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第十九話『不義なる親子の密談』

 如何にも馬鹿々々しいと言ったように、唇を尖らせて、ナインズさんは首を横に振った。


「ナインズさん、東方の自治都市に伝手、ありますよね」


「断る」


 そのまま椅子に深く座り直すと、話を変えろとばかりに唇を噤んだ。もう話をする気などないと、意思を示すように。取りつく島もないというのは、まさにこの事だろうか。勿論、ある程度の予想はしていたのだが。


「ルーギス。お前まさか忘れたわけじゃあるまいな。孤児院を出た者へは……」


「――孤児院は手を差し出さない。そりゃあ覚えてますよ、耳にタコができるほど聞きましたから」


 わざとらしく自分の耳を指しながら、ナインズさん同様椅子に座り込む。


 孤児院が庇護するのは、あくまでも孤児院に所属する者のみ。それが此処の鉄の掟。


 孤児院から身請け、それ以外の方法でも出たものは、もう庇護されてはならない。多少過去を楽しんだり、一晩の寝床として借り受けるくらいなら別にしても、その伝手を頼りにするなんてのはもっての外。


 万が一そんな事をしてしまえば、孤児院への信頼が失墜する。売春宿に売られた者が逃亡し、最終的に孤児院が庇護してしまえば、それは身請け主に対する裏切りだ。


 理由はまだある。王都の裏街道には孤児院だけでなく、売春宿の経営を担う者や、ロクデナシを統括する者、多種多様な生き方と、それに合わせた組織がある。


 そしてその全てと、孤児院は繋がっているといって良い。売春宿には女や、計算の出来る者が身請けされていき、腕っぷしの立つ者は用心棒として身請けされていく。


 もし、孤児院が組織だけでなく、身請けされた者らと直接の繋がりをもってしまったら。孤児院という組織自体が、余りに強大な存在となってしまう。そうなれば、他の組織だって孤児院を見過ごすわけにはいかない。


 故に孤児院は弱くあり続けるからこそ、手を出されない特区であり、逆に非干渉を貫く中立地帯でもあり続けなければならない。


「――って事でしょう。アリュエノと並んで馬鹿みたいにききましたっての」


「では、話は終わりだろう、小僧。お前がどんなに窮地にたっていても、私は孤児院の主として手を差し伸べるわけにはいかない」


 紫の瞳を細くし、聞く耳を持たないといった体で、ナインズさんは表情を固くする。全く持ってその通りだ。その話には何一つ反論のしようがない。だから、俺がしにきたのはそんな話じゃない。


「その通り。だから俺ぁ、孤児院の主に守ってくださいって馬鹿なこと言いに来たんじゃありません。そうじゃなくて」


 椅子から立ち上がり、座ったままのナインズさんを見下ろすような形で、テーブルに手をつく。ナインズさんは、流石に俺の態度には意外な所があったのか、瞼を瞬かせた。


 俺には力がない。知恵も学識もない。教養なんてのは孤児院で教わった事だけだ。人を説得する弁論術だって弁えてなければ、今更道徳を語れるほど恥知らずでもない。


 だから、俺は俺を持っている武器を使うしかない。それは、


「俺はナインズさんと、取引ってやつをしに来たんですよ。対等なね」


 俺が持っている武器は、知識だ。そう、この時代を一度経験した知識で、カリア・バードニック、リチャードの爺さん、そしてナインズさん達と並び立たなきゃいけない。


「……ルーギス。最後だ、教えてやろう。取引とはな、必要なものを持つもの同士がする事を言うんだ」


 深くため息をつくようにして、ナインズさんは滔々と語る。まるで、幼子に物の道理を説くように。


「お前は伝手を求めている。しかし私は何も求めていない。満ち足りたものさ。だから取引なんてものは、成立しない」


「そんなわけぁ、ないですよ。よもやナインズさんだって、動く死体とは違う、生きた人間なんですから」


 言葉の端を食う様にして、俺はテーブルについたままの手のひらをあげた。


 息を飲む音が、聞こえるようだった。自然音すらなりを潜め、その一瞬のみ、ナインズさんの驚愕を表す音以外は消え去ってしまったよう。


 紫の髪が揺れ動き、恐らく動揺を見せぬように努めているだろうに、その瞳は、身体の所作は、普段と比べ明らかに異変を起こしている。


 俺の手の下にあったのは、刻印を施された指輪。


 あの、俺とカリア・バードニックに襲撃を行った者の内、兜をつけた男が身に着けていた物。


 何かに役立つかとは思っていたが、よもや殆ど身内に近い存在との取引に使うことになるとは、形容しがたい気分だ。


「……指輪が、どうした。金で釣る気かはしらんが。そんなものでは、はした金にもならんぞ」


 その声は、すでに何時ものナインズさんに戻っていた。さして興味がないように。大した事ではないように振る舞う。それに何の価値もないのだと印象づけるように。


「ええ、売り物じゃあないんですよ。この刻印、知ってます? 旧教徒共の紋章崇拝ってやつでしたっけ」


 指輪に施された刻印。それらが象る紋章を指さしながら、ナインズさんが知っているであろう事実を、一つずつ並び立てる。紫の瞳が、瞬く。


「この世の真理だとか、そういうのはどうでも良いんですが……これを持ってたのが、まぁそこそこの武器と、しかも馬を持った分隊の隊長でしてね。偽書とはいえ曲がりなりにもコーリデン砦へ文書を送達する俺と――騎士階級のカリア・バードニックを攻撃してきやがったんですよ」


 ひりついた空気が孤児院の中を覆う。


 余裕を持たなくては。こちらの気焦りを伝えてしまっては、意味がない。こちら側の弱みを見せてはいけない。ただ在った事実を伝える、それだけでいい。


 それで、というナインズさんの言葉に促されるように、一度唾を飲み込んでから言葉を続けた。


「いやぁ、どうしようかと思いまして。だってこんな話をギルドに通せば――襲われたのが俺だけならまだしも、カリア・バードニックまでいましたからね。そりゃあもう、旧教徒狩りが始まっちまうよなぁ、と思いましてねぇ」


 そう、例え何が事実だとしても、襲撃されたのが俺だけなら意味がない。低劣な庶民には発言権も、利用される価値もない。だが、カリア・バードニックは別だ。落ちぶれたとは言え名家、且つ騎士階級。しかも襲撃当時は騎士団に所属していた、紛れもない騎士だ。


 後は話をいいように流してやれば良い。一度噂にのれば、彼女が、旧教徒に襲撃を受け、その結果として騎士団を退団せざるを得なくなったと、そう人々は判断する。容易く判断してくれる。


 であれば、後は簡単なものだ。不景気と重税への不満。治安維持という名目。上流階級が襲われたという大義名分。王国は嬉々として旧教徒狩りを行うだろう。必ずと、断言できる。


 ――何故なら、実際に旧教徒狩りと、旧教徒と王都の対立は存在したのだから。俺が知る未来において。


「――ルーギス。お前、どうしてその話を私に持ってきた」


 俺の言葉が止み。一瞬の静寂の後、その目線を俯かせながら、ナインズさんが切り出した。


「別に――ただ、ナインズさんは古来からの信仰を大事にする人じゃないですか。なら、俺も出来る限り力になりたいって思う良心ですかねぇ」


 剣先だけを合わせるような、言葉の端と端で会話をするような感覚。


 そちらの事情は分かっていると、だが、言明は避けるだけの知恵はあると。そう相手に思わせるように。敵ではなく此れはただの取引だと、意志を差し出すかの如く。


 暫くの時間が経ち、大きなため息がもれ落ちた。


「良かろう。見ない間に食えない餓鬼――いや、良い男になったな、ルーギス」


「そりゃ、素直に嬉しいですね。ほかでもない、ナインズさんの言葉となりゃ」


 その本音とも、世辞ともいえる言葉を受け流し、内容を決めよう、とナインズさんは紫の瞳を細めながら話しを促す。


「東の自治都市への移動手段と、案内役。可能なら市民権を――念のため、二つ」


「分かった。自治都市にも伝手は十分にある。簡単とは言わんが、掛け合おう。それでルーギス。お前は何を私に提供してくれるんだ」


 ナインズさんの言葉は即答だった。自治都市の市民権は、正直な所そう簡単に取得できるものでもない。言外に、あちらにも旧教徒の手はあると、そう言っていた。


 俺は手元の指輪を弄りながら、言葉を接ぐ。


「指輪の破棄か差し出し。それと……カリア・バードニックを、自治都市へ移住させます。証拠に加えて証言者もいなくなりゃあ、一石二鳥でしょう」


「なるほど」


 けらけらと、可笑しそうにナインズさんの喉が鳴った。


「本当に良い男になったよ、ルーギス――市民権は確実に手に入れよう」


 孤児院では余りみたことのない、何処か妖艶さを含ませたような笑みを浮かべて、ナインズさんは言った。


 これで、あの女を引きずりだす為の、二つの前提は整った。後は、実行手段だけ。


 何とか難物二つの交渉がまとまった事に、俺は内心深く、安堵のため息をついていた。

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