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十九

 ぼんやりとしていた感覚が段々と戻っていく。

 爪先、足、手、胴体、頭。そして嗅覚、触覚、聴覚、視覚。全てが戻りゆっくりと目を開ける。


「葉月! いい加減戻って来やがれ!!」


 まじかでした声がし、薄れていた視界が戻った瞬間、何かが凄い勢いで向かってきた。そしてそれはそのままの勢いで私のおでこへとぶつかった。


「いっ!?? つっうぅぅ」


 鈍い音とともに脳みそが揺れる。これ絶対にたんこぶになるやつだ。

 一体何がどうなってるんだ。


 涙目になりながらぶつかったものが何なのか確認しようと前を見る。


「あ……」


 目に入ったのはこちらを真っ直ぐ見る律の顔。おでこが少し赤いから、さっきぶつかってきたのは律だったんだ。


「葉月?」


 律の声で呟かれた私の名前。

 手を伸ばして彼の頬に触れると感じる温かさ。

 あぁ、私無事に体を取り戻したんだ。


「起こすにしてももう少しましな起こし方してよね。たんこぶになったら律のせいよ」


 ニッと笑いながら言うと、律はポカンと目を丸くした。そして、ゆっくりと頬を緩める。


「うっせぇな。さっさと起きないお前が悪ぃんだよ」


 ぐしゃりと頭を撫でてきた律。


 この感じ、懐かしい。律とこうして話せて嬉しい。


「葉月姉ちゃん!」


 律に手を借りながら立ち上がると、太一が駆け寄ってきた。その後からは千恵と蓮二の姿があった。


「たい……」


 抱き締めようと手を動かそうとした瞬間、右腕の感覚が消え、支えてくれていた律の手を払いのけた。


「なんっ」


 私の突然の行動に驚いている律に対して、腕は彼めがけて殴りかかろうとした。


「律逃げて!!」

「っ!」


 不意をつかれた律の顔に直撃し、彼は後に倒れ込んだ。


「うぐっ」


 また勝手動きだそうとする腕を必死に抑え込む。


『小娘ガ、思イ通リニイクト思ウナヨ! オ前ゴトキニ、コノ私ヲ抑エルナド出来ルハズガナイ!!』


 頭の中でカムイの声が響いた。


 予想より早いな。もう少し粘れると思ったんだけど。


「うるさい。あんたの思い通りにさせないって言ってるでしょ!」

『グッ』


 気合いでカムイを抑え込み、辺りを見回して目当ての物を探す。


「あった」


 転がっていた刀を拾う。

 カムイだった刀。悪意が抜けたことで、本来の美しい守刀に戻っていた。

 これなら多少はマシになるかな。


「葉月何する気だ」


 起き上がった律と目が合う。

 全身ボロボロなくせに、目はいまだにギラギラと強い光を放っている。

 その目に何度勇気を貰っただろう。そして、今も貰っている。

 私はニッコリと彼に笑みを向ける。


「大丈夫。信じて」


 両手で刀の柄を持ち、刃を自分に向ける。


「なっ?!」

「葉月ちゃん!!」

「姉ちゃん!!」


 そして、そのまま自分のお腹めがけて突き刺した。


「うっ、ぐっ……」


 強烈な痛みと灼熱が襲いかかる。頭の中で警告音が鳴り響くけど、無視して更に深く抉った。


『ウグッ。グワァァ!! ヤ、ヤメロ小娘! 死ニタイノカ?!!』

「そ、そうよ。あんたを道連れにしてやるのよ!」


 刀を抜こうと抵抗するカムイを押し込める。

 ボタボタと血が流れると同時に意識が薄れていく。

 早く、早くして。じゃないともたない……


「あんたは私とここで死ぬの。さぁ、悪あがきはもうやめて諦めなさい!」


 叫んだ瞬間、口の中に血の味が広がった。

 すると、先程まで慌てふためいていたカムイが笑いだす。


『ククク。ソウカ、オ前ハ本当ニ死ヌ気ノヨウダナ』

「あたり、まえでしょ」

『ソウカソウカ。ナラバ仕方アルマイ』


 フッと手からカムイの抵抗が消えた。


『ココマデ適合シタ憑代ヲ手放スノハオシイガ、マタ見ツケレバ良イダケノコト。死ヌノハオ前ダケダ、小娘』


 全身から黒い靄が吹き出し始める。カムイが私の中から出ていこうとしているのだ。


『オ前ノ覚悟ハ讃賞ニ値スル。ダガ、惜シカッタナ。最後ノ最後デ己ノ詰メノ甘サニ殺サレルノダ。サァ最後ニオ前ノ悔シク絶望シタ顔ヲ見セロ』


 勝利の笑みを浮かべるカムイ。

 私が万策尽きたのだと嘲笑っているのだろう。


 最後まで私を下にみていた。絶対に私がカムイを倒すなんて出来ないと思っていたんだ。


 なかなか顔を上げない私に、カムイは近くに寄ってきて無理やり顔を上げてきた。


『私ヲ最モ追イ詰メタ者トシテ覚エテオイテヤロウ』


 あぁ、本当に……


 私の顔を見て、カムイが目を見開く。


「私を馬鹿にし続けてくれてありがとう」


 カムイの腕を掴む。

 そして、意識を現実に戻して、律の方を見て叫ぶ。


「律!!」


 律は私を見て刀を手にし、立ち上がってこちらに向かって走り出す。

 そして私の後、ほとんど私の中から出きっているカムイに向け刀を振り下ろした。


「グアァァァァ!!」


 カムイの叫びが響く。

 ふっと体が軽くなり、前かがみに倒れこんだ。違和感がなくなり、己を取り戻した感覚がする。

 上半身を上げ見上げると、かろうじて人の姿をした黒い塊が苦しげにのたうち回っていた。


「ク、クソォ…… 何故ナンダ! 何故オ前ラ如キニ私ガ負ケルノダ!!」


 喚き散らしながら、私を睨みつけ指を指してきた。


「小娘ガッ、コレデ全テガ終ワッタト思ウナヨ! オ前ハタトエ異形ナモノガ見エナクナッタトシテモ、コノ先一生ソレラニ狙ワレ続ケルダロウ!」


 カムイがそう発した瞬間、体に何かがまとわりついてきた。

 ぞわりと鳥肌がたったけれど、そっと抱きしめられる感覚が上乗せてくる。横を見ると律が体を支えてくれていた。そして、他のみんなも近くに来てくれていた。


 そうだ。たとえカムイの言うようなことになったとしても。


「私にはみんながいる。これから先も、お前の思い通りにはならないわ」

「ククク。ダトイイガナ」


 カムイは笑いながら溶けて消えていった。それと同時に私のお腹に刺さっていた刀も消えていく。

 辺りを包んできたカムイの妖気が消え、澄んだ朝の空気になった。


「終わった、のか……?」

「え、ええ」

「カムイは消えたの?」

「あぁ。もう妖気は感じられねぇな」

「そう、だね」


 私達は顔を見合わせる。

 そして全員一斉に大きく溜息をついた。


「死ぬかと思ったぜ」

「うん。怖かったよ」


 蓮司と太一が背中を合わせてその場に座り込んで体の力を抜く。


「そうね。だけど、気を抜くのは早いわよ。葉月傷の具合はどう?」


 一瞬気を抜いたが、すぐに私を心配してくれた千恵ににっと笑みを向ける。


「大丈夫。見た目ほど痛くはないから。だけど流石にちょっと体力の限界かな」

「笑い事じゃねぇよ。ほんとヒヤヒヤしたんだからな」

「そうだよ。姉ちゃんは無茶し過ぎだよ」

「うん。ごめん」


 笑っていたら、頬をそっと撫でられた。

 顔を上げると、律が苦しげな表情をしていた。


「馬鹿野郎が」

「うん」

「一人でなんでもかんでもやり過ぎなんだよ。何度も言ってるだろうが」

「うん」

「今回だって、どうせ思いついた瞬間何も考えずに実行したんだろ。自分が死ぬかもしれねぇのにそれを無視して」

「そうだね」

「あいつを取り込んだり、自分の腹刺したり、痕になったらどうするんだよ。お前女だろ」

「うん」

「……」


 喋りつづけていた律が、暫く言葉を止め、グッと奥歯を噛み締めた。


「どうせ。俺を助けようとしたんだろ……」

「うん」


 小さく吐き出された言葉に私はしっかりと頷いた。


 俯く律。

 鬼が暴走しかかって乱れていた妖気は、落ち着き律の身に馴染んでいる。その代わりに、今まであった人の気配は完全に感じられない。

 人に執着していた理由が無くなったことで、人としての律の存在は無くなってしまったのだろう。


 私は律に体を預けた。


「良かった。無事で」


 今までの律とは変わってしまった。

 だけど、感じる温かさや雰囲気は全く変わっていない。

 私の好きな律のままだ。



「今爺やが医者を呼んできてくれてる。取り敢えず葉月ちゃんを家の中に連れていこう」

「そうね。太一私と布団の用意をしましょう」

「うん」

「律。葉月ちゃんを運べよ」

「あぁ」


 律が私を抱え上げた。

 傷に極力当たらないようにしてくれていて、それが嬉しい。

 歩き出した律の胸に頬を擦り寄せると、強く抱き締めてくれた。


 ゆっくりと揺れる振動に、眠気が襲ってくる。

 頬から感じる律の温もりに、うっとりと……


「っ!!」


 ハッと目を覚まして頬を強く押し当てる。

 先程まで感じていた温もりが感じられない。それどころか、私を抱いている律の感触も段々と薄れていく。

 バッと蓮司と千恵を見る。

 二人の姿は薄く背景が透けていた。



 あぁ。もうなのか。



 部屋につき、布団にそっと下ろされる。

 見下げてくる律も空が透けていた。


 分かってた、ことだ。

 見えなくなるって分かってた。それでも律に生きてほしくてカムイを倒した。

 だから、涙なんて流さない。


 グッと涙を堪え、上半身を起こして律に微笑みを向ける。


「ありがとう」


 律の姿はほとんど透けてしまっている。

 大好きな赤い綺麗な髪も、青に溶けてしまっていた。


 嫌だな。せっかく律が元気になったのに。

 せめてもう少し、一日だけでいいから一緒に過ごしたかった。


 カムイを倒して、私が律を認識出来なくなる時に何を言おうか考えていたけど、口を開いた瞬間泣きだしてしまいそうで何も言えない。


 涙が抑えきれなくなりそうで、律から目を逸らして俯く。

 と、頬をそっと触れられた。

 顔を上げると、律が微笑みを浮かべていた。それは息が止まるくらい優しくて、温かな笑みだった。


「もう一人で突っ込んでいくなよ。お前は人なんだ。自分が脆いこと自覚しろ」

「う、うん」

「あんま周りに迷惑かけるな。突っ走る前に相談しろ」

「分かった」

「それでもどうしようもねぇ時は」


 律はおでこを私のにコツりと押し当てた。


「俺が守ってやるから」


 涙が零れた。

 守ってくれる。つまり、律はこの先も私の側に居てくれるんだ。


「うん!」


 頬を緩めて頷く。

 それと同時に、おでこの感触が消えた。

 顔を上げてみると、先程いた律はもう見えない。

 私は目に溜まった涙を拭って笑みを浮かべる。


 大丈夫、寂しくはない。

 だって律はここにいる。

 見えなくても、私の側にいてくれているんだから。

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