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虚栄のグレン

 グレン=イーリッシュ・イスキーは、おそらくは才能にあふれていた。

〝おそらく〟というのは、実際に手腕を披露した機会がほぼ一度もないため、当の本人でさえそれを疑問視していたからだ。

 そして彼がその事実に気が付いたのは最近になってからだった。




 それまでの彼はイスキーの名を背負い、その名に恥じぬほどの功績を挙げていた。

 親の七光りと揶揄する声も跳ね除け、魔物退治に走り、勲章までは届かないものの、果敢に人命を救い英雄的な行動も遂げた。ニッカを救った時など本当に命がけだった。

 だから、姫殿下との婚儀の話が舞い込んだ時も、グレンは少しも臆することなく自信をもってその栄誉を受けた。見方によっては傲慢と受け取られるかもしれないが、喝采を受けるだけの努力と結果を残してきたからだ。



 ――ある夜の煌びやかなダンスパーティー。

 名目は定期的な貴族の交流会だったが、実際は婚約したてのグレンとローゼが主役のパーティーだった。

 グレンは当然のようにローゼの元へ向かい、注目の集まる中彼女にダンスの相手を申し込んだ。

 ローゼは笑顔で相手をしてくれた。

 ……だがグレンも馬鹿では無い。

 初めて彼女の手を取った時、ローゼがグレンに対して良くない感情を持っていることは直ぐに見抜くことが出来た。


 正直なところ、少しだけショックだった。


 男性としての自信もあったし、それを裏付ける戦果も上げた。

 それが否定されたような気がして、一人の人格者としてはやはり辛かった。

 というより、否定されることにあまり慣れていなかったのかもしれない。

 今までの人生で彼は物事をうまく成功させ、目立った失敗はしてこなかったため否定されるとしたらそれは下からのやっかみや嫉妬ぐらいなものだったからだ。

 だがこの時はまだ、それは胸の内にしまい込んで蓋をすることが出来るぐらいの小さなしこりだった。



 彼女はいずれ自分の妻となる女性だ。

 わだかまりは時間をかけて解いていこう。

 そう密かに誓った。

 ……それから一年。

 ローゼは一向にグレンに心を開くことは無かった。

 分かり合おうという気すら感じられない。

 しこりはグレンの中で少しずつ大きくなっていった。




 全てがおかしくなったきっかけは、父親のモルトの日記を見つけた時だった。

 グレンは今でも、きっと自分には才能たるものが備わっていると漠然と信じている。

 だが自信も根拠もない。

 なぜなら彼の功績は、全て父親が裏で手を回し、箔付けとして与えられてきた幻の功績だったからだ。時には父が発注した魔物をグレンが討伐するという自作自演紛いの戦果すらあった。

 もっと最悪なのは姫との婚儀などモルトのコネで元老院を無理やり納得させているところだ。自分の力でこの栄誉を得たとばかりに思っていたが、違った。




 グレンの中でなにもかもが崩れ去った。

 自分の功績などどこにもなかった。

 所詮は父が見せてくれた虚像に過ぎなかった。

 これは彼の人生そのものを否定する事実だった。

 自信と誇りに胸をはっていた体躯は、途端に背むしのように小さくなり、体は鉛を埋め込んだかのように重たくなっていった。

 否定らしい否定を受けた事のない彼にとって、これは耐え難い屈辱だった。


 自暴自棄になった彼の眼に飛び込んできたのは、グレンを追いイスキー家の礼拝堂に着任したニッカだった。

 ニッカは自分を慕い、そしていつも賛辞を送ってくれた。

 命の恩人だからだ。

 グレンも自分の勇敢な行動に対するトロフィーとして、彼女を大切にしてきた。

 だがそもそも彼女が危険な目に合ったのは父の策略だったのである。

 だったら目の前で俺を慕うこいつはなんなんだ?




 様子のおかしいグレンを見て、ニッカは何か言葉をかけてきた。

 心配してくれた。

 気遣ってくれた。

 グレンの過去の栄誉を褒め、自信を持てと慰めてくれた。

 ――バカバカしい。

 そう思った瞬間、グレンの中で何かが千切れた。




 ニッカは最初の被害者となった。




 グレンは自ら救った命を嬲り、辱め、そして欲望の縛りを解き放った。

 最中にグレンはニッカへ自分の空虚さを語った。

 八つ当たりのように、暴力的にか弱い体躯にぶつけた。

 行為を終え、そこには泣く事すら疲れ果て汚れた女と、自らの人生が破滅したことをおぼろげに反芻している男がいた。


 漠然と、ああ、もうおしまいだな。


 そう思っていたとき、

「少しだけ、お時間をください」

 ニッカが言った。

「必ずやあなたを英雄に戻して差し上げます」

 何故彼女が強姦した自分に尽くすのか、それは未だに分からない。

 きっと、彼女にとってもグレンのトロフィーであり続ける事に何らかの誇りがあったのだろう。




 彼女は古代の魔術やなにやら、ペラペラと計画を語った。

 要するに父と同じように自作自演を繰り返し、虚像の英雄に返り咲くだけだ。

 だが一つだけ違う点がある、と、ニッカが言った。

「今度はこの陰謀を、あなた様自身が成し遂げるのです。

 グレン様ご自身が英雄への道を歩むのです。

 このニッカをお使いください。

 忠実な道具として、あらゆる手段を用いて栄光を捧げて見せます」

 そう言って乱れた姿の聖職者は恭しく礼をした。

 グレンの懐中で、何かが騒ぎ出すのを感じていた。




 †




 グレンの自室で、妻となるローゼ姫が微笑む。

 ニッカの計画は成功した。

 彼女の創りだした寄生虫の力で、グレンの支配を甘受する姫君を手に入れることが出来た。

 もうダンスに誘うと嫌悪感を滲みだす婚約者はどこにもいない。

 目の前にいるのはグレンが英雄となるための踏み台だった。

 ローゼは恭しく礼をする。

「このローゼをお使いください。

 忠実な道具として、あらゆる手段を用いて栄光を捧げて見せます」


 試しにやらせてみたが、やはりニッカの方が似合うな。

 グレンは冷めた頭でそう思った。

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