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二十

 

 あれから幾つもの季節が巡った。

 触れた感触が消えてから、貴方を見ることができなくなってしまってから。


 だけど、どれだけ年月を重ねても、あの時に掴んだ手の感触は今でも覚えている。

 あれから何度も何度も私を救ってくれた手。温かくて、力強い大好きな手。

 あの人の全てを覚えている。



***************



「ありがとう助かったわ。流石は椿堂さんね」

「いえ。これで依頼完了ということで」

「本当にありがとう。ほら、デブ美ちゃん帰るわよ」

「ギャニャー!!」


 依頼人の女性は、丸々と太った猫を抱えて頭を下げた。その間も、猫は泣き叫びながら逃げようともがいている。


「また何かありましたら是非依頼してきて下さい」


 私は苦笑いしつつ立ち去る女性を見送った。


 あの猫の反応。相当飼い主が嫌いなのだろう。

 女性は猫を溺愛しているようだから、悪い飼い方をしているわけではないのだろうけど、溺愛し過ぎて逆に嫌われてしまっているのかもしれない。

 しかし、何で今回も名前にデブを入れたんだろう。



 トントンと資料をまとめ、机に入れる。


 思ったよりも早く片付いた。小腹が空いたし何か食べようかな。

 この前十和子さんに貰ったお土産があるはずだからそれを……


「あ、今日の夕飯当番私だ」


 すっかり忘れていた。しかも、食材が残り少ないから買いに行かなきゃいけないことも完全に頭から抜けてしまっていた。


「仕方ない。買い物に行くかな」



 支度をして家を出る。春の暖かい風が頬を撫でた。

 通りを歩いていると、子供たちが笑いながら走っている。と、そのうちの一人が何かに躓いて転んだ。


「いってぇ」

「鈍臭いなぁ。何も無いのに躓いて」

「うるさいな! 足が絡んだだけだよ」


 転んだ子は顔を真っ赤にしながら、からかってきた子を追いかけてまた走り出した。


 多分小さい妖がイタズラしたのかな。

 いや、たまたま居たらぶつかられただけなのかも。

 痛かっている妖を想像して笑いが込み上げた。


「やぁ葉月ちゃん。買い物かい?」


 声をかけられ振り返ると、魚屋のおじさんがニッコリと笑みを浮かべていた。

 いつの間にか商店街まで来ていたようだ。


「こんにちは。今日は何がおすすめですか?」

「そうだな。これとかどうだい。煮付けとかにしたら格別だぞ」


 煮付けか。最近魚を食べてなかったらか丁度いいかも。


「じゃあそれをお願いします」

「まいどあり!」


 おじさんが魚を包み始めたので、財布を取り出そうと鞄を探す。


「あれ葉月ちゃんじゃないか。久しぶりだね」

「あ、おばさんこんにちは」


 置くからおばさんが顔を出し、手を振りながら駆けてきた。


「丁度よかった。届け物をして欲しいんだけど、頼めるかい?」

「大丈夫ですよ。急ぎですか?」

「えぇ」

「分かりました。明日の朝に伺いますね」

「ありがとう、助かるよ」


 紙を取り出して予定を書き込む。


「おう葉月じゃねぇか。ちょいと週末に手伝いを頼みてぇんだが、大丈夫かい?」

「あ、はい」

「葉月ちゃん。ちょいとタンスを移動させたいんだけど、手伝ってくれんかい」

「俺ん所も届け物頼みてぇんだ」

「ええっと。いつがいいですか?」


 いつの間にか人だかりができ、次々と言われる依頼を必死に書き込んでいく。

 地道に依頼をこなしてきたことで、こうして沢山の依頼を受けるようになった。まぁ、今でも依頼はなんでも屋みたいなものばかりで、椿堂は完全に何でも屋として定着している。


「そうだ。あそこの荷物を運ぶのを手伝ってほしいんだが、兄ちゃんに頼めんねぇか」


 指を指した方を見ると、箱が何個も積んであった。多分相当思いだろうから、私では無理だ。


「あ…… 来週でも構いませんか? 今蓮司いなくって」

「全然構わねぇよ」

「あら、そういえば最近蓮司君と千恵ちゃん見てないわね」

「あ、あの二人今実家に帰ってるんです。結婚するから」

「「「ええ?!」」」


 集まった人みんなが目を丸くして驚く。


 ついに蓮司と千恵が夫婦になる。報告を聞いた時は驚いたけど、凄く嬉しかった。

 あの日から、私を心配して毎日顔を出してくれていた。二人とも沢山やる事があるだろうに、必ず毎日来てくれた。

 おかげで、塞ぎ込みそうになった時にも、二人の笑顔で元気を貰えた。だから蓮司も千恵も幸せになって欲しいし、きっとあの二人なら幸せになれる。


「そうかい。あの二人くっついたんだね」

「いやぁめでてぇな! そういう事は早く言ってくんねぇと」

「あはは。すみません」

「そうだよ水臭いねぇ。そうだ、こういう時には赤飯を炊かないと!」

「そ、そうですね」

「そうだな! 母ちゃん小豆持ってきてこい!」

「はぁい分かりましたよ」

「え、あのっ」

「それならもち米もだね。詰めたげるからちょいとお待ちよ」

「えっえっ?」


 どんどん進んでいく会話に、私は目をしばたかせてあわてることしか出来ない。

 そして、数分後には私の両手は沢山の荷物で塞がれた。


「「「二人に宜しく!」」」


 笑顔で手を振る皆に、私は一礼してその場を後にする。

 まさかこんなに祝って貰えるなんて。蓮司達に報告しないとな。


「にしても……」


 落ちかけたお米の袋を持ち直す。

 これは流石に重たい。両腕に2袋づつ引っ掛けお米の袋を抱えている状態で、果たして私の腕は家に帰りつくまでもつのだろうか。


「な、なんとかなるさ! たとえ私の腕が抜けたとしても、これは必ず家へ持ち帰らない、とぉ?!」


 気合を入れようと声を出して叱咤している矢先、石につまずいて体が前のめりに傾く。


 やばい。荷物の重さで体勢を戻すことが出来ないし、両手を塞がれていて受け身も取れない。

 なんとか荷物を守ろうと、咄嗟に胸に抱き抱えて目をギュッと瞑った。


「っと!」


 声と共に、私の体は何かに支えられて傾くのをやめた。


「あっぶねぇ。何やってんだよ」


 グイッと後に引かれ、足がしっかりと地面に立った。

 顔を上げると、呆れた顔の青年と目が合う。


「なんだこの荷物の量。買い込む時は言ってくれって言ってんじゃんか」


 ハァとため息をつきながら、私の手からお米の袋を取り、片腕の袋も持っていった。


「無茶すんなって言ってるだろ、葉月姉ちゃん」

「ありがとう。太一」


 お礼を言うと、太一はひとつ頷いて歩き始めた。


「助かったよ。流石に腕が死ぬかと思ったのよ」

「いや、分かるだろ。なんでこんな無茶な買い物を」

「これは蓮司と千恵にって頂いたのよ。結婚のこと話したらお祝いしなくちゃってなってね」

「あぁなるほど」


 横を歩く太一は、私よりも背が高く顔を見るのに見上げないといけない。

 あれから太一はどんどん成長していき、声は声変わりを終えて低くなり、背もいつの間にか抜かれてしまった。


「そうだ。頼まれてたの確認しに行ったけど、やっぱり予想通り妖が原因だった」

「そっか」

「俺だけじゃ対処しきなさそうだから、取り敢えず刺激しないようにって言っておいた。多分蓮司兄ちゃん達が来るまでは大丈夫だと思う」


 今でも、椿堂には妖関係の依頼が来ることはしばしばある。そんな依頼は、太一達が請けおってくれている。


「じゃあ蓮司が来たら手伝ってもらわないとね。学校帰りなのに頼んじゃってごめんね」

「いいよ。今更じゃんか」


 笑う太一に私も笑みを返す。


 太一は今、普通の子と同じ様に学校へ通っている。

 本当は妖になんて関わらずにいてほしいんだけど、もう妖の見えない私にはそういう依頼をこなす事が出来ないから。


 チラッと見ると、丁度目が合って太一はフッと笑みを浮かべた。


「俺がしたくてしてるんだ。何度も言ってるだろ? 葉月姉ちゃん達の力になりてぇんだよ」


 歯を見せ笑う太一。

 声も見た目も変わったけど、こういう仕草は昔からひとつも変わってない。そして、優しいところも。


「うん。ありがとう」




***************



「あ、俺団子屋寄ってから帰るから」

「分かった。鈴ちゃんに宜しくね」

「おぅ」


 団子屋へ駆けていった太一を見送る。

 住み込みで働いていた鈴ちゃんは、最近は店を継ぐべく団子作りを勉強しているらしい。

 そして、太一と鈴ちゃんの関係はというと、未だ仲のいい幼馴染のままのよう。だけどお互い相手のことをとても大切にしている様なので、関係が変わるのにそう時間はかからないんじゃないかと思っている。



 椿堂に帰り着くと、玄関の所に人影があった。人影は私に気づくと大袈裟に手を振ってくる。


「やぁ葉月ちゃん。買い物だったんだね」

「こんにちは中島さん。またサボりですか?」

「サボりとは聞き捨てならないな。町の見回りと言ってほしいよ」


 頬を膨らませた中島さんに、私はクスッと笑みをこぼす。


「冗談ですよ。お茶飲んでいきますよね」

「もちろん!」


 一転して満面の笑みになった中島さんを家に招き入れる。

 あの日以来、中島さんはこうしてよくここに訪ねてきてくれている。何かにつけて理由を言っているけれど、私を心配して来てくれているんだろうな。


「はい。あとこれ十和子さんがお土産にくれたカステラよ。口に合えばいいけど」

「ありがとう頂くよ」


 事務所のソファに向かい合わせに座ってお茶を飲む。

 紅茶も十和子さんに貰ったものだけど、流石は十和子さん、凄く美味しい。

 彼女は最近旅行にハマっていて、帰ってくる度に色々な場所のお土産を買ってきてくれている。


「5年、か」


 食べる手を止めて中島さんを見ると、彼は部屋の奥にある机を懐かしげに見つめていた。

 あの机はいつも律が座って場所だ。


「そうですね」

「早いものだね。もうそんなにたってるんだ。律君が居なくなってから」

「ええ」


 お茶を一口飲む。

 律が鬼になってから、5年の月日が流れた。


「あの時はびっくりしたな。いきなり律君が居なくなったって言われたかと思ったら、妖だとか鬼だとか。頭が爆発するかと思ったよ」


 中島さんには、私の怪我が治った後全てを話した。

 私のこと、律のこと、太一、千恵、蓮司、そしてカムイのことも全部話した。

 話したのは律が居なくなった理由や、私の怪我のことを説明する為に、というのもあった。だけど、一番は人間の中にも事情を知る人がいた方がいい、という爺やさんの提案があったからだ。


「そりゃあそうですよ。正直話した時は信じてもらえないんじゃないかと思ってたもの」

「そうだね。だけど葉月ちゃんはそんなことで嘘をつくような人ではないから、信じないなんて選択肢は僕にはなかったよ」


 中島さんはそう胸を張りながら言う。


 爺やさんに提案された時、一番に頭に浮かんだのは中島さんだった。

 この人なら、私達のことを信じてくれると思ったのだ。それに、彼に隠し事はしたくないと思った。


 当時の想いを思い出し、照れくさくなって首を掻く。


「そういえば、蓮司君達はいつまでいないんだい? もうそろそろ式は終わるよね」

「式の後が大変みたいなの。落ち着くのは来週になるって言ってたわ」

「そっか。大丈夫なの?」


 心配げに眉を寄せて私を見る。


 5年前。カムイが死に際に発した言葉は、私へ呪いとなって遺った。

『無条件に妖を引き寄せる』呪いは、妖を見ることが出来なくなった私にとっては、命に関わるものだ。だから、あれから蓮司と千恵は私を守るために椿堂に通い続けてくれている。


「呪い、やっぱり解かないのかい? 解けないわけじゃないんだろう?」


 呪いは死に際にかけた強力なもので、解くのは相当難しいけど無理ではないらしい。


「いいの。カムイの呪いがかかってるってことは、あいつの妖力が私に取り憑いてるってことで、妖が見えていた時と似た状態だから」


 私が妖を見ることが出来ていたのは、カムイの妖力を通して見ていたから。


「だから、もしかしたらまた妖を見ることができるようになるかもしれない。たとえただの私の願望だとしても、信じていれば叶うかもしれないから」


 ほとんど可能性の無いことかもしれないけれど、信じていれば不可能にはならないと思う。

 もがき続ければ、いつかきっとまた律に……


「そっか」


 呟くように言った中島さんは、一瞬俯いたあと笑みを浮かべて顔を上げた。


「だけど、もし律君に愛想を尽かしたら、君には僕がいるってこと覚えておいてね」

「あはは、何言ってるんですか」



***************



 雨が降るホコリ臭い路地裏。

 倒れた男達を見下ろし立つ男が一人。

 真っ赤な髪の男は、漆黒の瞳で私を見つめる。


「助けてやろうか?」


 そう言って手を差し伸べてきた。



 ゆっくりと瞼を開くと、部屋は夕日で橙色に染まっていた。


 ボーとしながら記憶を辿る。

 中島さんが帰った後、夕食の準備をした。そして、太一が帰ってくるまで資料整理をしようとして……


「寝ちゃったのか」


 人のいる気配はないから、太一はまだ帰ってきていないみたい。

 私は起き上がって、手を伸ばしながら伸びをした。と、肩からスルリと何かがずれ落ちて床に落ちた。拾い上げると、それは薄手の毛布だった。


 寝おちてたから、私が自分で持ってきたわけじゃない。家には誰もいないはずなんだけど……


「あ、そういうことか」


 謎の答えがみつかり、頬が緩む。

 私は毛布をギュッと抱き締める。


「ありがとう」


 もう一度ギュッと抱き締めた後、布団を畳んで脇に置き、残った資料の山を見てニッと笑う。


「さ、もうひと頑張り!」








 お困り事はありませんか?

 お手伝いから猫探しまで、何でも承ります。

 困った時は是非椿堂へ足を運んでみてください。


 もちろん、少し不思議なお困り事でも。




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