第四話『その栄光の名』
「グ…ァアァァアアガッ!」
大型魔獣と、未だ成長しきってない餓鬼の真っ向衝突。なら反動は当然。二本のナイフを魔獣の眉間に突き刺したまま、近くの草むらまで跳ね飛ばされる。口内からは鉄の味がにじみ出ていた。
「ハッハァ! 知ってんだぜ、お前さんは眉間が一番柔らかいってことはな」
そう、何せお前型の魔獣は、後年いやというほど研究されたんだ。
擦り傷だらけになりながら、頬を吊り上げる。肉を切り裂いた感触が未だ手にしっかりと残っている。突発的な行動だったが成功だ。胸は高揚と達成感に跳ね上がる。
そうだ、ああそうだとも。ここで逃げてるなら、以前と変わりない。俺は何があっても、かつての自分を踏破しなければならない。かつての、そして未来の俺を克服しなくてはならない。
魔獣は苦悶の声を響かせながら、血を眉間より滴らせる。致命傷ではないが、全く無視できる軽傷というわけでもない。今の状況じゃ、上出来だろう。
「……ッ!? なんだ、貴様は何処から来たッ!」
「ああ、ああ。黙っててくれ。聞きたくねぇんだその声は! そんな雑な技量で俺の前にでてきやがって。まだ弱いなら弱いなりに、大人しくしてりゃいいもんを」
ああ、今凄く気持ちが良かった。なんだろうな。積年の恨みを一言で晴らしてやった気分だ。少し怖くなってカリア・バードニックの方を見てみる。大丈夫だ、悔しそうに歯噛みしているが、流石に状況が状況、襲いかかってくることはないだろう。
「ほらよ、俺はもう手ぶらだ。後はあんたがやってくれ。奴さんは相当動揺してる」
放り出されたままの長剣を手にとり、カリア・バードニックへと手渡す。彼女も無傷ではないのだろう、僅かに顔に血が滴っている。
「……言われずとも。貴様との問答は後だ。あの牙を潜り抜け、決着をつける」
手早くな、とそう呟きながら、再び長剣を手に巨獣を睨み付ける。
その体躯は猪に似ている。あくまで造形は。その内実はまったくの別物だ。毛並みの下に隠れる外皮は岩をも弾き飛ばす強靭さ。身体を支える四本の脚はどれも根を張った木々のように太く、軟な斬撃では当然のように弾き返されるのが目に見えている。
荒い息を吐きだしながら、長年研ぎ澄ましてきたであろう大きな二本の牙を、突き出すようにして魔獣は態勢を整えた。
大型魔獣。
その名に恥じることない巨躯をもったそれは、その鋭い目つきでこちらを見据えている。その威容は流石。弱点を抉りぬかれ、軽くない傷を負いながらも未だ闘志を失っていない。むしろ、手負いの獣ほど狂暴になるもの。だが幸い、こちらを警戒しているのだろう。ギョロギョロと大きな瞳を動かしながらも、その初動は鈍い。
「嬢ちゃん、顎を狙え」
「顎? 馬鹿を言え、あの牙を潜り抜けて顎を狙うくらいなら、上部から頸椎を狙った方が良い」
コンコン、と自分の顎を叩きながら言うと、カリア・バードニックは怪訝な目つきで応じた。
「馬鹿はお前だ。あの型の魔獣は突進力が最大の武器。外皮は鉄剣で切り落とせるほど軟らかくない。幾らお前さんの技量でもかすり傷一つが精々だ」
「……言いたいように言ってくれるな。あれは新型の魔獣だぞ。何故そんな知った風な口を利ける。大体、貴様のような見すぼらしい風体の男の言う事を、信じられるとでも?」
「なら別に構わんよ、どうしようと」
彼女の言葉を食い気味に、軽く歯を鳴らして告げる。
本当にこいつは、今も、そして未来も変わらない女だ。嫌な女だった。人の意見など聞きはしない。自分一人で全てを完結させる女。こいつに物事を素直に言い聞かせられたのは、最初から最後まであの救世者の男だけだった。
きっと、今もこの女はこう思っているんだろう。こんな貧弱で、いかにもろくでもない見かけの男の言う事など、聞けるものではないと。いつだって人を馬鹿にしてくれる女だ。
「なら俺はさっさと撤退するさ。後はあんた一人で存分にしてくれりゃあ良い。元々、俺の仕事は偵察なんでね。それに、だ」
こうやって話す間にも、あいつは回復していくぜ、そう言いながら視線で魔獣を指す。
魔獣はその巨躯の至る所から煙を噴出させ、傷口を塞いでいく。あれこそが瘴気なのだと、学者は言う。毒霧が奴らの傷を塞ぐのだと、冒険者が語る。実際のところはよく分かっていない。魔力を蒸発させて、傷口の修復にあてているなんて説もある。その真相がどうであろうと、あれは間違いなく魔獣を回復させる何かだ。
傷口が塞がり切れば、間違いなく奴はこちら目がけて襲い掛かってくるだろう。魔獣の敵愾心は獣のそれを遥かに凌駕する。特に、身体に傷をつけられたとなれば尚更。
「なァに、あんたなら出来る出来る。頑張ってくれや。応援してるぜ、酒場のテーブルからよ」
こんな馬鹿にした言い方をすれば、カリア・バードニックはもう何も言ってこないだろう。何より巻き込まれるのは御免だった。
ただでさえ嫌いな女の為にナイフ二本を無駄にしてる。あの魔獣に一撃をくれてやったことは、過去の俺を思えば間違いなく意気地を見せた。そう悪いことにはならないはずだ。その為の犠牲とでも思っておこう。
「……待て」
手をひらひらと舞わせながら去ろうとする俺を、鋭い声が呼び止めた。
「――了承した。非礼を詫び、貴様の言を取り入れよう。どうすれば奴と戦える。どうすれば、奴を殺せる」
その言葉を聞いて、踵から怖気のようなものが這い上がってきた。
「……おいおい、本気かよ」
この女が、自尊心と傲慢さを溶かし合わせたような人間が、俺を頼るだと。わけがわからない。全く埒外の事だ。
頼られる心地よさよりも、寒気の方が遥かに勝る。顔を歪に歪めたまま、親指で魔獣を指さす。
「いいか、奴さんの牙は柔らかい弱点の眉間を守るためのもんだ。ゆえに奇襲でもなけりゃそううまく突けるもんじゃない。そして外皮なんざ硬くて貫こうと思ったら、高位陣魔法でも持ってこなきゃならねぇ」
カリア・バードニックは案外素直に頷きながら、その言葉を聞いている。俺の言葉なんざ碌に聞く耳を持たなかった未来の姿からすると、考えられん。正直、不気味だった。
コンっと顎を叩きながら、言葉を続ける。
「だから顎だ。奴の顎下から首中にかけての皮膚は外皮に及びつかんくらい脆弱で、鉄剣でも十分に貫ける」
「といって、どうやって狙う。内側の皮膚が柔らかいのは、当然狙い辛い、危険が少ないからだろう」
「かちあげ時を狙うのさ」
かちあげ時、と彼女はおうむ返しに言葉を紡ぐ。目を細めたまま、解説を続ける俺の手の動きを注視している。
「奴は牙で獲物を仕留めるとき、最後の最後に牙をかち上げて、完全に獲物を殺そうとする。その時一瞬、顎下があく。そこに食らいつけ」
「おい、正気か貴様? 本気でそれを言っているのか」
呆れたような声が、俺の言葉を食い気味に飛び出た。そんなものは隙ともいえんと彼女は続け、顔色を曇らせる。如何にも自信なさげで、その細長い剣を支える手も揺れ動いている。
驚いたのはむしろ、俺の方だ。この女は、何を言っているんだ。
「出来るさ。出来るに決まってる。迷う必要すらない」
「ッ!? 何故そんな事が言える、人事だと思って、何も根拠もない事を言うんじゃない!」
「根拠ならあるさ」
勢いを挫かれ、怯んだその銀色の瞳に、ため息を吐きながら言う。
「あんたがカリア・バードニックだからだ」
そう、出来て当然だ。出来ないはずがない。剣術の天才で、騎士団の俊英。その彼女が出来ずして、誰が出来るというんだ。
一瞬、目を見開きながら、カリア・バードニックは俺と視線を合わせた。今更かも知れんが、少し怖い。彼女に脅かされ続けた救世の旅のことをどうしても思い出す。そんな俺の心境など笑い飛ばすように、彼女はうっすらと、しかし零れるような笑みを浮かべた。
「――了承した。そうだ、私はカリア・バードニックだ。ならば当然に、魔獣を打倒してみせよう。そこでみていろ、貴様」
ああ、何だやっぱりやれば出来るんじゃないか。
自信を胸に掲げながら、そういって魔獣の前へと赴くその後ろ姿は、紛れもない。俺の知る天才――カリア・バードニックの姿そのものだった。