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第十三話『辺境砦コーリデン』

 ――銀の長剣は瞬きながら、馬と、馬上の人間を切断し、ナイフは赤黒く刀身を濡らして再度首を刈り切った。


 それは見事極まる奇襲であり、逃れたのは僅か一騎。彼は後ろを振り返ることもなく脱兎の如く逃げ延びた。息は切れ、その脳内を駆けまわるのは恐怖そのもの。それを二つの人影は見送った。何か口上を垂れるでも、追うのでもなく。その静けさが、更に不気味だった。


 そして生き延びた彼は後に、こう語るのだ。俺は赤黒い悪魔と、銀髪の魔女に襲われたのだと。


 *


 慣れない馬の振動に揺られながら、くしゃみをする。悪い噂でもされているのだろうか。


 命は何とか拾ったものの、身体中至る所が切り傷擦り傷だらけ。裂傷が与える痛みに思わず歯噛みする。


 加えて、髪の毛にまで降りかかった果汁が、時を経るごとに強烈な匂いを発し始める。悪臭には慣れているが、こうも甘ったるすぎる匂いが過剰なのも逆に拷問だ。


「しかし貴様、冒険者なんぞより、アサッシンの方が向いているのではないか」


 臭いに耐えかねるように鼻を何度も鳴らしていると、すぐ目の前で馬の手綱を握っているカリア・バードニックが振り向いてそう言った。


 大きくため息をつきながら、への字に口を曲げて目を向ける。


「そう馬鹿にした事でもない。奇襲や暗技にも、必要なセンスはある。呼吸、タイミング、運。貴様のそれは中々のものだった。まるで訓練を受けたものの動きだ」


 鼻に皺を寄せながら目を瞬かせる仕草。まるで、好奇心を擽られた猫のような様子だった。


「……冒険者なんて仕事やってると、どうしても後ろ暗くなるんですよ。俺は特に無駄な正面衝突は御免ってな性質でして」


 落とせる範囲の果汁だけを拭い、同時に血も払う。馬上で払うものだから道端に飛び散るが、そのままにしておくと鉄臭さと甘い匂いが混じり合って、鼻が馬鹿になりそうだった。


「それより、一騎逃がしましたし、さっさと行きましょうや。此処から追って来られると面倒でしょう。次はこう上手くいくわけありませんから」


「――承知した。流石に徒歩で騎馬の相手なぞ、好んでするものではない。掴まっておけ」


 それは決して、奇襲とはいえ騎乗者と馬の首をそのまま両断したものの言う事ではないと、そう思う。この女、知らないだけで遠い先祖に巨人族でもいて、先祖返りを起こしてるんじゃあないだろうな。


 カリア・バードニックが手綱を強めながら頷き、それに応じるように腰に掴まる。その手ごたえは妙に細く、頼りがいがなく。何とも、この女もやはり普通の女とそう変わらないのだと認識してしまう。当然といえば当然ではあるが、不可思議な違和感と気恥ずかしさが在った。


「しかし、よもやこのような街道で襲われるとはな。国の治安も荒れ果てたものだ。騎士として、情けない。騎士団の方針は、王都とその周辺のみが国だと言わんばかりだ」


 それは憐れみと、自戒を込めたような言葉だった。


 この時代の治安が、とても安全とは言えないものであったのは、一つの事実。そうして、恐らく先の襲撃者の親玉。彼を主因として、国全体が揺るがされ、更に荒れ果てるのも、また俺の中では過ぎ去った事実の一つでしかなかった。


 ああ、恐らく今回も、そうなるのだろうな、と。知らぬ内そう純粋に受け止めていた。


 兜を被った司令官らしき男。その男が大事そうに指につけていた、刻印が施された指輪。混乱に乗じて失敬したそれを、そっと懐に忍ばせたまま、カリア・バードニックの言葉に軽い返事で言葉もなく頷いた。


 *


 コーリデン砦は歴史に取り残された遺物だ。


 建築王の名を持つ先王の時代に多くの砦や関所、防壁は建て替え、再度の整備がなされた。莫大な財産と税を以て行われた大事業は、当時こそ悪政と罵る声もあったようだが、三度の異民族の侵略、二度の外敵の大侵攻を防ぎきれたのは間違いなく先王の功績だ。


 そして、その功績からも置き去りにされたのが、この辺境砦コーリデンに他ならない。


 山岳を背にしたその地形ゆえ守りやすく攻めづらい。歴史上は西方との戦いで幾度もその名が挙がるこの砦だが、西方の連合諸国との関係が友好関係に転じた時代から、とんと活躍する事はなくなった。


 今では、此処に連れてこられるのは体のいい左遷だそうだ。


「しっかし。妙に手早く通してもらえましたね。愛想は最悪ですけど」


 俺達こんな恰好なのに、と血しぶきと果汁に塗れたぼろ布を見せる。


 中は外から見た光景通り、石と粘土で作り上げられた砦。所々が劣化しており、埃臭く、面会室だというのに雰囲気はどうにも暗い。面会室といっても、殆ど使われはしないのか。それとも、俺達にはこの程度の部屋で十分ということなのか。


 俺の軽口に、カリア・バードニックは妙に緊張した面持ちで唇を動かす。


「……そう、だな。無礼にならん程度に、体裁は整えておけ。手紙は?」


 懐から取り出したそれは、ぐちゃりと皺がよっており、果汁が染みてもはや手紙というより、何かの襤褸とでもいった方が通用しそうなほどだった。


 カリア・バードニックは手紙を奪い取ると、眉間に皺を寄せながらせめてもと皺を整える。やけに健気だ。


 しかし、伝令文を届けにきただけだというのに、何を待たされるのだろう。鼻を掻きながら首を傾げる。冒険者なんてのはどんな仕事を受けていても、正式な面通りを許されることは少ない。精々、見張りか、その上官に手紙を預けてそれで終わりと思っていたのだが。


 これも、彼女の存在ゆえだろうか。ちらりと、視線を向ける。


「……ああもう、もう少し丁寧に扱え……っ」


 やはり、そうらしい。歪に身体を強張らせたカリア・バードニックを見て、顎に手を置く。そういえば、彼女も用件があってこの仕事に同行したはずだ。であれば、この面通しは彼女の用事が関わっているとみて間違いないだろう。


 だがまぁ、俺は返してくれてもいい気がするが。全く関係ない冒険者を通してどうするというのか。


 ――ギィィイイ


 木製の扉が、酷い軋みをあげて一人の人間を吐き出した。


 険しいとすら思える鋭利な目つき。右目に大きな傷を作り、その衣服は俺のような襤褸衣とは比べ物にならないほど、整えられたもの。豪奢とは言えないが、質が庶民のものとはまるで違う上等品。華美にならない程度の装飾品が、品の良さを際立たせている。


 そして何より、その腰に携える金細工を施された剣と鞘。そこに形作られた紋章。間違いない、この人物は。


「――お久しぶりです、父上」


 カリア・バードニックが膝を付き、頭を垂れながらおとなしい声で、言った。それに倣う様に、石畳に膝をつく。


「公職の場でそのように呼ぶなといったはずだ、カリア」


 間違いない。この人物は、カリア・バードニックの父親。


 バードニック家現当主。バーベリッジ・バードニック、その人だ。

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