菊
心って、本当に不自由よね。
思ってる事と、やってる事なんてよく違うし、どうしてそんな風に思うのかも分からないもの。
自分で制御出来れば、どんなに楽かしら、といつも思うわ。
だけど、制御出来なくて良かった、と思うこともあるの。
だって、制御出来たら、今のこの気持ちは生まれてないって事なんだから。
私は、よくお父さんの都合で転校するんだけど、転校してきて最初、あいつを見た時は、なんて冴えない男なのかしら、と思ってたわ。
あいつは、勉強も普通、運動も特に上手くないし、会話も下手で、いつも自信なさそうにうろちょろしてばっかり。
私は、イケメンで頭が良くてクールな男の人が好みだと思ってたから、あいつなんて路傍の石程度にしか思ってなかったの。
ついでに言えば、私はとっても可愛くて綺麗で賢いから、周りの男は皆寄ってきた。
だから、あいつとなんて、一生関わる事なんて無いと思ってたわ。
あの日までは。
その日は、天気予報では晴れだったのに、放課後になって急に雨が振り出したの。
それでも、普段は折り畳み傘があるから大丈夫なんだけど、この時に限って折り畳み傘を家に置いてきちゃって、途方に暮れてたわ。
そんな時、あいつがちょうど昇降口から、傘を持って出てきた。
あいつは、最初は傘をさして帰ろうとしてたんだけど、私が傘を持ってないのが分かったからか、私の方に寄ってきたわ。
こういう時、私に近寄ってくる男って、だいたい私目当てで寄ってくるから、あいつもそれと同じなんだろうなと思った。
だけど、あいつは違った。
あいつは、私に辿々しく傘を押し付けたら、雨に濡れながらさっさと帰っちゃった。
私が何かを言うより早かったから、傘を返すことも出来ないし、仕方なくその傘をさして帰ったわ。
その日から、ちょっとだけ、あいつの事が気になるようになった。
あいつをちらちらと見るようになってから、色々な事が分かったわ。
あんまり、仲の良い友達はいないみたいで、休み時間はずっと本を読んでる、とか。
毎日、お弁当を持ってきていて、実はそのお弁当は自作だ、とか。
それと、困っている人をあいつが見かけたりすると、それが誰であろうと必ず助けているって事も分かった。
つまり、私もそんな困った人の一人だったんだと分かると、ちょっと寂いなって思って、そんな気持ちに少し困惑したりもしたわ。
ただ、そんな性格のせいで、クラスメイトから、面倒事を押し付けられてることも分かった。
いじめほど酷い感じじゃ無かったけど、クラスの仕事の大半を押し付けられてて、放課後なんかはいっつも仕事をしてたわ。
でも、一番私が気になった事は、あいつに好きな人がいるみたいだって事。
その子は、クラスの委員長で、すっごく優しい子なんだけど、あいつが押し付けられた仕事をしてる時に、彼女が手伝っているのをよく見かける。
その時のあいつは、普段通りの下手な喋りなんだけど、なんとか楽しませようと精一杯話してるのが、見てるだけで伝わるのよ。
その場面を見ると、いっつもモヤモヤするし、なんで私がそこにいないんだろうって思うのよね。
だから、すぐにそこから逃げ出しちゃうの。
もうその頃には、とっくに私の気持ちに気付いてたわ。
だってふとした瞬間に、あいつの事を見てるんだもの。
授業中でも、休み時間で友達と話してても、あいつが動いたりすると、すぐにそっちを見ちゃう。
傘一本でなっちゃうなんて、我ながら安い女と思うけど、しょうがないじゃない、なっちゃったんだもの。
でも、そんな安い気持ちでも、大切にしたいって思った。
叶わないって知ってたけど。
だから、仕舞っておこうと思ってたけど、一度だけ我慢が出来なかったの。
その時は、またあいつは何か頼まれたみたいで、体育館裏の倉庫に荷物を持ってきてたわ。
私もその時ちょうど、ラブレターで呼び出されて、その場にいたの。
勿論、断ったけどね。
それで、相手の男がいなくなってから、ちょうどあいつがそこにやってきた。
正直、チャンスだと思った。
だけど、告白しても受けてもらえないと思ったから、私はとんでもない事をしちゃったわ。
あいつが通るところを無理矢理引っ張って、あいつを壁に押し当てた。
壁ドンってやつね、立場は逆だったけど。
それで、戸惑うあいつに好きって言って、あいつの唇を奪ってやったの。
私のファーストキスだったけど、初恋の人にあげられるなら、悪くないって思ったわ。
やってる間に気持ち良くなってきて、ずっとしていたくなったけれど、あいつが私を押し返したから、自然と離れた。
私とあいつの唇が繋がってて、淫靡な雰囲気だったわ。
あいつは呆然としていたけれど、慌てて荷物を持っていっちゃった。
私は、余韻を感じてて、何も出来なかったわ。
その後も、私とあいつは別に話したりするわけでも無くて、前のまま過ごした。
だけど、あいつとのキスは、たまに脳裏をよぎったりして、それだけで少し気分が良くなるわ。
いつか、終わりが来るのは知ってるけど、まだこの気持ちの余韻に浸っていたい。
だってこの気持ちは、私のものだから。