2.天職
バジゴフィルメンテ・サンテ・プルマフロタンは薪割りを終えていく、割った薪を小屋の近くの薪棚に納めていく。
その姿を、暗殺者メイドのラピザが眺めていた。
ラピザは、ただバジゴフィルメンテの働きぶりを見ていたわけじゃない。
バジゴフィルメンテの体の動かし方を見て、動きの癖を掴み、その癖を利用して暗殺を優位に働こうと考えていた。
しかしラピザが見る限り、バジゴフィルメンテの動きは、十一歳という若さに似合わないほどに完成されていた。
普通の人間は、動作を一つ終えると、次の動作までの間に少しの間ができるもの。運動が苦手な者だと、より顕著に動作と動作の間に時間があり、動作と動作の繋がらず一連の運動がチグハグになってしまうもの。
しかしバジゴフィルメンテの場合、動作と動作の間がないかのように、とても滑らかに体を動かしている。
その滑らかさは、手の内から滑り落ちる絹布を思い起こさせるほど。
(こんな動きができる人が、本当に不適職者なのか?)
ラピザは、バジゴフィルメンテの天職の儀以降、何度も浮かんできた考えを再び抱いた。
そこでラピザは、バジゴフィルメンテとは料理のお裾分けを貰える関係性なことを利用して、バジゴフィルメンテ本人に直接確かめることに決めた。
「あのお。バジゴフィルメンテ様って、本当に不適職者なんですか?」
直球な質問に、バジゴフィルメンテの薪を収納する手つきが止まった。
しかし、一度と待った動きは、すぐに再開された。
バジゴフィルメンテは作業を続けながら、返答する。
「不適職者か否か。世間一般で考えらえる不適職者という存在ではあるかな」
まるで、世間とバジゴフィルメンテが考える不適職者は違っているような物言いだった。
「不適職者は、不適職者じゃないんです?」
「うーん。説明するのが難しいんだよねえ」
バジゴフィルメンテは、ちょっと待ってと身振りすると、詳しい説明の前に薪の収納を先に終わらせた。
パンパンと手についた木くずを払ってから、バジゴフィルメンテは改めてラピザに向き直った。
「まず、不適職者じゃない――適職者は、どうして天職に適していると判断できるのか。それは分かる?」
前提を尋ねる質問に、ラピザは当たり前の認識を返答する。
「天職が体を動かしてくれるんですよ」
そうラピザは答えるが、バジゴフィルメンテが欲しかった答えとは違っていたようだ。
「うーん。ねえ、もっと詳しく言ってみて」
「詳しくって。そうですねえ……。天職を貰うと、その天職が体の動き方を教えてくれるんです。その動き方に体を任せれば、その天職に見合った動きになる。こんな感じの説明でどうです?」
今度の答えに、バジゴフィルメンテは満足した。
「そう。天職が剣士なら最適な剣の動きを、槍士なら最適な槍の動きを、体を操ることで教えてくれる。だから、一流の人は天職に完全に身を任せられる人ってことになってる」
「王宮勤めの使用人の採用基準は、就業時間中は常に天職に身を預けられることが第一条件って話もあるぐらいですし」
「おお! 良く知っているね、王宮使用人の採用条件なんて」
「こちらに雇ってもらう前に、王宮の方で採用されないかと考えて、調べたんですよ。ま、無理だとわかって諦めましたけど」
嘘と本当を混ぜた返答をしてから、ラピザは不適職者の説明の続きを身振りで促した。
バジゴフィルメンテは、話の流れを元に戻すため、咳払いを一つした。
「こほん。つまり不適職者とは、世間一般では神が授けた天職と人の肉体が合っていないことで現れるとされているけど、実際は天職が教える体の動きに逆らってしまう者のことだと考えられるわけさ」
ラピザは説明に納得はしたけれども、両者の差が分からなかった。
「結局のところ、天職を活かせない人ってことに変わりなくないですか?」
「天職を活かせなきゃ、仕事もできないし、魔物も殺せないって言いたいのかな?」
ラピザが頷くと、バジゴフィルメンテはラピザを指で示した。
「ラピザの天職は戦闘向きでしょ。でも、メイドをやっているじゃないか。それだけで、仕事ができないわけじゃないって証明ができるでしょ?」
唐突の暴露に、ラピザの態度が硬化する。
「どうして、ワタシの天職が戦闘向きのものだと?」
「それこそ、天職に身を任せられる適職者だからだね。屋敷に勤める、メイド向きの天職の人の動きと、ラピザの動きは全く違う。そしてラピザの動きは、冒険者にいる斥候に似通っている。だから、戦闘向きの職だろうってわかったのさ」
つまり、ラピザがバジゴフィルメンテの行動を観察していたように、バジゴフィルメンテもラピザの体の動かし方を観察していたということ。
そしてラピザが戦闘職だとバレてしまっては、メイドを装ってバジゴフィルメンテの不意を打って暗殺する方法は取れないということを意味していた。
ここでラピザは、人に殺害を知られない暗殺を諦め、この場でバジゴフィルメンテを殺すことにした。
いまバジゴフィルメンテは、薪割りを終えて、剣を鞘に戻している。
強襲すれば、不意を打てるはず。
ラピザはそう決断すると、即座に自分の体を天職『暗殺者』に任せた。
『暗殺者』は即座にラピザの肉体を掌握すると、標的であるバジゴフィルメンテへと襲い掛かった。
布擦れ音一つなく飛び掛かりつつ、太腿に括りつけていた短剣を抜き放ち、バジゴフィルメンテの喉に刃を突きたてようとする。
その次の瞬間、ラピザの視界が急に回転した。
バジゴフィルメンテ、小屋、薪棚、地面、空と、目に映る景色が高速で切り替わる。
そして背中を強く叩かれて、ラピザは一瞬窒息した。
「がは――」
背中の下に土と草の感触があることで、ラピザはバジゴフィルメンテに投げられたのだと理解することができた。
ここラピザは、再び天職に身を任せる。
ラピザの体が『暗殺者』に操られ、起き上がりながらバジゴフィルメンテに再び襲い掛かろうとして――背中に走った傷みで、ラピザの体は『暗殺者』がやろうとした動きについていけず、身を任せることに失敗した。
「うわっ」
と悲鳴をあげて、ラピザはつんのめって地面に倒れ込んだ。
その姿を見て、バジゴフィルメンテから嬉しそうな声がやってきた。
「天職に体を預けられなくなったね。つまりこれでラピザも、不適職者の仲間入りだね」
「そ、そんな馬鹿な話がありますか。これは体の傷みによる失敗で」
「そうだね。問題はそこなんだよ。どうして『体の痛みごとき』で、天職は動きを失敗したのかな?」
急な話の転換に、ラピザは話についていけなかった。
「天職が、失敗? 何を言っているんです?」
「変に思わない? 天職が最適な動きをするのなら、さっきラピザの体を動かすときは『背中が痛い人』に適した動きじゃなきゃいけないでしょ。でも、そうじゃなかった。体のどこも痛くない健常者の動きをしようとして、結果的に傷みで動くことを失敗した。これで、最適な動きって言えるのかな?」
バジゴフィルメンテの説明は、的を得ている部分もあることは認められるが、言いがかりのようにも聞こえる。
少なくともラピザは、言いがかりだと感じた。
「動きに失敗したのは、ワタシの所為で、天職の行いではないですよ」
「そうかな? では、ラピザに分かるように、実験してあげよう」
バジゴフィルメンテは、地面に転がったままのラピザの手を掴んで引っ張り起こすと、薪棚から薪を二本取り出した。
その後で、ラピザに自分の青銅剣を握らせた。
「これは?」
さきほど命を狙った人間に唯一の武器を渡してきたことに、ラピザは驚きを含んだ胡乱な目をバジゴフィルメンテに向ける。
しかしバジゴフィルメンテは、実験に必要だからと、笑って流した。
「その剣で、俺が投げる薪を斬ってみて。もちろん、天職に身を預けた状態でね」
「この剣を使って、貴方を殺そうとしてくるとは考えないので?」
「さっき不意打ちで襲い掛かったのに、容易く投げられてしまった人を相手で?」
バジゴフィルメンテから笑顔で返答され、ラピザは自尊心が傷ついた。
その傷を癒すためにもと、今度は確実に殺そうと決めた。
ラピザは背中の痛みが引いていることを確認し、三度天職に体を任せた。
ラピザの体が自然と動き、青銅剣を手にバジゴフィルメンテへ駆け出し――顔へと一直線に一本の薪が飛んできていた。
『暗殺者』が操るラピザの体は素早く動き、薪を青銅剣で両断した。
その後で、再びバジゴフィルメンテに襲い掛かろうとしたが、そのときにはまた目の景色がぐるっと回転し、背中に痛みを感じていた。
「ぐば――い、いつの間に、近くに」
「投げた薪を、ラピザが斬り捨てた瞬間に、すっと近づいたんだよ」
バジゴフィルメンテは、仰向けに寝転がるラピザに笑いかけると、先ほど青銅剣で斬られた薪を拾った。
そしてその断面を、ラピザに見せた。
「ダメじゃないか、ラピザ。これは薪だよ。こんな断面が斜めになるような斬り方じゃ、薪に適さないじゃないか。縦に割りやすいように、真っ直ぐに投げてあげたのにさ」
「薪の断面の形なんて、どうでも」
「そうだなあ。また同じことをやってあげるから、今度は縦に二つにしてよ。もしできたら、無抵抗で一回斬られてあげるからさ」
バジゴフィルメンテが出してきた条件に、ラピザが目を丸くする。
「本当に斬られてくれるんですか?」
「天職に身を任せたうえで、条件達成できたらね」
ほらほらと、バジゴフィルメンテはラピザを引き起こして、元の位置に立たせた。
ラピザは、バジゴフィルメンテの発言が本気か否かが気になった。しかし、この殺害できるかもしれない好条件に飛びつくしか、オブセイオンの命令を果たすことはできないと悟ってもいた。
ラピザはまた天職に身を任せ、『暗殺者』がラピザの体を操り始める。
その瞬間を狙いすましたように、バジゴフィルメンテから薪が一本、一直線に飛んできた。
この瞬間のラピザの意識は、薪を縦に真っ二つにする気でいたし、天職も『暗殺者』なのだから標的を殺せる機会を逃すような真似はしないと信じていた。
しかし現実は、先ほどと同じく、青銅剣で薪を斜めに切り払う行動をとった。
ラピザは『暗殺者』の動きに愕然とし、その心の動きから天職に身を任せることに失敗した。
その瞬間にラピザは、即座にバジゴフィルメンテに願い出ていた。
「もう一回! もう一回お願いします! 今度こそ、縦に二つにしますから!」
「いいよ。やってみよう」
バジゴフィルメンテは薪棚から、新たに薪を四つ出してきた。
その薪の数を見れば、バジゴフィルメンテはラピザが行動に失敗すると確信していると分かる。
事実ラピザは、天職に身を任せて薪を斬ることを四度行い、その四回とも失敗した。
どれも斜めに斬られた薪六本――二つに切られたので現在は十二本になっている――を見て項垂れた。
バジゴフィルメンテが約束を守るかどうかは不明ではあったものの、殺せるかもしれないチャンスを六回も不意にしたことには変わりない。
(天職『暗殺者』が、この薪を縦に切り分けることができていれば。どうして縦に切ってはくれなかったのか)
このとき、ラピザの心に天職に対する不信感が生まれた。
その心の動きを、バジゴフィルメンテは見抜いたように発言し始めた。
「皆は勘違いしているけど、天職に体を任せたときの動きは、最適ではあるけど最良ではないんだよ」
「最適? 最良?」
バジゴフィルメンテは、分かたれた薪を一組拾った。
「さっきラピザに薪を投げつけたでしょ。その薪を切り払ってから標的を襲おうとするのなら、こんな風に薪を斜めに斬る方が一番無駄がなくて最適なんだよ」
その説明は間違いないと、ラピザは理解していた。
『暗殺者』に任せた体の動き――薪を斬ってからバジゴフィルメンテへ襲い掛かるまでの動きは、一切の淀みがなかった。
「でも、ラピザの目的を果たすためには、最良の動きじゃなかった。この薪が縦に真っ二つに出来ていたら一撃食らうと約束したのに、それが叶わなかったんだから」
「動きは最適でも、目的を叶える最良ではなかったわけですか?」
ラピザの念押し確認に、バジゴフィルメンテはラピザの手から青銅剣を取りつつ大きく頷いた。
「天職はその職に見合った、そのときそのときの動きを実演してくれる。けれど、本人の目的に見合った動きをしてくれるわけじゃない。これが結論だ」
鞘に納めた剣のカチッという音が、判決を決着させる裁判官のハンマーのように響いた。
ここで更に、バジゴフィルメンテは両手で柏手を一つ打った。
「さて、ここで新たな疑問だよ。天職の動きと目的を叶えるための動き。その両者に齟齬があった場合、どうしたらいいんだろう?」
「それは――そうだ。天職の動きを、目的に沿うように動かそうとすれば」
「そう考えて天職の動きに逆らった体の動かし方をすると、天職の儀で僕がやっちゃったみたいに、剣を取り落としたりすっぽ抜けたりするとしても?」
バジゴフィルメンテの説明に、ラピザは腑に落ちる思いをした。
「天職を授けられた直後に、天職に体を預けることができたんですか?」
「剣との対話に比べれば、容易いことだったよ?」
ラピザはここで、バジゴフィルメンテが天職の儀の前まで剣の天才と呼ばれていたことを思い出した。
「それで、天職の体の動かし方に、最初から反抗したわけですか」
「反抗というか、体の動かし方に納得がいかなかったんだよ」
バジゴフィルメンテは、ラピザから少し離れると、腰の鞘から剣を抜きざまに斬り上げ、そして踏み込みながら切り返しての斬り下ろしを見せた。
その動きは流麗で、剣が描いた軌跡は美麗で、そして剣の軌道の中に獲物が居れば絶命間違いなしという印象を与える攻撃だった。
それこそ、ラピザが思わず拍手を送ってしまうほどだった。
バジゴフィルメンテは、拍手での賞賛に照れ笑いを返すと、鞘に剣を収めた。
「今の演武を、僕は天職の儀の後にやろうとしたんだ。もちろん、一年半前のときの技量だから、今より拙い剣振りになったとは思うけどね」
「それを失敗したのだと?」
「失敗というか――まあいいや。今度は天職に任せて、剣を振らせてみるね」
バジゴフィルメンテは目を閉じると、目を閉じた状態のまま体が動き出す。
その動きは、先ほどバジゴフィルメンテが見せたものより、更に滑らかな動きだった。
それこそ、川を流れる水のような、とても自然に見える動きだった。
この動きの前では、現在のバジゴフィルメンテの技量ですら半人前の誹りは免れないだろう。
しかしバジゴフィルメンテの天職――『剣聖』の動きは見事だったものの、動作はバジゴフィルメンテが先ほど披露したものと少し違っていた。
剣を鞘から静かに抜き、下段に構える。下段に構えた後で振り上げて斬り、即座に振り下ろして斬る。
鞘から抜き放った攻撃ではないし、剣の振り下げに踏み込みがない。
それに――
「――迫力がない?」
『剣聖』の動きは完璧に見えたが、剣が描く軌道の中に標的がいても両断が可能な力の込め方には、ラピザには見えなかった。
その評価に、バジゴフィルメンテは『それだ』と指を突き付けて指摘する。
「いまの『剣聖』の動きは、体に動作を教え込むための、素振りの動きなんだ。僕が最初に実演したのは、想像上の敵を斬り捨てる動きで、違うんだよ」
「素振りには最適でも、架空の敵を斬るための最良の動きではない。そして天職は、架空の敵を斬るという行動はできない、ということですね」
「そういうこと。それと標的がいてもね」
バジゴフィルメンテは、地面に転がっていた薪を足で空中に蹴り上げる。
バジゴフィルメンテが目をつぶり『剣聖』に身を任せると、鞘走りの一撃で一瞬にして薪が斜めに両断された。
「といった感じで、ラピザもやっちゃったみたいに、薪を狙って縦に斬ることすらできない。本当、天職って『使えない』んだよね」
神が授けた能力をこき下ろす言葉に、ラピザは目を丸くする。
ラピザが絶句している間にも、バジゴフィルメンテの独白は止まらない。
「あと、自分の体の動きを預けるっていう点も気に入らない。僕の体は僕のものだ。神がくれた能力だろうと、操っていいわけがない」
バジゴフィルメンテは忌々しそうにいいながら、地面に転がる別の薪を蹴り上げると、天職に反抗するように下から上へと縦に真っ二つにしてみせた。