迂闊な夫人
(※ミストがヒューマン・ミスト化する数分前)
屋敷が騒がしくなり、ウェルシュ夫人は青ざめた。
あの放蕩息子がなにやら騒ぎを起こしたらしい。
グレンなどローゼと結婚さえしてくれればそれでいいのだから、普段なら我関せずと好きにやらせるところだ。が、今はマズイ。
――この屋敷には奴がいる。
祐樹だ。
ドゥミ嬢の情夫でありながら、ウェルシュが放った子飼いの暗殺者を撃退した男だ。
暗殺者は想像絶する残忍な方法で殺されたらしく、その死相は激しく乱れていた。
そして遺体にはウェルシュへのメッセージが刻まれていた。
『もう俺とドゥミに手を出すな!
さもなくば次はお前の番だッ!』
「だ……だめよ、あの男を怒らせたら、殺される……っ」
焦燥するウェルシュはメイドを呼び止め、自分を護れと命じた。
だがどうしたことか。
どの使用人もただ一言、
『部屋でお休みいただくようにと、グレン様より言いつかっております』
と答えてどこぞへ行ってしまうのだ。
示し合わせたかように、一言一句同じ言葉でそう返事するのだ。
ウェルシュはだんだんと、それすら祐樹の策略の様な気がしてきて、徐々に具合が悪くなってきた。
しかし、もうこうなっては部屋に戻って身の安全を祈るしかない。
眩暈をこらえて自室に戻った夫人に、転機が訪れた。
「あ。夫人、こんばんは」
夫人の贅を尽くしたその部屋に、おさげ髪の少女が勝手に居座っていた。
確か、ドゥミが祐樹と共に連れてきたメイドだ。
彼女はこの部屋の主に一言挨拶したものの、こちらに目もくれずベットに座りながら薄い書籍の様な二つ折りの機械を操作していた。
妙な機械だ。
何やら押しボタンらしきものが無数に取り付けてあり、一つ一つに見た事のない記号が印字されている。機械の半分は発光する鏡のようだ。
カタカタとメイドはそのボタンを器用に指先で叩き続けて、時折うーんと唸る。
「あ、ここに勝手に避難してるんで。ごめんなさい」
突然申し訳程度に断りを入れてきた。
普通なら追い出すところだが……。
「それは一体何をしているの?」
「これはユウ君のために新しいスキルを……。
あー、あのクソ生意気な奴隷の生体コードってどれだったかなぁ」
わけが分からない。
……だがこれはチャンスだ。
この娘は祐樹と同郷だとメイドが話していた。
随分幼いころからの知人らしい。
田舎人のこいつらの事だ、家族同然の付き合いに違いない。
だとすれば、こいつを人質に取れば祐樹も手出しができなくなるはず。
「そう。ゆっくりしていくといいわ」
「助かります。
今はちょっと時間が欲しいんで……。
ああ、思い出すと腹立つ。笑えるくらい腹立つ。
こいつノーパンの刑だけじゃ足らないな。
後でぶっ殺してやりたいけどユウ君あいつのこと気に入ってるし」
田舎娘はなにやらブツブツと唱える。
「改造ついでにユウ君好みの変な性癖植え付けてやるか」
集中しているな。
こちらの動きが気取られる様子は無さそうだ。
「ええ、ほんとうに。
ゆっくりしていくといいわ……」
ウェルシュ夫人はベットから護身用のナイフを取り出した。