第二十話『暗がりの者達』
夜の闇を荷台が走る。砦より連れられた馬が、簡易な荷台を引き、蹄は音を立てて地面を踏みつけた。荷台そのものが即席の荒い作りであるから随分と揺れるが、その速度は速い。一頭しかいないものだから不安はあったが、どうやら十分用を成しそうだ。
「馬だの、荷台だのと、随分用意がいいよなぁ、ルーギス。どっから手まわしてきたんだか」
「そいつは秘密だ。だが安心しな、安全なのは間違いない。私兵は野盗におおわらわ、屋敷にいるのは精々使用人が数人と来てる。こんな機会を逃すはずもない。その隙に、金目の物を漁ろうってわけだ」
カリア・バードニックの救出。それと、他の目的も達成する為声をかけた数人。そいつらとともに馬に揺られながら、暗闇の中に音を散りばめる。
誰も彼も、男女関わらず暗がりで生きて来たようなのばかり。夜闇の中で行動を共にするのなら、こういう輩の方が、ずっと役に立つ。生かすにしろ、切り捨てるにしろ。
「しかし、バードニック家って、没落家でしょ。そんな所にお宝ってあるの?」
「あるさ、間違いなく」
不安げにする肩を出した服装の女に、そう断言する。
むしろそういう家柄であるからこそ、骨董品。先祖伝来の品は手放そうとしない。
それは彼らが上級貴族であった証。品位あるものである証明。バードニック家とて、今は騎士階級に甘んじているが、時節さえ訪れれば貴族階級、ないし上級貴族にまで舞い戻ろうと考えているのは違いあるまい。
であるならば、幾ら生活が困窮しようと、売り払うことなぞできやしない。出来るはずがない。貴族としての誇りを示す、金品、銀の食器、名品の数々は。
ああ、そうだ。出来なかったのだ、あの家は。
そういった事を掻い摘んで話すと、何とも困惑したような表情が返ってきた。
「……何かこう、本当にルーギスなのって感じ。コソ泥とか、どぶ掃除やってるだけじゃなかったっけ」
「だよなぁ。ルーギスなんだよなぁ、おい、何か変なものでも食ったんじゃねぇだろうな」
肩を組みながら、冗談めかして話を仕入れようとするものもいれば、直球で切り込んでくる者もいた。失礼というか、遠慮をしない輩というか。
大きくため息をつきながら返しつつ、だがそれはやはり不審だろうなと、苦笑いを浮かべて額に汗を垂らす。
言葉の通り、当時の俺は良くてコソ泥。悪けりゃドブネズミの二つ名が似合うどぶ掃除屋だ。冒険者の初歩すら出来ていない。仕事も禄に受けられなければ、ペテンの一つもこなせない。まさにただの愚図、ロクデナシでしかなかった。
そうだ、当時の自分を思い起こせば、其処には良い思い出なんて、あるはずがない。むしろ、裏街道に生まれ落ちた人間で、そんなものある方が稀なのだ。
一かけらのパンを食う為に、地べたに頭を擦りつけた事もあった。空腹を紛らわす為ネズミや虫を口に入れた事も、盗みを働いて半死半生の思いをした事も、唾棄されながら金の為に靴を磨いた事もあった。
尊厳を切り売りし、誇らしいものなど何もなかった生活。ただその日を生きる為だけに手足を動かす一日。一日が過ぎ去ればただ凍えながら朝日を待った夜。それは戦いだった。誰も助けてくれはしない。生きるという事だけが、俺にとっては悲劇でしかなかった。
ああ、なるほど。だから俺は、ああなってしまったのだろう。だからこそ俺は、何も手に入れられなかったのだろう。未来の俺、かつての自身の姿を瞼の裏に浮かべながら、そう、不意に納得してしまった。
だから、此れで終わりにしよう。惨めでくそったれな生き方には、終止符をうってやらねばならない。かつての俺を、供養をしてやらねばならない。けじめを、ここでつけなければならない。そうしなければ全ては繰り返されることになってしまう。
それだけは、死んでも御免だった。
「所でこう……前なんにも見えないんだけど、これ道あってるの?」
「ああ、そこの所は間違いねぇさ。バードニック領の南、森側から入る手はずにしてる」
噛み煙草の匂いを鼻に通したまま、馬が疾走する前方を見やり、そう告げる。
如何に野盗の影響で手薄になっているとはいえ、騎士の邸宅に昼間、正面から突撃するには無茶がある。多少とはいえ、物見も残されているはずだ。
発見されるのが早いほど、私兵の帰還が早まってしまう。流石に、そうなれば終わりだ。私兵に対抗できると思うほど愚かでも傲慢でもない。カリア・バードニックは連れ出せず、そして邸宅の物品を漁ることもできまい。
「時間との勝負だな。森を抜けて、邸宅に到着次第、素早く物品を回収する。そのまま私兵は愚か、物見にすら見つからずに脱出する。それが一番ってとこだ」
「そいつはいいがよぉ……」
比較的図体が大きい巨漢が、目を凝らすように眉間に皺を寄せ、前方を見やる。
「……この暗闇でどうやって森抜けんだぁ? 朝まで待つのかよ」
「ああ、それなら安心してくれりゃあいい」
一つ、忘れていた。そう、俺にも誇れる所があったという事だ。
勿論、カリア・バードニックの才や、爺さんの悪辣さ、ナインズさんの聡明さに比肩できるものではない。だが、此れが無ければ俺は暗闇の中逃げ延びることも、仕事をこなすこともできなかった。そして唯一、以前の俺と同様、俺の相棒だ。
「俺は夜目が利いてな――これだけは、誰にも負けんさ」
月明かりすらも差さない暗闇。森も、地面も、空も、全ての境界が曖昧になる時間。夜の帳は空を覆い尽くし、何者にも光を許そうとはしていない。紛れもなく世界は暗闇であった。
「暗くなれば暗くなるほど良い。夜の帳よ落ちろ。そいつは俺の本領だ。夜闇に紛れ全て事を成してやろうじゃないか」
――しかし、夜の帳が落ちた空間。森の木々、その枝の動きも、地面を這いつくばる草花の揺らめきも、その全てが鮮明に、俺の視界の中に在った。
夜の世界は、俺の手の中にあるようなもの。この特技だけは、誰にだって負けなかった。そう、救世者と名乗る男にだって。