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34.移動中

 マーマリナ・プルプラ・コリノアレグルは、つい二十年ほど前に辺境伯に任じられた、コリノアレグル辺境伯家の三女。

 十三歳の誕生日を一月前に迎え、いまはクルティボロテ学園へ入学するため、馬車で移動中である。

 身長高めながらも痩せ型で胸の起伏もないい肢体を、広い裾の一部に太腿まで切れ目が入った赤いドレスで包みながら、物憂げな目を馬車の外の景色へと向けている。

 その目に映る外の景色は、マーマリナが暮らしていた、魔境を開拓して広げた、開墾が間に合っていない荒地ではない。

 神が人のためにと祝福でもって安全と豊穣を約束した土地――実り豊かな畑が並ぶ光景だ。

 とても綺麗に作物が茂り、生命の息吹を感じさせる光景。

 それを見ても、マーマリナの目は輝かない。


「はぁ、憂鬱ですわ」


 自分の短髪の赤髪を弄りながら、とうとう口にまで出してしまう。

 それを聞いて、マーマリナの対面に座る侍女――チッターチは苦笑いを浮かべた。


「戦闘職を授けられた貴族子息子女は、学園に入ることが決まりでございますよ」

「その学園に通うことが無駄ですわ。どうせ卒業したところで、実家に戻って領地開拓の任を引き受けるしか未来がないのですわ」

「それが嫌なのですか?」

「違いますわよ。どうせやることが同じなら、学園で学ぶ三年の時間を、領地開拓に費やした方が建設的だと思っているんですわ」

「それでもお嬢様は、こうして馬車に乗っているでしょう。しかも、口調も以前のものから矯正なされて」


 チッターチの事実の列挙に、マーマリナは眉を寄せつつ生来のツリ目で睨む。


「半ば無理やりに、ですわよ。冒険者口調では辺境伯の子女として恥ずかしいからと、お母さまに一年がかりで。お陰で、冒険者の知り合いに、大笑いされましわ。似合わないって」

「お嬢様は、お転婆姫と評判な方でしたからね。特に『蹴拳士』の天職を授けられて以降は特に」

「素手素足で殴る蹴るしか脳がないと囀った方々に、吠え面をかかせてやるための行動でしたわ! というか、実際に吠え面かかせてやりましたわよ! この拳と脚で!」

「お嬢様。口調が乱れつつあります。もっとお淑やかに」


 指摘を受けて、マーマリナは一度口を噤んでから喋り直す。


「わたくしの手と足でもって、侮ってくださった方々に、目にものを見せてやりましたわ」 


 チッターチがそれでいいと頷いたのを見て、マーマリナは会話を続けていく。


「周囲を見返し、わたくしの実力を認めさせ、さあこれからというところで、学園で三年暮らさなければいけないのですわよ。その三年で、わたくしへの領地での評価は元通りになってしまいますわよ!」

「いやあ、それはどうでしょう。お嬢様の活躍は語り草ですからね。三年経っても、冒険者間の酒の肴として評判が残っていると思いますよ」

「そういう評判の残り方はしたくありませんわよ!」


 そう憤ってみせた後で、マーマリナの顔に憂鬱さが戻った。


「それに、入学式の日よりかなり前に王都に入って、他の貴族子息子女と率先して顔繋ぎしないといけないだなんて、気鬱ですわ」

「様々な冒険者の方々と仲良しなお嬢様に、ピッタリな役割では?」

「それ、我が家の評判を知っての物言いですの?」

「新たな海を手に入れた貴族。次代を担う新辺境伯と、評判になってますね」

「その前に、恩義のある寄り親から手前勝手に独立した恩知らずの家、冒険者を使い潰して海まで領地を広げた血みどろ辺境伯、というものが抜けてますわよ」


 自分の生家を悪く言うマーマリナに、チッターチが咎める視線を向ける。 


「それは事実とは異なることを、お嬢様はよくご存じでしょう?」

「知っていますわ。恩知らずで人を使い潰す家が、あれほど冒険者に慕われているはずがありませんもの」


 ここでマーマリナは前言を翻す言葉を入れる。


「だけどですわ。世間一般の評判は、そうなっているんですわよ。そして、元から神に祝福された地で暮らしてきた貴族たちは、辺境の事情など知ろうともせずに、その噂を鵜呑みにしているんですわ」

「お嬢様、会いもしていない方々に対して、先に相手の見方を決めてしまうことは問題です」

「そうかしら。もし彼の貴族たちが噂通りでないとしたら、どうしてお父様やお爺様は貴族関係で苦労なさっているのか、わたくしのような小娘が他家と縁を結ぶことを期待していらしているのか。とても不思議ですわね」


 マーマリナは、チッターチのお為ごかしを笑い、そして気鬱な顔になる。


「あーあ。こちらを下に見てくる連中と笑顔で会話しないといけないだなんて、やりたくなさすぎて逃げ出したくなりますわ」

「冒険者相手に評価を覆すことを成功成されたんですから、貴族が相手であろうと、お嬢様ならできますって」

「あら。侮ってくる貴族を、この拳と脚で黙らせて良いって許可してくれるのかしら?」

「それは――もちろん、駄目ですけど」


 そんなやり取りをしていると、急に馬車が止まった。

 何事かと二人が警戒すると、馬車の護衛をしてくれている、騎馬兵が馬車の横にやってきて状況を伝えてきた。


「お嬢さま。どうやら街道の先で、盗賊が現れたようです」

「盗賊? こんな場所で?」


 基本的に、こんな場所には盗賊は出ない。

 神が祝福した土地では――土地の豊饒以上に人口が増えてしまっているという問題はあるものの、その増え過ぎた人間を辺境に送って人数調整していることもあり――誰もが飢えとは無関係で暮らすことができるようになっている。

 つまり盗賊稼業をせずとも、ちゃんと畑働きをしていれば、死ぬことはない。

 加えて、この辺境近くの土地だと、街道上で盗賊行為を働いたところで、多少の作物ぐらいしか得るものがない。

 同じ行為をするのなら、もっと王都寄りや、逆に辺境に入った土地でないと、高価な物品や大金を得られない。

 そういう道理を、マーマリナは先に学園で暮らした経験のある兄姉から教わっていた。

 だからこそ、こんな場所に盗賊が出ることが不思議で仕方がなかった。


「わたくしを狙った盗賊かしら?」


 コリノアレグル辺境伯家の悪い噂を真に受けた人物の凶行。

 そのマーマリナの考えを、護衛兵が首を横に振って否定する。


「我らの先に冒険者風の旅人が二人いて、盗賊たちはその旅人を取り囲んでいます」


 もうすでに盗賊行為を働いている状態なら、コリノアレグル辺境伯家を害そうという狙いではななと納得しかけて、マーマリナは違うそうじゃないと思考を切り替える。


「盗賊が旅人を襲っているのなら、助けますわよ!」


 マーマリナはそう宣言し、自らも戦うべく、馬車の扉に手をかける。

 しかしマーマリナの腰をチッターチが抱え込み、馬車の外へ行かせまいとする。


「お嬢様は馬車の中にいてください! 学園入学を控えた大事な身なんですよ!」

「盗賊ごときに遅れは取りませんわよ! 放しなさい!」


 マーマリナとチッターチがやいのやいのとやり合っていると、護衛兵が言い難そうに告げてきた。


「あー、もう援護は遅いかと」

「もしかして、旅人がやられてしまいましたの!?」


 驚愕するマーマリナに、護衛兵は再び首を横に振った。


「どうやら旅人ではなく、凄腕の冒険者だったようで。十人ほどの盗賊の頭と胴体が、全て泣き別れになっています」

「……はぁ?!」


 マーマリナは、盗賊が十人ぐらいいたことにも驚いたが、ほんの少しの時間で全滅させたというその腕前にも驚いた。

 マーマリナは腰を掴むチッターチの腕を外すと、馬車の窓から顔を出して進行方向を見た。

 視界の先には、確かに首と胴体が分かれた死体が十体ほど街道に転がっている。そして、それらの死体の近くに、大小一つずつの人の姿がある。

 大きい方の人影は、体の線が出る革の服で全身を黒づくめにした、大人の女性。

 小さい方は、肩甲骨あたりまで伸びた艶やかな黒髪を後ろで束ねた、血が滴る青銅剣を持つ、絶世の美少女な顔立ちをした子供だった。


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