愛の代用品、恋の欠陥品
祐樹が偽物であることにもっと早く気付くべきだったのだ。
そもそも神速で動ける亜利奈が、この事態を黙って見ていることが不可解だろう。
冷静になったローゼは、忌々しい偽物に足蹴をくれた。
「イスキー侯爵の偽物がいたじゃない?
たぶんあれと同じものよ。
……ただ急いで造ったのか、前の奴に比べて出来損ないっぽいけど」
解説する亜利奈は嘲笑気味に言うと、さもおかしいと吹き出して、
「こんなのに騙されるとか。それでよくユウ君をアイシテルなんて言えるよね」
聞いた瞬間、ローゼは持っていた鉄の棒を力一杯横薙ぎに亜利奈へぶつけた。
酷い侮辱を受けたと思ったときには、身体が勝手に動いたのだ。
亜利奈はそれを腕一本で、事もなげに受け止める。
ギンと金属同士がぶつかる様な音が響いた。
「いろいろあって疲れてたんです」
自分でも言い訳がましいと思うが、ローゼは病んでいたのだ。自身を全否定されたすぐ後に祐樹が現れ、歓喜に目が曇ってしまっただけだ。そうでなくては祐樹と偽物を取り違えたりするものか。
「ふぅん。あっそ。亜利奈の所にも同じモノが来たけど、偽物じゃローゼ姫ほど熱烈にはなれなかったよ。うん、でもローゼ姫はしょうがないよね。ユウ君のこといっちばんよくわかってる亜利奈とは違うんだから。あははは♪」
もう一度鉄の棒をぶつける。今度は頭だ。金属の方がぐにゃりと歪んでしまった。
怪物め……脳天に直撃してもヘラヘラと笑っているから余計にしゃくに障る。
「私をバカにしに来たんですか?」
「まさか。亜利奈は助けに来てあげたんだよ。
偽物にユウ君のローゼ姫を盗まれたりしたら困るし。
思ってたより面白い事になってきたから黙って見ちゃったけど。
……あー、そうだ」
亜利奈が指を弾く。と、大聖堂の床を突き破り、数本の異形の腕が伸びてきた。
腕はローゼの身体をあっというまに拘束し、うち一つが首をもぐように掴む。
「調子に乗ってるみたいだからこの際はっきりしとくけど、ローゼ姫の気持ちは亜利奈が〝与えてあげた〟紛い物の愛だからね。亜利奈の代わりをさせてあげてるだけなんから。亜利奈の本物の愛情にはかなわないの。わかってるよねー♪」
「だったらなんなのよ! うぐ――ッ!!」
喉が閉る。朦朧とする視界の向こうで、亜利奈の明確な殺意を感じる。
「代用品の分際でユウ君と心中なんて二度と考えるなっつってんのよ。
頭悪いの? わかるよね? 賢いローゼちゃんならわかるよねぇぇ?」
「――――」
ローゼは首を縦には振らなかった。
今回はたまたま相手が偽物だっただけだ。
祐樹がそれを望んだとしたら、自分の行動が間違いだとは思わない。
「〝はいわかりました〟……って言いなさいよ」
「嫌よ」
亜利奈は露骨な嫌悪感を表情にする。頑固なローゼに業を煮やしたらしい。
「言う事聞きなさいよ、代用品。脳ミソを弄ってユウ君の事以外何にも考えない肉人形に変えてやってもいいのよ?」
「ええ。好きになさいな」
そんな脅しに屈するほど腐ってはいない。
それに、例えそうなっても祐樹の事を考えていられるならそれで構わない。
――だが。
「ああ、そう。だったらユウ君への気持ちを消去するわ」
「――ッ!?」
体中にぞくりと怖気が走った。
「ユウ君が可哀想だけど、いう事聞けないおもちゃをユウ君の傍に置いとけないし。亜利奈はユウ君の安全も管理しなきゃだから、ローゼ姫には退場してもらおうかな」
「ま、まちなさいっ!
貴女が勝手に植え付けたんでしょうッ!?
それを、今更取り上げるなんて……ッ!!」
「安心して。ユウ君には上手に説明しとくから。
じゃあね、バイバイ。お勤めご苦労様でした」
身体から血の気が引く。後頭部に鈍痛が走る錯覚を覚える。
祐樹への気持ちを失う、それはローゼには耐え難い仕打ちだった。
彼は今のローゼにとって、様々な現実の渦中を生きていく最後の心の支えとなっていたのだ。
「嫌よ止めて、お願いっ! 謝るからッ!
もう勝手な事しないからッ!! それだけは許してッ!!」
「あらあら必死になっちゃって。
別に命を奪おうってわけじゃないんだけどなぁ」
「命より大事なのよッ!! 知ってるくせにっ!!」
亜利奈は邪悪な笑みを浮かべると、
「じゃあ良い子のローゼちゃんは、ちゃーんと亜利奈のいう事聞いて、それから亜利奈の代用品としてたっくさんユウ君への愛に励めるかなー?」
まるで童女に言い聞かせるような態度だ。
ローゼにはそれを受け入れるしかない。
「……言う事聞きます。だから、許して」
不本意ながらそう言うと、異形の腕が地下へと去っていく。
解放されたローゼはその場に尻を落とした。
……今日は散々だ。姫として如何に無能か自覚させられた挙句、駆けつけた想い人は偽物。そして最後の拠り所であるこの想いは、化け物じみた恋敵に飼い犬のリードのごとく掴まれていることを思い知らされる有様だ。
ローゼはため息をつく。もう嘆くことも疲れた。
当の亜利奈がにこにこと笑顔で近づき、手を差し伸べてくれた。
この殺人鬼の手を握るのは少し躊躇したが、これ以上無茶はしないだろう。
ローゼは素直に立ち上がる補助を受ける。
「今日の亜利奈はご機嫌だから、そんなに酷い目に合わずに済んだね」
「自分で言うのですね。しかもかなり酷い目に合ってるし」
「さっきねー、ユウ君にちゃんと告白しちゃったの。
ユウ君はもう知ってるし、あえて言わない様にしてたんだけど……。
ユウ君がちゃんと言えって。えへへへ」
亜利奈はきゃっと可愛らしい悲鳴を上げると、
「思い出すと恥ずかしくなってきちゃった♪」
そんな腹の立つ話聞きたくもないのだが、勝手にペラペラ喋ってくれた。
不思議なもので、こうしてみると、亜利奈はミストや他の女子と同じくごく普通の恋に惚ける女の子だ。
――だとすると、ちょっと妙だな。
「前から不思議だったのですが。
あなたは人の心を操れるのだから、祐樹さんを射止める事は簡単でしょう?」
「亜利奈が? ユウ君を? なんで?」
「祐樹さんに振り向いてほしくはないのですか?」
「――……そりゃあ、ユウ君に愛されるならそれほど幸せなことは無いけど。
そんなユウ君を侮辱するようなことしないもん」
どんな形であれ祐樹を傷つけたり危害を加えたりする気は無いと言う事か。
それにしても、これほど病的に祐樹を愛しているわりには、ローゼやミストのような独占欲や嫉妬じみた行動を見せないのはどういうわけなのだろう。もっと排他的でもいいだろうに、それどころかローゼに祐樹への愛を植え付けて恋敵を増やしている。
やろうと思えばグレンがそうしたように、ローゼを人間味の無い忠誠心の塊にする事だってできるだろうに。せいぜい、祐樹の性癖に合わせたそれを添加する程度だ。
「私を意のままに操れるなら、どうして人間的な部分を残したりするのですか?
祐樹さんを愛させる前に、あなたの操り人形にすれば早いでしょうに」
すると亜利奈は笑顔を消した。
ローゼは驚いた。彼女はほんの一瞬だけ悲しい顔を見せたのだ。
「……亜利奈じゃ、ダメなんだよ。
亜利奈の操り人形は、亜利奈以上の事をしてくれない。
亜利奈じゃユウ君に与えてあげられないものが多すぎるの」
人智を超え他人を嘲笑う悪魔が、初めて人間らしさを見せたような気がした。
やっとわかった。
彼女は自分に女性としての魅力を感じていないのだ。
神の如き力をもってしても、時間を超越する技術をもってしても。
「亜利奈はユウ君の望む女になれない。亜利奈は欠けているの。
ユウ君が亜利奈を見てくれているのは、それはユウ君がいつまでも〝保護者〟でいてくれているから。ユウ君の好きな髪型にしても、ユウ君の好きな体格に変わっても、ユウ君の好きな行為を覚えても。変わってしまった亜利奈をユウ君は必要とはしない」
あの鈍感な男が自覚していないことを亜利奈はとうに見抜いている。
亜利奈は、根底的な一人の女としての自信だけは手に入れる事ができない。
そして幼馴染という立場の足かせに囚われ、動けずにいる。
自分では愛する男を満足させられないと結論付けているのだ。
だから他の女性を使って、それを補おうとしている。
……もっとも、彼女自身の強欲さが、祐樹にすべてを与えないと気が済まないという歪んだ形で表現されているのも作用しているのだろうが……。
少し俯いて沈黙した後、亜利奈は、
「今のは忘れて。ユウ君にしゃべったら殺すから」
と言って、背中を見せた。
……同情の余地などないが、なんだか少し哀れだな。
何か声をかけようとしたところで、亜利奈の様子が変わった。
「ローゼ姫、これを持って」
何かを投げてよこす。
祐樹の持っているマジックアイテム……確かE:IDフォンとかいう代物だ。
「これは?」
「使い方は見てるでしょ。ユウ君のモノよりやれることは少ないけど。
ちょっと忙しくなるから自分の身は自分で護りなさい」
礼拝堂の壁をずるずると黒い影が這いずる。
それが複数。
「お客様かしら」「そういうこと」
『ready』
剣を構える亜利奈とローゼ。
二人は互いの背中を護るように立った。