再起
ミストは手先が震えていた。
寒いからではない。
先ほど見せつけられたグレンの姫に対する仕打ちに、恐怖が止まらないのだ。
なんだあれは。
人間のすることなのか、あれは!?
あまつさえ女性を奴隷の、いや、それ以下の何かのように操り、そして一方的な理由で叱責する。なおかつその瞳の向こうには明らかな嗜虐心がギラギラと輝いていた。
奴の高揚と性的興奮は知識のないミストにも伝わり、理解を越えたその感情は脅威となって身体を揺さぶる。
怪物だ。
姿こそ人を纏っているが、あの男は怪物だ!
ミストは何かに依存をしなくては立っている事すらままならない。
ぺたり、と腰をつき、固唾をのんだ。
こわい。
こわいこわい。
こわいこわいこわい……。
頭を振ってもその威圧感は抜けなかった。
身体に力が入らない。
あんな化け物を前に、私達はもう、ダメなのか……。
「私……〝達〟?」
恐怖で狭まっていた視野が広がる。
目の前には鬱屈したまま、動かない少年がいた。
祐樹だ。
彼が姫とどんな関係だったかはわからない。
だが、演技でも愛人を演じれるくらいには親密な関係だったはずだ。
そんな彼女は喜びながら悪漢に殴られ、自分に唾を吐きかけて去っていったのだ。
もう、立ち上がれと言う方が酷だろう。
そう。誰かが支えない限りは。
震えている場合じゃない。
彼がさっきしてくれたことを、今度は私がやってあげるんだ。
ミストは深呼吸した。
恐怖を頭の隅にやり、そして息を飲む。
よし……っ。
「祐樹」
声をかけても彼は動かなかった。
「祐樹、大丈夫だよ」
できる限り優しい声をかけ、その背中を撫でる。
「…………なにが……、大丈夫なんだよ……」
祐樹は虚ろな声を出した。
「姫はあのまま、あの野郎に……。
俺は姫を守れなかったんだ」
「確かに酷い事されたけど、でも回復薬で治った。
それに、まだ亜利奈ちゃんがいる」
「ははっ。亜利奈ぁ?」
祐樹は嘲笑じみた声を出した。
「あいつに何ができるんだよ。
どうせどっかでぴーぴー泣いてる」
「祐樹……」
らしくない彼の姿を見て、ミストの心も折れそうになる。
だが、ここで負けるわけにはいかない。
ミストが涙を拭き、新しい言葉を模索している最中、
「あぁ、そうだった。
亜利奈の時も間に合わなかった。
俺はいつもいつも…………」
何か、彼の中で〝間に合わない〟事に強いトラウマがあるらしい。
「結局、俺は何もできない。
間も悪くて、才能も無くて、何にもない。
ああ……このままこの世界で死ねばいいんだ……」
グレンがこの空虚さを狙って暴行ショーを見せつけたとしたら、大成功だろう。
祐樹は失意の中、言われるままに絞首刑になるに違いない。
悔しいがあの悪魔には人心掌握の才がある。
だが、そうはさせるかっ!!
「祐樹……、ユウ君っ!」
彼が今一人なら、負けてしまっただろう。
しかし今はミストがいる。
「何にもないなんて言わないで!
私達を助けてくれたのはユウ君だよね!?」
「あれは結局、俺がビビってただけだ」
「ユウ君!
立ち向かうときに、怖くない人なんてどこにもいないよっ!
自分より強い人がいて、自分の小ささが見えて、怖くなって!
でも、戦うんだよ!
〝間に合わない〟なんて言ってたら、いつまでも間に合わないままなんだよ!」
「…………」
「立って! 戦って!
ローゼ姫を救って! 亜利奈ちゃんを護って!
だって……」
それはきっと自分ではない。
この言葉を出せば、彼を再起させたのは自分ではなくなる。
でも……彼が立ち上がれるなら、それが誰だっていい!
「だって、ユウ君にはっ!
裏切れない人がいるんでしょ!?」
「……ッ!!」
どんっ、と何かが脈を打った気がした。
祐樹はゆっくり体を起こす。
顔面に付着した液を拭い、他人への理不尽に怒る瞳を据え、すくっと立ち上がった。
「ミスト、ありがとう。
それから……すまん」
そして困った顔で笑んだ。
「さっきのは……忘れてくれよ」
「条件次第よ」
よかった。
彼の眼を見ると、ミストの無理に抑えていた怯えもどこかしらへ霧散してしまった。
ピコン、と、祐樹の持つ不思議なマジックアイテムが輝いた。
「新しいスキル……、出し惜しみするなよ!
……、なに、『テイマースキル』?」
祐樹はこちらを見て首を傾げた。
「〝ヒューマン・ミスト〟って書いてあるんだけど」