第二十二話『私の味方』
まだ周囲が静寂に包まれる中、出来うる限りの物品を荷台に積み込ませる。盗むことと、金目のものを嗅ぎ分けることに関しては、皆手際がとても良かった。
「おい、ルーギス……あの姫さん、連れてくのか?」
「ああ、言ったろ。必要なら連れて来るって」
そうは言うがよう、と大柄な割りに小心を宿した巨漢は不安げに、荷台へ乗ったカリアの方を見やる。軽くため息を吐きながら、その背を叩いた。
庶民にすれば、騎士階級、貴族階級の人間などというのは遥か上の存在。触れればそれだけで殺されてもおかしくないと、そう何度も親に言い聞かされていることだろう。何時もは貴族なぞ、と反骨精神を抱いていても、やはり実物に遭遇すると、心の奥底に刻まれた恐怖心が這い出てくるものなのだろう。
「ところで使用人はどうした。出来る限り殺したくはないが……まぁ、もし見られたなら仕方ない」
「問題ねぇさ。そんなヘマはしねぇよ。俺達だって下手な事ぁしたくねぇ」
頷いて返しながら、一度、屋敷の様子を見に戻る。
使用人は、出来る限り殺したくはなかった。どうせカリアの姿が消えたとなれば、その責任を取らされて首を斬られるかもしれんが、それ自体は構わない。
俺の中には、それとは別に思惑があった。その為にも、出来る限り死傷沙汰は犯したくない。それは、どうしても違和感が出る行為だ。
運べる限りの金品は積み終えただろうか。余り入れ過ぎると馬一頭では運べない。なら後は仕上げだけだろう。最期の違和感を消す為に。そして、目的の物を手にする為に。
*
それが置かれている場所は知っていた。間違いはない。何せ、カリア・バードニック自身から聞いたのだから。勿論それは、カリアではなく、騎士団の俊英としての、未来のカリア・バードニックに他ならないが。奴が救世者と名乗る男に、甘い声で話していたのを耳に挟んだ事がある。
――これは、我が家の家宝。伝承では、神秘とも奇跡とも呼ばれたもの。
それは代々伝えられてきたもの。代々、継がれてきただけのもの。この時代、まだその重要性が理解されていないもの。故に、地下倉庫に置かれていたとあの女は言っていた。開けっぱなしになった扉を潜り抜け、倉庫へと足を踏み入れる。
そこは薄暗さと、埃の臭い、そして踵から這い上がってくるような寒気が支配していた。
「お前だよ、お前を――探していたんだ」
ああ、そうだ。大事そうに固定されてはいるが、このいかにも金目のものではなく、骨董品のような価値も感じられない。ただ古臭く、もはや価値だけでなく此処にある意味も喪失してしまったような、それ。
古びた剣の形のそれを手にした瞬間、許されるならば口から歓喜の声を響かせたい、そんな高揚感が胸を占領する。
ああ、そうだとも。これこそは伝承そのもの。かつて、かつてあの女が。カリア・バードニックが、救世者へと贈り、奴の武器と成ったもの。
――ああ、これで一つ、握りつぶしてやったぞ。
頬がつりあがるのを抑えながら、目立たぬよう布を覆いかぶせ、腰元にぶらさげる。そのまま何もなかったとでもいうように、地下室を後にした。
これで、家からは金目のものが消え、そして家宝も消えた。所が使用人はただ縛られているだけ。なるほど、であれば。きっとその犯行は、カリア・バードニックのものであっても何ら違和感はあるまい。罪科を全て奴に転嫁する条件は、ある程度整ったといえるだろう。
*
「東方の自由都市……ガルーアマリアか」
「馬車と案内は用意してある。あそこならバーベリッジ・バードニックの手も及ばない。ほとぼりが冷めるまでは、其処で時期を図ればいい」
東方の自由都市ガルーアマリア。幾重もの堅牢な城壁と、東西の交易中心地として栄えるがゆえの、その財力。それらを背景に一つの都市でありながら、他国家からは干渉を受けない一つの都市国家として機能している。いかに騎士階級といえども、自主性を重んじるガルーアマリアの人間はその干渉を拒否するだろう。
「しかし、馬車代などが家財を切り売りされた金から出ると思うと、内心複雑な所があるがな」
「それだけは勘弁してくれ。こっちは今回の仕立ての為に借金まで拵えたんだ。今回奪った金品からじゃ足が出たくらいでな」
眉間に皺を寄せながら、肺の中から暗澹たるため息を吐き出す。
そう、リチャード爺さんへの報酬も、酒宴の支払いも、そして新調したこの服も。どれもこれも、俺の貧相な懐から出せるはずがない。ゆえに、借り受けた。あの悪名高き蒼髪の悪魔タルウィス=テグから。最低の条件で。
「何にしろ早く出な。騒ぎになるとそう簡単には関所を通れなくなる」
「……ルーギス、貴様はどうする。私がいなくなれば、貴様も疑いを受けるはずだが?」
馬車にのる直前、房になった銀髪を揺らし、微笑を浮かべながらカリアが瞳を細め、そう聞いた。
「あ゛ー……俺も、近い内に追いつくさ。だが借金を返さんと此の国に戻れなくなる。それだけは済まさんとな」
ああ、それは嘘だった。紛れもない嘘。タルウィス=テグへの借金は盗み取った金品からすでにあらかた返し終わっている。
俺には目的がある。冒険者として大成し、アリュエノを迎えに行くという目的が。その為にはガーライスト王国にいるのが一番良い。だから、此処でカリアとはお別れだ。未来のあんたは、弱者をすぐ見下し、冷徹で、偏見を隠そうともしない人間だったが。こちらでは、悪くなかったよ。名残惜しさがなくはない。
そう、感慨に耽っていた時。カリアの白い指が、俺の手首を握りこんだ。まるで握りつぶさんとするほどに、強く。
「駄目だ」
ぎり、と。肉が締め上げられる音が聞こえる。思わず顔を顰めながらカリアを見やると、その顔には、俺のよく知る顔。意地悪い時にこの女が見せる笑みが、其処にあった。
「もし貴様がガーライストに留まるというのなら、私は今からでも屋敷に帰り、こう嘯いてやろうか? 逆恨みをしたルーギスという悪漢が、私を襲っただけでは飽き足りず、金品と――家宝まで奪い取っていったとな」
表情から、血の気が引いていくのが分かった。顔だけでなく、全ての血流がその方向性を見失い、下へ下へと滑り落ちていきそうだ。
思考は一瞬にして凍り付き、碌な結論がでてこない。
「私が気づかないとでも? 大馬鹿者め。貴様が何か企んでいる事など、お見通しだ」
反論が、出来ない。どれもこれも薄っぺらなものになりそうで、言葉を出すことが戸惑われる。
「だが、構わん。ああ構わんとも。貴様は――私の味方だからな? 味方というなら、旅にも同行すべきじゃないか。もしも、もしもだ。万が一、貴様が私を裏切るというのなら」
――貴様を必ず、破滅に追い込んでやるからな?
カリアが、その肢体を押し付け、耳元でそう囁いた。傍から見れば艶めかしい動作で愛を囁くようでありながら、実際には凍り付くような声色で脅迫の言を紡ぐ。
最悪だ。何てことだ。一番感づかれてはいけない奴に感づかれてしまっていた。詳しくまでは分かるまい、全てを知るはずがない。だが、それでもこいつは気づいていたんだ。俺に思惑がある事を。それを知った上で、此処まで泳がしやがった。
ああ、嫌な女だ。だから嫌だったんだ、この女と関わるのは。最悪だ。最低最悪の展開だ。
「さて……借金がどうとか、言っていたな。構わんだろう? この国からは離れるのだからな」
カリアはそう言ってのけると、無理やりに俺の身体を引きながら、馬車内へと引きずり込む。困惑した脳と、混乱を極め硬直した身体が、その行為にまるで逆らえないまま、二人揃って馬車内へと倒れ込んだ。
「――ルーギス。貴様は、私の味方だな?」
倒れ込んだまま、下から顔を覗き込むようにして、カリアは言った。
本当に、嫌な、最低の女だ、こいつは。
「――ああ、勿論だとも。カリア」
せめて動揺を露わにしないよう、わざとらしい笑みを浮かべて、そう言った。
馬車が、振動を起こしながら、走り始める。ガーライストから、俺の思惑から、すっと離れて行ってしまうように。
今回で、第一部カリア・バードニック編は完結となります。
次回以降は第二部となり、お盆も在る為少々時期が開くかもしれません。申し訳ない。
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