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4.魔境の森

 バジゴフィルメンテの役割は、薪割り小屋に住んでいることからわかるように、森から燃料となる薪を集めて持って帰ってくること。

 ただしその森は、魔物がひしめく魔境だ。

 そんな場所で薪を集めて戻ってくるなんて、十一歳の子供一人にやらせる仕事じゃない。

 少なくともプルマフロタン辺境伯領にある街や村では、冒険者組合が代表して薪集めの役割を担い、若かったり弱かったりする冒険者を多人数で組ませて森の中で薪を集めさせる。

 こうして集められた薪は領民に売られ、売り上げ金は冒険者たちの稼ぎになる。

 この仕組みがあるお陰で、経験と鍛錬不足で天職に身を預けられずに魔物と戦えない者や、戦闘職の天職を得ても運動が苦手な冒険者が、飢えずに済んでいる。

 つまるところ、バジゴフィルメンテのような年若い者は、普通は他の同年代の人と組んで森に入ることが当たり前なのだ。


「そのはずなんですけどねえ」


 と愚痴を零したのは、ラピザ。

 屋敷にいたときのようなメイドの格好ではなく、体の線がわかる体全体に形をピッタリ合わせた黒革の服だ。口元と頭部には真っ黒な布を巻いて、形が分からないようにしていた。

 腰の括れの部分に皮帯が巻かれていて、臍から鳩尾の位置に渡って二本のナイフと二つ鞘が隣り合わせに備わっている。

 そんな普段とは違う、暗殺者らしい格好のラピザの視線の先には、空の背負子と共に元気に森の中を歩くバジゴフィルメンテの姿がある。

 バジゴフィルメンテは、手の届く範囲にある生で食える木の実や小粒な果物を食べながら、森の中を前へ前へと進んでいく。

 その姿は、人なら誰もが恐れる魔境の森にはいっている風ではなく、管理された林の中を散歩しているかのよう。

 しかし、この森が実際に危険な場所であることは、直ぐに証明されることになる。

 なぜなら、バジゴフィルメンテが進んでいる場所の横の茂みが動き、そこから魔物が飛び出てきたからだ。


「ぎぎゃあああ!」


 と叫び声を上げながら襲ってきたのは、緑色の肌をした小柄な人型の魔物――ゴブリン。

 魔物の中では弱い部類とはいえ、大人の冒険者でも殺されてしまうことがある、危険な魔物だ。

 それこそ、天職を授かって数年の少年少女では、逃げるしか選択肢がないはずの相手である。

 しかしゴブリンは、バジゴフィルメンテが振るった青銅剣に胴を打たれて、不意打ちに失敗した。


「ぎぎぎぃ!」


 ゴブリンは傷みに抗議するように後ろへと下がりながら、かなり深く斬られた腹部に手を当てている。

 魔物相手にこれほど大きく傷を与えるには、天職の力が必要不可欠。

 しかしラピザが見た限りでは、さきほどのバジゴフィルメンテの表情は、天職に身を預けた者が見せる無表情ではなく、口にした果物の酸っぱさで口をすぼめていた。

 つまりバジゴフィルメンテは、天職に体を預けずに、ゴブリンを傷つけたことになる。

 その事実は驚くべき事柄だったが、バジゴフィルメンテがゴブリンを見て放った次の言葉も衝撃的だった。


「まだまだ未熟だね。ゴブリンを胴体で輪切りできないなんて」


 バジゴフィルメンテは自分の失敗を反省する言葉を告げてから、ゴブリンに近づく。

 ゴブリンは、傷をつけられたことに怒り、再びバジゴフィルメンテに襲い掛かった。


「ぎぎゃいいいい!」


 飛び掛かるゴブリンに対し、バジゴフィルメンテは踏み込みながら剣を振るった。

 ゴブリンの首が両断され、頭が胴体から分離して上へと飛んだ。その頭の表情は、どうして視界が空中を飛んでいるものなのか分かっていない顔をしていた。

 断たれた首から血を流して煽れたゴブリンを見下ろして、バジゴフィルメンテは溜息を一つ。


「ゴブリンは食えるところも加工で利用できる部位もないから、美味しくないんだよな」


 バジゴフィルメンテはゴブリンの死体を破の中へと蹴り入れ、再び森の中を先に進み出した。

 その後に続きながら、ラピザはバジゴフィルメンテが天職に頼っていないことを実感していた。


「ねえ、バジゴフィルメンテ――」


 そう呼びかけたところで、バジゴフィルメンテはラピザに顔を向けた。


「僕は、サンテだ。そう呼んでって、言ったよ?」

「そうでしたね、冒険者サンテ。失念していました」


 バジゴフィルメンテは、冒険者登録を幼名のサンテで行った。

 そのためプルマフロタン辺境伯家のある地域の探索者たちは、バジゴフィルメンテのことを『サンテという名前の少年』だと認識している。

 この認識を崩さないように、バジゴフィルメンテはラピザに、屋敷の外に同行する際はサンテ呼びで統一するようにと約束させていた。


「改めて、サンテ。どうして天職に頼らず、魔物に傷を負わせることができているんですか?」


 至極真っ当な質問に、サンテは体験から得た持論を展開する。


「天職はその職業に見合った正しい動きを行い、その結果で魔物に傷を与えることができる。なら逆もできるんじゃない?」

「逆とは?」

「魔物に傷を与えるには、天職が動かすのと寸分違わない動きで攻撃すればいい、ってこと」


 理屈の上では合っていそうに聞こえるが、直感的には信じられない持論だった。


「その方法をバジゴ――サンテが試してみて、出来てしまったと?」

「僕の実力じゃ、天職の動きを完全再現はできてないよ。でも、そんな拙い剣振りでも、魔物に傷を負わせることに成功しているんだ」


 にわかに信じられないが、実際に先ほどゴブリンの胴体と首を斬っている。

 しかしラピザは理屈が合わないように感じていた。


「天職が体を動かして攻撃するときは、いわば神の力が体に宿った状態。だから魔物を傷つけることができる。それが一般的な考えです」

「だから自力行動だと、その神の力が発動してないはずだから、魔物を傷つけられられるはずがない。道理に合わないって言いたいわけだ」

「そうですよ。そこんところ、サンテはどう思っているんです?」

「理屈がどうであれ、魔物を倒せるんだからそれでいいじゃん――って答えじゃ納得できないわけね」


 バジゴフィルメンテは考える素振りを見せた後で、新たな持論を展開する。


「正しい動きには神の力が宿るってのはどうかな。もしくは、正しく動くと天職にある神の力が体に流れ込んでくるとか」

「誤作動で天職から力が流れてくる、って考えですか?」

「ご褒美的な感じだと思ってる。よく動けたから、ご褒美に神の力を預けましょう、みたいな」


 あまりにもバジゴフィルメンテに都合のいい考え方だが、実際に天職に頼らずに魔物を倒せている人物の発言なので、疑うこともできない。

 ラピザは消化不良を抱えた気分のまま、バジゴフィルメンテに連れられて森の中を歩いていく。

 虫や鳥の魔物をバジゴフィルメンテが剣で倒しつつ、目的の場所に到着。

 そこには、森の中に倒れた木があった。人間の胴体ほどの厚みのある幹で、葉が茶色に変色している倒木だ。

 その木の近くには、幹を斜めに斬り捨てられた根っこがある。

 誰がこの木を斬り倒せたかは、この場所に案内したのがバジゴフィルメンテな点を考えれば、自ずと明らか。


「こんな森に入り込んだ場所まで、薪を取りに来てたんですか」

「街の出入口に近い森の区域は、弱い子たちのための場所だからね。それに僕なら、ここぐらいまでの範囲なら危険はゼロだし、木の幹の厚みもあるから薪集めも楽だしね」


 バジゴフィルメンテは倒木に近寄ると、青銅剣を大上段に構える。

 そして切断面からバジゴフィルメンテの肩幅ぐらいの長さの場所を狙って、剣を振り下ろした。

 並みの人間が振るった剣なら、木の幹に剣の刃が食い込んで終わりだろう。

 しかしバジゴフィルメンテは、その剣技の冴えで、倒木から丸太を斬りだしてみせた。

 その後もバジゴフィルメンテは、剣を振るって丸太を三つに量産した。

 その三つの丸太を、背負子にしばりつけて固定すると、バジゴフィルメンテはそれを背負って立ち上がる。

 三つの丸太の総重量は、明らかに十一歳のバジゴフィルメンテの体重を超えていた。

 それにも拘らず、バジゴフィルメンテは涼しい顔で来た道を引き返していく。

 その足取りは確りしていて、危なっかしさは一つもない。

 それこそ、ラピザに今なら暗殺できるかもという邪な気持ちが湧かないぐらいに、完璧な歩き方をしていた。

 バジゴフィルメンテとラピザは森の中を歩き、道中で落ちている小枝を改修しつつ歩き続け、やがて屋敷の裏口に到着した。

 裏口の鍵を開けて中に入り、確り施錠し直してから、薪割り小屋へ。

 バジゴフィルメンテは持ってきた丸太を剣で割って薪にし、薪を薪棚へと納めていく。

 薪棚の薪は、屋敷の煮炊きや暖房に使うもの。毎日一定量は確実に減るため、こうして常に薪を補充し続けないと枯渇してしまう。


「バジゴフィルメンテ様が薪割り小屋に住む前は、どうやって薪を補充していたんでしょうね」

「屋敷の兵士が持ち回りで森に入っていたみたいだよ。危険な任務で薪集めの度に傷が絶えなかったみたい。弱い冒険者が通う場所を占領して、冒険者から苦情を言われたりもしていたみたいだよ」

「良く知ってますね。兵士が教えてくれたんですか?」

「いや、冒険者から聞いた。辺境伯家は当主も兵士もゴミカスって悪口と一緒にね」

「訂正しなかったんですか?」

「評価って人から与えられるものだよ。天職が神から与えられるもので自分で決められないように、他人の評価を関係者の言葉で変えようだなんて無理無理」


 バジゴフィルメンテの言い方は、まるで冒険者の評価が正当であるかのようだった。


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