第十七話『蛮勇者にして冒険主義者かつ愚か者と評された男』
孤児院経営者、ナインズは首を捻って訪問者を出迎えた。紫の瞳は疑問符を突き付けるように揺れ動く。
「どうしたルーギス。アリュエノがいない此処に、お前が来るとは思わなかったぞ」
次の孤児ないし、浮浪者の子供が入荷するまで、しばしの余暇を楽しんでいた所。ある種奇妙な情動に動かされて、突き放すようにそう言った。
だが訪問者であるルーギスは、それすらも見透かしたような調子で口を開く。
「育ての親に警戒されるって結構ショッキングな事件だと思うんですけどねぇ。邪険にしなくても良いんじゃないんですか、ナインズさん」
「何、小僧。別にお前が私に甘えにきたというのなら、幾らでも話しは聞いてやろう。ただ、違うだろうその顔は」
からかうような笑みを浮かべて、吐息を漏らしつつナインズは訪問者を中へと誘う。彼の額に光る汗と傷。瞳に光る色を見れば、ルーギスが此処にそんな事をしにきたのではないとすぐ分かる。何せ、子供の頃からその姿を見て来たのだから。
「世間話ってわけじゃないんですけど。最近何かと物騒でしょ、野盗とか、一部の噂じゃ旧教徒が地方司祭を中心に勢力を作ってるとか。北西部の方はまた騒がしくなりそうですよ」
「ふむ、そういう話も聞くな。なんだ、神の教えでも私に説きに来たのなら構わんぞ。私は聖教徒だからな」
「いえいえ、まさか。それでねぇ、折り入ってお願いがありまして……ナインズさん、東方の自治都市に伝手、ありますよね」
*
その日、酒場は騒がしくも陽気な騒音が響いていた。
誰もがその手にワインと薄めていないエールを手に取り、新しい樽を開ける。何時ものように味がしない、ただ酔うためだけのものではない。本当の酒の味に酔いしれていた。
酒場の中心ではルーギスが、いつものぼろ布ではなく整えられた衣服へと装い新たにし、小さな樽を掲げている。
「いよぉ、今日は好きにやってくれりゃあいい。俺の奢りだからよ!」
「景気がいいなぁ、ルーギス! なんだおい、良い伝手か仕事でもみつけたかぁ?」
「……ああ、似たようなもんだな」
豪放に笑いながら肩を組む者。金の匂いを感じておこぼれにあずかろうとする者。ただ酒を飲む為だけに此処に来た者。だが誰もが笑い、下層に漂う低迷した空気を吹き払うような陽気を歓迎していた。
この酒場に集まるような面子といえば、必ずしも善良とは言えない。冒険者くずれの集まる酒場だ。窃盗団、詐欺師、冒険者、これらは時に同じグループとなる。
当然ルーギスとてその仲間の一人に違いない。彼らは何時だって金の匂いにつられて来る。ある意味で、ルーギスが使える最大の伝手でもあった。
「ねぇ、ルーギス。美味しい話があるんじゃないの? こんな宴が開けるなんてさ」
「そうだぜぇ、おい。俺達も乗らせてくれよ、美味しい話を独り占めってのぁ、ねぇよなぁ?」
下品な笑み、調子の良いことを言いながら近づいてくる貧窮者。自分であれば美味しい話なぞ他人に漏らしはしない強欲者。こういう連中というのは、必ずこういう匂いに釣られてやって来る。
「良い仕事がある。待っててくれよ、次の満月の頃には、必ず声かけるからよ」
だから今日は存分に飲めと、また新しい樽を開けて飲ませてやる。新しいワイン。それは金の匂い、象徴。
ルーギスはこの日、何度も何度も、来訪者を拒まず痛飲させてやった。景気の良さを見せつける為。そうであると、取り繕う為に。
*
バードニック家はかつては北西部全域の支配者であり、国家の重鎮、上級貴族として広大な領地を有していた。
しかし、大戦後の没落。戦争責任による負債の支払いにより、その領地の大部分を売却、剥奪される。騎士階級としても、現在持つ領地は広大とはとても言えない。北西部の田舎都市シフル・トリクサを中心に幾つかの小規模の街と村を領土にするだけであった。
「お嬢様。それでは何事かございましたら、すぐに御呼び付けくださいませ」
「ああ、分かった。下がっていい」
今では数少ないバードニック家の使用人の一人にそう言いながら、カリア・バードニックは一人私室に籠る。
私室といっても、私物の類は殆どない。剣も、鎧や歴史書すらも取り上げられ、大して興味もない詩集や彫刻などが部屋には並んでいた。かつて、上級貴族だった頃の名残。そういった古物だけは未だ家に残っている。
「退屈だな……」
ぽつりとつぶやかれるその独り言も、流石に無理はなかった。
もう此処に軟禁をされてから、幾らかの月日が経ったが、その間には何もなかった。何一つ出来事はなく、格調だけ整えられた食事と生活を送り、寝るだけの日々。騎士団の頃のように、危険と、労苦と、そして清々しい喜びと達成感。そのような事を味わうことは一切無かった。
当然といえば当然。本来の騎士階級、貴族階級の者の生活とは即ち此れなのだろう。
――やはり、無理やりにでもついていってしまえば良かったか。
此処にきて起こったことをあえて思い起こすのなら、中規模の野盗騒ぎが領地内で起こった程度。景気が悪くなると、そういった輩はすぐに芽を吹きだす。
その討伐に先日、領主代行の弟が私兵を連れて出て行ってしまってから、余計にやる事がなくなった。カリア・バードニックはせめてもと同行を申し出たが、当然のように却下された。父の命令には逆らえないと。
逃げてしまおうか、そんな思考がカリアの頭を過らないでもなかったが、やはりそれもすぐ消沈していく。逃げた所で、私に何がある、と。騎士団を退団し、剣を奪われ、他に能などない。土地勘のある王都ではすぐに連れ戻されるのが落ちだ。
だから、此処にいるしかない。いずれ父が婚姻の話を持ってくるだろう。そうなれば、適当な男と結婚し、子を産み。そして生涯を終える。
この先の人生を想い、ため息をつきながら、ふと、男と言えば、あいつはどうなったのだろうなと、暇つぶしにカリア・バードニックは思案した。
馬鹿げた男だった。突如大型魔獣に突撃したかと思えば、上から目線で人にものを言ったり、妙に物事を知っていたり。
だが、果敢な男だった。思わずカリア・バードニックの口元が緩んだ。あの父に、あれほど真正面から物を言った人間が今までいただろうか。少なくとも、私はそのような存在は見た覚えがない。愚か者だと、馬鹿者だと今でも思う。だが、嫌いではない。悪くはない。そうだな、このように縛られ、何も出来ずにいる私より、ずっと上等なのかもしれない。あの、見すぼらしい男は。
それは自嘲の笑みか、それとも彼への敬意を含めたものかはわからない。この心にある感情が、好意といえるのか、それとも全く違うものなのか、カリア・バードニックにも分からなかった。
だが何にしろ、そう、悪い気はしないのだ。
「二つ名をつけるなら……そうだな、蛮勇者ルーギスか、冒険主義者ルーギス……ああいや、愚か者の方がいいか?」
「……どうせならもう少し格好いいのにしてくんないかね、お嬢さん」
窓際から、するはずのない声がする。目を見開きながら、カリア・バードニックの視線は吸い付けられるように窓際を向いた。
「これでも場末の酒場じゃあ、それなりのロミオって呼ばれる事もあんだけどねぇ」
本来、そこにいないはずの人物。この場所を、知るはずもない人物。蛮勇者、冒険主義者、そして愚か者――ルーギスが窓際に陣取っている光景が、そこに在った。