19 女と、それから
昨日はたっぷり飲んだなぁ。久々の酒場ってことでかなり羽目を外しちまった。二日酔いなのかちっとばかし頭が痛えや。おれとしたことが情けねえ。これからはちゃんと毎晩酒場に行って、ほどほどに飲まなくちゃな。
とりあえずポーカーにはあとでこっそり金を払うことで決まり、その翌日にあたる今日、おれとマナはニドネルへと報告に行った。
「本当に行くのかい?」
当然ニドネルは苦い顔をした。なんせ向かう先はひと食いトンネルだ。ポーカーが帰って来れたのは運よくモンスターに会わなかったからに過ぎない。そこに行くってことは結局のところ未開の危地を探索するのと変わらない。
「せめてモンスターの性質がわかればいいけど、どんな相手なのかわかってないんだろう? それにドラゴンが出るっていうじゃないか。まあ、さすがにわたしも信じているわけじゃないが、なにせ話したのがポーカーだ。ドラゴンじゃなくてもそれなりのモンスターがいるんだろう。君たちみたいな新鋭はやめておいた方がいいよ」
「でもよう……」
と言いかけておれは口籠もった。まさか友達の足の臭さを消したくていのちを賭けるなんて言えねえよな。それに、まさか温泉狂いの女に脅されてるってのもよ。
ちなみにマナには話してある。昨夜のうちにアシクのこともクユリのことも、腹ン中洗いざらいな。だってこいつは一応団長だし、団の方針を決めるのはマナだ。おれには説明する義務がある。それに、おれは秘密の過去まで話しちまったんだ。もう隠すことなんざねえ。おれがミーハーなのも、女に脅されてビビってるのもぜーんぶ話した。すると、
「いいじゃねーか。やれよ」
とすんなりオーケーが出た。こいつ変なとこでものわかりいいんだよな。むしろおれの方が心配になって、
「やっぱり危険だし、やめた方がいいかなぁ?」
なんて言っちまった。そしたら、
「なに言ってんだてめえ! 男だろ! キンタマついてんのか!? 日和ってんじゃねーよ!」
って怒られちまった。そして今日だ。ニドネルは当然マナを諌めた。
「本当にやるのかい? 今度こそ危ないよ。閉所は逃げ場がないからとくに危ないんだ」
でもマナは、
「うるせーなてめえら男のくせにギャーギャーわめきやがって! 全員インポか! 危ねーのは百も承知だよ! でも黒板業者が契約取るにはどっかで冒険してでかい実績取るしかねーだろ! そのためにジジイだって鹿狩りやらせたんだろ!? チャンスは逃したら次いつ来るかわかんねーぞ!」
と突っぱねた。たしかにそうだ。こないだの鹿狩りみてえなでかい仕事はそうは来ねえ。生きるためには勝負しないわけにいかないんだ。
しかしそれでもニドネルは心配らしく、
「せめて君だけでも待機できないのかい? 事務職団長は現地に行かないひとも多いんだよ」
「ふざけんじゃねえ! 行くに決まってんだろ!」
「いや、でも……」
「でもじゃねえ! 行くもんは行くんだ!」
結局マナは今後も探索に出ると言って退かなかった。おれも現地には行かない方が安全でいいと思うけどなぁ。なんでこいつはこんなに意地になるんだ? 非戦闘員は少ない方がいいことくらい知ってるだろうに。
ともかくトンネル行きが確定し、おれたちは準備を進めることにした。まず前提として、今回は長旅になる。トンネルまでは最短でも五日、長けりゃ一週間以上かかる。野営の準備は必要だし、夜間見張りを交代で行うから人員もいる。ざっと見積もって十人はほしい。つねに緊張を強いられるあの地では戦闘員の体力を確保しておきたい。中にはたった四人で長旅をするスペード・エースとかいうイカれた団も存在するがそれは特例中の特例だ。ふつう小規模な団は往復で一週間を超えるような旅はしない。
そこでおれたちはギルドに二次業者の募集をかけてもらった。予定は十日後。人数は五人以上。報奨金は破格の五分だ。ふつうは七・三、高くても六・四だが、なんせうちは黒板業者だ。案外妥当なとこだろう。
そんなこんなでギルドでの手続きを終え、おれたちは町をうろつき野営の道具を下見していた。そうしていると三時の鐘が鳴った。
「そろそろあいつら戻って来るころか?」
先日に続き、クゥ、ソネ、クユリの三人はオーキーズの仕事に混ぜてもらっていた。今日は片道二時間ほどの場所に行くと言っていたので、合間の休憩やトラブルを考えれば帰るのはいまごろだろう。
「みんな腹空かせてるだろう。ソネなんかとくにな。なんか食いものでも差し入れに行こう」
おれたちは屋台で軽食を買い、ギルドの裏手へと向かった。そこには屋根付きの解体所があり、大概の日帰り探索者はそこでモンスターを解体する。帰っていればまずそこにいると見ていい。
そして案の定、そこにいた。
「おーい、差し入れ持ってきてやったぞー!」
「わーい! おやつだ!」
差し入れと聞いた瞬間ソネが矢みてえに飛んできてバスケットを取ろうとした。
「おいおい、待て。まずはアシクに挨拶してからだ」
「ソネ、お腹減った!」
「だからまずは相手さんに声かけてからだっつーの!」
おれはソネに取られないようバスケットを頭上に持ち上げた。するとこいつ、おれを登ろうとしやがった。
いかん! これはまずい! やわらかいものが! 女の子のにおいが! この状態じゃ座れねえってのに! マナが降りろって引っ張ってるけど、こいつ余計におれにしがみついて、わあ、顔に! 顔にやわらかいものがー! むぐぐぐー!
「こーら、ゴリが困ってるじゃないさ」
そんなセリフがおれの前方から聞こえ、おれの視界と呼吸を押さえつけていたやわらかいものや、おれの腕や頭にしがみついていた手足が引き剥がされた。残念だがありがたい。
「うっぷ……助かったぜ、クゥ」
「まったく、ソネは食べものがあると見境ないんだから。しょうがないねえ。あれ、ゴリなんで座ってるの?」
「あ、いやその、なんだ……体を急に伸ばしたからな。なんとなーく座った方がいいと思ってよ」
「ふーん?」
おれは持ってきたバスケットを股間の前に構えて立ち上がり、
「ところでアシクは?」
「いまギルドで納品の手続きしてるよ」
「え、もう? 早くねえか?」
「そーよ。あたしらもうとっくに慣れちゃったんだから。こりゃ街一番の調査団も夢じゃないねえ。あっははは」
ひえー、ありがたいこった。できるヤツらだとは思ってたけど、まさかこれほどとはな。おれはギルドに入ってアシクに声をかけ、バスケットを手渡した。するとアシクは苦い笑顔で言ってくれた。
「まったく、お前の仲間は優秀すぎて困る。これじゃうちの新人が育てられない」
なんでも道中幾度か強力なモンスターに出会ったが、どれもこれもうちの女どもが簡単にやっつけてくれたおかげでスムーズに行き来できたらしい。
「ツルギオオカミの群れが襲ってきたんだがな。クゥの素早さったらなかったぜ。一騎当千ってのはこういうのを言うんだと目の当たりにしたよ」
「なんだって?」
「十匹近いオオカミをひとりで片付けちまったのさ」
「嘘だろ!?」
「本当さ。おれも身のこなしには自信があるけど、まさか女の身でああもうまくやられちゃな。ありゃ風よりも疾いんじゃないのか?」
おいおい、冗談だろう? ツルギオオカミはただ疾いだけじゃなくて連携もうまいんだぜ。それをひとりで?
「それに、クゥもすごいがクユリもすごかった。なにやったと思う? なんとイワクマを斬ったんだ」
「はぁ!? イワクマを!?」
「いとも簡単にな」
おいおい、そりゃふつうじゃねえぞ。イワクマっつったら全身岩みてえな表皮のクマ型モンスターだ。その硬さはむしろ鉄に近い。それをぶった斬ったなんて信じられねえ。
「それから不思議なのはソネだ。あいつ、変なんだ」
「変?」
「それが、途中丈の高い草原があってさ。おれたちはその近くを歩いていて、おれはなにかいたらいやだなと思ったんだ。そしたらソネが急に”なにかいっぱいいる”って言い出して、草の中に矢を射った。そしたらビンゴ、途端にミドリが飛び出して襲ってきたんだ」
「ミドリが隠れてるのがわかったってのか?」
「ああ。おかげで奇襲に遭わなくて済んだ。実にありがたかったよ。ただ、なんでわかったかってのが変な話でよ。訊いたら”鳥さんが教えてくれた”って言うんだ」
「なんだそりゃ」
「な、変だろ? それで、お前鳥さんと話せるのか? って訊いたら、話せるからわかったんだよって言うんだ。おれはもううなづくしかなかったぜ」
はあ……なんだかすげえ話だな。ふたりの戦闘能力の高さもさることながら、ソネの話もブッ飛んでやがる。なんにしてもこいつらふつうじゃねえ。
おれは差し入れを渡した後、ひとり門の前で佇んでいた。ちっと考えごとしたくなってよ。つうのも、ずいぶんと出来過ぎてやがるから妙な気持ちになっちまったんだ。
本来おれはいま探索なんかできる状態じゃねえ。追放を受けて廃業に追い込まれ、この世界から足を洗うはずだった。それが変な女におまじないをかけられて、その翌日には最強と呼んでも差し支えないほどの女——それもなぜか巨乳——三人と仲間になり、ついでに貧乳のマナも加えて調査団を結成することになった。そのうえ鹿狩りという大きな仕事をもらい、さらには新規調査まで取り付けた。
はっきり言ってでき過ぎている。いくら幸運でもこうはいかねえ。おれは今後どうなっていくのかと、よろこばしく、そして妙に恐ろしく感じていた。なにか目に見えない大きな力を感じた。そうして見るともなしに大通りに目を向けていると、
「ん?」
おれはこちらに向かって歩く妙な女に目がいった。黒いガラベーヤに身を包み、髪は黒髪、肌は灰色、それていて遠くからでも美女だとわかる見覚えのある女……
「あっ!」
そう、忘れもしねえ。あの日ギルドで顔を合わせ、その日の晩に再び出会った異様な女——メイ・シュカケール!
「おーい!」
おれは慌てて女に手を振った。
「あら」
向こうも気づいたらしい。メイはニコリと笑っておれを目指し、やや歩調を早めた。そしてたどり着くなり開口一番、
「巨乳好きの童貞さんじゃないですか」
ズコー!
お、思わずズッこけちまった。
「ち、違え!」
「あら、巨乳好きがですか? それとももしやご卒業なさったのですか!?」
「そうじゃなくて!」
「ではまだ童貞なのですね」
「そうそう……じゃなくて! その呼び方はやめてくれ! おれはゴリ!」
「ああ、そういうことですか。失礼しました。お久しぶりですゴリさん。その後はいかがですか?」
「いかがって……」
おれはいかがになったかお話してやった。三人の巨乳美女と出会い、ヤツらと団を組んで、ずいぶんと都合よく回っていることを。すると、
「そうですか。ことが運んでいるようでよかったです」
ことが運んでいる……? ”ことが運んでいる”だと? やっぱりこいつ、なにかやりやがったな!
「なあ、お前おれになにをしたんだ?」
「はい?」
「とぼけるんじゃねえ。おかしなことしやがっただろ。じゃなきゃそんな言い方するはずがねえ。なにかやったろ。おまじないだとか言って、変なことしやがったんだろ。単なるおまじないでこんなことになるはずがねえ! おれになにをしやがった!?」
——フフフ。
「おまじない……そう、おまじないですよ。もっとも、国によって言葉が違うのでおまじないとは少し違いますが」
「なに?」
「ある国ではシュ、ある国ではジンクス、ある国ではカースと呼ぶものが近いかと」
「カース!? 呪いだと!?」
おれはカッと頭に血が上りそうなほど驚いた。
「お前、おれにカースをかけやがったのか!?」
「いえいえ、あくまでニュアンスです。正確に当てはまる言葉がわからないだけで、似て非なるものです。ただ……」
メイは妙に陰のある笑みをこぼし、
「よくお効きになったでしょう?」
と言った。おれは途端に背筋がゾッとした。なんでかわからねえ。わからねえが、なにかやべえ。いまおれが相対している女は、人間でありながら、まるでひとじゃねえみてえに感じる。死や暴力とはまったく別の、いびつに歪んだ異次元の恐怖がおれの胸ぐらをつかんだ。ぎゅうっと心臓を手前に引っ張られてるみてえに汗が出てくる。こんな細身の、刃物も殺気も持たねえ女が怖え!
「あら?」
メイはそんなおれとは別の方向、ギルドの方にチラと目を向け、
「あら、あらあら。そうなりましたか」
「な、なんだよ」
「フフフ、いいお仲間を持ちましたね。でも、あなたとおやつを天秤にかけて……あらあら、急いで食べて来るおつもりですね」
「だからなんの話だよ!」
「フフフ……」
メイはうれしそうに笑ったかと思うと、スタスタと歩きおれの横を通り抜けようとしやがった。
「おい待てよ!」
おれはメイの肩をつかもうとした。が、
「なっ!?」
空中で手が止まった。いや、止まったというより、なにかに手首をつかまれている感じがする! どーゆうことだよこりゃあよお!
メイは動けないおれを無視し、こともあろうか門に向かって歩いて行った。
「おい!」
メイはなおも聞こえないかのように歩き、自分で門を開いて中へ入った。わけがわからねえ。だって、門の左右には見張りがいるんだぜ? 門を開けるのは見張りの仕事なんだぜ? なんで止めねえ! なんでメイもおれも見えてねえみてえにぼけっとしてやがる!
メイはガシャンと門を閉めると、やっと無視するのをやめて、半身振り返って言った。
「すみません、急がないとメンドウなことになるようだったので」
「なんだよこれ、どうなってやがる! なんで見張りは止めねえんだ!」
「おまじない……ですかね。そう、おまじないです」
「なんだよそれ! つうかお前、剣も持たねえで門をくぐってどうするつもりだよ! そんな、死んじまうぞ!」
——フフフ。
「いいえ、死にません。わたしは大丈夫なのです」
大丈夫って……んなわけねえだろ! モンスターの巣窟だぞ! これから夜だぞ! それをたったひとりで、素っ裸も同然の装備で、いったいなにしに行こうってんだ!
おれがそんな疑問を抱くと、メイは
「フフフ……ウフフフ……」
と可笑しそうに笑い、
「なにしに行くと思います?」
「なにィ? わかるわけねえだろ!」
そう言うと、メイはフフフと笑った。そしてふっと明かりが消えたような暗い顔をし、腹に響くような低い声で言った。
「ひとつ、あなたに問いましょう」
「問い……?」
「ひとを創ったのは神でしょうか。それとも悪魔でしょうか」
「な、なに言ってやがる……」
「わたしはそれを確かめに行くのです」
そう言うとメイはまたにこやかな笑顔に戻り、
「それでは、また」
と言って奥へと進んでいった。
「おい、なんだよ! ひとを創ったのは神か悪魔かって? どういう意味だよ! それがどうしたっつーんだよ!」
おれは空中に手首をぎゅっと押さえつけられたまま身を乗り出し叫んだ。しかしもうメイは振り返らず、そのままスタスタ歩いて行き、やがて門の開く音、そして閉まる音が聞こえた。
直後、
「お? ゴリじゃねえか」
「あ?」
見張りのひとりがおれに言った。
「あれぇ? お前いつからそこにいたんだ?」
「い、いつからって……」
言いながらおれは不意に手首が自由になっていることに気づいた。腕を戻し、手首に目を向ける。すると手首には何者かにつかまれたような鬱血の跡が残っていた。途端、どっと顔面に汗が流れた。どうなってやがる……いったいなにがどうなってやがる!
「ゴリー!」
突如、ギルドの方からソネが血相を変えて飛び出してきた。口の周りには差し入れを食った跡がべっとり残り、そして手には弓矢が握りしめられていた。
ソネはおれの傍まで全力で駆け込み、土煙を上げてブレーキを踏み、そのままの流れで門の方角に矢を構えた。
「ゴリ! いま、なにと話してた!」
「な、なにって……女と……」
「そうじゃない! 女といっしょにいたヤツら! なに!?」
「なにって、女はひとりだけだったぜ。いっしょにいたヤツなんて……」
「いたよ! 怖いのがいっぱい!」
お、おい……なんだよそれ。マジでなに言ってやがる。つうかお前なんで外のおれのことがわかったんだよ。怖いのって、いったいなにがいたんだよ。
わけがわからねえ……まったく、わけがわからねえよ!