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偽りの愛


 グレンの自室は屋敷の右手、ウェルシュ夫人の部屋から近い場所にある。

 母親の贅沢極まりない部屋に比べ、グレンの部屋のインテリアはかなりシンプルで天蓋付のベットと本棚、そしてデスクと二人掛けのテーブルをそれぞれに置いてある程度だった。


 グレンはその部屋に隷属させたローゼを連れてきた。

 ローゼ、とはいっても彼女の象徴たる桃色の髪は魔法で変化し、ドゥミと名乗っていた変装後の姿のままなのだが。


「いやはや、大公の娘を名乗るドゥミ嬢がローゼ姫とは。

 このトリス、未だ半信半疑ですぞ」

 何故かしれっと付いてきた執事のトリスがローゼをマジマジと見て言った。

 ローゼは反応しない。トリスなど存在しないかのごとく無視し、代わりにグレンへ熱い眼差しを流し続けていた。

「なにせドゥミ嬢は男娼を伴ってやってきたのですからな。

 穢れを知らないローゼ姫と重ねるなど中々容易くありませんぞ」

「ローゼが処女だって誰が決めたんだよ」

 グレンがそう言うと、トリスはぎょっとした顔で、

「ま、まさかそのような。

 未婚の姫殿下が、それも清らかなローゼ姫が!

 あ、あ、ありえませんぞ!」

「わからないさ。ニッカだってもう処女じゃないし」

「えぇっ!?」

 ニッカの純潔はグレンが強奪したのだから当然だが、触れ回るような事でもないので他者には話していなかった。

 だが逆に特別隠し立てする事でもない。

 そうまで言えばトリスにも後のことは察しが付く。

「ま、まさかグレン様……」

「好きに想像していいよ」

 トリスは口を陸にあげた魚のようにパクパクとさせた。




「で。トリスはいつまでここに居るの?」

 グレンがそう尋ねると。

「え、いや……。

 一人取り逃がしておりますゆえ、事態が落ち着くまではと――、」

 馬鹿かこいつは。出て行けと暗に言っているのがわからないらしい。

 グレンに一抹の苛立ちが走る。

 が、ふと新しい趣向を思いついてローゼを近くに呼び、耳打ちをした。

「……かしこまりました」

 ローゼはグレンの要求に二つ返事で頷き、トリスの元へ向かった。




「トリス。私は今からグレン様とまぐわいいたしますので、席を外して頂けますか?」




「ま――まぐわっ!? いぃっ!?」

 国の象徴たる美少女が、恥ずかしげもなく「セッ※スするから出て行け」と要求してきたのだ。堅物のトリスは面食らい、泡を吹かん勢いで口を動かす。

「それとも……」

 ローゼはパニックで硬直するトリスにぴったりと身体を寄せ、恋人か娼婦でもない限り許されないような密着をすると、

「代わりにトリスがお相手をしてくださいますか?」

「ひぃっ!? わ、わたくしめですか!?」

「グレン様からお許しは頂いています。

 ご命令である以上、ローゼは誰でも構いません」

「ぐ、ぐぐぐ、グレン様っ!

 将来の奥方にこのような……お戯れが過ぎますぞ!」

 トリスの頭が真っ赤になるのを見て、グレンはどんどん愉快になっていった。

「ははは、いや、構わない。別にそいつの事愛してるわけじゃないし。

 家名さえ継げれば、身体はお前にくれてやるぞ」

「破廉恥なっ! そのような爛れた……、」

「トリス、抱いてくださらないのですか……?」

 ローゼがダメ押しとばかりに潤んだ瞳をトリスに向けたが、

「ひ、ひいいいいいいっ!!」

 トリスは悲鳴を上げて部屋を飛び出して行ってしまった。




「――これでよろしかったですか?」

 ローゼは微笑んで振り返った。

 命令を全うした達成感に満たされた笑みだ。

「ああ。わりと面白かったぜ。

 ……来いよ。本当に抱いてやる」

 誘われるがまま、ローゼはベットへとやってくる。

「あの」

 着衣を剥ごうとしたところで、ローゼが問いかけてきた。

 なんだ、いまさら怖くなったのかと聞くと、ローゼは首を横に振った。

「その……。

 〝愛してない〟……って、本当ですか?」

「ああ。まあな」

 グレンは応えてくれなかったローゼを心底嫌っていた。

 だから顔が腫れるまでひっぱたいても、娼婦の真似事をさせても罪悪感は一かけらも感じなかった。

「嫌なのかよ」

「嫌かと言われれば、その通りです。

 でもこれしきのことでローゼのグレン様への気持ちは揺らぎません」

 蟲で操られてるだけの癖に、いっちょ前に純愛面か。

 虫唾が走る。

「じゃあなんなんだよ」

 グレンは苛立ち交じりに言った。

「グレン様が以前より変わられたのが怖くて……。

 前にお会いした時には、もっと自信に溢れ、芯がございました。

 身に余ることに、私の事も愛そうと努力くださいました」

「――……」

 与えられた栄光で英雄を目指していた頃の事か。

 彼女はグレンの真実を知らないのだから、驚くのは当然だろう。

「ローゼはどんなグレン様でもお慕いいたします。

 ですが、もしグレン様の身にお辛い事があったのかと思うと、胸が苦しくて……」

 植え付けられた恋愛感情で、ローゼはグレンを真剣に気遣っている。

「そんな事でいちいち気に病むな、めんどくさい奴だな」

「も、申し訳ございませんっ! 出過ぎた真似を……っ」

 ローゼはそうひれ伏し、

「今、夜伽の支度を致します……」

 と、自らドレスに手をかけた。

「…………」

 それを見ながら、グレンは不思議な感覚に囚われた。

 嘘だらけの愛を捧げるこの女が、嘘だらけの人生を歩んできた自分には相応しいのではないのか。ふとそんな気になってしまったのだ。


「……全部嘘だったんだよ」


「え?」

 急に口が軽くなった。話す気などなかったのに、スルスルと心中が口から飛び出す。

「俺の功績だ。

 一生懸命やってきたつもりだったのに、自分じゃ何もしてなかったんだ。

 全部親父が手を回していたんだよ」

「…………イスキー侯爵が……」

「そうだ。聞けよ、笑えるぜ。

 お前との婚約も親父の策なんだよ。

 家の為か、俺の為かはしらねぇけどさ。

 俺はてっきり認められて王座に就けると思い込んでたんだ。

 クソみたいな本当の話さ」

 心情を吐露していくと、不愉快極まりないのに何故か笑いが込み上げてくる。

「俺の人生ってな、全部嘘だらけなんだよ。

 そりゃあこんな人間にもなっちまうさ」

 話し終えると、ローゼは涙を流しながら、グレンの腕をギュッと握りしめた。

「ああ、可哀想なグレン様……っ

 イスキーの家名を背負い、かくも努力を成されたというのにこの仕打ち……」

「努力か。それくらいはしたはずかな」

「そうであれば、それ以外の事実が嘘でも真でも構わないです。

 これからはローゼが居ます。

 あなたのために、その努力に報いる栄光を捧げて見せます。

 愛おしいグレン様の為なら、ローゼは悪魔に心を売り渡しても構いません!」




 こいつに愛されると、こうまでしてくれるのか。

 グレンは無意識に綻んだ笑みを零してしまい、慌てて隠した。

 代わりにこう言った。

「お前を愛してないって言ったけどな」

「はい。ローゼが愛する許可さえ頂ければ、それで十分でございます」

「……撤回する」


 グレンはローゼをそっと抱き寄せた。


「愛してる、ローゼ。俺にはお前が必要だ」

「……グレン……様ぁ……」

 偽りの愛で構わない。

 彼女の向けてくれる眼差しが心地よかった。

 ……もしかしたら、グレンは最初からローゼを愛していたのかもしれない。

 それが叶わない苛立ちと虚栄の崩壊でこんな形になってしまったが……。

「さっきは酷い事をして済まなかった。

 顔はもう大丈夫か?」

「はい……あれしきの事……。

 グレン様に頂けるのでしたら、折檻でも、ご寵愛でも、幸せにございます……」


 そう言って二人は見つめ合った。

 添い遂げるように、唇をからませ――、




 ――――バンッ!!


 二人が愛し合おうと始めたところで、扉が開く。

「グレン様――っ!!」

 ニッカだ。ずいぶんと急いた表情で、荒い息を整えながら、

「この屋敷に、恐ろしい怪物が入り込んでいますっ!

 あの女、とんでもないことをしでかしましたっ!」

「お、おい、落ち着け。

 なんの話をしているんだ?」

 するとローゼがハッとした表情になり、

「亜利奈の事ね……っ!」

 アリナ……?

 あの逃げたメイドの事か?

「あいつなら今トリスが探しているだろ」

「いいえ、亜利奈は危険です。

 若くして勇者バッカスを思わせる高度な魔術を使います」

「私も直接襲撃を受けました。あの少女は人間とは思えない!」

 ローゼとニッカが矢継ぎ早に語る。

「亜利奈はローゼ姫の寄生虫に重大な術を仕込みました!

 早く対処しないと、せっかく手に入れた姫の体に危険が……!」

「なんだと……っ!」

 ニッカは怯えた表情で周囲を見渡し、

「私は今、亜利奈に追われていますっ!

 地下通路の研究室で落ち合いましょうっ!!」

 そう叫んで走って行ってしまった。




 嵐のように現れたニッカのにわかな警告に、グレンはどうしたらいいのかわからなくなった。

「……グレン様」

 目の前でローゼがグレンの指示を待つ。

 彼女の身に、いったいどんな危険が……。




 グレンはローゼの手を取り、立ち上がった。

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