37.宿泊
神によって祝福された土地。その端にある、農地に囲まれた町。
ここには、宿屋というものがない。
それもそうだろう。
この町に来るような人は主に、徴税人か辺境に向かう冒険者ぐらい。
徴税人は町長が歓待するし、素性不確かな冒険者は町に滞在させたくないため、宿屋が必要ないのだ。
そんな町に、マーマリナ・プルプラ・コリノアレグルという、コリノアレグル辺境伯家の子女がクルティボロテ学園に向かう途上で訪れた。
新進気鋭な辺境伯のお嬢様とあっては、町長が歓待しないはずがなかった。
町長は、マーマリナとその侍女に対しては下に置かない対応をし、護衛兵たちにも十分な料理と温かい寝床を用意した。
「そして、同乗していた冒険者二人の対応は家畜小屋の寝藁が妥当、っていうことみたいですね」
そう呟くラピザがいるのは、牛舎の一画。牛の獣臭さと糞尿の臭いを感じる、そんな場所だ。
ラピザはあまりの臭いと、町長の対応の差を思い出して、腹立たしさが湧きあがってくる。
しかし、同じ空間にいるバジゴフィルメンテは、落ち着くようにと身振りしてきた。
「マーマリナたちと会わずに、冒険者の格好で移動していれば、このぐらいの対応すらされてなかったはずなんでしょ。なら、家畜小屋といえども寝床があるなら、上出来と言えるでしょ」
ラピザは、プルマフロタン辺境伯家に雇われてその屋敷に向かう旅路で、新米冒険者を装って移動した。
そのときは、辺境地域に入るまでの色々な場所で、今回よりも酷い扱いを受けたことがあった。
そういった情報を、学園への移動を始める前に、ラピザ自身がバジゴフィルメンテに伝えて、覚悟するようにとも告げていた。
だからバジゴフィルメンテが言うことは最もではあるのだけれども、ラピザは納得しきることは出来なかった。
「バジゴフィルメンテ様が、プルマフロタン辺境伯家の子であると名乗れば、違った対応をされたでしょうに」
「それはどうかな。世間では、バジゴフィルメンテ家とコリノアレグル家は仲が悪いとされているんでしょ。その両家の子供が仲良く馬車に乗っているだなんて、信じないと思うよ」
「そんなことはないと思いますが?」
「絶対に信じてないよ。だってマーマリナの性格からしたら、僕らが別れた後に、きっと町長に伝えているはずだからね」
つまりマーマリナがバジゴフィルメンテの事を伝えても、町長はマーマリナの勘違いかバジゴフィルメンテが嘘をついていると判断した。
家畜小屋の寝藁を整えて寝床を作り終わっても、町長ないしはその家族が呼びに来ないということは、バジゴフィルメンテの予想が正しいという証拠だろう。
「それで、この状況は、バジゴフィルメンテの思惑通りなのですよね。町人に歓迎されたりすると、剣の鍛錬を積む時間が削られるからと」
「実際、僕らの行動を見咎める人は居ないからね。存分に剣の稽古に集中できるよ」
バジゴフィルメンテは、腰から青銅剣を抜き放つと、正面に構えたまま静止した。
その姿のまま、ずーっと動かない。
ラピザは寝藁に座りながら、バジゴフィルメンテの様子をじっと見る。
しかし、なにも変化のない光景が続いたため、ラピザは暇つぶしがてらにバジゴフィルメンテに声をかける。
「剣技は双剣状態も含めて十分に修めたので、次は魔法に着手しているんですよね。手応えのほどは、どうなんです?」
「『剣聖』には、火や水を出すような魔法剣の技術は含まれないみたいだね」
「『斧術師』と違って、『剣聖』は魔法を扱えないことが分かったわけですね」
ラピザは、それはそうだろうと納得していた。
天職の名前の中に『術』や『魔法』関係の文言が入っていないのなら、魔法が使えるようにならないのは、この世界の常識だからだ。
しかし同時に、ラピザは理解していた。
バジゴフィルメンテが『常識』程度で立ち止まるような、聞き分けの良い人じゃないことも。
その理解の通りに、バジゴフィルメンテは新たな情報を教えてきた。
「魔法自体は使えないようだけど、その一歩手前のような技術はあるみたいなんだよね」
手前の魔法とはと、ラピザは首を傾げる。
すると、どういう物かを示すように、バジゴフィルメンテは握っている剣のに現象を出現させた。
青銅剣の剣身が薄っすらと輝き、小屋の中を少しだけ照らし出す。
「それが、魔法の一歩手前ですか?」
「魔法になる元を、剣身に纏わせるようだね。魔法を使うための力だから――魔力剣って感じかな」
「へー。それで、それは少し明るい以外に、何の役に立つんです?」
「そうだなあ。ちょっと試しに、寝藁を何本か投げてみて」
そう求められて、ラピザは寝藁を一掴み引き抜くと、バジゴフィルメンテに向かって投げた。
寝藁は軽いため、バジゴフィルメンテには届かず、その直前で勢いを失くして空中に漂うような形になる。
その瞬間を狙いすましたように、バジゴフィルメンテの剣が藁へと向かう。
剣が描く軌道が、剣身の輝きによって残像となって、ラピザの目に映る。
まるで空中に文字を一筆で書くような滑らかな軌道で、バジゴフィルメンテの剣が素早く四度翻り、藁をバラバラに切り刻んだ。
その早業に、ラピザは拍手を送った。
「お見事。で、魔力剣とやらで、切ってみた感想はどうです?」
「切れ味が増して、剣を振るった際に感じる剣身のしなりも少ない――剣が壊れにくくなった、って感触だね」
「それは、なかなか有用な効果ですね」
剣の役割は、刃で敵を斬ることと、剣身で相手の攻撃を防御すること。
そのどちらにも効果があるからには、魔力剣はとても有用な技能だと言えた。
しかしバジゴフィルメンテの表情は、浮かないものだった。
「正直、硬い相手を斬る以外には、要らない技能だね。というか、魔力を纏わせるのも、刃だけでいいし」
バジゴフィルメンテが言うやいなや、剣身全体に渡って薄っすらと輝いていたのが、すぐに剣の刃の部分だけ薄く輝くように変わった。
それを見て、ラピザは疑問を抱いた。
「刃だけ光らせる方法は、『剣聖』の方法ですか?」
「いいや。『剣聖』は剣身全体を光らせるしかできないみたいだよ。魔力剣は純粋な剣技じゃなくて魔法の一部だから、専門外だからだろうね、きっと」
「つまり、魔力剣を学んだ直ぐ後に、応用をご自分で考え出したと?」
「そんなに言うほど凄い技術じゃないよ、これは。ただ単に、光らせる場所を限定したってだけなんだから」
バジゴフィルメンテは苦笑いと共に、なんてことのない口調で語った。
しかしラピザは、そんなわけないだろう、という気持ちになる。
そも、術付きの戦闘職なら火や水や風を武器に纏わせることが出来るとは知っていたが、魔力を剣に纏わせるだなんて話を聞いたことすらない。
つまりバジゴフィルメンテも、魔力剣を実践したのは今日が初めてのはず。
初めての体験にも拘らず、即座に応用を思いついて実現させるなんて、普通は出来るはずがない。
「やっぱり、バジゴフィルメンテ様って剣に関しては天才ですよね」
「なんで急にその評価になったか気になるけど――言っておくけど、魔力剣は魔法を使うための前段階だからね」
「えっ。魔力剣が前座なんですか?」
ラピザが驚きの声を上げると、バジゴフィルメンテは呆れ顔を返してきた。
「そりゃそうでしょ。僕は魔法を使えるようになりたくて、魔力剣を使えるようになりたかったわけじゃないんだから」
「でも見るからに、魔法と魔力剣は別物ですが?」
「でも魔力は魔法の元ではありそうだからね。元があるなら、どうにかすれば、火や水を出せるようになるかもしれない」
「そんなの、薪があるのなら焚火ができると言っているようなものですよ。火の熾し方を知らなければ、薪に火がついたりしません」
「なるほど、確かに。でも僕は、ハッチェマヒオが魔法を使う姿を間近で見た経験がある。つまり火の熾し方を目にしたことがある。なら、それを再現すればいい」
なかなかの暴論に、ラピザは頭痛がする思いを抱く。
「やりかたを見ただけで実現できたら、学ぶ苦労なんてないでしょうに」
「いや、誰だってできるでしょ。実際に目にしたんだから」
ラピザもバジゴフィルメンテも、お互いがお互いの常識を語る口調だった。
ラピザが語ったのは、世間一般の常識だ。
それは逆を返せば、バジゴフィルメンテにとっては、目にした人の行動を再現することは、常識のように容易い事だということ。
「まさか、既に魔法が使えるようになったとか、言いませんよね?」
「それこそ、まさかだよ。僕だって、練習なくして、魔法が使えるようになったりしないって」
「……つまりは、練習すれば魔法が使えるようになる。その道筋が見えている。そういうわけですね?」
「もちろん。お手本は見た。魔法の元を操る術は手にある。なら、あとは練習を熟せば実現できるよ」
見栄や嘘のない、心底からそう思っているという、バジゴフィルメンテの口調。
ラピザは改めて、バジゴフィルメンテの天才性に対して、畏怖の感情を抱いた。
その感情を誤魔化すための冗談を口にしようとして、その直前で止めた。
なぜなら、この小屋に近づく誰かの気配を感じ取ったからだ。
それはバジゴフィルメンテも同じようで、抜いていた剣を腰の鞘に戻し、小屋の出入口の方へと視線を向けている。
二人が見ていると、小屋の出入口に人影が現れた。
ラピザは、その人影が町長の奥さんであると見て分かった。
その町長の奥さんは、手に持っていた鍋を小屋の出入口の地面に置き、ラピザたちへと声をかけてきた。
「お嬢さんに感謝しなさいな。お前らのような穀潰しにも、晩飯を恵んでやってくれと、そう仰られたんだからね」
それだけ言うと、町長の奥さんは来た道を引き返していった。
彼女が遠くまで去ったことを音で確認してから、ラピザは小屋の出入口に置かれた鍋を取りに行った。
鍋の中にあったのは、野菜の端や皮が煮込まれた塩スープ。それにカチカチに乾燥したパンを突っ込んであった。
「歓待に使った食材のあまりをぶち込んで煮込んだだけ、という感じですね」
ラピザはため息交じりに料理の見た目への感想を呟きつつ、スープの匂いを確認する。
傷んだ物が入っているような感じはなく、毒物が混ざっているような感覚も『暗殺者』の判断ではなさそうだった。
「食べられるもののようです。どうします?」
残飯処理に近い内容のスープだ。
貴族の子息でなくとも、こんな扱いをされた意趣返しに、スープの入った鍋をひっくり返すぐらいやっても許されるだろう。
けれどバジゴフィルメンテは、既に荷物から木の椀とスプーンを取り出して、食べる体勢に入っていた。
「ほら、早く食べよう。ちょうどお腹が空いていたんだよね」
「……はぁ。よく食べる気になりますね」
「小屋の臭さについて言っているんなら、もう慣れたよ」
臭いのことじゃないんだけどと思いつつ、常識が人と違ってそうなバジゴフィルメンテだしと、ラピザは納得することにした。