兵だけです。あなたの領民だけです。

 それは闘いや戦争などと呼べるものではありません」

 ローゼ姫はうっすらと笑む。

「虐殺と言った方が良いでしょう」

 まるでその光景を想像し、楽しみにしているかのように笑む。

 その様子に、領主は底知れぬ怯えを見せた。

 この少女はどこかおかしい。普通の人間なら怯え慄くはずの〝なにか〟に震える事もない。そういう感情が壊れているのかしらん、と、細い目をさらに細めて領主は姫を凝視した。

「あなた方は血の沼に溺れるでしょう。そこに私の兵は居ません。

 居るのはたった一人の少女だけです。彼女はあらゆる命を平気で刈り取ります」

「彼女……?」

 ガルバドス卿が首を傾げるが、ローゼは気にせず続ける。

「弱者も、女子供も容赦しないでしょう。人としての品位を貶めながら殺して回るのでしょうね。誰も彼女を止められません。私は彼女が嫌いですが、しかし目的のためなら彼女を利用します。彼女がそうする様に」


 突然、巨大な爆発音が空を揺らした。

 砲撃と、落雷と、それから噴火が同時に起きればすればこんな音を立てるのかもしれない。そう想像するほどまでに強力な爆音が一つ、鳴り響いたのだ。

 ヒッ、と領主が怯えを見せるが、姫は平気な顔でお茶を飲んでいる。


「が、ガルバドス卿――ッ!!」

 下男が一人、飛び込んできた。

「と、とと、砦が……イワンを見張っていた砦が、その、き、きえ、」

 下男はわなわなと震え、報告をしようとするが、不明瞭で伝わらない。

「砦がどうしたんだッ!!」

 業を煮やしたガルバドス卿が怒鳴ると、下男に変わってローゼ姫が答えた。


「〝彼女〟にお願いして、イスキー領を見張っていた砦を潰してもらいました」

「は……?」

「今は何もない更地になってます。ブドウ畑でも作りましょう」


 下男が何度も首を縦に振り、彼女の発言を肯定する。

 屋敷から見えるほど高く建造されれた砦が、一瞬で崩壊したのだ。

 それを事実だと悟った領主は、いっそう青ざめた。

「こんなバカな事があるか――!!」

「そう叫びながら、あなたは剣を突き立てられるのでしょうね。

 そして辞世の句は『いう事聞いておけばよかった』……といったところでしょうか」

 ローゼ姫は領主が握りつぶしたものとは別の契約書を取り出し、

「私としても、王国や近隣の国との関係上、武力による解決は避けたいところです。

 あの人が嫌がりますし。――ですからぜひ、〝平和的解決〟を」

 と、サインを求めた。


 領主は契約書を睨み、唸り、そして、

「へ、……兵を呼べ……」

 下男にそう命じた。

 すぐさま軽装の警備兵士が二人駆けつけ、ローゼに短剣を向ける。

「殺せ! この古い支配階級に居座る悪魔を殺せッ!!」

 領主は唾をとばす勢いで叫んだ。

 頷いた一人の兵が剣を振り上げ、ローゼに斬りかかろうとしたが……、


『ready』

「スキル〝ダンシング・チェーンソー〟」

『Emulator set up!』


 駆動音が唸り、突然出現したチェーンソーが男の脇に深々と突き刺さる。

 そしてそれを握るローゼは、一気に肩へと振り上げた。

「え」

 男の認識は状況より遥かに遅れ、彼は、自分の失った右肩を見つめ、

「ぎ、」

 そして、切り離され落下していく自分の体の一部を凝視し、


「ぎやあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 絶叫が屋敷中にこだまし、肩からばっさりと失った男から噴水のように血飛沫が上がり、どろりとしたそれは部屋の壁や名画を真っ赤に濡らした。

「腕が、腕が、俺の腕がァッ!!」

「腕ぐらいでぴーぴーと。信仰が足りませんわ」

 ローゼはその男を足蹴にする。彼は壁にぶつかり、倒れ、くの字になる。

 そして彼女は駆動する刃を振り上げゆっくり彼に近づき、

「デモンストレーションってご存知ですか?」

 と、領主に問いかけた。

 ギュインギュインとチェーンソーの駆動音が負傷兵に迫る。

「〝こうしたら〟→〝こうなるよ〟ってお手本の事です。

 これ以上私に刃向うなら――、」


 そしてローゼは兵士の脳天にチェーンソーを突き立てた。

 躊躇う様子や慈悲をかける素振りは一切なく、彼女は作業の様に凶器を男に突き立てたのだ。旋回する刃が赤黒い血肉をまき散らしながら男の脳を抉っていく。

 男は全身で激しく痙攣する。

 水揚げされた魚の様にバタバタと痙攣する。

 痙攣は激しくなり、狂ったマリオネットの様に腕や半身が揺れた。

 そして泡を吹きながら、

「あぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

 と不明瞭な唸り声を上げ始めた。

 ローゼはその体液と肉片を顔面に浴びながら、拭いもせず、凶器を引き抜く。

 最後に兵士の首を一振りで軽々しく切断し、血みどろの笑みを領主に向けた。


「――次はあなたがこうなりますよ」


「く、狂ってる――ッ!!」

 殺戮の嵐にある戦場でも、こんな光景はあり得ない。

 領主は生命の危機を感じ、凍えたようにガタガタと震えた。

「ええ、そうですが、それが何か?」

 ローゼ姫は事もなげに肯定し、そして、

「そんなことより契約書にサインを」

 と主従の契りを迫った。






 氷で冷やされた、小石ほどの涼しげな透明の球体が皿に山積みにされ、粉砕された大豆の粉と砂糖をまぶした〝きな粉〟と呼ばれる粉末が振られる。


 ローゼは小さなフォークでそれを突き、一口咥えた。


「……おいしい」

 思わずほっぺに手を当てる。

 冷たくぷにぷにとした触感が口の中を潤し、そして砂糖の甘さ、大豆の香ばしさによる不思議な魅力が口の中に広がっていた。

「不思議な味。こんなにおいしいなんて思いませんでした」

「でしょー?」

 亜利奈がなにやら自慢げな顔で言った。


 ここはガルバドス領にある小さな村、ローラン村だ。

 豆に関してはこの辺りではもっとも発展している産地と言っていい。

 その小屋の一つを借りて、亜利奈とローゼはわらび餅を楽しんでいた。


 村人は〝侵略者〟の長が直々にこの村にやってくるとして怯えた。

 彼女が領主の目の前で兵士を一人血祭りに挙げ、脅すようにしてこの地を王国に組み込んだという情報は、すでに領内では周知の事実となっていた。

 きっと多くの兵団を引き連れ、そして逆らえば略奪されるのだと。

 が、あろうことかやってきたのは姫殿下とお付きの少女一人だ。

 年端もいかない姫は、村人を目の前に、

「こんにちは。大豆を少々、分けてもらいに来ました」

 と、清らかな笑顔でそう言った。

「王国は暴力を好みません。あなた方にはこれから先も穏やかな日々を営んでほしいと考えています。この度は驚かせてしまいましたが、二つの国の戦争を避けるためにはこのような方法しかなかったのです」

 彼女は大勢の前で、歌う様に演説をし、時として直接触れ、優しい声で訴えた。

 この時誰もが、噂は噂に過ぎないと確信した。

 どうしてこの聖女に人が殺せるだろう。村人はそう信じ込んだ。

 亜利奈がぽつりと、

「やっぱ、愚民の扱いは手慣れてるなぁ」

 と呟いたのは風の中にかき消されていた。


「でも本当にわらび餅のために領土一つを占領しちゃうなんて。

 ローゼちゃん、流石だよ」

「貴女に褒められても砂粒ほども嬉しくありません。

 祐樹様の為です。ついでにイスキー侯爵の問題も半分片付くので」


 ほぼ没落状態となってしまったイスキー領に変わり、今度は植民地となったガルバドス領がシドール共和国に対する〝防波堤〟の役割を担う事になる。

 だがここは未だシドール共和国の領土でもあり続けるのだ。

 シドールもこの攻めづらい領地相手に、どうしたものかと思案はするものの、しばらく手出しをしてこないだろう。友軍を攻める事は簡単ではない。


「ユウ君にはきな粉はローゼちゃんが手に入れたってちゃーんと言っとくよ」

「当然です。私にはあの人から褒美を貰える権利があります」

「一国のお姫様が褒美をもらう、なんて、なんか変な感じ」

 亜利奈がそう言うと、ローゼ姫は真っ赤になって俯き、

「それだけ屈服してるってことですよ。

 あの方はその〝力〟があります」

 と、祐樹を思い浮かべてえへへと笑った。

 それを見ていた亜利奈もつられてふふっ、と笑う。

「いい顔する様になったね。洗脳した甲斐があったよ」

「ええ、その1点だけは感謝しています。

 お礼に、いつか貴女を切り刻んで、私がその席に座りますから」

「あー、怖い怖い。まあせいぜい頑張ってよ。

 はい、あーん」

 亜利奈はわらび餅をローゼに突き出す。

「そうやって油断してると、痛い目遭いますからね」

 そう言って、ローゼはわらび餅を頬張った。





(※祐樹がミストに拘束されている現在)


 光を通さないひやりとした空間。

 天上は遥か高く、周りは石の壁に囲まれ、コケや蔦を纏っていた。

 古い遺跡のような場所だった。

 中央にはモニュメントの様に石像が据えられている。

 その前にローゼは立ち、

「ほら。だから言ったんですよ」

 と石像にデコピンをした。


 石像は亜利奈の姿をしていた。何かを求めるように、天に向かって手を伸ばし、あっと驚いた表情のまま彼女の時間は静止していた。

「このまま金槌でぶっ壊してやりたいのは山々ですが、祐樹様を助けるためにはどうしても貴女の力が必要です」

 そしてローゼ姫は手を翳す。


 そこには〝魔王妃ローゼ〟の身に着けていた〝破滅の腕輪〟が装備されていた。

「さあ、勇者さん。いつまでも寝てないで、目を覚ましてください」

前へ次へ目次