立ち昇る炎
敵が来る。駆動する刃を振りかざす。振動。内臓を掻き回す音。敵が来る。駆動する刃を突き付ける。振動。敵を切断する音。敵が跳ぶ。駆動する刃を突き刺す。振動。
もうこれで何体目だろうか。
ローゼは向かってくる祐樹の偽物をチェーンソーで駆逐し続け、赤黒い鮮血と肉片まみれになっていた。時間の感覚もマヒしている。ここで踊り続けて10分経つのか1時間経つのかそれすらももうよくわからない。
息が荒い。
血の匂いと、冒涜的な殺戮と、そしてチェーンソーの振動で思考が鈍る。
〝姫様は、私達がどんな生活をしているのか知らないんですよ〟
――何が言いたいのよ。
〝殿下、その作業にいくばかりの税金を投入なさるおつもりで?〟
――お前がやっかい事を避けたいだけでしょ!?
〝わかったような事をいうでない、ローゼ!〟
――少しは話を聞いてくれてもいいじゃない!!
〝辛かったね。よく頑張ったね〟
「こんの――偽物がぁッ!!」
気付けば、ローゼは自分に降りかかった出来事を敵にぶつけるようになっていた。
敵が来る。駆動する刃を振りかざす。振動。
「お前たちのッ!!」
内臓を掻き回す音。
敵が来る。駆動する刃を突き付ける。振動。
「せいでッ!!」
敵を切断する音。
敵が跳ぶ。駆動する刃を突き刺す。振動。
「祐樹さんと一緒に死ぬことすらできなかったのよッ!!
死ね――みんなみんなみーんなッ! 死んでしまえばいいのよッ!!」
〝みんな〟とは目の前にいる敵か、自分を取り巻く社会か。
冒涜的なダンスの渦中にいる姫君に、それを区分けする余裕などなかった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
やがて敵は全滅し、物騒なダンスパートナーは動きを止め、元の剣に戻った。
振り回され続けたローゼは、床を汚す血液と肉片の汚泥に腰を落とした。
「ここまで最悪なダンスは、あとにも先にもないでしょうね」
荒ぶる息を整え、辺りを見回す。
酷い有様だった。整頓されていたはずのベンチは散乱し、壁には血飛沫がぬったぐったように付着している。聖器や聖人の像は血肉で汚れ、転がる頭、腕、足、胴体や臓器。何よりも吐き気を催すおぞましい死臭が空間を支配していた。
まるで邪教の儀式のようだ、と、ローゼは呟いた。
「……あはは」
国の長として愛でられていたはずの姫君が、天上の膝元で、国民を癒すはずの大聖堂をめちゃくちゃにし、全身に血を浴びて死体の上で座っている。笑えてきた。
「あーっはっはっは。ごらんなさい。
これがお前らの大好きな聖女、プリンセスローゼよ」
ローゼは朱に染まった衣服の裾をつまむと、
「次に王座に座るときは真っ赤なドレスを着てやろうかしら」
と意地悪く笑った。
そしてため息をつく。……何をやっているのだろう。
自分なりに一生懸命になっていたことが全て崩れ去った。
血迷って死ぬことすら恋敵に笑われる始末だ。
私は無力さを思い知り、こうやって血を浴びて穢れるために生きてきたのか?
それともグレンに操られ魔王として未来永劫忌み嫌われるために生きてきたのか?
「祐樹さん。私、どうしたらいいんですか?」
血を指先に着け、床に文字を書く。
『ゆうき』
ローゼにはわからない、記号のような文字だ。
だが忘れはしない。彼の教えてくれた文字。
「会う前に頑張りたかったのに、もうダメみたいです。
今から会いに行ってもいいですか?
……こんな血塗れの女を、嫌ったりしませんか?」
文字に向かって話したところで彼には届かない。
それに、亜利奈のように自分の穢れを隠し通せる自信は無い。
――きっと、彼はローゼを避けるようになるだろう……。
「でも会いたい。声が聞きたいです。
じゃないと、私、もう……」
PILLLL。
「……?」
不意に音が鳴った。
呼び鈴の様な、楽器の様な。聞きなれない音だ。
何かが振動している。亜利奈から受け取ったE:IDフォンだ。
壊れたのか、いや、あの悪女がまた何か仕掛けてきたのだろうか。
PILLLL。
甲高くて耳障りな音だ……静かにしてくれないかな。
ローゼはどうにかそれを止めようと、本体に触れた。
PI!
『あ、繋がったッ! お前いつまでミスト探しに行ってるんだよ!!』
「――――……え」
祐樹の声だ。
光るマジックアイテムから、祐樹の声が聞こえる。
『見つからなかったらすぐに帰って来いって言っただろ!』
祐樹の声だ――っ!!
『道に迷ってないか?
もう俺が代るから、亜利奈は留守番をしてろよ』
この道具は祐樹と話せるのか。
偽物じゃない。わかる。この声が偽物なものか。
『おーい。もしもーし?』
「ゆうきさん……」
『……へ? ローゼ姫?』
「――ゆうきさんっ…………ゆうきさぁんっ!!
ゆうきさんゆうきさん――ゆうきさんッ!!」
ローゼはわけもわからず、がむしゃらに祐樹の名前を呼んだ。嗚咽が交じり、泣き声が交じりまるで子供のように情けなかったが、そうすることで必死に何かを求めた。
『ちょっ、えっと、どうしたの?』
「私、一生懸命やったんです! だって私お姫様だからッ!
祐樹さんと約束したから! なのに、私、結局なんにも!」
『――…………』
「誰も話を聞いてくれないんです! 官人は他人事だし、お父様に怒られるし、マールさんはわ、わた、私のせいだって! お母さんが死んだのは私のせいだってッ!!」
ローゼは捲し立てた。とにかく祐樹に捲し立てた。
もうこれを止める事なんてできなかった。
「私、何のために、誰のために……!
祐樹さん……祐樹さんッ!! 私……っ!」
『――ローゼ姫』
祐樹はしばらく沈黙してそれを聞いていたが、不意に遮るようにして、
『よく頑張ったね。偉いよ』
全てを理解した優しい声をかけられた。
偽物がそう言ったのと同じような、優しい声で。
『ローゼ姫。逃げ出したくなったなら、いつでもおいで。
俺は姫の味方だよ――いざとなったら俺の世界に行こう』
「はい、私、あなたと……」
『でも』
『姫はそれでいいのか?』
「……」
偽物の祐樹は、甘い言葉で姫を誘惑した。
どんな形であれ、安らぎを与えてくれた。
だが本物の祐樹は違った。
安易に答えられない問いかけをしてきたのだ。
『目を背けてしまった先で、きっと後悔するよ。
俺はそうしてずっと後悔している』
ローゼが言葉に詰まると、祐樹は語り始めた。
『昔、俺、亜利奈を死なせてしまいそうになったんだ』
「亜利奈さんを……ですか?」
あの無敵の女が、どうやったら死にそうな目にあうというのか。
『あいつあんなんだからさ。子供の頃、あいつ学校でイジメられてたんだ。
俺は転校……引っ越ししてあいつの近くに住んだんだけど、俺と出会った時にはもう、あいつは〝イジメられるモノ〟っていう空気が完成してたんだ。
なんかそういうのがムカついてさ、気が付いたら俺が庇ってた。
ガキの青い正義感だよ』
『でも正直疲れちゃってさ。
だって、あいつを庇うと俺まで学校で爪弾きにされるんだぜ。
息が詰まるっていうか……ぶっちゃけ、亜利奈が邪魔になったんだ』
『だから少しづつ距離を置くようになった。
それがいけなかったんだ』
『亜利奈は薬品を体に浴びたまま、数日間放置された。
俺が見つけたときには虫の息だったよ』
「……え」
『不運が重なったんだ。
亜利奈のお母さんは仕事で留守にしていて、学校は夏休み。クラスメイトもちょっと悪戯して閉じ込めとくつもりだったのに、何も知らない大人が倉庫にカギをかけた。
亜利奈は食事も水も取れず、ただでさえ熱の籠った密室で、薬に蝕まれながら苦しみ続けたんだ。多分、三日はその状態だったんじゃないかな。
今思えば亜利奈が生き残れたのは勇者の力があったからかもな。
普通ならとっくに死んでるよ』
『俺がおかしいと思ってクラスメイトを問いただして、倉庫に乗り込んだ。
見つけた時に俺を見て、あいつ、こう言ったんだ。
――〝必ず来てくれるって信じてた〟ってさ』
幼い祐樹と亜利奈にそんなトラウマがあったのか。
それは意外な過去だが、ローゼは言った。
「祐樹さんが責任を感じる理由はありません」
『いや。俺は亜利奈のお母さんに〝お願いね〟と確かに言われたんだ。
それを嫌がった俺に責任がある』
「仮にそうだとしても。
あなたは亜利奈さんを救ったではありませんか」
『違うんだ。救えなかったんだよ。俺は間に合わなかった。
亜利奈が被った薬品は、溶剤って言って、酷い幻覚作用があったんだ。
亜利奈はおかしくなった。授業中に突然おなかを抱えて笑ったり、俺を神様みたいに崇めたり、俺以外に〝カオル〟っていう架空の友達を創ったり。
なんだかんだ奇行は一カ月ぐらいで収まったんだけど、脳へのダメージは深刻だからいつフラッシュバックするかは誰にもわからないんだ』
――収まってなんかいない。
それこそが世界を揺るがす怪人の誕生した瞬間じゃないか。
亜利奈が勇者の血を引いているかはまだ疑問の余地があるが、それと同等の力を秘めた体で凄惨な体験をし、身体と精神を蝕んだ。彼女の神の如き力と邪悪で強靭な心の原動力はそこにあったのか。
彼女は狂ったまま、祐樹に求められる幼馴染であろうとして、外殻の人物像を創り上げてその中に隠れただけだ。だから祐樹にだけは〝正常な〟彼女が存在している。
彼女を支えているのは、陳腐な言い方だが、〝愛〟以外に他ならない。
もし愛する祐樹がいなければ世界はとっくに滅んでいただろう。
『俺は亜利奈から目を背けたんだ。
始めた事を、中途半端で逃げちゃいけなかったんだ。
俺はずっと後悔している。だから、俺は亜利奈を裏切れない』
『ローゼ姫。俺、姫とあってまだ少ししか経ってないけど、姫が姫として一生懸命なのはよく知ってるつもりだよ。だから、今逃げだしたら、きっと後悔し続ける』
祐樹は自分の過去を語り、ローゼを優しく諭してくれた。
……だが、ローゼの気持ちは別に傾いていた。
悔しい。
亜利奈と祐樹の間には、狂気を交えた鎖がある。
二人はそれで固く結ばれていて、簡単には引き剥がせないだろう。
それがローゼには無いのだ。ローゼは唇を噛んだ。
ローゼだって彼が望めば死ねると言うのに。
ローゼだって血に溺れながら彼を想えるというのに。
だが彼はそれを知らないだけで、狂ってしまった亜利奈を愛でている。
狂ってしまった、狂わせてしまったという理由で愛でている。
――こんな悔しい話が、あってたまるか……っ!
「でも、祐樹さん」
ローゼは足元に転がる死肉を拾い、問いかけた。
「このままでは私も狂ってしまいそうです。
辛くて、悲しくて。
……祐樹さんには言えないような酷い目にも遭ったんですよ?」
そして笑みを交えて、こう言った。
まるで冗談のように、簡単に、軽くこう言った。
「もしそうなったら、祐樹さんは責任を取ってくれますか?」
『ああ。いいよ。おかしい奴には慣れてる』
ガチャリ。
ローゼの中で、楔が翻り、二つの点と点を固く結びつける音が響いた。
歓喜に胸が踊る。
嗚呼、これで彼はもう、私を裏切らない。
血塗れのローゼを見ても、彼はこう言うだろう。
『俺の責任だ』……っと。
この一言の呪力をローゼは理解していた。
彼はそういう人間だからだ。
だから、私も彼の為に生きていこう。
彼に愛されるように生きていこう。
『ローゼ姫はさ、真面目過ぎるんじゃないかな。
昼間街を歩いた時は〝牢屋に入れちゃいますよ〟って脅してたじゃん。
冗談でもびっくりしたけど……もっとそんな感じでもいいんじゃないかな?』
「ふふっ♪ いいですね、それ。
ありがとうございます。私、頑張ってみますね。
――ところで祐樹さん」
「赤いドレスは好きですか?」
†
赤々と炎が上がる。劫火が立ち昇る。
灼熱の風がローゼと亜利奈を覆った。
「……本当にこれでよかったの?」
亜利奈がローゼに尋ねてきた。
彼女ははローゼと祐樹が会話し終わった後、すぐ戻ってきた。
今回はずいぶん手を焼いたらしく、少しばかり疲れた顔を見せていた。
「亜利奈は全然気にしないけど。
――お姫様が国教の施設に火を放つなんて、どうかしてる」
あの死体の山をどうするか検討した結果、ローゼが亜利奈に提案したのだ。
『燃やしてしまいましょう、何もかも』……っと。
「〝どうかしてる〟……ですか?」
「ええ」
「良いですね。あなたに言われると感慨深いです」
「それ嫌味? もうすぐ憲兵が来るけど、どうするの?」
「まあ何とでも。邪教の殉教主義者が引き起こしたとでも言っておきましょう。
私はたまたま目撃してしまったって事で。
強引な言い分ですけど、大丈夫、これでも私はお姫様です。
皆さんからの信頼は厚いですから」
「だったら何も、火をつけなくてもいいじゃない」
するとローゼは立ち昇る火炎を瞳に映していった。
「ケジメみたいなものです。
新しい神様に鞍替えしようと思いまして」
「……ああ、なるほど」
心当たりがあるのだろう。
亜利奈はローゼの意図をすぐに汲んで、頷いた。
「ステキな神様よ」「そうでしょうね」
立ち昇る炎を見上げながら、亜利奈とローゼ――勇者と魔王に因果のある彼女たちは、同じ微笑みをたたえていた。