40.待機中
王都に着いた。
ここでバジゴフィルメンテとラピザは、マーマリナたちと別れて街道を歩いて学園へ行くことになった。
そうなった理由は、マーマリナの侍女であるチッターチからの進言からだった。
「ここまでは、旅の行きずりと、バジゴフィルメンテ様を護衛とみなして、同道を許しておりました。しかしながら、王都に入ってしまえば、誰の目があると分かったものではありません。婚約が結ばれてない男女が同じ馬車に乗っているなど、醜聞となりかねません」
だから配慮しろと言われてしまえば、バジゴフィルメンテとラピザは従うしかなかった。
もっともバジゴフィルメンテは、言われてすぐに馬車を出ようとするぐらいに、あっさりと了承したのだが。
馬車から卸され、各自の荷物を持った、バジゴフィルメンテとラピザ。
二人は、王都に入るための列に並ぶことにした。
ラピザは長い列の先を見てから、こっそりとバジゴフィルメンテに耳打ちする。
「貴族には、別の空いている列があるようですが?」
事実、バジゴフィルメンテたちと別れた後で、マーマリナの馬車はその列から王都の中へと入っていった。
ラピザはそれに倣えば良いと教えたのだけど、バジゴフィルメンテは首を横に振る。
「マーマリナの馬車のお陰で、到着予定日がかなり前倒しになった。時間があるんだから、のんびり行こうよ」
地元では列が形成されることなどないからか、バジゴフィルメンテは興味深そうかつ面白さを感じている顔だ。
ラピザは、こういう顔をしているバジゴフィルメンテは頑固だと知っているので、気のすむようにさせることにした。
さて、ラピザは体の線が出る戦闘服姿の女性で、バジゴフィルメンテは革鎧と粗末な服を来た美少女顔。
そんな二人が列に並んでいると、良からぬ輩を呼び込むことに繋がることもある。
今回も、その例に漏れず、五人組の男連中が近づいてきた。
ラピザが良からぬ気配を感じて目を向けると、その五人組は冒険者らしい格好をしていた。
鋼鉄製の剣。薄い鉄板が革に貼られた上半身鎧。得物は剣、槍、弓、棍棒、短剣とまちまち。
ラピザの天職『暗殺者』の判断からすると、どの男も不意打ちの必要もなく一撃で殺せる他愛のない連中のようだ。
大した相手じゃないとわかったので、ラピザは列の前へと視線を戻した。
すると、その行動を見咎めたかのように、男たちが近寄ってきた。
「おい、そこの黒い服の女! 視線を逸らしたな!」
「目を逸らすってことは、隠したいことがある証拠だ。こっちに来い!」
「その隣のガキも仲間なら、一緒にだ」
同じ列に並んでいる人達は、男たちの狙いがラピザ達と分かるや、関わり合いたくないとばかりに二人から距離を取った。
その様子を見てから、ラピザがもう一度男たちの顔に目を向ける。
男たちは真面目腐った顔を作ってはいるものの、目つきと鼻の穴の膨らませ方で良からぬ想像をしていることが窺えた。
ラピザは、この男たちがどういう立場の連中かが分からず、従うべきか否かに迷う。
(天職『暗殺者』は、こういう状況でも、『殺す』以外の選択肢が出ないから困る)
穏便な手段がとれないからには、男たちに従うべきか。
ラピザが行動を決めかけたとき、横からバジゴフィルメンテが前に進み出ていた。
ラピザが声をかけようとするが、逆にバジゴフィルメンテから列に居ろと身振りがきた。
どうするつもりかと見ていると、バジゴフィルメンテは男たちに声をかけながら近づいていく。
「おじさんたち。僕らになんの用だい?」
十三歳の男の子らしい、変声期を終えて低くなり始めた声。
そのバジゴフィルメンテの声を聞いて、男たちの態度があからさまに変化した。
「ガキはガキでも、男かよ。じゃあ、いいわ。お前は列に戻っとけ」
「かー。何も知らねえ女二人かと思ったのによお」
勝手なことをいう連中に、さらにバジゴフィルメンテは近づいた。それこそ手や足を伸ばせば、相手に触れられるぐらいの距離まで。
その直後、男の一人が急に地面に転んだ。
「……は?」
転んだ男は、何が起きたかわからない顔で、きょとんとしている。
一方で他の四人は、転んだ男を指して笑いだす。
「あははははっ。なにやってんだ、お前」
「昨日の酒でも残ってんのかよ!」
「う、うるせえ」
転んだ男は、恥ずかしさからか、顔を赤くしながら立ち上がろうとする。
その直前、バジゴフィルメンテの体が少し動いていた。
すると転んだ男は、立ち上がろうとしたはずなのに、横にコロンと転がった。
「はへ? いや、そんな」
転んだ男は、その後も何度か立ち上がろうとするが、なぜか立ち上がれずにコロコロと転がってしまう。
その様子を、男の仲間たちは笑ってみていたが、転ぶ回数が三回を超えたあたりで心配顔に変わった。
「お、おい。本当に大丈夫なのか」
「手を貸してやるから、起き上がれよ」
仲間二人に抱え上げられて、転んでいた男はようやく立つことができた。
そんな仲間の変調を見たからか、男たちの顔には下種な企みを考える余裕が消えていた。
ここでさらに、バジゴフィルメンテの声が男たちにかけられた。
「辺境の魔物と戦って頭を怪我した人に、稀に起こる症状に似ているね。急に立てなくなって、いびきをかいて寝始めて、その翌朝には死んでいるやつに」
バジゴフィルメンテが語る内容に、嘘はない。
頭部に怪我を負った者が立てなくなって急死することは、辺境の冒険者に稀に起こる。
しかし、男が転び続けた理由はそうじゃないことを、ラピザは見抜いていた。
でも男たちにとってみれば、バジゴフィルメンテの言葉を信用するしかない状況だ。
「お、おい! 『治癒師』のところに連れて行くぞ!」
「ああ! 受けた任務中に発症した病気だから、補償内のはずだ!」
男たちは、転んで立てなかった男を引きずるようにしながら、王都の中へと走り入っていった。
どうやら何かしらの特権があるようで、列に並ぶ必要も、王都に入る審査も必要ないようだった。
その姿を見送ってから、バジゴフィルメンテが元の列に戻ってきた。
「バジゴフィルメンテ様。なにか、やりましたね?」
ラピザがそう尋ねると、バジゴフィルメンテは企みが成功した笑顔を返してきた。
「ちょっと魔力でね」
とバジゴフィルメンテが言った直後、ラピザの体を押すなにかの力を感じた。
それはほんの一瞬で、なにかの勘違いかと思えるほどの弱い力だった。
本来なら、大人をよろめかせることなどできないだろうが、ラピザはあの男が転がり続けた理由を悟った。
「立ち上がろうとする瞬間の重心を崩したんですね」
「体勢に合った力の入れ方をしないと、立てるものも立てなくなるからね」
「ちなみに、男が最初に転がったのは、同じ方法じゃありませんね?」
「良く気づいたね。最初のは、呼吸合わせって僕が呼んでいる、剣技の一つだよ」
バジゴフィルメンテはラピザと向かい合うと、目と目を合わせる。
一秒後、バジゴフィルメンテの体が少し動いたのを確認した瞬間、なぜかラピザの体が傾いだ。
体勢が傾いていることに気づいて体を戻したものの、ラピザはこれが『呼吸合わせ』なるものだと気づいた。
「な、なんですか、今の」
「相手に誤認を促す技術だよ。天職に身を任せることに慣れている人ほど、かかり易いんだ」
その端的な説明で、ラピザは理解した。
恐らくは、目を合わせた相手に対し、天職が発動したと誤認させる技術なのだと。
そんなことが、どうやれば出来るかは分からないものの、バジゴフィルメンテにはできるのだ。
また一段とバジゴフィルメンテの空恐ろしさが増したなと感じ、ラピザはバジゴフィルメンテの学園生活がまともに送れるのか心配になった。