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第八話『新たな誓いと望まぬ再会』

「だ、大聖堂だぁ……?」


 噛み煙草を床に落としながら、口を半開きにして目を丸める。


 大聖堂。この国、ガーライストにおいて国王直轄の宗教組織であり、ガーライストにおいては大体の民は大聖堂教会に所属している。大聖堂という呼び名が定着する余り、本来の宗教としての名前、大聖教という呼び方は随分錆びついてしまっているほどだ。


 当然俺もそうだが、特に神様だのに助けて貰った覚えはとんとない。酒場で聞く話じゃ、国王直轄ゆえの半ば治外法権組織として金を集めてる奴らだと聞いた覚えはあるが。


「そう、大聖堂。知らなかったのだけれど、私、魔術の素養があるらしいの。ええと、その育英の為とか言っていたわ。良いでしょう。色町や何処かの富豪に買われるよりは幸せだと思うの」


 包帯を巻き終えると、早口にアリュエノは捲し立てた。一見して自慢げでもあり、何処か不安を押し殺すようでもあった。


 頭は混乱したまま、今一働かない。大聖堂。それは勿論、身請け先としてはこれ以上ないほどの好条件だろう。他の貰い先のように、肉体や精神を酷使することはあるまい。


 だが、やはり奇妙だ。大聖堂には、殆ど上級貴族かそれに等しい権限と、直轄地もある。何故それほどの組織が、孤児院の子供一人を急に囲い込む。


「……アリュエノの魔術素養は特殊らしくてな。大教皇猊下も、随分とお気にかけられているとの事だ。内部のことをよく知っているわけではないが、悪くはされないさ」


 ナインズさんは、僅かに瞳を俯かせつつ、アリュエノの言葉に付け足すようにそう言った。


 呆然としながら顔をひくつかせる俺の顔を、アリュエノが覗き込む。


「ほら、もっと喜んでもいいのよ。幼馴染が大聖堂にいくんだもの。存分にはしゃいでも構わないわ」


「……そりゃ普通のなら、喜びますけどね。今回の身請けはやっぱ、ナインズさんの伝手か、何かなんすか」


 見つめる金色の瞳を受け止めながら、声を出す。そういう意図はなかったが、どうにも訝し気に疑うような声が出てしまった。


 ナインズさんは、僅かに鼻を鳴らして笑った。


「何だ人を疑うような声を出して。勿論私だって善人ではないが、可愛い子供たちを陥れる悪人ではないさ」


 切れ長の瞳を瞬かせて、ナインズさんも椅子に座る。その表情は平時の通りで、何処か掴み処がない。そうだ、昔からそうだった。何処までが冗談で、何処からが本気かがとんと分からない。だからといって信用が置けないわけでもない。妙に伝手もある。しかしそれがどういうものであるのかを語ろうとはしない。謎多き掴みどころない人。それがナインズという女性だった。


「ああ、そうだな。その通りだよルーギス。教会方面に話を通したのは私だ。しかし……まさか大聖堂そのものに囲われるとは私にだって分からなかったよ。このような事があるものなのだな」


 その言葉には思わず頷いて同意した。


 大聖堂とは二つの意味を指していて、一つは大聖教そのものを。もう一つが、大聖堂直轄地に存在する本拠地。ガーライスト王国各地に作られている教会とは一線を引く、大聖教総本山と言ってもいい場所を指している。


「大聖堂ってことは。アリュエノは北の果てまでいっちまうって事ですか」


「北の果てだなんて、大袈裟だわ。ちょっと花嫁修業にいってくると思えばいいのよ。ええ、構わないわ!」


 ナインズさんが答える前に、アリュエノが言葉を食った。


 落とした噛み煙草を拾う指先が震える。頬を噛みながら、人知れず脳内は動転した。


 何てことだ。想い人に会えたと思えれば、その当人は遥か遠く、北の大地まで行ってしまうという。それも大聖堂となればそう簡単に会う事もできまい。本当に、手紙でのやり取りが精々だ。そうなってしまえば、次に直接会うのは、間違いない。救世の旅で、だ。


 ダメだ。それだけはダメだ。もしそうなってしまえば同じことの繰り返しだ。あの男。救世者と名乗る男に全てを奪われる。それだけは受け入れられない。繰り返さない為に、俺は此処に舞い戻ってきたのだ。


 唇をぎゅっと引き締めながら。目線を強める。身体は強張りながらも、頭は取り得る手段を探っている。


「……な、なんだか意外ね。ルーギスったらそんなに深刻な顔するだなんて。もっと気楽に受け止めても構わないのよ?」


 それとも、私と会えなくなるのが寂しいの、と茶化すように、アリュエノは付け加えた。


「当たり前だろ。そうじゃなかったら、こんな顔しませんっての」


 首元を抑えながらそう応える。


 アリュエノは驚いたように、寂しさと嬉しさを混ぜ合わせたような笑みを浮かべた。そこに嬉しさが入っていたというのは、俺の妄想でなければ良いが。


 白い頬が、僅かに赤らんでいた。


「……ええ、構わないわルーギス、そんな貴方も。なら、立派な冒険者になりなさいな」


「そうだな、それが一番だ」


 ナインズさんがそう付け加えながら、言葉を接ぐ。


「この国は実績をあげた冒険者には報いる所が多い。それこそ大聖堂に洗礼を赦された冒険者パーミリスの例もある。お前が冒険者として大成すればするほど、アリュエノにだって容易く会えるようになるさ」


 簡単に言ってくれる。冒険者の世界なんてのは、肥溜めとそう変わらない。そこで大成するなんてのは、それこそ天に浮かぶ星を掴むようなもの。その間で幾らでも人は命を落とし、幾らでも落ちぶれていく。成功するには、実力だけじゃない、運命の女神と時勢の助力が必要な職業だ。


 その場で立ち上がると、肩を軽く動かし、先ほどのように引っ張ってみる。痛みは、もうない。


「これやるよ、アリュエノ」


 懐から、袋に入った練り菓子を、アリュエノに投げ渡す。彼女は動揺しながらも、胸元でそれを掬い上げた。


「好きだったろ、それ。今回の報酬はそれと、こいつで消えちまったよ」


 噛み煙草をひらひらと掲げながら歯を見せて笑う。つられたように、アリュエノも笑った。


「本当、馬鹿よね昔から。ありがとう、じっくり味わって食べるわね。今日は泊っていくの?」


 ナインズさんもその気でいたようで、ベッドなら空いているぞ、と奥の部屋を指してくれる。だがそんなわけにはいくまい。そう、こんな話を聞いた以上、過去の思い出に浸っているわけにはいかないさ。


「いいや。悪いがとっとと戻るさ。ほら、俺。冒険者として大成しなきゃならんからよ。次会う時は見てろよアリュエノ。もしかしたら騎士様になってるかもしれんぜ」


 喉を鳴らすように笑いながら、はっきりとそう言った。


 アリュエノは一瞬目を見開いて、戸惑ったような、だが何処か安堵したような表情を浮かべて、口を開く。


「そう、なら安心ね。待ってるわルーギス。じゃ、未来の騎士様にはこれあげる」


 細い指が手首に触れ、淡い赤のハンカチが巻かれていく。確かこれは、アリュエノのお気に入りだったはずだ。幼い頃から宝物のように大事にしていた覚えがある。


 俺の戸惑ったような視線に気づいたのか、ハンカチを巻き終わった後、アリュエノはこくりと頷いた。


「良いのよ。あっちじゃ私物を持ち込めるかも分からないし」


 それに、ね。と彼女は付け加えた。


「ふふ。貴婦人が騎士にハンカチを貸し、騎士はそれを身に着けて戦い、生きて戻り貴婦人へと返す。騎士道ロマンの常道でしょう? 私の代わりと思って傍においても、構わないわっ」


 *


「全く。やってくれんなぁ、本当」


 街道を歩きながらも、手首のハンカチを見ると、思わず笑みが零れる。馬鹿みたいな話しだが、アリュエノという存在を、其処に感じてしまう。


 別に、過去に戻ったからと言って、冒険者として大成だなんて野望を抱いてはいなかった。所詮、俺が俺である事に代わりはない。知識があるからといって、凡夫が天才になることなんてあり得ない。ドブネズミは、美しい猫になる事はないんだ。


 だが、こうなった以上そんな泣き言を言っている場合じゃないだろう。もはやそう成らねばならない。アリュエノに再び会う為に、同じ未来を繰り返さない為に。


 そんな新たな志を胸に、酒場の扉を開く。


「おう、ルゥーギス……」


 珍しく、殆ど自分から話したりはしないマスターが声を掛けて来た。咄嗟に目線をあげながら、顎を掻く。


「客だぁ……」


 マスターの指が指し示す先を、つられるように見る。


 店の奥の、上等なテーブル。そこには、顔に細い横線を入れたような、歪で威圧するような笑みを作った、カリア・バードニックの姿が、在った。


 決意を新たにして何だが、俺は此処で死ぬかもしれない。

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