つり橋(10)
辺りから、チュンチュンという鳥のさえずりが聞こえてきた。
そんな鳥たちを追い払おうとしているかのように、風で揺れる木々の音がたまに響く。
そしてそんな木々からの木漏れ日が、燦々と俺たちを照らしている。
一夜が明けた。
今から真は、惚れた女に思いを伝えに行くのだ。
告白の言葉は、俺たちが一晩かけて推敲に推敲を重ねた一文。
結果はどうなるかわからないが、真の思いは間違いなく伝わるはずだ。
「やばいわー。今日の人論の小テスト、何も勉強できてないわー」
「え?小テストあるの?まずったー、完全に忘れてた」
俺たちは今、例のつり橋の前にいる。
俺達の横を、学生たちが和気あいあいと話しをしながら通過してゆく。
そんな通学路となっているこの橋で、真は思いを伝える手はずになっている。
橋の向こう側から例の女が現れたら、真がこちら側から歩いてゆき、橋の中央で告白するのだ。
いつも通りであれば、もうすぐその女が現れるらしいが・・
「来た!あの子だ!」
どうやら、真の思い人が現れたようだ。
真が橋の向こうを指さして叫んだ。
その指の先を見ると、1人の女がこちらに向かって歩いているのが見える。俺は視力があまり良くないので顔は見えないが、美しいプロポーションを持つ女性であることが分かる。格好は少し前に流行った森ガール系の、体のラインが出ない服なのに。何故か、それが伝わってくる。
あれはモテそうだ。
既に彼氏が居てもおかしくない。
だが、そんな事は今言うべきではないな。
「真、いってこい!大丈夫、俺達が一晩考え続けた言葉なんだから!」
俺は真の背中を叩いて、勢いよく送り出すことにした。
「ありがとう。行ってくる!」
真は少し声を震わせながら、俺に返事をしてつり橋を渡って行った。
緊張しすぎているせいか、その足取りはどこかおぼつかない。だが、速度を落とすことなく、橋の中央で会えるように、しっかりと橋を渡っていく。
頑張れ。
気づくと、俺は手を固く握って、真の事を応援していた。
そして、十数秒ほどすると、二人の距離がかなり近くなった。
真の思い人の顔も、少しづつ鮮明に見えてきた。
・・・
ここで、俺は何故か暴れ狐と濡れ柳での会話を思い出していた。
なぜだか分からないが、やけにその時のセリフがリフレインする。
何故だろう?
この場には全く関係がないはずなのに。
・・・って、いや自分を騙すのはやめよう。
はっきりと見えた真の思い人の顔、あれ完全に明日香だ。
まじかよ。
「ホーッホー」
辺りには、間抜けな鳥の声がこだましている。
二人の距離が近づいていく。
もう数秒ほどで、真の告白が始まってしまうだろう。
もはや、俺に止めることはできない。
何で止めようとしているかって?
それは、俺が明日香のことをよく知っているからだ。
一緒に虫取りをして遊んだ小学生時代。
一緒に本を読んで、ゆったりとした時を過ごした中学生時代。
そして、一緒に近くの男子校へと進学し、純文学研究会の設立を目指した高校生時代。
そう、もう皆さんお気づきだろう。
明日香は男だ。
女装が趣味の。
「ごめんなさい」
鳥の声に紛れて、かすかにそんな声が聞こえてきた。
見るとそこには、橋の中央で崩れ落ちる真の姿と、頭を下げる明日香の姿があった。
「これも一つの純文学か・・・」
何だかいたたまれなくなった俺は、そう呟きながらつり橋を後にした。
そんな俺の耳には、真が言った「つり橋効果を研究し続けた俺が、つり橋効果に踊らされる」というセリフ。
それだけがやけに反響して聞こえていた。
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翌日のこと。
俺は部室で真が来るのを待っていた。失恋で傷心の心を、なんとか労ってやりたいと思ったからだ。
だが、真は一向に姿を見せない。
しびれを切らした俺は、真の姿を探して大学の中を歩き回った。
そして見つけた。
例のつり橋の中腹部で、真は座り込んでいた。
「残念だったな」
俺は真の背に向けて、そんな言葉をかけた。
「いや、いいさ。これで俺は、より一層深く、つり橋効果の研究にのめり込む事ができる」
真はか細い声でそう答えた。
が、明らかに覇気がない。
「それより純一。聞けば、明日香さんとは友人だそうじゃないか。それなら、普通に紹介してくれれば、成功したかもしれないのに」
少し非難めいた口調でそう言うと、真は流し目でこちらを見てきた。
「いや、それはなんというか・・」
どう答えよう?
そもそも、この言い方からして明日香が男だとは気づいてないのか?
「やっぱり良い。純一にも何か考えがあったんだと言う事は分かっている。だが・・・少し時間をくれ」
真はそう言うと、立ち上がってトボトボと橋を渡っていく。
その後ろ姿は、どこかさみしげだった。
それからというもの、真はますますつり橋効果の研究にのめり込むようになり、あまり部室にも顔を出さなくなった。
と言っても、仲が悪くなった訳ではない。
普通にご飯を食べに行ったり、講義で隣り合って話したりはする。
だた、つり橋効果の研究で手一杯になっていて、もう純文学を研究する余裕はないそうだ。
まさかこんなに早く、純文学を共に研究する同志を失う結果となるとは。
教訓。
人のこころは難しい。
純文学らしいオチがついた、と言えるのかもしれない。