<< 前へ次へ >>  更新
11/664

第十話『酒場の決闘』

 最初の一合は、右肩を裂くような鋭い突き。小手調べなどという生易しいものでは断じてない。致命傷を避けさせながらも、確実にこちらを出血させるための一撃。半身になって躱しながら、一足距離を取る。


 酒場での決闘ルールは単純。片方が血を流せばそれまで、決着はつく。命の奪い合いはしない、紳士的なルールだということだ。


 わざわざカリア・バードニックが魔獣から引き抜いてきた、二本のナイフ。これと彼女の銀色の長剣。このルール、否、間合いがものを言う武技の世界で、両者の武器の長短、この差はどれほどのものだろうか。


 それは語るまでもない。当然、短いこちらの圧倒的不利だ。


 ――キィン


 銀色が空を切り裂く音を立て、軌跡を描きながら再度迫りくる。横腹をそのまま掠め取るような鋭さを持ったそれを、右手のナイフで軌道を合わせるように逸らす。かすり傷もこのルールでは許されない。そしてこの間合いの差、中へ、中へと入らなければ勝機なぞあるはずがない。


 一歩、前へと出る。銀の軌跡は間断なく突きを繰り出し、数を追うごとに鋭さを増していく。引きの一瞬を見て歩数を稼ぐことすらままならない。繰り出される剣を左手のナイフでいなした次の瞬間には、肩口から切り裂かんと銀が空間を切り取る。もし、もしこの斬撃をナイフで受け止めてしまったらそれで終わりだ。その時点でナイフは砕け、致命傷とまではいかないが傷は負わせられる。


 そうなればどうなる。こいつの下働き。ああ、それでは変わらない。かつての俺がたどった道と変わらないではないか。


 銀の脅威は止まらない。むしろこちらに手数を出させぬ為止まれない。敵を跳ね除け、踏みつけにするためには連撃が良い。彼女はそれをよく知っている。


「ッ、ォおお!?」


 今まで執拗に胴体を傷つけんとしていた銀色の線が、手首を標的にした。咄嗟に捻り、ナイフで弾き飛ばす。明らかに無理な挙動だった。ナイフの付け根がぐらぐらとその限界を教えだす。こんな小手先の技を使えたのか、この女。


 *


 リチャードと呼ばれる老獪は、顎元の髭を撫でながらその光景を見守っていた。


「どうした、もう終わりか?」


 そう言いながら、カリア・バードニックは僅かに荒れ始めた呼吸を見せぬよう、緩やかに息を吐くよう努めている。ルーギスが詰めた間合いも、また最初からやり直しだ。依然、彼女が有利である事にはなんら変わりはない。


「いやいや、勘弁してほしいぜ本当に。こちとらただのドブネズミなんでね」


 ルーギスの挑発するような、それでいて間を取るような声は、酒場の静寂の中よく響いた。


 周囲の空気は、当初のお祭り騒ぎから、二人の攻防を息を飲んで見守る様子に変化をみせていた。誰もが最初の一合、もしくは二合で勝負は決すると、そう思っていた。当然、ルーギスの敗北でだ。


 ルーギスは駆けだしとも言えない、未だ大ネズミ退治やどぶ浚いで日々を生きている様な存在。冒険者と呼べるかすら分からない。


 その駆けだしが、見習いとは言え騎士相手にわたり合っている。二本のナイフで、数え切れぬほどの合数を。巧みに手首を使いながら、長剣をいなし、逸らす。それは、簡単な事ではない。一度なら偶然、二度なら奇跡。しかし三度目も続くならそれはもはや確かな実力であろう。


 理由が分からない。あまりに劇的すぎる変化だ。自分が此処を離れている間に、何があったのか。リチャードは面白がるように歯を見せながら、教え子の様子に喉を鳴らす。


 だが理由などはどうでも良い。この悪辣にとって、人の判断基準は利用価値があるかどうかである。今までのルーギスは、良くて囮に使われる程度。それは当然の評価であり、厳然たる事実だった。だが、今は。


 ――――ギィィイン


 カリア・バードニックの上段から叩き下ろすような一撃。とても決闘で使う様な武技ではない。戦場で鎧付きの騎士を、両断でもしようかという斬撃。静まり返った酒場の空気を切り裂き、ルーギスのナイフと接合する。


 ナイフが、折れる。いかに巧妙にその強撃をいなそうが、接合時の圧から逃れることはできない。根本から刃は砕け、手近なテーブルへと突き刺さった。その流れのまま、銀色は横に薙がれた。いなすことはできない。完璧な連撃を前に、避けることもできまい。片方のナイフが折れ、不安定な態勢のままでは、抵抗すらできそうにない。


 止め時かと、リチャードが立ち上がる。下手をすればあの騎士はルーギスを殺してしまうかもしれない。少なくとも今、ルーギスには利用価値がある。それに、不出来ながら己の教え子でもある。その彼をただ殺されるのは、リチャードとしても承服できない。勝負はついたと、一言そういえば良い。それでこの短い、いや、本来より随分と長かった決闘は終わる。


 ――しかし、未だその言葉は放たれなかった。


 それは奇妙な光景だった。緑の衣服が、僅かに切り裂かれながら、ルーギスは横腹へと迫りくる薙ぎの斬撃を、弧を描いて打ち払う。半身をずらしてもう片方のナイフを長剣に合わせ、その軌道を変え、空へと切り払う。


 驚愕。その一言をもって評するしかない。まるで長年の鍛錬の賜物のような動き。いやだとしても、今一見しただけでそのような動きが出来るはずがない。まるで、全てを察知していた、知っていたかのよう。この連撃の流れを。カリア・バードニックという騎士の癖を知り尽くしているかのよう。彼女の表情も、その一瞬で愕然としたものに変化していた。


 間合いが、詰まった。


 今まで開かれ、決して縮まる事のなかった間合い。それが、剣を打ち払われた一瞬に、ナイフの間合いへと変貌した。


 長剣を切り払った流れのまま、カリア・バードニックの肩口を斬るように、ナイフが線を描く。その軌道は見事。ナイフの間合いを生かした、相手への最短距離をなぞる一撃。


 だが、カリア・バードニックも凡庸な人間ではない。こと剣にかけては、容易く誰かを右に出す気もない。


 切り払われた剣は宙空を舞いながらも、再度相手を斬獲せんと迫りくる。その膂力と、行動は間違いなく日々の鍛錬と、彼女の才により培われたもの。凡庸であれば、ナイフの軌道に臆するまま間合いを取ろうとし、逃れられずに切り取られる。


 ナイフの反射光が明滅しながら僅かに軌道を変えてカリア・バードニックの首元へと吸い込まれ、同時、長剣の根本がルーギスの肩口を捻り潰さんと迫りくる。


 一瞬。その瞬間にあるものはもはや因果だけである。優劣も、相性も、強弱も何もなく。ただ当然の原因と結果があり、その結末として、勝敗が着こうとしていた。


「――それまでぇッ!」


 決闘の終わりを告げるリチャードの声が、酒場の静寂の中、響き渡った。

<< 前へ次へ >>目次  更新