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38.衝撃的

 マーマリナは機嫌が悪くなっていた。

 その理由は、町長のバジゴフィルメンテたちに対する態度が許せないからだった。

 正確に表すなら、神様が祝福した土地に入って以降の、学園への旅路の中で止まった町々の、その町長の態度がどれも同じことに、腹を立てていた。

 バジゴフィルメンテたちの格好を見て、マーマリナが護衛に雇った冒険者だと勘違する。

 ただそれだけならまだしも、冒険者ならとあからさまに下の扱いをして、むしろそんな扱いですら上等だという態度を隠さない。

 マーマリナは、辺境という魔境の魔物の脅威に晒される土地で生まれ育った。だから冒険者は辺境貴族と同じく魔物から土地と民を守る同胞だと認識している。

 その同胞を雑に扱う人達に、悪感情を抱くのは当然と言える。

 加えて腹立たしいのが、バジゴフィルメンテの様子だ。

 町長を始め、町の人達に雑に扱われたというのに、腹を立てた様子もなく平然としている。

 それどころか、面白い体験ができたと嬉しがっているほどだ。

 マーマリナは、バジゴフィルメンテが無理に受けた境遇を肯定しようとしているのかと疑ったが、バジゴフィルメンテの表情は本心から言っているもので、より混乱した。

 だから、馬車に同乗しての旅路の中で、ついマーマリナはバジゴフィルメンテに質問してしまった。


「どうして怒らないんですの。町の人達の態度は、度を超していたはずですわ」


 苦情が籠った言葉に、バジゴフィルメンテは目をパチパチとさせている。

 その姿は、マーマリナの発言に心当たりがないと語っているかのようだった。

 しかしバジゴフィルメンテは、何を指しての言葉なのかに、直ぐに思い至ったようだ。


「町の人達が冒険者に対して、あまり良い態度じゃないことの件だね」


 バジゴフィルメンテの言い方は、自分が受けた境遇ではなく、祝福された土地で暮らす冒険者の境遇全般を指すものだった。

 マーマリナは、微妙に聞きたかった話とは違うと思いながらも、バジゴフィルメンテの言葉の続きを待つことにした。

 バジゴフィルメンテは顎に手を当てて考える素振りをしてから、どうして町の人達の態度がああだったかを語り始める。


「一昨日泊まった町で、僕らは町付きの冒険者の家に泊めさせて貰ったんだけど。その際に、その冒険者から話を聞く機会があったんだ」

「どんな話ですの?」

「どうして町で、冒険者が嫌われ者なのかって話だね」


 マーマリナは興味が湧き、より聞き入れる態勢に。

 バジゴフィルメンテは、聞いた話を思い出すように上に視線を向ける。


「祝福された地で生まれ、戦闘向きの天職を受けた、その平民たちの針路は三つ」


 バジゴフィルメンテは右手の三本の指を伸ばして、マーマリナに提示した。


「辺境に旅立って冒険者になる。兵学校に入学して兵士や警邏になる。町付きの冒険者になる。この三つだそうだよ」

「進路に冒険者が二つありますわよ?」

「町の人の認識だと、辺境の冒険者と町付き冒険者は、別の針路なんだってさ。やることが違うからね」

「違うんですの?」

「辺境の冒険者は、僕らが良く知るように、魔物を相手に戦う。町付きの冒険者は、町の雑用や畑を荒らす害獣の駆除が仕事だそうだよ」

「害獣とは、どんなものですの?」


 言葉面からするに強そうだと、マーマリナは感じた。

 しかしバジゴフィルメンテは、それは思い違いだと否定してきた。


「角のない兎とか、魔法を使ってこない鹿とか、ネズミやモグラ――土の中にいる人の掌ぐらいの大人しい生き物とか、そんな手合いが相手だそうだよ」

「それは、とても弱そうですわね」

「そうだね。それこそ、冒険者じゃなくても、それこそ戦闘向きの天職でなくても、倒せてしまう獣に過ぎないんだ」


 バジゴフィルメンテは三つ掲げていた指を、一本だけ立てた状態に変更する。


「つまり町付きの冒険者っていうのは、町では雑用係として認識されているってわけだよ」


 冒険者は雑用係という認識だといっても、あの扱いは酷いんじゃないだろうか。

 マーマリナが、まだ納得できないでいると、バジゴフィルメンテの説明が続いた。


「それに加えて、町に残る選択をした冒険者っていうのは、町の人達からすると腰抜けに見えるらしいんだよね」

「腰抜けって、それはどうしてですの?」

「辺境に行って魔物と命がけで戦う度胸もなく、兵士や警邏になるために兵学校で訓練する気概もないから、町付きの冒険者っていう雑用だけの楽な仕事に逃げたんだ、っていう認識らしいよ」


 その説明に、マーマリナはようやく納得できる気持ちがした。

 辺境の魔物は驚異的で、それに怖気づく気持ちはわからなくはない。

 しかしその脅威から逃げてしまう人がいたとしたら、マーマリナもその人を腰抜けと評するに違いないからだ。


「でも実際に、町付きの冒険者の方たちって、腰抜けなんですの?」

「腰抜けかどうかはともかく、弱いのは確かだね。辺境だと角兎に殺されるぐらいの力量だね」


 角のある兎の魔物とは、辺境で子供の冒険者が傷を負わせられる筆頭の魔物ではある。

 しかし逆を返せば、子供でも用心すれば死ぬようなことは少ない――つまり大人の冒険者なら対応できて当たり前の魔物だ。

 だからバジゴフィルメンテが町付きの冒険者に下した評価は、子供以下の実力ということになる。


「それはまた――」


 と町付きの冒険者の弱さに驚いてから、マーマリナは聞きたかった話題はそうじゃないと思い出した。


「――町付きの冒険者の扱いがそうだからと、バジゴフィルメンテ様が受け入れる理由にはならないのではなくて?」


 マーマリナが扱いに対する再度の問いかけをすると、バジゴフィルメンテは心底不思議そうな顔を返してきた。


「雨風を凌げる建物と寝床、それに食事も貰えて、なにに不満を抱くんだい?」


 腹を立てる理由がわからないという態度に、マーマリナの方が腹立たしい気持ちになってきた。


「バジゴフィルメンテ様は、他者から侮られたんですのよ。それに対して、腹を立てるのは当然の感情ではなくて?」

「他人が僕にどんな感情を抱くのかを、僕が変えることなんて出来ないと思うけど?」

「侮辱には報復するのが、貴族の流儀ではなくて?」

「侮辱って、言葉が強すぎるでしょ。実害があったわけじゃないんだから、何かをする必要もないでしょ」


 川に一掴みの砂を投げ込むような手応えのなさに、マーマリナは苛立ちが募り始めた。

 しかしここで、バジゴフィルメンテの横に座っている、ラピザが手を挙げて会話の主導権を主張した。

 マーマリナが視線で発言を許すと、ラピザは呆れ顔でバジゴフィルメンテを見ながら言葉を口にする。


「こちらのバジゴフィルメンテ様は、基本的に剣術以外は、どうでも良いと思っている人物です。他者がバジゴフィルメンテ様にどのような感情を抱いていようと、些事と受け止められるのです」


 専属侍女からの忌憚ない評価に、バジゴフィルメンテは苦笑いする。


「僕のことを鈍感みたいに言わないでくれないかな。ちゃんと好意には好意で返すぐらいの常識はあるよ?」

「ですが、悪意に対しては、特に何かをする気もないですよね?」

「なんで僕のことを悪く思っている相手に、僕の時間をわざわざ使わないといけないのさ。その時間分、剣を振っていた方が有意義でしょ」


 バジゴフィルメンテが本心からだと分かる口調で言葉を放つと、ラピザは『ほらね』と得意げな顔になった。

 確かにバジゴフィルメンテは、ラピザが言うような『剣術馬鹿』の気があるらしい。

 しかしそれにしてもと、マーマリナは疑問を抱いた。

 バジゴフィルメンテの態度が、他人から好意を持たれようと、逆に悪意を持たれようと、どちらでもいいと思っていそうなものだったからだ。


「他者からの評価が、気になりませんの?」


 率直なマーマリナの問いかけに、バジゴフィルメンテは首を傾げる。


「人からの評価って、僕がやった行動を見て聞いた際に、その人が抱いた感情のことだよ。その人の感情はその人のもので、僕がどうこう出来るものじゃないんじゃない?」

「でも、ご自身の行動を変えて、他者からの評価を上げることはできますでしょう?」

「どうして僕が、他人の気分のために行動を変えないといけないのかな? 目的と行動が逆になってない?」

「逆、ですの?」

「他人からの評価が欲しいからって、自分がやりたいことをやらずに、その他人が評価するであろう行動をする。それって本当に、自分の本当の評価といえる? 自分がやりたいことをやって受ける評価こそが、本当の自分に下された評価ってものじゃない?」


 バジゴフィルメンテの言葉は、マーマリナに混乱を起こした。

 マーマリナが育った環境は、常に他者からの評価を気にする家族に囲まれてのものだった。

 コリノアレグル辺境伯家の成り立ち時点で、曾祖父が『大将軍』から勝手に独立した件で、プルマフロタン辺境伯家の寄子貴族に睨まれてしまった。更に、近年は海岸まで領土を広げたことで新たな辺境伯と任じられ、他家からのやっかみも多分に来るようになった。

 そうした批判ばかりの境遇を脱却しようと、マーマリナの家族たちは、コリノアレグル辺境伯家の評価を変えようと躍起になっている。

 それこそ、マーマリナを早い時期に学園に向かわせることで、少しでも早く新入生や在校生である貴族の子息子女と友人関係を結ばせようと画策したほどに。

 つまるところ、マーマリナが家族から教わった教育の中核とは、他者から良い評価を受けるよう努力することである。

 だからこそ、その中核部分と相反するような、バジゴフィルメンテの考え方に、マーマリナは混乱した。


「そ、そんな評価への考え方、思い浮かんだことすらありませんわ」


 マーマリナの衝撃具合について、バジゴフィルメンテは理解しているのか居ないのか不明な微笑と共に言葉を続けてくる。


「評価を気にして生きるなんて、そんな他人のために生きるような人生、つまらなくない? どうせ一度しかない人生なんだから、自分自身が思った通りの行動をとったら良いと思わない?」

「……もし自分が思い描いた通りの行動をして、全ての人に嫌われる結果になっても、バジゴフィルメンテ様は後悔しないと言い切れるんですの?」


 否定してくれと願っての、マーマリナの問いかけ。

 それに対してバジゴフィルメンテは、あっさりと頷きを返してきた。


「後悔しない。僕が僕の意思だけで決めた、その行動の結果ならね」


 衝撃的な宣言に、マーマリナは自分の常識が崩れる音が聞こえた気がした。

 マーマリナが衝撃から二の句が継げない状態になっていると、ラピザが溜息交じりに言葉を出した。


「流石は、神が与えた天職『剣聖』が伝える体の動きを『好みじゃないから』と歯向かい。その結果、親から不適職者の烙印を押された。そんなバジゴフィルメンテ様だけありますね。肝が座り過ぎてます」

「酷い言い方だなぁ。『剣聖』に従わないのも、他人の評価を気にする行動をとらないのも、自分の体を自分の意思で動かすって言っているだけのことじゃないか」


 バジゴフィルメンテとラピザが気安い感じの会話の応酬を、マーマリナは耳には聞こえても頭で理解することができない。

 なぜならマーマリナは、十三年の人生で築き上げてきた常識の根底を揺るがされため、自分の外を気にする余裕がなくなっていたからだ。

 いまのマーマリナは、図らずしもバジゴフィルメンテが伝えたように、他者の評価を気にせずに、自分自身だけについて考える状態になっていた。

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