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第二十七話『地下神殿にて二人』

 カリア、そしてヘルト・スタンレー、両名の声が、何処か遠くにいくように耳からゆっくりと消えていく。首を撫で、軽くため息をつきながら気分転換とばかりに肺の空気を入れ替えた。


「いやなるほど分断させるトラップか、参ったねぇ、どうにも」


「……その割には随分と呑気というか、我関せずって感じね。冒険者って皆そうなの?」


 別にいいけれど、と隣で声を潜めながら、 フィアラート・ラ・ボルゴグラードが噛み煙草を口に含んだ俺を見て、呟く。消え入りそうなほどの音量だというのに、妙に耳に残るのは声質の良さだろうか。


 こちらとしては、地下神殿の入り口に踏み入って早々、罠で仲間と分断されたというのに、冷静さを保っている彼女に辟易としているのだが。


 それに呑気というわけではないが、落ち着きたい時には、噛み煙草を嗜むのが良い。焦げたような、しかし何処か清涼感のある匂いが鼻を通り過ぎる感覚が、心地よい。以前の旅の時も危機に陥ってはこうしていた。何せ、一人だけ斥候に出されたり、罠の見分役として前に出る事が多かった分、危険は何時だって背中にこべりついていた。


「で、どうするの。此のまま此処で助けを待つ? それとも、こちらから動くの」


 その言葉に思わず、目を丸めた。溜まった唾を、思わずそのまま飲み込みそうだった。黒髪の魔術師殿はどうしたのよ、とでも言いたげに、どこか不安そうな様子でこちらを見つめている。


 いやなに、そりゃ驚こうというものだと言ってやりたかった。


 あの、俺の存在など眼中にすら入れようとしなかった、フィアラート・ラ・ボルゴグラードから意見を求められたのだから。それは勿論、別に此の彼女がそうしたというわけではないが、やはり何処か重ねてしまうものはあるわけで。驚嘆するというか、頬が嫌な意味でひきつってしまう。


 噛み煙草を胸元にしまい込み、魔獣の脂が詰められた、簡易的な燭台に火を灯す。


「じゃ、動くとすっかね。転ぶなよ雇い主さん。慣れてる俺が前を行く。火元もってついてきな」


「前って、真っ暗だけど。冒険者ってのは、暗くても前が見えるのかしら」


 慣れてるって言ったろ、と肩を竦めながら後ろ手に手を振る。ああそうだ、慣れているとも。何せ此処も、この罠も、俺にとっては二度目の経験だ。


 *


 古石と粘土で積み上げられた地下神殿は、厳かという雰囲気とは随分縁遠いものだった。


 貴重品の類もなければ、かつて此処で宗教があったという面影すら薄い。だがそれでも、魔術師殿。フィアラートには此処に来る意義も理由もある。だからこそ、俺を雇った。雇わざるを得なかった。


 遺跡や、此処のように魔獣が住み着くようになった場所。それは国家が認めるギルドの管理施設だ。ただ荒れ果てたままにしておくよりも、冒険者を使い管理、時に発掘し、ギルドはその収益を。国家はギルドよりの上納金を。それぞれ懐にせしめるという事だ。金というのは、何処まで行っても弱者の懐には留まらない。


 ゆえに、ギルド管理の施設に自由気ままに足を踏み入れることは許されることではない。そこから何かを持ち帰るにせよ、発掘調査をするにせよ、ギルドの許可、もしくはギルドへの依頼という形で形式を整える必要がある。そうでなければフィアラートは、ああも切羽詰まって俺を雇うなんて事はなかっただろう。


 ああ勿論、何処ぞの脳内に石ころでも代わりに入っているのではと思われる、かつての見習い騎士のように、ギルドの管理地、しかも立ち入り禁止区域に自ら入っていく大馬鹿者も中にはいるのだが。


 燭台を持って後ろからついてくるフィアラートの足取りは、その石畳を踏む音だけを聞いても、おっかなびっくりという様子が見て取れた。


 足を止めて、念のためちらりと振り返ると、何よ、と唇を尖らせ、強がりながら目線を向けてくる。ああやって、言葉がはけるならまだ大丈夫だろう。


「それにしても、魔獣って……こう、暗がりから湧いてくるものだと思っていたけれど。思ったより平気ね」


「おいおい、黴や病魔じゃねえんだぜ。あっちだって生き物さ。闘争本能を狂わされた奴らも中にはいるが、あっちだって死ぬのは怖い。真っ向から襲ってくるやつなんざそうはいないもんで」


 敢えて、二度目の罠。それも入口近くにあるそれに手を掛けたのには当然、意味がある。よもや不様に同じ轍を踏んだわけじゃあない。


 一つは、そう、フィアラートを、ヘルト・スタンレーから一時的にでも切り離す事。


「しかし、物好きだねぇ、あんたも。旧教徒の神殿なんて、物見遊山で来る所でもないだろうに」


 どうしても、あのパーティで進めば、彼女との間には必ずヘルト・スタンレーが割り入ってくる。その忌々しい正義感と、紳士たる為、なんていう子供だましも良い所な文言の為に。


 出来る事なら俺だって、この女と話していたいわけじゃない。


 だが、かつてのように、フィアラートがヘルト・スタンレーの傍らの存在として成り立ってしまう事だけは。それだけは、それだけは何があろうと、止めなくてはならない。それを想像するだけで、俺の心臓は石になったかのように動きを止める。救世の旅での苦渋、奴が、ヘルト・スタンレーが何かを手に入れる事に対する憎悪、もし以前と同じように世界を辿らせてしまえば、それはまた同じ結果に行き着くのではないかという恐怖。


 ありとあらゆる感情が、臓腑を裏返しにするかのように猛り狂っている。


 ゆえに、彼を、彼女を探らねばならない。彼らを切り離す何かを、求めねばならない。


「……うるさいわね。こっちにも事情ってものがあるのよ、事情ってものが」


「そりゃあ、魔術師としてって事で」


 まぁ、そうね。とフィアラートは頷いた。分かり切っていたことだが、さも関心があるように頷いておく。


 当然だろう。何故なら、以前も彼女はその為に此処を訪れているのだから。といっても、その時はこんな早い時期ではなく、旅の中での寄り道であったのだが。


 しかし、まだ女と言い切れない年頃。未だ少女と呼べる年齢の頃からこの場所を狙っていたとは、素直に脱帽ではある。


 恐らく、かつての彼女は依頼を出す事に失敗したのだ。此処にたどり着けず、諦めさせられ、都市での研究に執着した。であれば、早々に此処に連れてきてやった俺に感謝して欲しい。勿論彼女はそんなこと知りもしないのだが。


「何、あんたなら大丈夫さ。魔術の研究だろう。出来ねぇはずがあるかよ」


 救世の旅での姿が瞼に思い浮かぶ。あの、魔術であれば万物を変えられると確信した、自信に漲るフィアラート・ラ・ボルゴグラードの姿。こと魔術に関して、彼女に不可能があるとは、とても思えなかった。


「勝手な事言わないでくれる」


 だが、俺の軽口に返ってきたのは、妙に固く変質した言葉だった。思わずぎょっと目を見開き、後ろを振り返る。


「私の事を知りもしない癖に、大丈夫ですって? 気軽にいってくれるわね! これだから、これだから考え無しで、学識のない奴は……まぁ、どうでも良いけれど」


 言葉は固さを持ちながら、それでいて熱を帯びていた。その黒い瞳にも仄かな煌きが見える。冷静沈着で、何処かに何時も余裕を抱えていた彼女の妙に気焦った姿は、何とも奇妙なものだった。


「学識がないのは事実だがねぇ。知ってるさ。依頼人様のことは事前にある程度調べる主義でな。此処からさらに東、ボルヴァート朝からの留学生。学院で古今の魔術の研究に腐心してるってね」


 フィアラートの言葉に、何を言っているんだ、とばかりに、噛み煙草を口に含んで歩みを進める。


 勿論彼女のことなど、わざわざ調べてはいない。だが旅の時に耳にした話では、彼女は此処ガルーアマリアで研究に腐心し、早々に頭角を現して一目置かれていたと聞いている。であるならば、なるほど、天才ならではの悩みというやつがあるのだろう。凡人には想像も及ばないが。


「……ああ、知っているの。知ってた上で依頼を受けたのね。そう、じゃあ精々馬鹿にしなさいよ。外から来た小娘が、荒唐無稽な馬鹿をやってるって」


 今日は驚く事ばかりだ。なんだこの言葉は。自虐か。それとも彼女の、新手のジョークだろうか。全く笑えはしないが。


「おいおい、勘弁してくれよ。才あるやつの卑下なんてのは、天に唾吐くようなもんだ。自分に返ってくるんだぜ」


「才能ある? ふん……馬鹿にして。じゃあ、貴方は私に乗れるのかしら。私が成功できると、欠片でも思っているわけ?」


「勿論。ああ、だから依頼を受けて、此処に来た」


 よく、分からない。彼女は幼少から才気に溢れた人間だと聞いていた。なら当然、誰もが彼女の未来、その栄光に賭け金を上乗せするだろうに。俺のようなドブネズミに聞くことか。


 一瞬、後ろからの声が押し留まる。何、それも都合が良い。丁度、着いた所だ。


 罠に敢えてかかったもう一つの理由が、此れだ。


「さて着いたぜ、依頼人さんよ。此処があんたの目的地だろう?」


 フィアラートの息を飲む音が聞こえる。驚いたようで、嬉しがっている様で、何処か感情を整理しかねている様子。なるほどこればかりは、多少得意げな顔をしてもいいだろう。


 狭く暗い通路を踏破して出た場所は、広い聖堂。そう、此処こそがこの地下神殿本堂。フィアラートの目的地にして、紋章教徒達が守り続けた知識の集積地。

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