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第六話『育て親と想い人』

「付き合ってられん」


 あの様子なら、どちらにしろカリア・バードニックが死ぬことはないだろう。見ていろと言われたが、俺が残っていても何ができるわけでもない。危険なだけだ。


 リチャードの爺さんから情報料代わりに貰った駄賃は、軽い買い物をしたらすぐに消えていった。つい買ってしまった久方ぶりの噛み煙草の感触に目を細め、街道を歩く。


 道々を行く人々は酷く忙しない。商人、衛兵、冒険者に小間使いまで。誰かが何かをする為に走り回っている。悠長にゆったりと街道を歩く余裕なんて誰しももっちゃいないわけだ、こんな時代では。当時の俺も、きっとそんな余裕はなかった。空腹に、暴力に、貧困に、常に何かに追われていた記憶は幾らでも出てくる。


 今だって、別に余裕があるわけじゃない。過去の記憶はあれど、貧困の度合が改善したわけではないのだから。しかし、だ。


 この時くらいは、余裕をもって歩いていたい。誰だってそうじゃないだろうか。自分の想い人のもとへと、向かう時くらいは。


 *


 街道から一つ道をずれると、そこには日の光が僅かにしか入らず、街道と比べてすこしじめりとした感覚が拭えない。奥に入れば入るほど、その感覚は強くなる。目的地はその更に奥地だ。


 相変わらず、とても心地よいとは言えない場所だった。しかし、郷愁や懐古心というものは都合が良いもので。こんな環境であろうと、懐かしい、ただその一言だけで良いものであるかのように思えてくる。


「珍しいな、小僧。お前が此処に足を向けるなんてのは」


 お前の性格から考えると、そう来ないと思っていたが。そんな声が、背後から耳を突く。


 久しい。本当に懐かしくて、涙が出てしまいそうな声だった。僅かに声を震わせ、背後から迫ってきた足音に応える。


「ナインズさん。俺もう小僧って年じゃ……ああいや、年か。そういや、まだそういう年か」


 一瞬出かけた言葉を思わず噛み潰しながら表情を歪める様が可笑しかったのか、ナインズさんは頬を緩めながらけらけらと笑う。


「何だ、冒険者になって一丁前に大人きどりか。お前なんぞ、私からすればいつまでも小僧だよ。おかえり、ルーギス」


 変わらない笑みで俺を迎えてくれたのは、俺、そしてアリュエノが育った孤児院の主。育ての親にして、皆の母親代わり。ナインズさん、と皆呼んでいる。僅かに紫がかった毛髪は、裏通りの暗がりの中でもよく映える。しかし、当時から思っていたが本当に年を感じさせないな、この人は。俺が子供の頃からその容貌が殆ど変わっていない気すらする。


 すっと買い物籠を自然に俺に手渡しながら、寄っていけ、と我が物顔で裏通りを歩いていく。


「今日はどうした、泊まる所がなくなって泣きつきにきたか?」


「誰がだよ。んなわけねえでしょう。あ゛ぁー……アリュエノに会いに来たんですよ」


 何であろうか。妙に、照れくさい。ただ幼馴染に会いに来ただけで、お互いまだ年端もいかぬというのに。きっとナインズさんも、俺の反応を馬鹿にするように笑うだろうと、そう思っていた。


「まぁ、そうだな。お前は人に泣きつく性質ではない――アリュエノ、か」


「……ナインズさん? どうしたんだよ、急に黙りこくって」


 彼女には珍しい、言葉に詰まった様子に思わず目を丸める。


 別に、アリュエノに何かがあったという話ではないはずだ。なにしろ、アリュエノは未来、救世の旅のその日まで生きているのを、俺は知っている。たとえ何か病気にかかっていたとしても、心配なのには変わりないが動揺するほどのことではない。


 その、はずだ。


「そのアリュエノだがな――身請け先が決まった。だから、今日は良かった。最後にお前に会えればあの娘も喜ぶだろう」


 身請け先が決まった。その言葉に、反射的に身体がこわばる。鼻を掻きながら、発する単語を選ぶように、ぼそりと呟く。


「……まだ、早いんじゃないですかね。それに、あいつなら孤児院でも十分やってけるんじゃ」


「いつまでも、あの娘を縛っておくわけにもいかん。一人で生きていけなくなってしまうだろう」


 返す言葉がない。何とか言葉を捻りだそうと言葉を練り、しかし萎んでしまう。


 しばし、無言になった間。ナインズさんが心なしかゆっくりと歩く後ろを、ただついていった。


 身請け。それは孤児院で暮らす者には、いずれ訪れる一つの選択肢だ。


 生まれはどこにしろ、孤児院で育った者の将来は、大きく二つ。


 一つが、俺のように冒険者となる事。冒険者という職業は、何の後ろ盾も、紹介すらもいらずに成れる唯一といって良い職業だ。替えの利く命となる事を、この国では万人に認めている。


 冒険者なんて名乗ってはいるが、その大部分はゴロツキや野盗の集団とそう変わりない。その生活は常に命を賭け金にして、僅かな糧を得るようなもの。大成する者は僅かに過ぎない。だが、孤児院からはその僅かな可能性に夢を見て出ていく者も少なくない。それこそ、俺のように。


 二つ目は、身請けされる事。即ち――何処ぞの個人か、組織かに買われる事だ。後ろ盾も何もない子供には、職を見つけるにはこれしかない。男なら、肉体労働か剣奴。女なら、良くて色町。悪ければ、金持ちの玩具。どちらにしろ、使い潰しの命である事にそう違いはない。多少運の良さ悪さはあれど、だ。


「……身請け先って、何処なんですかね」


「それは、私の口から言う事じゃないな。直接聞け」


 アリュエノの口からな、と言って、ナインズさんはいつの間にか到着していた孤児院の扉を開けた。


 孤児院は、相変わらず何処か傾いていて、強い風が吹けば崩れてしまいそうなほどだった。扉を開ける時の妙に軋む音も、昔の通り。


「アリュエノ、客だ。珍しい奴がきたぞ。手紙を出す為の代筆料が浮いて良かったな」


 先ほどの雰囲気などなかったことのように、ナインズさんは中に向けて話しかける。


 奥から、足音が聞こえてくる。これも、覚えている。彼女だ。アリュエノの、足音に違いない。


 裏通りを歩く間たっぷりと悩んだはずであるにもかかわらず、俺は、どんな表情を作って彼女に会えばよいのか、未だ分からなかった。

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