第二十三話『都市国家ガルーアマリア』
「道は拓くべし。それも構わないとも」
そこは黒の中だった。暗闇とも、夜の帳とも言いかねる。ただただ黒い靄のようなものの中。そこに一人、影がうろついた。
「実に構わない。ルーギス。予想外の結果はあれど、貴様は新たな道を開拓する事を選んだわけだ。骨を貪られるような苦難と、灼熱に身を焦がす道を、運命を歪曲させる道を選んだわけだ!」
それは独白のようでいて、誰かに語り掛けるような口調。大袈裟でいて、道化のような気配すらするその口ぶり。それは何かを思い返すような、懐かしいものを見るような瞳。
「だが、過去は簡単に踏破できるものではない。常に地面を這いつくばり、いずれその隙をみて、足元を掬い上げようと様子見している」
愉快であるような、しかして悲し気であるような口ぶり。読み取れない。その影の表情は全く持って読み取れず、喜怒哀楽の表現は四散している。故にその言葉はただ語られるだけ。何の意味も持たず、ただ周囲に発せられるだけのもの。
「だが私は運ぶ者。貴様の選択を歓迎し、その結果を尊ぶ者。ゆえに構わない。貴様の選択が、今後どのような事になろうとも、それを私は歓迎する。それが我らの望む結果に近いのであれば尚の事!」
独白し、全てに語り掛けるようだった言葉がふと、止まった。
そして、ぽつりと、呟く。
「さぁ、再開だ」
*
都市国家ガルーアマリア。周辺国家、地域都市と比肩しても、この都市ほど自由、自主性を尊ぶ集団は他にないと言っていいだろう。
都市全域を包み込む堅牢な城壁。それを盾とし数多の干渉と、他国からの侵攻を防ぎあげた実績に加え、東西貿易の中心地として栄える此の都市は、もはや確固とした自主権を確立していた。その影響力から周囲にも同様の都市国家が構えられ、ガルーアマリアを中心として連携を密にされた都市国家群は、もはや一国。全てが全て一枚岩ではないが、簡単に手が出せるとはとても言えない。
歴史上、この都市国家は一度も陥落したことがない。そう、少なくとも、今のところは、だが。
市内に入った所で馬車を降り、顎を指で撫でながら、軽くため息をつく。
「どうしたんです? 馬車の中で頭でも打ちましたか?」
揺れる大きな樽に、声をかけられる。
否、それはそうと見まごう程アンバランスさを誇る、少女と、巨大な樽の組み合わせだ。
その小柄な身体には、おいそれと持ち上げられないと思われるほどの樽を馬車からおろし、背負い込みながら元気溌剌といったような声をあげる少女。彼女こそがナインズさんより宛がわれた、ガルーアマリアでの案内人、ラルグド・アン。
その年若さと、大樽とのアンバランスな様子を見ていると、何とも不安げなものが胸中に湧き出てくる。何故大樽を背負っているのか。そして何故当然のようにそのまま人込みを掻き分けていくのか。不安要素は尽きない。
だが、ナインズさんが用意した案内人であるならば、見かけは別としてその能力に間違いはないのだろう。あの人は、契約や約束事にそういった不備は出さない人間だ。
「おい、ルーギス……あの案内人、またこけたぞ」
カリアが訝し気な声を出しながら、バランスを崩し、大樽に潰されかけているラルグド・アンを指さす。
間違いはない。恐らく、そのはずだ。
彼女の数倍はあろうかという樽を支えてやると、礼を言いながらも頑なに荷物を下そうとはしない。ラルグド・アンが矜持を持った商人であるのか、それとも樽を背負うのに別の理由があるのかは知らないが、正直こちらとしては事あるごとに支えねばならんのが少々、いやかなり面倒臭い。
「ど、どうもどうも……さて、お二人ともご要望の、ギルドへ案内しましょう。お任せください。此処は私の庭のようなものですからっ!」
調子を取り戻そうと、そう健気に笑みを見せるラルグド・アン。
「貴様その庭でこけまくっていたが、本当に問題はないのか?」
そして出端を挫くような言葉を掛けるカリア。
こいつは本当に容赦がない。人と接する為に必要な思いやりだとか、温和さだとかいうものが悉くかけてしまっているのではないだろうか。そんな疑問すら沸いて出てくる。カリアの言葉に、ラルグド・アンはすっかり青い顔で項垂れている。
此処、ガルーアマリアでの目下の課題は、カリアを如何にして此処に定住させ、俺一人が抜け出すかという事だ。カリアを自由の身にさせたままでは、何時俺の身に危険が迫ってくるか分かったものではない。ゆえに、彼女を縛り付ける何かが必要だ。
加えて、この時期に此処に留まりすぎるのは、少々リスクが高い。東西の交易中心地、平穏な時代であればそれも結構だが、騒動渦巻く時代にはトラブルの中心地にも成りうる。否、成る場所だ。
「どうしたルーギス……とっとと進め、ああ、それとも私の家宝が重いか?」
思案しながら眉間に皺を寄せていると、後ろからカリアの声が忍び寄ってくる。ああ、やはりこいつは、人との協調性とかもっていなさそうだ。人の痛い所を突くことこそが、彼女の趣味なのだろう。その証拠にカリアの顔は妙に嬉しそうににやつき、こちらの背中を押すようにしなだれかかってくる。
「此れからの生活を思い悩んでたんだ。馴染みの酒場も宿屋もない。ギルドだって、一見じゃどんな紹介料取られるかわからんぞ」
*
ギルドとは即ち、商人、商会、技術者の互助組織が成り立ちである。
最初は情報交換から価格協定、独占の取り決めなどから始まり、現在では各々が大貴族かそれに準ずる勢力の庇護下で、冒険者と名乗る者達を勢力に組み込んでいる。
冒険者とはギルドにとって金で取り換えの利く命であり、ギルドが勢力を保ち、他組織からの干渉を防ぐ為の私兵でもある。勿論各国によって多少の差異はあるが、何処にいってもそう大きく変わるものじゃない。何故なら商人は東西を行き来し、その場その場でギルドを作り上げていったからだ。
冒険者が他国に渡ったならば、ギルドに加盟しない事はあり得ない。ギルドに加盟していない冒険者は浮浪者と同等であり、ただ街を歩いているだけで官憲に取り押さえられ監獄に送られても何ら不思議はないからだ。ゆえにギルドは多額の金銭と引き換えに必ず大貴族の名を借り受け、冒険者はその命を差し出す替わり、ギルドに庇護される。
つまり、この都市で生きていく上で後ろ盾がない俺達は、どうあっても何処かのギルドに所属せざるを得ない。市民権を持っていたとしても、何ら所属がない者はすぐ犯罪の嫌疑者に並びたてられる。
「ガルガンティ商工ギルド……おいおい、本当に俺達っていうか、俺がこんな所に所属できるのかぁ?」
ギルドの酒場正面で、思わず頬をひくつかせながらラルグド・アンに尋ねる。知らぬ内、喉が痙攣したように声を裏返させてしまっていたかも知れない。
まず何より、その門構えが違う。以前俺がガーライスト王国で所属していた弱小のギルドでは適当な木板が看板に利用されていたが、此処の看板はその為に態々一枚の木より切り出した高級品。入口も寂れておらず、恐らく日々清掃が入っている。
幾らガルーアマリアが商会が栄えている場所としても、明らかにこのギルドは規模が違う。恐らくこの都市でも有数のギルドだ。この門構えがそれを証明していると言って良い。余りの場違いさに、思わず足が竦む。
「ええ。此処、ガルガンティ商工ギルドは、ガルーアマリアでも勢力を二分するほどのギルドです。ですが、英雄殿にはこれくらいでなければ物足りないのでは?」
「……英雄、殿? なんだそりゃ。そんな言葉、今初めて聞いたんですがね」
目を丸くしながら疑問を呈すと、同じくよく分からないといったように首を傾げるラルグド・アンと視線が合った。
英雄殿。英雄、勇者、救世者。ああ、嫌な事を思い出す。俺にはそんな言葉は一つたりとも似合うような事はないはずだ。それを標榜した覚えもないし、当然する気もない。何と何が混ざり合って、そんな話が生まれ出て来たのかが不思議だ。
首の後ろを擦りながら目線をうろつかせていると、ラルグド・アンは真っすぐにこちらを見据えていった。
「ナインズ様からは、ルーギス様は囚われのカリア様を助け出し、英雄になるべく未練を捨て去って王都を出た英雄殿だと聞いております!」
成程、ナインズさん、いやあの女こんな所で意趣返しをしてきやがったか。隣でカリアが口元を抑えながらどうした英雄殿、などと精神を逆撫でしてくる。どうか人込みにまぎれてそのまま消えていなくなって欲しい。
確かに、冒険者として大成するべく生きると豪語はした。だがそれと、英雄というのはまた別のものだ。英雄とは、運命に愛された者。勇者とは、神の寵愛を受けた者。俺はまさしく、どちらも似合いそうにない。そうだ、似合うとすれば、やはりあの男くらいのものなのだろう。忌々しい事に、だが。
俺の心情など知った事かというように、相変わらずアンバランスに大きな樽を揺らしながら、ギルドの入り口へと向かうラルグド・アン。
――カランカラン
その彼女と、丁度入れ違いで、一組の男女が扉から影を這いださせた。ギルド入口の鈴が、乾いた音を鳴らす。
目が、見開かれる。瞼は痙攣し、瞬きすら許そうとしない。馬鹿な事だ。そんなはずが、あるのか。全身の臓器が鷲掴みにされたように呼吸が苦しい。寒気。そう寒気だ、その人影が瞳に映った瞬間、踵から全身を這いあがるように寒気、そして怖気が感じられた。
纏めた長い黒髪を揺らしながら、不機嫌そうに唇を尖らせる、異国の風貌をした少女。そしてそれを宥めるように隣に付き従う、柔和な面持ちをした金髪の男。
ああ、そうか。言っていたものな。
――ボクたち、学院からの長い付き合いなんですよ。
言っていた。言っていたとも。忘れていたわけじゃない。今この時期にとは思わなかっただけだ。視線が奪われ、喉は枯れ、身体は怖気に動こうとしない。
「……何よ。私の髪の色がそんなに珍しいわけ?」
俺の視線が気に障ったのか、黒髪をその長い指で揺らすようにして言う少女。そのつり上がった眉が、殊更に不機嫌である事を物語っている。
この少女こそ、見間違おうはずがない。救世の旅のメンバー、魔術師殿、我が難敵。フィアラート・ラ・ボルゴグラード。
「フィアラートさん。そんな喧嘩腰に話してはダメですよ」
そして、柔らかい声でフィアラートを宥める男。この男。そうこの男だ。
俺の運命を決めた人間であり、紛れもない宿敵であり、心の底より妬みの産声をあげさせた男。憎悪という名の悪魔で俺の心を埋め尽くさせ、栄光と神よりの祝福を一手に引き受けた男。
ああ、そうだ。この男こそ、未来において勇者とも英雄とも呼ばれ、世界を救う旗しるべと成る救世者――ヘルト・スタンレー、その人だった。