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第十八話『悪辣たる師弟』

「爺さん。金は用意する――仕事を、依頼したい」


 砦から帰還して、爺さんから聞かされたのは、カリア・バードニックが勝手に俺の身代わりになり、騎士団を辞めてバードニック領に帰っちまったという事。


 ああ、嫌な女だ。なんて嫌な女なんだ。ならもう、俺も知った事ではない。俺は自分勝手に、あの女をバードニック領から連れ出してやろう。


 例えカリア・バードニックが嫌がった所で知った事ではない。俺はあの女が嫌いだ。大嫌いだ。ゆえに、その女を無理矢理バードニック領から引きずり出した所で、何ら良心の呵責はない。ああ、そうだ。ただそれだけに過ぎないのさ、これは。


「ああ、俺は構わんよ。内容に見合う十分な報酬が用意できるなら、何時だって仕事は請け負おう、ルーギス」


 だがお前にそれが用意できるのかね、とでも言うような口ぶり。


 リチャードの爺さんは何がおかしいのか歯を見せながら頬をつりあげて笑い、酒場のテーブル、その対面に座った。


 前準備として、まずはこのリチャード爺さんだ。この爺さんを引き入れなきゃ話にならない。


 カリア・バードニックを領から引きずり出すには、俺一人が単騎でバードニック領にいった所で、何もできやしない。もし勇者や英雄。そうそれこそ、救世者のような男であれば、一人で事を成してしまうのかもしれないが。


 しかし、あいにくながら俺は勇者でも英雄でもない。一人で全てに手を回せるような男じゃないんだ。だから、人を使わなければならない。使う様に、ならなければ。


「……北西にある冒険者崩れの野盗の群れ。あいつらを焚きつけて欲しい。無理する必要なんて全くないが、せめて、領主の私兵が出張ってくるまで」


 そう告げた一瞬、リチャード爺さんの瞳が光る。探るような、思案するような濁りが混じった眼光。


「中々、面白い依頼だ。なるほどやろうとしてる事は嫌いじゃねえぜ」


 ものを含むような言い方に、こちらのことを見通してるとでもいうような口ぶり。爺さんは語尾に、馬鹿だがね、と付け加えながら顎髭を撫でた。


「だが、俺に依頼する理由が分からんね。なぁ、ルーギス。できっこないだろう。野盗の群れだぜ? 奴らは自由気ままを愛する奴らさ。まさか俺なら出来そうだ、なんて理由じゃあねぇよなぁ」


 ああ、来た。来ると思っていた。そうだろう、はっきり言ってこんな事、一冒険者に依頼する内容じゃない。野盗の群れを焚きつけるなんてのは、依頼というよりもはや陰謀や姦計の類だ。だが、俺は知ってるんだぜ、爺さん。


 リチャードの爺さんの手が、後ろでゆっくりと腰元に触れているのが分かる。その視線はもはや、俺を始末すべきか、そうでないかを判断するものに変わった。これから先、下手な言葉を出せば首が飛びかねないと、不思議と理解できる。


 腕の筋肉が痙攣するのを感じる。早くなりかけた呼吸を必死に抑え、緊張感を縛り付ける。こちらが無理をしている事が分かれば終わりだ。刺すような眼光が俺の表情、一挙手一投足を捉えている。


「勿論。そんな理由で爺さんに話を持ってくるかよ……ただ俺は思っただけさ。たまには善行もしておくべきじゃないかってねぇ」


 一拍置き、冗談を交えるように唇を開く。


「ほウ。悪いが俺は、善行なんて柄じゃあない。お前も知ってるだろう」


 爺さんの肩に、僅かに力が入ったのがわかる。抜く気だ。もし中途半端に物を知っている様なら、危険因子。くだらぬことを言い触れる酔狂者。生かしておく価値はないと、そう、断じるだろうこの悪辣は。その肩から無理やりに視線を外し、硬くなった喉を開く。


「なぁ、昔の爺さんの悪事で、つけ食らわされてる女の子一人。助けるのを手助けしても、きっと神様は罰なんて当てねぇと思うぜ?」


 その老獪な瞳が震える。突き刺さる眼光からは瞬間、残酷な気配が放り出され、そして気配はそのまま黒い刀身へとすり替わる。


 ――ガィイイインッ


 反射的に振り上げたナイフが、リチャード爺さんの黒剣と重なり合う。肩口近くを薙ぐような一撃を、鉄が弾けながら食い止めた。偶然だ、紛れもなく偶然に過ぎない。防げたのではない。反射的に刀身の置き場所へナイフが間に合っただけ。次は防げない。今の一撃だって、爺さんの呼吸を一瞬読み取れただけ。


 この爺さんの老獪な剣筋は、カリア・バードニックのように読み取れはしない。それに、本気で剣を振るった所などそう何度も見た覚えがない。


 闇にそのまま溶け込みそうな黒い刀身は、示威目的ではなく紛れもない殺意の現れ。ナイフは残り一本。どの太刀筋でも、確実に見抜かれる。俺の剣術の基礎は、この爺さんから教わったのだから。


 ――これは、死んじまったかなぁ。


 諦観のため息が出そうになった時、爺さんはゆるりと黒い刀身を揺らめかせて、エールを飲み干した。


「――何処まで知ってる?」


 何処で、だとか。どうやって、とは聞かなかった。


 それが無意味な行為だとでもいうように、何処までかを、シンプルに。


「……別に大層なもんじゃないですけどね、まぁ大まかには」


 未だ先ほどの一撃の余韻を隠し切れず、額から汗をかきながら、答える。


 先の大戦時、上級貴族であるバードニック家は、当主不在の混乱により参列に間に合わなかった。史実では、そうなっている。


 ――では何故当主不在であり、果ては当主代行も据え置かれなかったのか。


 それは参列前に、当主が急逝したからに他ならない。大規模な野盗の、強襲によって。勿論、領主の私兵がそう簡単に野盗に遅れをとりはしない。ただその野盗は、偶然まるで何処かの私兵を集めたかの様に精鋭揃いであり、偶然当主の進行ルートを熟知していたように動け、偶然誰もが金銀や食料ではなく、当主の首を狙っていただけ。


「若気の至りってやつですかねぇ。いや、別に悪事って思ってるわけじゃないですけどね。ただまぁ、それで苦労してる娘も一人いるわけで。助けてやってもいいんじゃないかなぁって」


 そう思うわけですよ、と付け足して、目を細めながら爺さんの挙動を見守る。


 鼻を鳴らしながら、爺さんは頬を掻いた。


「ふン。なるほどなるほど、中途半端な知識を振り回してるわけじゃあねえわけだ。それに、運もあった」


 黒い、殺意の籠った刀身が鞘に消える。肺から、安堵のため息が漏れ出てくるが、まだ吐き出すことは出来ない。


「もしお前が、中途半端にカマかけてるだけなら、此処には来なかったことにするのが一番だった。お前に運がないのなら、此処にたどり着く前に死んじまった。そういう筋書きも有りだった」


 ああ、よく理解しているとも。何故なら俺は、昔それで腕を無くしかけたのだから。


 よもやそんな事は言いだせるはずもなく、爺さんに倣う様にナイフを腰元にしまい込んで、汗を拭った。


「深くはいわねぇし、問いやしねえさ。だが今もあそこの野盗……いや、私兵の集まりには、あんたはある程度影響力があるはずだ。奴らを焚きつけてほしい。領主の兵が出てくる程度には」


 リチャードの爺さんは髭を撫でながら、値踏みするように俺の身体を見据えた。何かを探るように。その価値を、見定めるように。もし、これで駄目だったらどうなる。やはり俺は、死ぬか。それとも見逃されるのか。


 数秒、長くても数十秒だった時間が、妙に引き延ばされて感じた。


「――せめて、他を誘う時はもう少し良い恰好をしとけ。人を集めるには、金があるって所をみせねぇとな」


 そう呟き、最初の時のように、頬をつりあげてその歯を見せる。


「俺ぁ高いぜ、ルーギス。覚悟しときな」


 思いのほか強く肩を叩かれ、酒場のテーブルに突っ伏すことになった。

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